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出口治明・月本昭男対談——博覧強記×碩学無双! “歴史と神話の交差点”を語り明かす

 2018年~2019年にかけて、月本昭男さんと出口治明さんの対談が重ねられていました。
 今回、月本昭男さんのNHKブックス『物語としての旧約聖書 人類史に何をもたらしたのか』、出口治明さんのNHK「100分de名著」ブックス『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』が、1月・2月と連続で刊行されるにあたって、その対談のエッセンスを、再構成してお届けいたします。

 立命館アジア太平洋大学学長特命補佐・ライフネット生命創業者で、「博覧強記」な教養の達人、出口治明さん。
 古代オリエント博物館館長、立教大学・上智大学名誉教授で旧約聖書学・古代オリエント文化史学・聖書考古学・宗教史学の泰斗、「碩学無双」の月本昭男さん。
 このお二人に「旧約聖書」をはじめ、人類の遺してきた古今東西の古典と歴史について語っていただきます。人間の紡いできた神話、積み重ねてきた文明。そして世界史に思いを馳せながら未来も照射し、知的冒険心を刺激しまくる対談です。どうぞお楽しみください!
(全3回予定の第1回。今回は、2018年10月14日に東京・下北沢の「本屋B&B」さんで行われ、日曜夜の開催にもかかわらず、100名以上の来場者があり、満員御礼となった対談の前半を中心に再構成しています。状況・肩書などは2018年当時のものです。)
※ヘッダー画像:月本昭男さん(左)と出口治明さん、2019年7月、別府市にて


アイドルファンのように握手

月本 自己紹介させていただきます。私はいま、NHKラジオ第二放送の方で、『物語としての旧約聖書』を月に一度、お話をさせていただいていますが、そのガイドブックを上下巻出しました(これに全面的に補筆したものが、NHKブックス『物語としての旧約聖書 人類史に何をもたらしたのか』)。『ギルガメシュ叙事詩』(岩波書店)を翻訳したのは二十年以上前になります。
 私はもともと子どものころから、敬虔というとおこがましいのですが、キリスト教徒の親のもとで育ちまして、ぜひともキリスト教を勉強したいという思いで、大学に入りました。ちょうど私の学生時代は、大学紛争があったので、そのあいだにいろいろ揺れもしましたけど、初心を貫いて大学院に進みました。
 そのさい、キリスト教を勉強するには、聖書だろうと思い、ギリシャ語を習って新約聖書の勉強から始めたんです。そして、新約聖書を理解するためには旧約聖書をわからないといけないだろうと思いました。今度はヘブライ語を勉強して旧約聖書を理解するために大学院に進みました。そこでドイツに留学する機会が与えられたときに、旧約聖書を本当に理解できるためには、古代オリエントのことがわからないといけないだろうと考えたのです。そして1975年から80年まで6年弱、ドイツのテュービンゲンという大学に留学をしたときには、古代オリエント、特に楔形文字の資料を読みながら古代メソポタミアの宗教関連のことを勉強しておりました。まさか日本でそういう勉強を続けられるとは思わなかったのですが、たまたま日本にもいろいろなところに楔形文字の資料が残っていたものでそれを解読しながら、大学のほうでは旧約聖書を中心に講義をしました。さらに1990年にはイスラエルの発掘調査をやりながら、(旧約聖書学、聖書考古学、古代オリエント史学、宗教史学の)四つくらいの分野を行ったり来たりして今に至ります。大学では主として旧約聖書を教え、楔形文字資料のほうは解読し、横文字(欧米語)の論文などで発表してまいりました。それこそ博覧強記の出口さんと比べたら四つの分野と言いましてもじつに狭い分野でありますけど、これまでそれなりに関心を持って興味を自分自身にかき立てられながら勉強してまいりました。その一端などをみなさんにご紹介できればなと思っています。

