出口治明・月本昭男対談 その2——博覧強記×碩学無双! “歴史と神話の交差点”を語り明かす
2018年~2019年にかけて重ねられた、月本昭男さんと出口治明さんの対談。
1月に刊行された、月本昭男さんのNHKブックス『物語としての旧約聖書 人類史に何をもたらしたのか』は、発売10日で増刷が決まりました。そして2月26日、出口治明さんのNHK「100分de名著」ブックス『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』が発売されました。大好評をいただいてるお二人の対談のエッセンスを、引き続き、再構成してお届けいたします。
立命館アジア太平洋大学学長特命補佐・ライフネット生命創業者で、「博覧強記」な教養の達人、出口治明さん。
古代オリエント博物館館長、立教大学・上智大学名誉教授で旧約聖書学・古代オリエント文化史学・聖書考古学・宗教史学の泰斗、「碩学無双」の月本昭男さん。
このお二人が、人類の遺してきた古今東西の古典と歴史について語っています。人間の紡いできた神話、積み重ねてきた文明。そして世界史に思いを馳せながら未来も照射し、知的冒険心を刺激しまくる対談です。どうぞお楽しみください!
(全3回予定の第2回。第1回の内容はこちら。今回も、2018年10月14日に東京・下北沢の「本屋B&B」さんで行われ、日曜夜の開催にもかかわらず、100名以上の来場者があり、満員御礼となった対談の後半を中心に再構成し、一部加筆しています)
※ヘッダー画像:月本昭男さん(左)と出口治明さん、2019年7月、別府市にて
西アジアの畑にある「石」
出口 ご著者『物語としての旧約聖書』の“舞台”ともいえる古代イスラエルですが、先生のもうひとつのご専門であるイスラエルの発掘について、ぜひ面白い話をお聞かせいただけるとうれしいのですが。
月本 イスラエルだけではないのですが、西アジアはですね、乾燥地帯なので水が非常に貴重です。たとえばエルサレムですと、年間の平均雨量が日本の約4分の1くらいじゃないでしょうか。南のほうのネゲブ地方に行きますと、年間平均雨量が200mm程度ですよ。ですから農業ができないんです。ところがですね、そこに、農業をした痕跡があるんですね。
出口 そうなんですか。
月本 どのようにして農業を可能にしたと思いますか? もちろん斜面などに雨水が溜まるような季節もあるんですが、それでも間に合いませんね。――これはですね、なんと麦を植える畝の両側に石を並べたんです。そうすると砂漠ですから、昼間と夜の寒暖差がものすごくあるので、朝露が降りる。
出口 なるほど、石に露が付くわけですね。
月本 そうです。朝日とともに石に付いた露がたらりと落ちる。それを使って農業をしていたんです。
出口 すごい知恵ですね。
月本 もう本当に驚きました。私はそれまでいろいろ愚かしかったんです。シリアなどに行ったときはその事実を知る前でしたから、畑に石がゴロゴロしているのを見て「ここの人たちは、もしかして怠惰なのでは」と疑ったんですよ(笑)。私は田舎で育ちましたからね。みなさんご存知だと思いますが、畑は耕したらサクッサクッと鍬が入るわけで、石なんかありません。
出口 畑作業をする前に石を取り除きますね。
月本 それなのに向こうの畑には石がゴロゴロしているわけですよ。怠惰なのではないか、石くらい除ければいいのにと最初は思っていたんです。ところがどうもそうではないのですね。逆に石を置いておくことによって朝露が降りて、それが染み込む。そういうことであえて石を除いていないんじゃないかと。新約聖書にあるイエスのたとえ話で種まきのたとえというのがあって、種まきが出ていって種を蒔いた。道端に落ちた、石地に落ちたと。石地になんか種を蒔くのかと不思議だったのですが、そうじゃないんですね。気候によってずいぶん違うなと思いました。
いずれにしても雨量が少ないせいで、人びとは同じところに長く住む。長く住むとそれがだんだん積み重なっていきます。大きな遺跡だと、元の地面である処女層から30~40メートルくらいの高さになる。何千年とそこに住むことで、それだけの年月をかけて丘になるんですよ。これをアラビア語などでは「テル」とか「タル」と言います。トルコなどでは「テペ」「タパ」という同じような言葉を使います。「遺跡の丘」があるんですよ。考古学者にとっては堪えられないんですね。上から掘っていったらさまざま時代のものが次々に出てきますから。
出口 一つの場所で歴史をずっと遡っていけるわけですね。
月本 そうなんです。日本の場合には水が豊富ですからどこに行っても住める。ですから遺跡は水平に動いていくんですね。遺跡があるかはわからなかったところを、工事をして掘ってみたら下から遺跡が出てきてしまったということがしばしばありますね。でも西アジアでは、そういうことはないわけです。(遺跡があると判れば)上から掘っていくといろいろな時代のものが出てくる。しかも掘らなくともその遺跡から、どういう時代において栄えた遺跡だったのかというのがわかるんです。丘になっているから周囲は斜面ですね。雨が降らない地域と言っても、雨季には多少降るわけです。そうするとそこが削れて、理論的に言えばすべての層が出てくるからです。
出口 そうか、順に時代を追って見えるわけですね。
