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いちばん旨いマグロとは何か? 後編 「なぜ「大間の一本釣り」は旨いのか」

中原一歩

和食にとって特別な意味を持つ魚、マグロ――。晩秋から冬にかけて「旬」を迎えます。マグロ取材歴10年を超える気鋭のノンフィクション作家が「いちばん旨いマグロ」とは何かを追究します。
※本記事は、2019年12月に刊行されたNHK出版新書、中原一歩『マグロの最高峰』の内容から一部を抜粋したものです。

「大間」とはどこか

「ここ本州最北端の地」
 大間町の突端は大間崎と呼ばれ、そこに立つ羊羹型の石碑にはこう記されている。北緯41度32分、東経140度54分。ここから津軽海峡を隔てた北海道函館市の汐首岬(しおくびみさき)まで直線距離17.5キロしかない。冬の夕暮れ時、この岬に立つと、低く垂れ込めた鉛色の厚い雲の切れ目から、残照に映える渡島(おしま)連峰の陰影がくっきり浮かび上がる。
 人口およそ5000人の大間町は、本州と北海道を隔て、太平洋と日本海を結ぶ津軽海峡の太平洋側の入り口に位置する。町の至る所にマグロを模した巨大なモニュメントやポスター、のぼりがはためく。ただ、日本一のマグロの町といっても、目抜き通りの商店街は閑散とし、シャッター通りと化している。

WEBMAG 図1「大間町の位置(大間へ行くためのルートを抜粋)」

大間町の位置(大間へ行くためのルートを抜粋)


 町の総面積はおよそ52平方キロメートル(東京の足立区とほぼ同じ面積)。町の8割をクロマツやヒバ、ブナなどの森林が占めていて、集落は三方を海に囲まれた半島の先、猫の額ほどの面積に肩を寄せ合うようにして家々が密集している。
 現在、東京から大間を目指すには大きく分けて2つのルートがある。まず1つ目は、東北新幹線の新青森、もしくは八戸で下車。下北半島を縦貫する国道279号(通称はまなすライン)を通って3時間かけて車で北上するか、ローカル線と路線バスを乗り継いで大間を目指す方法だ。そして、2つ目は飛行機か新幹線を使って北海道函館市に入り、津軽海峡を縦断する一日二便の津軽海峡フェリー「大函丸(だいかんまる)」に1時間半ほど揺られて行く方法だ。
 いずれにしても東京からの移動距離は800キロを超える。日本各地に「僻地(へきち)」と呼ばれる地域は多数あるが、大間の交通の便の悪さは突出している。
 「100万ドルの夜景」で知られる函館の市民は、そんな閉ざされた対岸の町を「函館市大間町」と言って皮肉ることがある。事実、大間は文化、経済の面でも対岸に位置する函館の影響を受けてきた。町には大型量販店や医療機関が少ないので、今でもフェリーに乗って定期的に函館へと通う大間町民は多い。しかし、低気圧が日本海に居座る冬は、毎日のようにフェリーが欠航し、そうなると大間は完全に閉ざされた、本州の袋小路となる。
 大間といえば今はマグロだが、かつては「鮑(あわび)」だった。江戸時代、大間は海上交通の要衝として栄えた。中でも大間産の鮑を乾燥させて作る干し鮑は、高級食材として中国に輸出され「大間鮑」と呼ばれて珍重され、高値で取引されたという。ところが明治維新と共に押し寄せた近代化の波は、日本の物流インフラを海上の船から内陸の鉄道へと急速に変化させた。北前船が廃止され、海上交通網が断ち切られると、大間は一転して陸の孤島と化してしまったのだ。