出口 今回の対談の趣旨は私が先生にいろいろ教えていただこうと、僕自身も大変楽しみにして伺いました。僕も簡単に自己紹介いたしますと、もともと勉強嫌いで学問はちゃんとやったことがないんです。いちおう大学では憲法の基本的人権を勉強したんですけど、そのあとはずっと民間(日本生命勤務後、ライフネット生命を起業)で仕事をしてきました。
 趣味がなくて、あえて言えば寝ることがいちばん好きですね。その次はご飯で、他にすることがないので後は本で。それからまた余った時間があればふらふらするのは好きなので、旅というか放浪というか。好きなものが他にないので、本を読んできたのです。単に雑学でいろんなことをかじっただけなので何もないんですけど。
 ちょうど先生が言われた20年ほど前に、岩波書店から出た『ギルガメシュ叙事詩』を読んでものすごく触発されました。それからずっと月本先生のお名前が頭に残っていたんですね。「こんなすごいものを訳して書けるすごい先生が日本にもいるんだ」と。そのあとたまたま読売新聞の書評委員をやっているときに(同じ書評委員の)月本先生にその会議でお会いして、あんまりにもうれしくて初対面ながら「あの『ギルガメシュ』を書かれた月本先生ですよね」と握手させていただきまして、まさにアイドルのファンみたいな感じで(笑)お話しをさせてもらったんです。伺ったら同い歳だとわかったんですが、ずいぶんちゃうなと(笑) 。やっぱり学問された方はすごいなと思いました。

月本 せっかくなので、私からも出口さんの印象を。

出口 お願いします。

月本 ご紹介いただきましたように、もう何年前になるんでしょうか、読売新聞の書評委員を2年間ほどごいっしょしていたんです。そのときにまあ驚かされました。こんなにたくさんの本を読めるのはどうしてだろうか、と。読むだけじゃないんです。それを書評に書かれるんですよ。私など3か月に2冊くらい書くのが精一杯だったんです。出口さんはおそらく1か月に1冊以上ですよね、おそらく。私は本当にその(読売新聞書評委員の)ときに初めて「読書の楽しみ」を覚えましたのでとても有難かったのですけど。そこで、私が読みたいなと思う本は、だいたい出口さんに先に取られちゃうんですよ(笑)。

出口 申し訳ありません(笑) 。

月本 驚かされたのは、私は自分の分野ですと多少本を読んで「ああこの人はこう言っているな」と頭に残るんですが、自分の分野以外のものは読んでいるときは楽しんで読むんです。それで書評も書いているんですが、そのあとすっかり忘れちゃうんですよ。ところが出口さんはそういう情報がどういうわけか蓄積されていくんですね。これはどういう頭の構造をした方だろうと、本当にすごい方だなと思っていたのです。いい本を取られてしまった恨みも込めてですね(笑)、ご紹介です。

楔形文字の魅力

出口 ところで先生がさきほど、楔形文字についてお書きになった論文は、横文字で書かれたものの方が多いということでしたね。聖書・宗教・発掘もやっておられるんですけど、先生が宗教や聖書、楔形文字や発掘など、いろいろな分野で超一流の研究をされているのに、横文字の論文は楔形文字が大半だと仰ったのは、やっぱり楔形文字がいちばん面白いという意味でしょうか。

月本 そうですね。面白さからいくと、確かに楔形文字は面白いんです。これは謎解きというかパズル解きの面白さとですね、それから誰も読んでいない文章を最初に解読するときの快感があるからなのです。どう言ったらいいんでしょうか――雪の降ったときに誰の足跡もついていないところに自分で歩いて足跡をつけていく、そういう快感がありますね。加えて、楔形文字は日本語で論文を書いていてもきちんと評価してくれる方がいないものですから。必然的にというか、しかたなくというか、横文字で発表し、批判をあおぐことになります。