月本 それぞれの時代でいちばん出てくるのは土器片です。遺跡の周りには土器片が散らばっていて、そこで考古学者は発掘する前に、その遺跡の周りを巡って土器片を拾い集める。その土器片を集めて並べれば「あっ、これはこの時代だな」「この時代の土器はほとんどないね」「この時代はこんなに土器があるね」、となる。それによってその遺跡を発掘する前から、たとえばこの遺跡は紀元前1500年くらいにかなり栄えた、というようなことがわかるのです。
出口 そこまで掘っていったら、宝物があるかもしれないですね。
月本 面白いんです。私が関わったのはイスラエル・パレスチナの遺跡で、19世紀の末くらいから発掘は始まっていました。聖書に関わる場所なので、欧米の研究者には最初、「聖書の歴史性を証明したい」という狙いがあった。ところがそういうわけにいかないんです。聖書ではこう書いてあるけど、遺跡の発掘調査の結果は必ずしもそうではないですね、と。
出口 なるほど。とても興味深いですね。
月本 考古学というのは物が出てきますから、有無を言わさず証拠が立てられるというふうに思われがちです。しかしじつは、考古学こそは「解釈」がものすごく必要なのですよ。その解釈が考古学者によってずいぶん違う。ですから、聖書考古学では実物が出て聖書が否定されるのか肯定されるのかという話になりますが、いまはそうではなくて。聖書はいったん措いて、考古学的な資料だけをもって歴史を少し考えていこう、という立場で調査している人が少なくありません。
イスラエルのテルアビブ大学の考古学者などは、そのような立場で調査をしていますね。聖書の歴史に対しては非常に否定的なのです。聖書ではダビデ王朝は、ソロモンの映画のように非常に栄えた国として出てきますが、いやいやエルサレムとその周辺をちょっと支配しただけで、これは「キングダム」だなんて言えないと。英語で「チーフダム」(小領主の社会)だと、テルアビブ大学の学者たちは言っているんです。それには満足できないキリスト教圏の学者やユダヤ教の学者がいるわけですが、いやいやそうじゃないよ――というような議論があります。そういう具合で、聖書考古学はかなり面白いのです。
それから、建物が出てきても、その建物が何に使われたのか。馬小屋なのか市場館なのか、意見が食い違ったりしております。考古学というのは、日本の場合もそうですけど、物が出てくるからもう有無を言わさず(何かが決まる)ということではなく、その「物」をどう解釈をするか、ということが大事なのですね。
出口 字が書いてあったらまだいいですけど、なかったら本当に解釈は自由ですよね。月本先生が言われたことは日本でも同様で、日本古代のことはこれまで古事記や日本書紀をベースに類推されていたんですけど、でもよく考えてみたら「記紀」は8世紀の初めにできた本ですよね。たとえば卑弥呼の時代はといえば西暦250年前後ですから、本ができる500年以上も前のことやで、と。つまり現代に書かれている(伝承)本だけで本で関ヶ原の戦いを類推するのと同じで、それでええのかという話なんですよ。だから日本でも最近は古墳等いろいろな考古学の知見をベースに、中国に残っている文字に書かれたものと照合しながら研究がなされている。日本書紀や古事記というのは、参考にするくらいのほうがいいんじゃないかというのが最近の若い研究者の人たちの考えですね。世界中同じなのかもしれません。
月本 イスラエルの発掘に大きな役割を果たしてくださった方で、金関恕先生という天理大学の考古学の先生がいらしたのです。日本の弥生時代を専門としていて吉野ケ里の調査や、大阪府立弥生博物館の館長をしていらっしゃった人で、池上曽根遺跡の発掘調査もなさったりして弥生時代に関しては、非常に高名な先生です。イスラエルの発掘にも関わってくださいましたが、2018年の3月にお亡くなりになりました。考古学者の佐原真さんなどとも非常に親しい方でしたね。それでもうどのくらい前だったでしょうか。吉野ケ里の調査のときに、あそこは非常に広い集落なんですけど――
出口 はい、歩いたことがあります。
月本 吉野ヶ里は環濠集落です。金関先生はその集落に対して都市と言えるか、というふうに問われたんですね。そうしたら日本史の先生方は、都市じゃないと言うんです。都市というのは条里制の街ができてから以降が都市で、それ以前の都市というのはないんだ、と言っているらしいんですよ。でも金関先生から、メソポタミアなどの都市とは、どういう条件があったら都市といえるのかと問われたときに、「城壁がある、公的な建物がある、社会に分業がある程度成り立っていることなど」が都市と呼べる条件だと答えたんです。「それならば吉野ケ里は“都市”だよ」と先生はおっしゃたのですね。
出口 説得力がありますよね。
月本 ところが日本史の先生方は、それを都市というのはあり得ない、条里制以降だ、と。「頭が固いんだよね」と金関先生はおっしゃってました。
出口 さて、僕がもっともっとお聞きしたいことがあるんですが、みなさんも月本先生に訊きたいことがあるのではないかと思います。ここからはせっかくなので、ご来場のみなさんからご質問をいただいて、どんどんそれにお答えしていきましょう。どんな質問でも結構です。できるだけ多くの方とお話ししたいと思います。
『物語としての旧約聖書』について
