「日記の練習」10月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの10月の「日記の練習」です。
10月1日
10月2日
10月3日
10月4日
3日だと思ってまだ東京出張まで日があると思っていたらきょうが4日だった。1日分想定がずれて予定がめちゃくちゃに。
ニュースを見ていると気が滅入るが、自分のスケジュールを見ているとありがたいものばかりで元気が出て、しかしほんとうにうまくやれるのか心配で出たばかりの元気がなくなる。
10月5日
10月6日
言うはずなかったことをたくさん言って言いながら後悔した。
10月7日
10月8日
10月9日
10月10日
10月11日
「わたしはエンターがデカくないとだめなんだ」と返信。
10月12日
東京出張で千冊越えのサインを終え、打合せを2件、5人との会食をし、短歌の全国大会に出て、帰ってきたその夜から三日間友人に盛岡を案内しまくり、一通りそれが終わってすっかりぼんやりしてしまった。すじこと葱とえのきを買って帰ったら、葱とえのきはもう冷蔵庫にあった。
10月13日
10月14日
10月15日
10月16日
10月17日
10月18日
日記が日々を追い越してしまっても、日々が日記を追い越してしまっても、日記を書くことができなくなる。日記を書くことが出来る日というのは、一日に起こることが日記に適切なサイズの日だよなあと思いながら空白の日付を眺めている。適切なサイズにするためには、同じ時間に机に向かっていたほうが良いような気がする。明日から出来るだけそうする。
10月19日10:00
9時までに化粧を終えていない一日はもうだめ、と思い込みすぎている。きょうはもうだめ、とも言っていられず、とにかくtodoistを書き出してベランダに出てコーヒーを飲んで伸びをした。きょうは手紙を書く用事が3つある。
先日大家さんに頼んで直してもらった室外機のホースがすっかり綺麗になって白蛇のようでかわいい。あすの9時に直しに行っていいですかと言われてはい構いませんと即答できるのは平日も出社する必要のない自営業であるからという感じがする。やっぱりずっとこころのどこかで自営業はふつうじゃない仕事だという負い目のようなものがある。自営業には自営業の大変さがあるってことももう十分わかっているはずなのに、何時にどこへ行ってもよい気楽さのようなものを申し訳なく感じる。これは仕事、これは仕事、と唱えるようにして今日も机に向かう。なかなか大変だと思う原稿を前にしながら思うのは、まったく締切の関係ないあたらしい短篇小説を書いてみたいということで、書くことから逃れても書こうと思っているのだからまだ大丈夫だ、と思おうとするが、かと言ってその短篇をぐおーっと書き上げてしまうようなパワーもなく、とにかく、書いている量に対して自分の納得が伴わなくなってきている感じがする。仕事ができる人でいたい、と長らく思い続けていたが、仕事をしているだけで十分えらいじゃないかと思って、仕事をしすぎている人に唐突に「仕事をしているというだけでもうとてもえらいです」と送った。
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昔「気に入られるのがうまい」みたいにわたしの社交性をとても下品なものとして言われたことがあって、そうかわたしは人に気に入られようとしているのだろうかと自分でも悩んだことがあったが、今思い返すに、わたしは気に入られるのがうまいのではなくて、気に入るのが上手かったのだと思う。気に入った人には気に入られる。気に入るのがうまいんだわたしは。
10月20日
昼前まで寝ていた。生理前後、毎度こうして強烈な眠気に襲われて半日無駄にしてしまうのを冬眠のようだと思う。午後から慌てて仕事。
10月21日
夫はキングオブコントのために実家へ帰った。夫の思う存分の笑い声があまりに大きくて、わたしが不機嫌になってしまうためだ。お笑いの大会とサッカーの大会の時はそうするようになった。夫が好きなだけ笑うことを出来るだけ肯定したいと思っているのだが、夫の大きな笑い声だけはどうしても苦手で、申し訳ないと思いつつも、家を空けると言ってくれる夫の申し出をいまのところはありがたく受け取っている。
友人の子にかぼちゃのマントを買って、大学の時に一度だけ使ったウォーリーの仮装を引っ張り出して、ハロウィンのイベントに行った。商店街の人たちの本気の仮装に子は完全に怯えて絶叫しながらこわがってしまい、滞在はものの10分ほどだったが、わたしが照れつつウォーリーの服で歩き回れる限界も10分だった。
10月22日
きょうは夕方までずっとベッドに居た。やらなければならないことはたくさんあるのだけれど、そういうものがぜんぶ、ちょっと一旦どうでもよくなってしまって、怠惰に眠ることがいちばんやりたいことだと思ったからそうした。
買い物のために外へ出るともう冬の寒さで、まさか、と深く息を吐いたけれどまだ息が白くはなくて、ちょっと安心した。山のてっぺんに雪が積もっている。
名付けのことを考えた。また、目の前の短篇から逃げてあたらしい書きたいもののことを考えている。わたしは小説の中の登場人物の名付けにいつも悩む。ま行の女の人の名前にどこか憧れがあるらしく、いつも主人公の名前が似通う。まみことか、まこととか。一度だけ、「わたしの名前つかってくれてうれしかった」と言われたことがあって、わたしはその人の苗字しか覚えていなかったからそんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃないのにそうなってしまうことがこわくて、知り合いに居ない名前を出来るだけつけようとするようになった。でも、わたしが好きな名前って、わたしが好きな人たちの名前だから、どうしても似そうになる。