出口 なるほど。僕も粘土板はいくつか大英博物館などで見たことがあるのですが、じっと見ていると結構きれいですよね。

月本 きれいですね。古代においては大切なものを粘土板にして焼いたんです。書かれていた文書というのは粘土ですから硬くなっていて、いまでも遺跡の下にたくさん埋もれているんですよ。ところが、硬いんですけど完全に残っているものはそんなになくて、どこか欠けてしまったり擦れてしまったりしてわからないところがあるんですね。パズル解きのような楽しみがあると言いましたのは、その欠けた部分を、同じような文書を頭に入れておいてどのように補えるのか、というところなんです。解読する専門家の腕の見せどころ、力の見せどころとでも言うのでしょうか。

出口 ジグソーパズルみたいな感じですね。

月本 そうなんですよ。その面白さというのがありますよね。加えて、最初にそれを自分が読んでいるんだよという快感でしょうか。

出口 書写材料と言いますけど、人類はいろんなものに、字を書いてきたんですよね。粘土に書いたり、パピルスに書いたり、あるいは竹を削って書いたり、紙に書いたり、羊皮紙に書いたり。でもある本を読んでいたら最高の書写材料は実は粘土とだというんですよね。粘土を焼いたら割らない限り永遠に消えないので。だけどパソコンに入れたデータは、なんかしたら消えますよね。もちろんバックアップのコピーを取っておけばいいのでしょうが。
 だから人類が発明した最高の書写材料は、原始的なんですけど粘土板なんですよね。粘土板に焼いたら絶対に消えない。後から改ざんし難いですよね(笑)。日本史が好きな方ならご存知だと思いますが、法隆寺の釈迦三尊の裏に彫られた字が、できたときに彫られたと理解するのか、後から箔をつけるために何か彫ったかで時代がずいぶん違ってきますよね。金属であっても後から加えられるんですが、粘土は焼いてしまったらもう変えられないんですよ。そういう意味で最高の書写材料だと聞いたことがあります。月本先生のお話を伺うと、まだ人類には知らない粘土板が膨大に眠っているのに間違いなくて、今発見されているのは数割に過ぎないということですよね、中東の戦乱状況がますます混沌としていますが、いずれ平和になってどんどん掘れるようになれば歴史はずいぶん変わってくるかもしれない。そういうお話も聞いたことがあって、やっぱりロマンを感じるなと思ったことがあります。そのくらいたくさんまだまだ埋もれてますよね。

月本 埋もれていると思います。残念なことに、中東の広い地域が、戦乱状態ですからね、調査ができません。日本隊がユーフラテス川のダムを作ったところのある遺跡を調査したところ、やはり何百枚かの粘土板文書を発見されたんですね。その解読を筑波大学の、私が教えたりした比較的若い方々が始めたりしているんですけど、まだ埋もれている文書がそれこそ無尽蔵にあるんです。しかしあのような戦乱状態ですから、なかなか発掘調査ができないのが残念であります。人類の文明の発祥の地が今日なおあのような状況になっているというのは、人類の文明の皮肉というんでしょうかね。私はそこのところを専門にしていますから、非常に残念です。

文字のはじまりは物品管理

月本 ところで、文字が考案されるのは今から5200年くらい前なんですね。これはメソポタミアが最初で、それに続いてエジプトなんですが。どのようにして文字が考案されたのかと言いますと、いちばん最初は物品管理なんです。たとえば麦を、最初に作っていたのは大麦なんですけど、大麦を収穫しますね。その収穫量を、壺に入れてどのくらい収穫できたか記録するわけです。あるいはどこにどのくらい、配給したかもですね。
 それを文字が考案される前までは、壺の形をした粘土の駒を、その数だけ作って管理していたんです。そうしてその壺を他の誰かに10個届けるときには、壺を10個預けるとともにその駒を作って粘土の中に収めて持たせたんですね。受け取る方はそれを割れば、「あっ10個だな」と。「壺が10あるね、途中でなくなってないね」というのがわかる。ただそうすると羊を100匹飼っていて、一頭なくなったら百の駒を作ってひとつを引かなければいけませんね。
 それをあるとき誰かが、そんな100個を作らないでも粘土にひとつだけ(内容を)書いて、次に数字を書けばそれで間に合うじゃないかと発見した人がいるんです。これがメソポタミア文字の考案なんですね。