質問① 出口さんと月本さんお二方にご質問したいのですが、前回、出口さんが月本先生の書かれた旧約聖書の本(『物語としての旧約聖書 人類史に何をもたらしたのか』)が非常に良い本で、ここしばらく定番になるだろうとおっしゃいしました。その具体的な理由や感想をお聞かせいただきたいのと、それに対する月本先生のコメントを頂戴できればと思います。
出口 この質問への答えは簡単で、僕も聖書についてはいろいろな本を読んできたんです。私自身が、この本がいちばん明快でわかりやすいと思った、それに尽きます。
月本 ありがとうございます。古代イスラエルは、オリエント全体の世界から言いますと辺境の本当に弱小の民族でした。ピラミッドは造れなかったし、アッシリアのような帝国も作れませんでした。これは発掘調査をするとわかります。先ほど申しましたように、遺跡はさまざまな時代の層が重なっています。ですからイスラエル以前の時代の層もある。これは後期青銅器時代、中期青銅器時代と考古学では言いますが、その時代のほうがだいたいにおいて街も大きいし、そこから出てくるものも豊かなんですよ。ところがイスラエルの時代になると物質や文化的に貧弱になるのですね。そんなちっぽけな民族なんですが、目に見えない神様を信じて「自分たちの神様こそ世界の神様だよ」と思い込み、そういう視点から自分の歴史や社会、人間を見つめた。そういう記録が旧約聖書なんです。
ですから私は、旧約聖書は教会から解放しなきゃいけない――キリスト教から解放して、まさに「人類の古典」として読むべきだと思っています。
ちっぽけな民族が残した旧約聖書が、後にユダヤ教の元になりキリスト教ができてきている。間接的にはイスラム教にまで大変に影響を及ぼします。人類の歴史は不思議だな、逆説的だなと思うのです。つまりそんなちっぽけな民族が残したこのひとつの書が、人類の精神史の中で計り知れないような役割を果たしている。そのあたりが旧約聖書の魅力で、その秘密を旧約聖書の中から解いてみたいな、と考えているのですが、それが解けたとは思っていません。
しかしもう一方でまた、古代メソポタミアの楔形文字というのにも興味があります。私の中で気持ちが分かれるんですけどね。
『物語としての旧約聖書』については、その背後にある古代イスラエルの人たちの、弱小の民族でありながら、なおそこで世界を見つめた思いを読み取ることを試みています。そのあたりの行間をお読みいただけるとありがたいです。
出口 次は楔形文字のシリーズを期待したいですね(笑)。
世界共通の「死後の世界のおカネ事情」
質問② 前回、死生観のお話があって、私は日本で人が亡くなるときに「三途の川を渡る」という表現に対して驚いた記憶があるんです。私が小さい頃は人が死ぬと「ゾンビ」のようになるイメージがあって、人が死ぬ=土に潜るというふうに思っていたんですね。それで日本に帰ってきて、人が死ぬ際に川を渡るような映画を見て、母親に「なんでこれ人が川を渡っているの?」と聞いたところ、「これは死んだってことなんだよ」と言われまして。そこで私は「なんで川を渡るのが死ぬことになるの?」と訊いた記憶があります。そのあたり何かご存知でしたら、教えていただきたいなと思います。
出口 これはものすごく単純に述べれば、現世と違う世界である異界には境界線がありますよね。どんな世界の間にも境界線があるでしょう。映画館に入るときは暗くなるとか、あれも境界線だと思いますけど。境界線としては川(河)のメタファーがいちばんわかりやすいので。たとえばダンテ・アリギエーリの『神曲』でもあるように、ヨーロッパでも川を渡って異界に行くという発想があります。これも世界中の人間に共通していることではないかなと思うんです。すみません、月本先生のほうがお詳しいかと思いますが。
月本 いやいや、そのとおりだと思います。ギリシャ人も川を渡ってあの世に行ったんです。それからメソポタミアでもそうなんですね。メソポタミアの人たちの三途の川にあたる川は、「フブル」と呼ばれています。「フブル」を渡るときに、日本の場合には三途の川を渡るときに六文銭を持たせますが、それと同様に銀を払います。死者を葬るときに副葬品としていっしょに葬るんですね。
ですから「川がある」というのはどこかから影響したのではなくて、いま、出口さんがおっしゃったように人類の共通の発想ではないでしょうか。結界という言葉を使いますね。それは非常に重要なことかなと思います。あの世という違う世界に行くときにどういう表現をとるか、といったら「川を渡る」ということになるのではないかと。
出口 いまでもシンガポールでは、華僑の方がするお盆とかのお祭りでは大量にお金を燃やしていますよね。紙のお金を。あれは確かキョンシーが帰ってきて、また元の世界に戻るときにお金を持たせる意味があるんですよね。いまでも焼いています。だから誰かに何かを頼むときには、やっぱりお金を渡さないと(笑)。それはだいたい世界共通ですね。
一神教の起源について
質問③ 月本先生にお伺いします。楔形文字というのはすごく長い間メソポタミアで使われてきたので、シュメール語やアッカド語、古代ペルシャ語などがあって、あれは今で言うとアルファベットみたいなものだと思うのですが、楔形文字が記された粘土板を見て「これが何語か」というのは、すぐにわかるものなのですか?