WEBMAG 図2「日本列島と海流と各地の港」

日本列島と海流と各地の港


 太平洋側では春は四国沖の高知や室戸、夏になると和歌山・紀伊半島や千葉・銚子。秋には宮城・塩釜。秋から冬は津軽海峡、北海道・噴火湾などだ。
 日本海側は冬から春は長崎・壱岐、山口・萩。夏は鳥取・境港、新潟・佐渡。秋から冬にかけて青森・深浦、もしくは三厩(みんまや)、北海道・松前となる。
 しかし、実はマグロは、単に黒潮に乗って日本沿岸を北上しているわけではない。餌となる小魚を追いかけて大間沖までやってくるのだ。津軽海峡には、宗谷(そうや)海峡を経てオホーツク海へと到達する対馬海流の一部が津軽暖流となって流れ込む。一方、太平洋側の入り口では、太平洋を北上する黒潮の一部と、千島列島に沿って南下する千島海流(親潮)が混じり合う。これらの3つの海流の影響を受ける津軽海峡近辺では、マグロの餌となる小魚が食べるプランクトンが大量発生する。津軽海峡のマグロが好むのはサンマとスルメイカだ。釣れたばかりのマグロの腹を割くと、パンパンに膨らんだ胃袋から大量のスルメイカが出てくることがある。
 津軽海峡は深いところで水深200メートル以上、大間漁港の目と鼻の先にある弁天島灯台付近でおよそ20メートル。海底の地形は起伏に富んでいる。海底の凹凸部分は「根」と呼ばれ、これもプランクトンが大量発生する温床だ。
 マグロは極めて気まぐれな魚で、水面近くをバシャバシャと泳ぎまわる日もあれば、水中深くに潜ったままぷっつりと気配を消し、姿を見せない日が続くこともある。海や魚のこうした性質に加えて、天候、気温、湿度などの気候条件が影響してくる。風向きが一つ変わるだけで漁師は漁場を変えるほどだ。
 大間のマグロ釣りがスタートするのは、毎年、7月の海の日に町をあげて行われる大漁祈願祭(天妃様行列)のあと。最盛期は晩秋から年末だ。マグロは正月を迎えると、いつともなく海峡からその姿を消し、きびすを返すようにして、回遊してきた海道を南下し始める。マグロは十数匹から100匹単位の群れを作って時速数十キロとも言われるスピードで移動するが、その回遊については謎が多く、全てが明らかにはなっていない。ただ、津軽海峡から姿を消したマグロが翌日には新潟・佐渡沖に出現するというから驚きだ。

1人の漁師が何本釣るか

 現在、大間には何人の漁師がいるのだろうか。
 大間町には「大間」「奥戸(おこっぺ)」という二つの漁業協同組合がある。マグロが水揚げされる大間漁協には現在、696名の組合員が所属し、正組合員(年間90日以上の操業実績のある漁師)はおよそ347名。そのうち200名がマグロ漁に出る。
 町の少子高齢化に伴い、漁師の大半が60代以上。40代は30名、30代と20代は合計しても20名弱だ。一方、最高齢の漁師は89歳。大間では還暦どころか古希を超えた漁師も現役で海に出て、200キロを超えるマグロと真っ向から勝負する。
 漁師というと、無口で、演歌が好きで、大酒飲み。頭にタオルを巻いて、ヤッケ(防寒用の上着)に長靴姿。そんな画一的なイメージが先行してしまうが、最近の漁師の中には、茶髪にピアスのストリート系の若者もいる。
 農林水産省の発表によると、2018年の漁船漁業の平均収入は840万円で、そのうち、燃料代や漁具代などの支出を差し引くと、いわゆる漁師の儲けの平均は249万円だそうだ。これはマグロ漁だけの数字ではないが、全国的に漁業への若者の参入は増加しているとは言い切れず、日本の漁業は斜陽産業と言われて久しい。
 ただ、大間では毎年、数人ではあるが若い漁師が誕生している。マグロ漁師の倅(せがれ)は、やはり父の背中を追う。子どもの頃から父の船に乗り、手伝いをしてきたサラブレッド達は、大物を釣り上げた父親の姿が憧れだったという。「いつか自分もマグロ漁師になりたい」。親子で船に乗る漁師も大間では少なくない。また、テレビなどメディアへの露出が増えた影響もあり、大間には、サラリーマンをやめ、よその町から裸一貫で大間にやってきたという強者もいる。新規参入者に共通するのは、1匹の魚が時に3億円にも化けるマグロ漁を、己の努力次第では一攫千金の夢を見られる数少ない仕事と捉えている点だ。
 私が、当時40歳だった傳法(でんぽう)範隆さんと出会ったのは2017年のことだった。私は料理雑誌『dancyu』の取材で大間に滞在していて、その取材の様子をツイッターに投稿したのがきっかけだった。それを見た傳法さんが返信をくれたのだ。
 自己紹介の欄にこんな一文があった。
 「マグロ漁師です。駆け出しの4年目の新米です」
 大間出身の傳法さんは、地元の中学校を卒業後、就職のために故郷を離れて関東を転々とした。畳職人、配送業のトラック運転手などを経て、35歳で大間に戻り、父の船に乗りながらマグロ釣りを勉強していた。傳法さんは社会人を経験したこともあってコミュニケーションに長け、何より言葉が聞き取りやすい。これは、取材をする側にとって大変ありがたかった。
 大間では自分を「わ」、相手を「な」、私たちを「わいど」、目上の人を「おめ」と言う。その物言いは荒く、ぶっきらぼうに思える。北前船の影響を受けた大間は関西とのつながりが深く、ありがとうは「おっきに」と言う。東北の言葉はよそから来た人には聞きとりにくい。傳法さんとお父さんが大間言葉で会話を始めると、横で聞いていても何を言っているのか、さっぱり分からなかった。高齢の漁師の話し言葉が聞き取れるようになるまでには時間を必要とした。
 傳法さんはマグロ漁師ではあるが、マグロ専業ではない。春はサクラマスやウニ、夏は昆布を中心にヒラメやブリを獲って生活している。津軽海峡は豊饒の海なのだ。テレビなどの影響で大間にはマグロで稼いだ「マグロ御殿」が乱立しているようなイメージがあるが、実際には200人いる漁師のうち、マグロ専業で生計を立てられているのは20人いるかいないかである。大間では少なくとも100キロ以上を釣り上げないと、それより小さいマグロはメダカだと笑われるそうだ。
 大間で獲れたマグロは、必ず「高値」と共に「希少」だとか「幻」だとか形容される。では、いったい何匹のマグロが年間に水揚げされているのか。私も取材に出かける前は、多くても百本程度だと思い込んでいた。しかし、大間漁協の職員に話を聞くとこんな答えが返ってきた。
 「年間、およそ2000本のマグロが水揚げされます(2017年当時)。これらのほとんどが東京に送られて競りにかけられるのです。大間漁協の年間の売り上げは15億円程度。その6割をマグロが占めます。次に多いのは昆布とスルメイカです」
 この数字だけを見ればかなりの本数が水揚げされているように思えるが、実際の漁師の頭数で割るとどうだろうか。職員はこう続ける。
 「仮に2000本を漁師の人数で割ると1人10本。これを1カ月単位にすると1本弱。しかも、その1本が100キロに満たなかったらどうでしょうか。1匹の魚が数千万円、数億円に化けるマグロ漁は確かに夢がありますが、マグロ漁だけで食べていける漁師はほとんどいない。3年以上、1本も釣れていない漁師だっていますから」
 実際、傳法さんも長い間、マグロの姿を拝んでいないという。