出口 物の管理のために文字で記録を取るのはよくわかります。いわば帳簿ですよね。家計簿といってもいいし、台帳といってもいい。でもなんで人間は物語とか歴史とか、出来事を文字で記録するようになったんでしょうか。

月本 そのところはよくわかっていませんが、ただ「文字で帳簿」と仰いましたね。帳簿をつけることによって人間の社会は相当変わってきたと思いますね。収穫高を10年くらい記録すれば、凶作のときと豊作のときどのくらい差があるかかがわかりますね。そうすれば翌年仮に凶作になったときに、どのくらい備蓄すればいいかがわかってくる。つまり文字で記録することで社会に計画性ができてくるんです。それから正確な情報が伝わっていきます。私たち小学校の頃伝言(電報)ゲームというのをやりましたけど、今も小学校でしているでしょうか? 小学校の先生がいちばん前の人にある情報を伝えて、それを覚えて後ろの人に言葉で伝えていく。それでいちばん後ろの人が書き留めて持ってくるというゲームなんですが、だいたいいちばん後ろの人が書いてくる情報は最初の情報と全然違うんですね。これはゲームでしたけど、伝えられた情報を一枚の紙に書いて後ろに回せば、正確な情報がずっと続く、繋がるわけですよね。そういう意味でも文字は大きな役割を果たしたと思います。
 文学がどうして生まれたのか――これを私は想像するしかありませんが、日記をおつけになっている方は何月何日、天気を書く。今日何した、夜は下北沢で出口・月本の二人の話を聞いた。まあ多少は面白かったけど、一体何を言っているのかわからなかった……そんなような日記でもずっと続けていくと、そういう情報だけではなくて、そのときに感じたり思ったり思いがけない出会いがあったり、そういうことを書きつけていきますとね――なぜか彼女に会うと動悸が激しくなるんだけど、なぜだろうか。これが愛というものではなかろうか、とか(笑)。そういう自分の心の中にある物事を表現していくと思います。そういうなかから、言わば精神世界が少しずつ広がっていく。そこから詩が生まれたり文学が生まれたりする。そしてそれらが共有されていくと文字に書かれて、多くの人たちが読んだりあるいは聞かせられたりしていく。文字で情報を書くなで、時をかけて、時間の経過とともに自分の思い、精神、心のなかのことを書きつけるようになって、それでその世界がずっと広がっていったのかなと想像をしています。

出口 なるほど。では極端に言えば、日記を書いていることはある意味で歴史ですよね。起こった出来事をちゃんと書いていくわけですから。でもそこに先生が言われたような、感情とか想像力を付け足していけば文学が生まれる。そうするとその延長で神話というのも生まれるのでしょうか。

神話と物語のおこり

月本 そうですね。文字がなくとも文学はあり得ますよね。我々知っているように、アイヌの壮大な叙事詩や神謡集と呼ばれるものがあります。アイヌの方々は文字を持たないけれど、それを代々伝えてきました。しかし我々がそれを知るのは、知里幸恵さんという十九歳で亡くなった方が、お祖母さんから聞いたアイヌの伝承をみんな覚えて、それをローマ字で書いて、しかも日本語に訳した素晴らしい功績があるからです。岩波文庫の『アイヌ神謡集』を読むと本当に感動します(編集部より参考:100分de名著・2022年9月号テキスト 中川裕さん『アイヌ神謡集』)。

出口 感動しますね。

月本 アイヌの方々は文字がなくともそういう文学を伝えてきましたけど、しかし知里幸恵さんがそれを書き残さなかったら、我々はおそらくアイヌのことは――

出口 永遠に知らかなったかもしれませんね。

月本 そういう意味でやはり文字というのは重要だなと思います。
 神話については、大林太良氏が『神話学入門』という本を書いておられまして、大林太良についてはいろいろと申し述べたいこともあるのですがひとまず措いて(笑)、これを読みますと神話の最も(神話)らしい神話は起源神話だと書いているんです。なぜこの世界は始まったのか、なぜ人間は他の動物と違って二足歩行で、服を着るのか。それからなぜ火を使うのかと。こういうようなことの起源を探る、そして起源を物語として説明する。これが神話の、最も神話らしい神話だと言うんです。さまざまな素朴な疑問が、我々の中にはある。そういう疑問を物語の形で説明すると、やっぱり神話が生まれてくるのかな、と私は思っているんですね。