質問はもうひとつあって、話が飛ぶのですけど、「一神教の起源」として基本的にどこまで遡れるのかというものです。アマルナの宗教改革が一神教の起源と言っていいのか、それとももっと先があるのか。その二点をお答えいただきたいなと思っています。
月本 第一の質問ですが、楔形文字は、3000年近く使われました。東はイラン、おそらくアフガニスタンくらいまで使われた可能性がありますけど、まだアフガニスタンからは出ていません。それから西はトルコ。非常に広い地域で約3000年間使われたので、発掘調査のときには楔形文字が一体いつの時代の、しかも内容的にどのようなものかということを見極めなければいけない。
それぞれの専門家がいるんです。ヒッタイト語の専門家……などというように。私が専門にしたのはアッカド語です。アッカド語というのはシュメール人が文字を考案していて、それをセム語の人たちが使っていたものです。ちょうど日本人が漢字を受け容れて万葉仮名にした、そういう変化があるのです。ですからアッカド語の文書の中でもほとんどシュメール語、いわば訓読みの、漢字だけで書いたようなものもあるんです。
出口 なるほど、そうなんですね。
月本 そうして慣れてゆくと、それぞれの文書にどのような形式のものが書いてあるのかがわかります。手紙などはすぐにわかりますね。最初を見ますと、宛名で誰々にという文字が書いてあるからです。英語で「to」という前置詞から始まるように。あとは慣れていくと、その文字を見れば、おおよそいつ頃の文字かというのはわかります。これはシュメールなのか、それとも紀元前一千年期のアッシリアなのかというのがわかるんですよ。もし読めないというのがあったら、それは私の場合はアッカド語やシュメール語ではないということになりますね(笑) 。
それから一神教の起源ということですが――これは非常に難しいですね。質問者の方がおっしゃったように、アメンホテプ四世の宗教改革が、古代イスラエルの一神教に大きな影響を及ぼしたんじゃないかという説は一時期ありました。たとえば心理学者のジークムント・フロイトなども、そういうような立場で『モーセと一神教』を書いています。
その議論はいまなお結論が出ているわけではありませんが、旧約聖書だけを見ますと一神教にしてもふたつのタイプがあるな、と。ある預言者はこういうふうに言うんです。「我々は自分たちの神を信じるけど、他の民族は自分たちそれぞれの神を信じている。我々は我々の神を信じる」。一神教なんですけど、これは他にも神様がいるよということを前提にしているわけですね。「モーセの十戒」の最初では――日本語では「主」と訳されますが――あなたがたはイスラエルの神やヤハウェの神ではない他の神を拝んではいけないと書いてあるのです。そうすると純粋に理論的に見ていくと、他の神の存在を一応認めているんじゃないの――と、そういうことになりますね。ところが旧約聖書でバビロニア捕囚期に書かれたもののなかには、他には神はいないと書かれているんですよ。
旧約聖書は紀元前一千年期から紀元前2世紀までと歴史が長く、いろいろな時代のことが書かれているんですが、「神は唯一」「他に神はいない」という言葉がかなりはっきり出てくるのは、今言ったようにバビロニア捕囚期、紀元前6世紀からですね。しかしその前の時代では神々はたくさんいるけれど、自分はこの神を信じるというのがある。
それから古代のインドなどでは、一神教の中で常にひとつの神を祀るけれども、時代によってその神が変わってくるんですよ。これは交替(一)神教と言います。それからたくさん神々はいるけれど、自分たちはこの神を信じるというのは、拝一神教と言いますね。そして神は一柱しかいない、それがいればいいんだよ、というのが唯一神教です。このように一神教にはさまざまなタイプがあるのですが、しかし神は見えませんから、それはおおよそ人間の社会の言わば投影みたいな面があるのです。若干不適切な喩えになってしまうのかもしれませんが、たとえば男の立場から言えば、同時期にたくさんの女性を愛せる人がいる、これが「多神教」ですね(笑) 。「交替一神教」というのは、常にひとりの女性を愛しているけど、時代を見ると去年は別の女性だったけど今年はこの女性――というものになります。「拝一神教」は素敵な女性がたくさんいるけど、自分は死ぬまでこの女性と――ということになるでしょうか。「唯一神教」というのは、他の女性が女性に見えなくなってしまうタイプです(笑)。
どれがいちばん幸せかというのは、それぞれの立場があるでしょう。でも私は他の女性が女性に見えなくなってこの人だけしか女性じゃないというよりも、他にも女性がいる、自分の妻より遥かに優れた女性もいる。しかしこの女性と生涯を添い遂げる――というのがいいんじゃないかな、と思っています。
出口 一神教の説明で、これほどわかりやすいものはたぶん他にはないのかなという感じがします(笑)。必ずしもアクエンアテンの関係(アメンホテプ4世)というのがすべてであるという説は、比較的いまは少数派だと僕も聞いたことがありますね。いまの先生の説明で足りているように思います。
「夢」と文化
