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一心同体のような二人の少女――#1 イーユン・リー『ガチョウの本 The Book of Goose』(2)

日本にもファンの多い中国系アメリカ作家イーユン・リーの最新長篇『ガチョウの本』。主人公はかつてフランスで天才美少女作家としてデビューし、現在はアメリカでひっそりと暮らしているアグネスという女性です。センセーショナルな内容の小説で彼女がデビューした裏側にはどんな出来事があり、なぜ彼女はいまアメリカで暮らしているのか。登場人物たちのさまざまな思惑が入り乱れて展開する物語の読みどころを、『狂喜の読み屋』(共和国)の著者として知られる都甲幸治さんが解説します。

最新長篇『ガチョウの本』

 『ガチョウの本』の主人公は、現在アメリカ合衆国のペンシルベニアの田舎に住んで、ガチョウなどを飼って暮らしているアグネスという人物だ。夫のアールとのあいだに子供はなく、彼女は「フランス人の妻」と呼ばれている。

 彼女はフランスの田舎であるサンレミという村で生まれ、少女時代を過ごした。そして、この作品の大部分を占める少女時代の回想も移動の話である。サンレミの村からパリへ、そしてイギリスの学校へと、彼女は物語を通して移動する。

サンレミの少女たちの計画

 まだ十代前半のアグネスには、ファビエンヌという親友がいた。アグネスは学校に行き続けたが、一方ファビエンヌは家事の手伝いや家畜の世話のために、学校を辞めてしまう。アグネスと一緒に教科書を読んだりはするものの、これ以降、学問に触れる機会はファビエンヌにはない。

 そもそもこの村には、本がほとんど存在しない。学校に行っているアグネスすら、それまで教科書以外の本を見たことがなかった。しかし親友である二人の少女は遊びとしてお話を作るうちに、ある計画を思いつく。二人で協力して本を書き出版しよう、という大それたアイディアだ。

 最初はほんの出来心だったが、彼女たちには協力者がいた。郵便局に勤めるデヴォーさんだ。彼は街に住んでいたこともあるインテリで、家にはパスカルなどの知的な書物がたくさんある。余暇に彼はそうした本を読み、自分でも詩作を続けていた。ただし彼はそうした作品を、飼っている鳩に読み聞かせていただけだ。

 二人の少女は本を書き進め、デヴォーさんに文法などを直してもらう。これは出版に値する、と確信した彼は、知り合いのつてをたどってパリの編集者に彼女たちの草稿を持ち込む。そして、農村での暮らしに潜む暴力や性欲など、人生の暗い部分までを克明に描いた作品を、年端もいかぬ少女たちが書いたという事実に、パリの編集者たちは強い衝撃を受ける。

『ガチョウの本(原題:THE BOOK OF GOOSE)』kindle版表紙(撮影:都甲幸治)

『幸福な子供たち』の衝撃

 一体どういう内容だったのか。性的な欲望に駆られた村人の男性は、我慢できずに雌牛と性交する。動物の踊るさまを見たいという理由だけで、鶏は首を切り落とされる。あるいは、人知れず子供を産みおとした女性は、豚の飼い葉桶に赤子を突っ込んだまま放置する。登場する動物や人々は次々と暴力を振るわれ、生まれては死に続ける。だがその作品の題名は『幸福な子供たち』だった。

 ファビエンヌとアグネスのあいだにはある合意がなされていた。本の表紙にはアグネスの名前しか載らない、というものだ。なぜそんな合意に至ったのか。そこにはファビエンヌによる緻密ちみつな計算があった。平凡な見た目で、大人に好かれない彼女の作品となれば、メディアの関心は引きにくい。だがアグネスは可愛らしいし、大人に喜ばれるような受け答えも得意だ。ならばアグネスひとりが書いたとすることで最も高く評価されるだろう。

 こうしたファビエンヌの思惑は的中する。本が出るやいなや、メディアはアグネスに殺到し、美少女の天才作家、という触れ込みで、彼女は一躍、有名人の仲間入りをする。こうした宣伝活動のかたわら、抜かりなく、二人は若き郵便局員を主人公とした第二作も書き進めていた。しかも、文法的な手直しなどをしただけのデヴォーさんが真の作者だということにならぬよう、ファビエンヌは彼が自分に対してセクシャル・ハラスメントをしていたというスキャンダルをでっち上げて、デヴォーさんを村から追い出してしまう。

『黄金の少年、エメラルドの少女』(左、河出文庫)収録の「優しさ」には、主人公末言モーイェンに自分の芸術観や人生観を教え込もうとするシャン教授という人物が登場する。『さすらう者たち』(右、河出文庫)は文化大革命後の中国を舞台とした、リー初の長編(撮影:都甲幸治)

タウンゼンドさんの登場と目論見

 一方、世間はアグネスの次なる挑戦を待ち望んでいた。そこに登場したのが、タウンゼンドさんだ。もともと作家志望だった彼女は、イギリスの片田舎で花嫁学校を運営している。そこに無料でアグネスを招き、みっちり一年間教育を施すことで、彼女を社交界の知的な花形へと押し上げよう、というのが彼女の狙いだ。

 それだけではない。アグネスによる三作目の舞台をこの学校にさせ、学校の魅力を彼女に描かせることで、学校の宣伝をし、同時に創作過程に深く関わることで、自分の内なる文学的野心を満たそう、というのがタウンゼンドさんの真のねらいだった。要するに、無知なフランスの田舎者であるアグネスを最大限利用して、自分の精神的、そして経済的な欲望を叶えようとしていたのだ。

 だがタウンゼンドさんの目論見はうまくいかない。アグネスが書いた日記や彼女に来た手紙を勝手に読み、出来栄えをことごとく否定し続けるタウンゼンドさんに、アグネスは全力で抵抗する。やがてアグネスがもう限界だ、と思う瞬間が訪れる。

言葉は誰のものか

 タウンゼンドさんの要望に合わせて書いた『天国のアグネス』の草稿に、タウンゼンドさんは詳細な直しを入れ、それをタイプライターで打つように、とアグネスに命令する。いったいこれは誰の作品なのか。激しい屈辱を感じたアグネスは、学校からの脱出を決意する。

 唯一の味方である庭師のミーカーさんに逃亡の手助けを頼むと、あろうことか、彼はその計画をタウンゼンドさんにすべてバラしてしまう。しかもタウンゼンドさんはミーカーさんを即日解雇するのだ。

 怒り狂ったアグネスは、自分は作品の真の作者ではないし、自分はこの学校に監禁されているとメディアに言う、とタウンゼンドさんを脅迫する。このようにして、ようやくアグネスは故郷の村に帰ることができた。

 だが偽物の天才だったことにされたアグネスの二作目は売れず、そのまま彼女は人々の記憶から消え去る。やがて大人になり、アグネスはアメリカ人と結婚して大西洋を渡る。一方、ファビエンヌは子供の出産時に命を落とす。

 『ガチョウの本』で何より印象的なのは、ファビエンヌとアグネスという二人の少女の関係性だ。当時の彼女たちは、言葉で物事を伝え合う必要すらなかった、とアグネスは回顧する。ただ黙ってそばにいるだけで、感情や思考、感覚は互いを行き来し、すれ違いなどなかった。それは一心同体と言っていい、あまりにも深い関係性であった――そう読むことのできる物語と言えるだろう。

明日に続きます。お楽しみに!

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

関連書籍

都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。

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