出口 子どものころに思った「人間はどこから来て、どこへ行くんだろう」とか。「なんで生まれたんだろう」とか、そういうものが昔から変わっていないということなのでしょうか。

死者をどう見おくるか

出口 それから、死者の葬り方も、すごく文明のベースになっているように思えます。シュメール、古代メソポタミアでは、もともと火葬だったんですか? 土葬だったんですか?

月本 基本的には土葬ですね。日本とは逆なんですね。日本の古代においては、火葬はむしろ身分の高い人たちに対して行いました。メソポタミアの場合は逆で、辱めるために死者を焼く、あるいは場合によっては敵の墓を暴いて、もう一度火で燃やすということをしていたくらいで、火葬はむしろ嫌われていたと思いますね。それは実はキリスト教やイスラム教の、「最後の審判」のときに人は復活するという思想と重なるんですが、いまでもイスラームの伝統、あるいはキリストの伝統では火葬はあまり好まれていません。

出口 そうですよね。

月本 でも墓地がどんどん増えていくので、背に腹は変えられないということで、火葬も少しずつ欧米圏のキリスト教圏でも広まっているということは聞いています。ただメソポタミアでは基本的には土葬だったんですね。

出口 そうですね。よくわからないのは、そのあとで火葬がメインになりますよね。たとえばギリシャの英雄のヘクトルやアキレウスなどはみな火葬されています。火葬によって没薬などいろんなものが珍重されましたよね、いい匂いがしますから。ローマ時代でも、幸福のアラビアの繁栄とかシバの女王とかの世界でも香料が出てきますけれども。
 その土葬の伝統のあと、なぜ火葬に移ったのか、ずっとわからなくて――キリスト教は「最後の審判」ということで、焼いてしまったら復活できないからというのでよくわかるんですけど、このあたりはどう考えたらいいんでしょうか。

月本 火葬がどのようなところから生まれてきたのかはうまく答えられないのですが。日本でも、たとえば長野県の小諸の話ですけれど、もう40年近く前になりますかね。私の祖母が八十八歳で亡くなったときには土葬でした。

出口 僕の祖父もそうでした(出口氏は三重県美杉村(現・津市)出身)。

月本 そうでしたか。棺桶に入れて旅支度をさせて、六文銭と称したものを紙で書かれたと思うんですがそれを入れて、あと杖をもたせて、しゃがんだ姿勢で桶の中に入れて葬りました。ただ今は衛生的な理由もあって――あまり日本の伝統ではこだわらないんでしょうかね。土葬でも火葬でもこだわらないのかもしれません。
 「なぜ人は死者を葬るのか」ということになると、考古学の資料しか出てきませんし、文字が考案されるはるか昔のことですからわかりません。ただ最も古い埋葬の痕跡は、ネアンデルタール人ですね。ご存知の方もいらっしゃると思います。イラクの北にあるシャニダールというネアンデルタール人の洞窟の中で、1960年代にラルフ・ソレッキというアメリカの考古学者が、手厚く葬られたお骨を発見しました。そのお骨を発見したときに土も調べたんです。そしたらなんと、17,8種類の花粉が大量にそこに含まれていたんですね。花粉というのは実は何千年、何万年も腐らないで化石になるものなんですよ。目では見えないので顕微鏡で調べないといけませんが。