質問⑤ フロイトの話が出ましたけれども、お弟子さんいうべき存在に、カール・グスタフ・ユングがいますね。患者さんの夢を分析していく中で、ヘブライ語だったりアラビア語を特に勉強された方ではないはずの患者さんが、キリスト教で定義しているような神様ではなくて、古代の神話に出てくるような神様の表象を話されているんですね。それで、これはなんだろうと分析していって集合的無意識やアーキタイプという定義をしていったと思うんですけど。聖書以前の神話などいろんなところの話を集めていくと、神様だったり、ユングがアーキタイプと定義できるほどの共通点というものが実際にあるんでしょうか。
月本 私はユングのことはそんなに詳しく知っているわけではないんですが、アーキタイプ、元型と訳されるものですね。夢には世界が違っても地域が違っても、ある特殊な共通したイメージが出てくるんですね。老賢者とか、そういうのをユングは分析されました。それが共通しているかどうかは、先ほどのたとえば天国は花園だということは、影響が互いになくともあり得るような気がします。
我々はしばしば「これが日本の文化」「これがヨーロッパの文化」などと区別をしがちで、特に日本的な特色を主張しがちであります。しかし犬や猫から我々を見たら、多少の肌の色や髪の色は違っても、顔のだいたい上のほうに目が横並びについていて、真ん中に鼻があって。高い人も低い人もいますけど、それで鼻の下には口があって。ほとんど同じに見えるのではないでしょうか。その姿が同じに見えるということは、我々も同じようなことを考える、ということですよね。ですから共通したものがあるというのは当然なんだと思うんです。そして事実神話などでは、たとえば日本の古事記の最初のほうにイザナミの黄泉下りというものがあり、メソポタミアにも冥界下りという神話があります。
出口 はい。そうですね。
月本 あるいはギリシャのオデュッセイアなどにも冥界下りがあります。先ほど言ったダンテの神曲など、ずっとつながっていくわけです。これは互いに影響を及ぼしているわけではないんですけど、やはり共通している。ですから文化の違いももちろんあるんですけど、重要なことはやはり共通しているところまでよく認識するのは必要じゃないかなと。そういう点でユングは非常に大きな役割を果たしたと思いますね。
それからもうひとつ。ユングは夢を分析の手段に使い、夢日記を書かれたり夢の記録を取らせたりもいたしましたが、実は古代でも夢というのは非常に重要な役割を果たしています。メソポタミアの楔形文字で残っている文章の中で、最も文量的に多いのは占い文書なんです。その占い文書の中に夢占いというのがあるんですよ。これは本当どなたかが訳してくれるといいんですけどね。人が川の中に入っていったらとか川から出てきたらとか、さまざまな夢占いがあるんです。これをアッシリアのドリームブックと言っております。
また、歴史物語にもたくさんありますね。ヘロドトスの歴史書である『歴史』を見ると、キュロス大王の物語では、そこにアステュアゲスというメディア王国の王様が夢を見たと書いてあって。それで夢を見て、「これは!」と思って自分の娘を本当に小さな国に嫁がせるんです。ところがその息子の孫が、実はアステュアゲスを滅ぼすように結果になる。それはでも夢から始まっているのですね。旧約聖書の中にも夢というのはたくさん出てきます。
出口 さまざまなものが出てきますよね。
月本 また日本でも本当にたくさんの「夢」があります。ですから夢というものに不思議な神様のお告げがある、という感覚は人類に共通していることなんじゃないかなと思います。
出口 アッシリアのドリームブックとか訳されたら読んでみたいですよね。
世界に「仲間」を持とう
質問⑥ 出口先生のファンで、出口さんはいつも「仲間として生きる面白さ」を説かれていると思います。お二方のお話を伺い、ぜひ世界を旅して仲間を増やしたいなと思いました。出口先生はAPU(立命館アジア太平洋大学)で、世界中から集まった「仲間たち」と過ごされていたと思うのですが、世界を旅して仲間を作るために大事なことと言いますか、どういった部分をポイントとして仲間づくりや旅をして、本から学んでいくべきかなと教えていただければと思います。
出口 これはもう「格好をつけないこと」ですかね。やっぱり格好つけたらお互いにしんどいですから。本音で話せば仲間になれることもあります。でも人間は相性があるので、誰とでもうまくいくわけではありません。みんなと仲良くなれるに違いない、という考えは捨てたほうがいいです。確率の問題で考えて、本音で話をしたら友だちになれる可能性が高い、とそれくらいに考えておけばいいんじゃないでしょうか。
古今東西、人間はいっしょなんですよ。よく「これは日本特有の○○文化だ」などといわれるものは、だいたいというかほとんどが嘘で、全部何かの「元ネタ」があります。したがって、人間というのは考えることはいっしょなんだから、言葉とか宗教が違っても本音トークをしたらなんとかなるんじゃないか、というくらいでいいと思います。月本先生も世界中の学者といろいろ議論されていますが、いかがでしょうか?