値段の決まり方

 大間漁協で水揚げされたマグロは全て、東京都中央卸売市場(豊洲市場)などに送られ、競りにかけられる。大間から豊洲市場を目指すトラックは、翌朝5時台に行われる競りに間に合うように、前日の早朝7時に漁協を出発する。通常、水揚げされた魚は、その日のうちに地元で競りが行われ「浜値(はまね)」と呼ばれる値段がつく。ところが、マグロは、どんな大物を釣り上げたとしても、地元で競りが行われることはまずなく、東京で競り落とされるまでいくらになるかは分からない。
 マグロ漁は博打である――。
 大間でマグロにかかわる関係者は必ずこう言う。そもそも大自然を相手に生きる漁師という職業そのものが、博打的要素を多分に含んでいるが、大間のマグロ漁師の稼ぎは、豊洲市場で競りに参加する「仲買人(なかがいにん)」に委ねられているがゆえに、自分で値段をコントロールはできないのだ。
 大間のマグロは、いったい、いくらで取引されているのだろうか。
 一口に大間のマグロと言っても、そのキロ単価は5000円から10万円超と様々だ。豊洲関係者によると、平均キロ単価は8000円前後。年末にはこれが2万円、3万円へと釣り上がる。
 例えば、120キロのマグロが釣れたとしよう。これを豊洲に送った場合、漁師の手元にはいくら入るのだろうか。

(つづく)

プロフィール

中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年、佐賀県生まれ。雑誌を中心に取材記者を始め、新聞・雑誌・ウェブメディアなど多岐にわたり、記者として活躍中。事件が起きると一番乗りで現地入りし情報収集して迫真のルポを書くことで定評がある。著書に『私が死んでもレシピは残る――小林カツ代伝』(文藝春秋)、『最後の職人――池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)などがある。銀座の鮨屋、大間の漁港、築地と豊洲の仲卸について長年の取材経験あり。地方の鮨屋をめぐる「旅鮨」もライフワークとする。

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