出口 ものすごく強いんですよね。

月本 お聞きおよびかと思いますが、日本でも花粉考古学というのが盛んなんですね。たとえば野尻湖の湖底をボーリングするんです。そうしますと上の方が新しい時代ですよね。下の方が古い時代になる。それぞれの地層にどのような種類の花粉がどの程度収まっているかがわかれば、その地域の生態学的な環境が明らかになってくるんです。
 この花粉考古学はいま、世界的に広まっていて、その先駆けがシャニダール洞窟での、6万年前~5万年前に生きたネアンデルタール人のお骨を埋葬した、その土に含まれていた花粉を調べることにありました。でも洞窟ですからね、花が咲くような場所ではなく暗いところです。そこでソレッキは、ネアンデルタール人は死者を葬るときに花を手向けてきた、花いっぱいで葬ったんだと解釈をしたんですね。
 私はその説に賛成しているんですが、反対している人もいます。風で来た、あるいはネズミが運んできたんだよと。こういう説明をする人もいるんですけど、でも私はその説を信じますね。このことを知ったときに「あっ、素晴らしいな」と思うと同時に、じゃあ日本はどうかしらと思ったんです。仏教ではお花を使います。仏教以前はどうかしらと思い、「日本書紀」をそういう視点で読みました。そしたらありました。これは熊野の話です。イザナミが祀られたというくだりで、「花時亦以花祭(はなのときにはなもてとむらい)」と書いてあったんです。それで「あっ日本でも仏教以前から花で死者を葬ることをしていたんだ。これは人類に共通していることなんだな」と思いました。

出口 確かに、そうですね。

月本 ではなぜ花を手向けるのか。それがわかると人間の秘密がひとつ解けるんじゃないかと思ってはいるんですけど、なぜなのでしょうか――そこまではまだわからないですね。天国があるとかそういうことをあまり安易に持ち出してはいけないとは思いますし。ただ「花を手向ける」ということは本当に共通しているんだなと。

出口 人間が作った天国のイメージも、花が咲き乱れていると形容されるので。やっぱり人間の考えることは変わらないということかもしれませんね。ある意味では文明を見るときに、どういうふうに死者を祀るのかというのはすごく面白いひとつの切り口だと思うんです。火葬で香料や没薬といっしょに焼いたら天に昇る、英雄が天に昇るという観点もあるのかななんて思ったりもしています。

メソポタミア文明に「なかった」もの

出口 ところで、メソポタミアはビールをはじめ、いろんなものを発明していますよね。メソポタミアで発明しなかったものは逆に何かあるんでしょうか? 車輪とかビールとか文字とか、数学や……あとコインもそうですね。ほとんどのものを発明しているじゃないですか。だから先生に訊きたいのですが、メソポタミアになかったものは何かあるんでしょうか。

月本 いや、いろいろあるんじゃないかなと思います(笑)。そういうふうに考えたことはなかったんですけど。
 ビールについて申しますと、私がドイツでお世話になっている先生が最初に書いた本が、メソポタミアにおけるビールの本でした。それを見ましたら、数十種類のビールがありまして、ビールの作り方などが書いてありました。今から五千年ほど前、ちょうど文字が始まる頃のメソポタミアに図像がたくさんのこっているんですが、そのなかにビールを飲む宴会の場面があり、ビールをなんとストローで飲んでいるんですよ! なぜだと思います? ろ過の技術がなかったからです。上には麦の殻が浮いて、下にはちょっとベタベタとした酵母の入った部分が沈んでいる。ですので、ちょうど真ん中あたりが飲めるので、そこを飲むためにストローを使っていたんです。
 私が館長を務めている東京・池袋の古代オリエント博物館には、ビールがメソポタミアでは労働者の配給にも使われていたという記録が書かれた粘土板文書があったんですね。ただもう二十年くらい前だと思いますけど、それをアサヒビールが当時のビールを作りたいと言って買ったんですよ(笑) 。いまアサヒビールのどこにあるのかは不詳なのですが、それでビールを作ってみたはいいんですけど、おいしくないんですね。ホップが入っていませんから。冷やせば飲めるかもしれませんけどね。というわけで、ビールを飲むのは、ストローで飲むのが、人類最初の姿でありました。