月本 そう思います。かれこれ30年ほど前でしょうか、ソビエト連邦が崩壊して、いま大変な状況にあるウクライナを訪ねたことがあるんです。あるドイツ人といっしょにクリミア半島近くにあるマリウポリ(マリアの都市、の意)に行ったんですが、その場所はそのドイツ人が戦争のときに若くして捕虜になったところなんですね。彼はその捕虜になったときに、ひもじい思いをしながら宿舎で暮らし、鉄工所で仕事をさせられていた、毎朝寒いところに隊列組んで行かされていた。そうしたら、ウクライナの黒ずくめのご婦人がずっといて、こっそり隊を組んで歩いている自分にパンをくれたそうで「それが忘れられないんだ」と話してくれました。あるとき彼がその人のお宅で電気工事の仕事をしたら、地下室に連れて行かれて「ここでお前いっぱい食え」と言われて食べ物をいっぱいくれたのだそうです。ひもじい思いをした捕虜だったんですが、その頃のことが忘れられないと話してくれたんですね。それで彼が定年になった際に、私といっしょにマリウポリで、鉄工所を訪ねたんですよ。
「ここだよ、ここで俺は働かされたんだよ」と。夏草が茂っているところでしたね。そのとき彼は非常に興奮した様子で「じつは自分が若いころ(ナチスの時代ですね)自分には外国人に友だちがいなかった、外国の情報もなかった。それでああいうことになったんだ」と話してくれました。そして「君はまだ若いから、これから戦争がない平和を作るには外国に友だちを作ることなんだよ、だからぜひいろんな国に友だちを作りたまえ」、と言われました。30年くらい前ですからもう私も若くはなかったんですけど(笑)。これは彼の興奮した、紅潮した面持ちとともに、忘れがたい出来事になりました。
いまも、そしてこれからも、どうなんでしょうか――日本の若者たち、何度もいろんな機会を作って海外に出ていく、あるいは海外から来た人たちと付き合うのが必要なんじゃないでしょうかね。出口さんは、そういうところの本当に前線に立っておられたので、これから未来を見据えた、とてもいいお仕事をなさっていたんだなと思いました。
一神教と多神教
出口 外国の仲間ということで、先ほどの一神教と多神教の話にも関連して、少し脱線して伺いたいのですが、僕も何人か外国人の友人がいるんですが、多くの日本人は、神様を信じていないんだよね、と言われますね。日本人がわりとよく神社に行くのは、籤引きをしに行く、おみくじを引くために行くみたいに考えている(笑) 。日本人は宗教として本当に認識しているのかどうか、私は疑問なんですが、そこは先生いかがでしょうか。
月本 私も前回申しましたようにキリスト教の世界にずっと携わってきて、そのなかで、とある海外からの宣教師と出会う機会がありました。そしてその方からこんな話を聞きました。「自分は日本人に対して非常に不思議に思うことがある。どうして彼らは知的レベルが高いのに、人間が手で作った偶像を崇拝するのか」と。これは仏像などを拝むことですね。それを聞いたときに、私は「(そんな認識)だからあなたが一生懸命宣教しても広がらないんですよ」と本当は言いたかったんですけど、もちろん言いませんでしたが(笑) 。
お寺に行って仏さんに手を合わせる。その仏さんがいつ作られ、どういう素材で成っているのか、これはわかっています。わかっていますけれど、そこに手を合わせることによって、その仏像そのものに願いを届けるんじゃなくて、その仏像を通してそれを超えた「仏」に願いを届けているんじゃないでしょうか――そのこともわからなかったらキリスト教を宣教しても絶対ダメだよ、とその方には言いたかったんですけどね。
ただ1980年くらいから一神教対多神教という議論が(日本で)されるようになりました。実はそれ以前はなんとなく日本の知識人も、太平洋戦争で日本を負かした国はアメリカでキリスト教国ですから、「キリスト教的な一神教のほうが多神教より優れているんじゃないだろうか」というような思いをどこかで引きずっていたのです。ところが日本は世界の経済大国に昇り詰めようと、「エコノミックアニマル」だなんて言われようが、一所懸命に豊かにしようとしてきた――ずっと受け継いできた日本の伝統的なものを忘れて、ですね。それで、1980年くらいになったときに「待てよ、日本だっていいところがあったじゃないか」と思い出したかのように議論が始まったのです。「本当に一神教が優れていて、多神教が劣っているのだろうか。一神教のほうが原始的なのか、いやそうじゃないんじゃないの」「多神教のほうが、いやあるいはアニミズムと言われるほうが自然に対して優しいじゃないの」、などと。あるいは「多元的な世界になったから、多神教のほうが多元的な世界にマッチするんじゃないだろうか」というような議論まで出てきた。
もちろん、一神教が多神教より優れている――これを私はまったく間違っていると思っています。しかしもし80年代以降の、「多神教のほうが優れている」なんてことを発想したら、その考えはすでに多神教的ではないんですよ。
出口 そのとおりですね。
月本 もうどのくらい前になるでしょうか、大学で教えているとき(ですから、コロナ禍以前の話)ですが、正月、学生に「初詣行った?」と訊いたら7~8割の学生は行っていると答えました。「ではその初詣をした神社に祀られている神様は誰?」とさらに問うたら、ほとんど答えられないんです。それで、はたと思いあたりましてね。たとえば明治神宮に行くとします。明治神宮には明治天皇と昭憲皇太后が祀られていますが、明治神宮に初詣に行く100万人以上の人たちのなかで「明治天皇の御霊様、そして昭憲皇太后の御霊様。今年はぜひいい年でありますように」とお祈りする人はほとんどいないでしょう。また、水天宮に猿田彦の神様が祀られている神社がありますが、そこに行ったときに「猿田彦の神様、どうぞ」と言っている人はほとんどいないでしょうね。
