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【新連載】古賀及子「これも詩ということにする」第1回

話題作続々刊行のエッセイスト、古賀及子さんによる新連載。日常で触れる言葉のなかから、古賀さんなりの視点で「詩」を見つけていきます。難解と思われがちな詩の世界に、裏口から入門します。

あのときちゃんと笑えていたかな

 平日の朝は毎日居間にラジオを流す。決まった番組を聴くから、だいたい同じ製品やサービスのコマーシャルが放送される。

 どれも個性的で耳に残るなか、最近気になるのは痛散湯という漢方薬のCMだ。肩こりやひざの痛みに効果があるらしく、節々に悩みを持つ人が悩みをもらした後、「そんなあなたに!」とPRする流れで構成されている。

 今日も高齢らしき女性が切実に語る。最近肩や腰が痛くて。先日孫が遊びに来てくれたのに支度だけでもう疲れてしまった。そうして、いかにもがっかりした様子で「あのとき孫の前で、ちゃんと笑えてたかな……」とぼやく。

 このあと力強く痛散湯の紹介が始まるのだけど、私の耳はいつも「あのとき孫の前で、ちゃんと笑えてたかな……」の悲しいつぶやきにつかまれてしまってその先が頭に入ってこないのだった。

 というのも、この「ちゃんと笑えてたかな……」には、どうだろう、文脈を超える甘さがないか。青春めいた不安の味わい、ロマンティックな情緒も感じさせる。

 大好きな人を目の当たりにしては誰もが大なり小なり緊張するものだろう。ときには思いがけず気のないそぶりをしてしまうこともあるかもしれない。優しい笑顔でいたいのに、体がこわばる、素直になれない。

 「あの人の前で、あたし、ちゃんと笑えてたかな……」

 この“あたし”が誰かは措くとして、総じて人間の、これは悩みではないか。あなたの前で笑っていたかったけれど、自信がありません。あの日のことを思うとずっと不安です。誰もがいつか抱える切ない気がかりだ。

 さりげないコマーシャルの一節にもかかわらず耳が自然とキャッチアップしたのはきっと、これが肩こりやひざの痛みの問題だけではない切実な吐露だと感じ取ったからだと思う。

 笑顔を見れずに悲しい思いをするのは、一時的には自分ではなく相手だ。とりあえずの自分はちゃんと笑えてなくても仕方がない。節々が痛いんだし、大好きな人を目の前にして緊張してるし、好きすぎて素直になれなくてついツンとしている、それが“あたし”のありさまだ。
 だけど、相手とのこの先を考えると絶対に笑顔でいたいわけで、「ちゃんと笑えてたかな……」には純粋な相手への好意や慮りやこの先の未来への眼差しが込もる。

 発言者と相手、2人のいる景色が見える。笑えたかどうか不安な私も、笑顔を見せたい相手の姿も言葉の向こうには見える。セリフは1人称でありながら、景色としては3人称だ。
 漢方薬のCMにいきなり風が吹いてどうする。でも吹いてしまった。

 身の回りにひそんだ言葉は、ときに新鮮に世界の印象を変える。詩だなと思う。

 中学生の娘がいる。この人は朝起きるのが苦手でいつも支度がぎりぎりだ。今日も忙しく髪を結いながら、「やばい、物流が新領域に入った!」と慌てている。

 朝のラジオは時報にコマーシャルが絡まることもある。最近は8時の時報が「物流は新領域へ、8時です」と、物流会社のCMとして知らされるのだ。娘はこの時報から、8時のことを「物流が新領域に入る」と言い表している。

 物流が新領域に入ると、そろそろ学校に行かねばならない。意外なもの同士が時間軸に並ぶことで接続され、そこに図らずも鮮やかな世界が広がる。

歯の表面からまろび出る

 子どもの頃から歯が悪い。治療しては虫歯ができてを繰り返してきた。やっとこの10年ほどで、マウスウォッシュ、デンタルフロス、歯ブラシ、歯磨き粉、そして歯の磨き方などケアの方法が固まって落ち着き、ずいぶん虫歯ができにくくなった。

 歯磨き粉については、通う歯科でフッ素が高濃度で配合されているものを選ぶといいと言われ素直に従っている。フッ素の濃度はこれまで聞いたことのないppmという単位で表され、1,450ppmが国際基準に則って配合できる最高濃度だそうだ。

 ppm。parts per million、百万分の1、ということらしい。未知の単位で表されるところに、歯磨き業界独自のカルチャーとロマンがあって良い。フッ素の凄みもひとしおだ。

 高濃度のフッ素を配合した歯磨き粉はドラッグストアに行けばたくさん並んでいる。私はその時々で適当に選んで購入していて、今使っているのは「シュミテクト コンプリートワンEX プレミアム」というもの。

 シュミテクトは知覚過敏を防ぐことを主に訴求する歯磨き粉のシリーズだ。それが今や付加要素として歯周病の予防、むし歯予防、口中を爽快にする、歯を白くする、口臭の防止などの効果が複雑にからみあい、商品ラインナップは大変なことになっている。パワーインフレが起こっていると言っていい。

 コンプリートワンEX プレミアムはなかでも欲張りセットみたいな商品で、上記の効能各種に加えて歯石沈着の予防、歯垢除去までつく、全部盛りみたいな一品だ。頼もしくありがたいことこの上ない。拝んで使っていくとともに、気になっているのが有効成分の働きなのだった。

 たとえば知覚過敏予防の効果については「硝酸カリウムのカリウムイオンがイオンバリアを形成し、歯がシミる不快感や痛みを防ぎます」と、歯茎の炎症予防については「グリチルリチン酸モノアンモニウムが歯ぐきの炎症を抑え、歯周病(歯肉炎・歯周炎)と口臭を予防します」と説明している。

 歯磨き粉のチューブから出る、1回の使用は1g程度と言われる少量の練られた粘体のなかで難しい名前の有効成分がうごめき躍動している。世の中がささいな部分まで念入りに複雑であることにはいつも驚かされる。

 中でも私が注目しているのが無水ケイ酸の働きだ。「独自のプレミアムクレンジング処方を採用。丸い微粒子(清掃剤:無水ケイ酸)が歯の表面を転がりながら、着色汚れをやさしくしっかりからめ取り、歯を白くします」とある。

 まさか歯の表面を、なにかが転がるとは思わないではないか。

 無水ケイ酸は歯の上を転がる。そうして汚れをからめ取る。「大変なことになってきたな」と思う。だって歯だぞ。転がる場所としては狭すぎるだろう。

 と、はっとして思い出すparts per millionという単位。そうだった、これはフッ素が百万分の1という単位で語られる世界線の話だ。歯の表面も、彼らにとってはきっと広々とした大地なのだろう。誰も張っていない伏線を勝手に回収してしまった。

 使ったことのない言葉に「まろび出る」がある。転がり出るという意味で、下ネタに使う印象がある人が多いようだけど、私は『鬼滅の刃』でしか読んだことがない。語感がおもしろいな、いつか使ってみたいものよと書きとめるも何かしらが転がり出ることが身の回りにないままだった。意外なところで出番がきた。

 今日も私の歯の上で、無水ケイ酸はまろび出す。


第2回に続く
※本連載は毎月17日頃更新予定です。

プロフィール
古賀及子(こが・ちかこ)

エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)、『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)。

タイトルデザイン:宮岡瑞樹

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