出口 でもビアホールに行って、ストローを持ってきている人とか楽しそうですよね(笑)。

月本 それでメソポタミア人にないものは何かという話に戻りますが、そういう観点で考えたことがなかったんですけど、「そろばん」のような計算器はなかったんじゃないでしょうかね。
 それでも今から四千年くらい前のウル第三王朝時代には、この時代には、だいたい一日ごとに小さい記録を残していて、月でまとめて、一年でまとめている。それで一年でまとめたものを大きなものに書いていたんですね。当然記録の数も相当なんですよ。それを暗算でしたのか――

出口 あるいは粘土板に書いて。

月本 粘土板に書いたのか、これはわからないんですが。暗算が得意な方やそろばんが得意な方は別ですけど、ごくごく我々の普通の頭ではなかなか計算できないようなことを、かなり確かな数で計算されているんですね。だいたい足し算引き算ですけど、何百ではなく何千くらいの単位で出てきます。ですから計算するときにはどのようにしていたのかしら、計算器があったのかしら、と。でも何千という物を動かしてやるわけにはいきませんからね。

出口 トークン(古代メソポタミアで用いられた生産されたアイテムを数え記録するさいに使われた一種の道具)でやると言っても大変ですからね。

月本 ですからそろばんみたいなものがあればできるのかな、と。しかもそういう場合は大抵六十進法もあるんですが、十進法が多いんです。

出口 やっぱり六十進法が使いにくいからでしょうかね。

月本 そうですね。一年十二ヶ月を考えると、便利なのは便利ですけどね。一ダースなどの単位に多少は残っていますからね。でもやはり十進法のほうが便利だから、歴史の中でそっちのほうが主流になっていったんじゃないでしょうかね。

出口 実は私自身も興味があるんですけど、シュメールというのは本当に面白いんですよね。人間の考えることのほとんどのことがあるので、先生にその一端を今日お話いただいたんですけど。
 旧約聖書については素晴らしい名著を書いておられます。ぜひこちら(『物語としての旧約聖書』)を買って帰ってください。僕も読んだんですけど、日本で売られているすべての本の中で、旧約聖書をこれほどリアルに理解できる良い本はないと思います。おそらく、ここ数十年はこの本が定本になるんじゃないかと思っています。

次回へつづく)

月本昭男(つきもと・あきお)
古代オリエント博物館館長・立教大学名誉教授・上智大学名誉教授。1948 年、長野県生まれ。東京大学文学部卒業。同大大学院人文社会科学研究科中退。ドイツ・テュービンゲン大学修了(Dr. Phil.)。1981 年より立教大学勤務、2014 年3 月、同大学キリスト教学科教授退任。2014年4月~2022年3月、上智大学特任教授。2016年6月~現在まで、古代オリエント博物館館長を務めている。経堂聖書会所属。著書に『詩篇の思想と信仰』(シリーズ全6巻、新教出版社)、『古典としての旧約聖書』(聖公会出版)、『古代メソポタミアの神話と儀礼』(岩波書店)『旧約聖書に見るユーモアとアイロニー』(教文館)『宗教の誕生―宗教の起源・古代の宗教』(編著、山川出版社)、『この世界の成り立ちについて 太古の文書を読む』(ぷねうま舎)、『バビロニア創世叙事詩 エヌマ・エリシュ』(訳・注解、ぷねうま舎)など多数。

出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学学長特命補佐、ライフネット生命創業者。1948年三重県生まれ。ライフネット生命創業者。京都大学法学部卒業後、日本生命に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画(株)を設立し、代表取締役社長に就任。08年3月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命(株)に社名変更。12年上場。社長・会長を10年務めたのちに退社し、2018年1月から23年12月年まで立命館アジア太平洋大学(APU)学長を務めた。自身の経験と豊富な読書にもとづき、旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く 教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』(新潮文庫)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『一気読みの世界史』(日経BP)、『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)など多数。

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