つまり多神教というのは形式的にそのように見えますが、実は平均的な日本人が手を合わせているのは、「神様」としか言いようのない方に手を合わせているんだと思います。つまり、多神教と一神教はずいぶん違うよね、どっちが優れているの、という発想自体が間違っている。
日本人の中に平均的な宗教心がもしあったとした場合には、いわゆる「多神教徒」ですよね。キリスト教でもカトリックであれば、さまざまな聖人に対して手を合わせているじゃないですか。
ですから私は、そもそも一神教か多神教かと、そういう発想で宗教や文化をとらえる見方に少し気をつけなければならないなと思っています。
出口 先生の言われたのは、多神教という概念そのものが一神教の意識の反映だということですよね。
月本 そうですね。
「星」をめぐる古今東西のイメージ
質問⑦ 古代メソポタミアがらみの質問なのですが、星座や西洋占星術など、空を見て、イメージを膨らませ、そこから占いにいくのはどうしてなのかなと。そのあたりについてのお考えをお二人にお聞きしたいと思いました。
月本 楔形文字では物を書くときに、「限定詞」や「決定詞」というのがあるのです。
これは木で作られたものですよとか、これはネギの類とか魚の類ですよというとき、あるいは人の名前で男性の名前ですよとか女性の名前ですよとか、そういうのを表すときに最初に限定詞というのを付けるんですね。そこで神様の名前の場合には、「神の限定詞」というのがあるんです。その文字の起源は「星」なんですよ。では星を表すのにどうしたかというと、それを三つ書くと星になって、ひとつ書くと神様という意味になるんですね。
つまり、古代メソポタミアの人たちは空を見て、空に神々の世界があるというふうに感じ取ったんじゃないかなと思います。しかも今日、我々は東京など大都市に住んでいるとほとんど星は見えませんけど、たとえば中央アジアなどに行くと、「こんなに星があったのか!」と驚くほど、たくさんの星を見ることができます。そういった環境があるので、古代の人たちは星の世界と非常に身近に交感していた、感情を交わらせていたのではないでしょうか。
出口 テレビもインターネットもありませんからね(笑)。星を見ていたらさまざまなことを連想すると思うんですけど、これも東西共通です。中国では「木火土金水」という五行説が有名じゃないですか。あれは木星・火星・土星・金星・水星なんですよね。人間の目で見えている大きい星から連想していて、空を見ていて「これはでかいヤツやなあ」などと感じて、発想したんだなと思います。
本の読み方に「コツ」はあるか
質問⑧ お二人ともすごい知識と教養があってお話聞いていてそれを感じていたんですけど、それは本がやはり大きな知識の源だと思っています。そこで、本の読み方のコツを教えていただきたく思います。特に歴史書などは、文化があってアートがあって経済もある。単純な縦ではなく、いろんなものが横に広がっていくジャンルですよね。組み合わせやリンクさせていかないと、きちんと理解できないのかなと。一冊の本だけではなかなかすべてを理解するのが難しいな、という気がします。そういった点も含めて、リンクづけなどどういうところに気をつけながら本を読んでいけばいいのか、そのコツみたいなものを教えていただければと思います。
出口 これは、そんな方法なんかないというのが答えですね(笑) 。僕はいつも「好きこそ物の上手なれ」と言っているんですが、これとこれはリンクしているから読まなければいけない、と思ったらだいたい面白くなくて、頭に入らないんですよ。好きなものを読んでいたら自然にリンクができてくると、それくらいに考えておいたらいいんじゃないですか。そんな方法なんかあったら、みんな大学者になっていますよ。
でも月本先生のような大学者はほとんどいないので、それこそがそんな都合のいい方法はない、という何よりの証拠でしょう。もし学者になってノーベル賞を取ろうというようなことを考えていなくて、普通の社会人として人生を送ろうと思うのであれば、好きな本だけを読んだらいいんじゃないでしょうか。好きな本でも読んでいくと、だんだん自然に枝葉は広がっていくんですよ。「あっ、もうちょっと知りたい」とか。それでいいと思います。
月本 それにしても、古今東西の歴史と文化に関する出口さんの浩瀚な知識には驚くばかりです。このたびの著者『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』 に関しても、単に『貞観政要』を中国皇帝の言行を紹介するリーダー論的な視点だけで語るのではなく、ひろく世界に視野を拡げて、いまを生きる私たちの道標になるように語っている。大学学長を務められたうえで、「学問の自由」や額の独立の大切さも説いておられる。それもさまざまな古典に通暁しているからでしょうね。そして古典は人間を深く見つめていますから、時代をこえて読者に訴え、読者に気づかせてくれる書であることをあらためて思わされます。
古代語の「発音」について
質問⑨ 先ほどの月本先生のお話をうかがっていて、過去に話されていた言葉の音まで発音がわかっているように思えました。文字は粘土板などで再現というか理解が可能だと思うんです。では音の再現というのは、どういうふうに考古学ではやっていくのか教えていただけないでしょうか。
月本 これはもちろん、正確には古代の音というのはわからないのですけど、ペルシャの人たちが使っていた言葉。これはペルシャ語として今日まで関連がありますね。それからアッシリア、バビロニアの人たちのアッカド語というのは、大きくいうとセム語ですね。セム語で後々まだ音がわかる言葉が結構あります。いちばんわかるのは旧約聖書のヘブライ語ですね。ヘブライ語とアッシリアの言葉は通訳なしではわかりませんが、基本的に共通する言葉がたくさんあるんです。
たとえば旧約聖書の人たちは太陽のことを「シェメシュ」と言いました。バビロニアやアッシリアの人たちは「シャマシュ」と。アラビア語では今でも「シャムス」と言います。ですから、この「シャ」という音が、「(息を吐くように)シャ」なのか「(明瞭な発語で)シャ」なのかという細かい違いまではわかりませんが、基本的なところでは共通しています。家はヘブライ語では「バイト」、アラビア語では「バイトゥン」と言います。そしてアッシリアの言葉では「ビートゥ」と言いました。ですからこの場合は、最初の「B」という音はおそらく共通しているはずです。ですから基本的な音は、今日まで伝わっている同じ系統の言葉があるので再現できます。ただ、たとえば「N」のときに、「ング」というのがあったのか。それとも「エヌ」なのか。あるいは「ガ」も「(鼻濁音の)ンガ」なのか「ガ」なのか。その言葉を研究している人たちがいますけど、細かなところは微妙です。
出口 確か「ヤハウェ」も仮に呼んでいるのですよね。
月本 いま出口さんがおっしゃった「ヤハウェ」とは、イスラエルの神の固有名詞なんですね。「モーセの十戒」では神の名前を無闇に語ってはいけない、というふうにあるんです。みだりに語ってはいけない、という訳がいちばん多いと思いますが。古代イスラエルの人たちは「みだりに語るってなんだ」とその言葉の意味がわからないんですよ。寝転んで神様の名前を言っちゃいけないのか、口に物を入れながら言っちゃいけないのか、と。そこで後のユダヤ教が、モーセの掟に決して違わないようにする考えを出したんです。つまり、ヤハウェという神様の名前など一切口にしないと。その言葉が旧約聖書には何千回と出てくると、「おっと」と言って全然別の「アドナイ」という言葉で呼んだんです。ですからユダヤ教の人たちにとって神様は何でもいいんですよね。
ちなみにアドナイというのはYHWHという子音で書くのですが、もともとどういう母音だったかということを、研究者たちが、比較的早い時期に資料から調べられて、それで「ヤハウェ」という発音であると導き出されています。そういった経緯もあって私などはヤハウェという言葉を使っているんですけど、敬虔なユダヤ教徒などは決してそのことを言いませんね。ちなみにアドナイという言葉は特別な言葉ですが、アドーンというご主人様を意味する言葉から来ています。それで教会で使われている旧約聖書では、神の固有名詞が「主」と訳されていたんです。
出口 さて、面白いお話はまだまだ尽きなくて、もっともっとみなさんと語っていたいのですが、今回はここまでにしたいと思います。
※観客の方からの質問は、一部編集して掲載しています。
(第3回は4月掲載予定)
月本昭男(つきもと・あきお)
古代オリエント博物館館長・立教大学名誉教授・上智大学名誉教授。1948 年、長野県生まれ。東京大学文学部卒業。同大大学院人文社会科学研究科中退。ドイツ・テュービンゲン大学修了(Dr. Phil.)。1981 年より立教大学勤務、2014 年3 月、同大学キリスト教学科教授退任。2014年4月~2022年3月、上智大学特任教授。2016年6月~現在まで、古代オリエント博物館館長を務めている。経堂聖書会所属。著書に『詩篇の思想と信仰』(シリーズ全6巻、新教出版社)、『古典としての旧約聖書』(聖公会出版)、『古代メソポタミアの神話と儀礼』(岩波書店)『旧約聖書に見るユーモアとアイロニー』(教文館)『宗教の誕生―宗教の起源・古代の宗教』(編著、山川出版社)、『この世界の成り立ちについて 太古の文書を読む』(ぷねうま舎)、『バビロニア創世叙事詩 エヌマ・エリシュ』(訳・注解、ぷねうま舎)など多数。
出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学学長特命補佐、ライフネット生命創業者。1948年三重県生まれ。ライフネット生命創業者。京都大学法学部卒業後、日本生命に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画(株)を設立し、代表取締役社長に就任。08年3月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命(株)に社名変更。12年上場。社長・会長を10年務めたのちに退社し、2018年1月から23年12月年まで立命館アジア太平洋大学(APU)学長を務めた。自身の経験と豊富な読書にもとづき、旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く 教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』(新潮文庫)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『一気読みの世界史』(日経BP)、『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)など多数。