子どものいる人生とそうでない人生のことを考えて2000字くらい書いて消した。別に見せたい気持ちじゃない。
10月23日
ゆかりとわかめのおにぎりを作って、夫と一緒に家を出た。大通りにぎっしりとスーツの人たちがいて、みな各々の会社に向かって歩いている。そこに混ざってわたしも作業場まで歩いた。黒いコート、黒いスーツの人が、下を向くでも上を向くでもなく、慣れた素振りで歩いている。
原稿二本終え、ぐんと眠くなってすこし寝る。
隣でみかん食べてるひとのいいにおいがして起きる。他人の食べているみかんってどうしてこんなにおいしそうな匂いがするんだろう。
10月24日
きょうもそこまでする必要がないことに時間を割いてしまった。いつも(せっかくなら)と請け負わなくてもいいところまで自分の責任を広げたのちに突然(いまなにやってんだっけ)と我に返り、その単純で手間のかかる業務の多さにうっと立ち眩みがする。人に頼むことがいつまでたっても得意にならなくて、それは、自分がやったほうが絶対にうまくいくからなのだけれど、それは余裕のある自分がやれば、の話であって、忙しい自分は思っている以上になにもできない。
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和菓子屋で栗まんじゅうとどら焼きを買って店を出ると白鳥の声が聞こえて、見上げると二羽いた。同じように喉をすっかり見せて上を向いている人たちが五人ほどいて、全員が(冬じゃん)と思ったのが分かった。白鳥を見上げているうちはまだ秋だ。白鳥の鳴き声をとっくに聞き慣れて、いちいち姿を探さなくなってきてからが、冬。
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「香り松茸味しめじ」のことを、匂いだけそれっぽくしたにせもの、という意味だとこれまでずっと思っていた。香りは松茸が最高で、味はしめじが最高、各々最高なところってあるじゃん!という意味らしい。危なかった。
10月24日23:00
10月の日記すべてを微修正した。
10月25日
10月26日
ラジオの収録。聞こえるのは声だけれど、ラジオは目と息を使うものなのかもしれないと思った。シークヮーサーのどあめを貰った。シークヮーサーの旬は秋らしい。
10月27日
2冊の重版の連絡が重なって一日中動悸がしていた。うれしい反面こわい。「重版しているらしいけれどどこがいいのかわからなかった」「ぜんぜんよくない作品だった」など、冷たい反響が増えるということかもしれず、そんなコメントをひとつも目にしていないのに落ち込む。午後、仕事の関係でお酒を造っている蔵の見学をさせてもらう。たくさんのタンク。たくさんの一升瓶。抱えきれないほどの泡。ぶかぶかの白衣をきて「ほー」とばかり言っていた。化粧をしていたとしても、おでこを出すとわたしはいつでも中学生のような顔になるなあ。
帰宅する頃には重版のよろこびがすっかりプレッシャーに転じており、帰宅しても一向に「おめでとう」と言ってくれなかった夫に怒りをぶつけた。「いま祝ってくれないと重版が当たり前になって、重版できなかった時にめちゃくちゃ落ち込むようになるけど、いいの」「わたしは誕生日よりも重版がうれしいけど、あなたはわたしが重版することにすこし慣れすぎたのではないか」と責めた。夫はほんとうにおれが悪いとしおしおしていた。あまりにしおしおしたのでわたしも内心おろおろしてしまったがここで「謝らせてごめん」「仕事で疲れているあなたにこんなことを言うわたしがわるい」などと言い出したらあまりにも自分勝手すぎるので、怒ったからには怒り続けなければ、とぷりぷりしたまま就寝。
10月28日
夫と彫刻をたくさん見に行った。自分なりに自分の機嫌をとるために彫刻を見たいと思ったのだ。帰り道、夫が花をくれた。「おそい!」と言いつつ、ぜんぶ許すことにした。
10月29日
トークイベント。東京から担当編集さんが来てくれてうれしい。うれしかったのでわんこそばのハンカチを二枚買ってお揃いにした。わんこそばのハンカチがあるなんてきょう初めて知った。月初に「くどうれいんはもっと『お前が来い』という気持ちを大事にしたほうがいいんじゃないの」と信頼している人に言われて、それをずっと気にしていたので、申し訳ないと思いつつも担当さんが来てくれたのはうれしかった。たしかに近ごろのわたしは「次いつ東京に来るんですか」に対して「会いたいならお前が来いよ」となかなか言えていなかったように思う。来年は出来るだけ「おまえが来い」の一年にしたい。夫に精神面のケアをしてもらいすぎるのはよくないので、事務所や秘書など、もっとビジネスライクに作家をがんばるためにどうしたらいいか相談すると、担当さんは「くどうさん、孤独でしたよね」としみじみ言ってくれた。そんなつもりは無かったけれど、孤独だったのかもしれない、と思った。
帰宅すると夫がいそいそ何かを用意しており、クラッカーとくす玉と風船だった。もう祝われ切ったもんだと思っていたからうれしかった。誕生日より重版がうれしいと言ったから、誕生日よりもすこし派手にしてくれていたのだと思ったらうれしくて申し訳なくて、お祝いしてほしいと怒ってごめん、と言おうと思ったが、やはり先に怒った人がごめんと言うのはずるいから「ありがとう」とだけたくさん言った。
10月30日
わたしより年上で、わたしより手が小さい人に出会ったのははじめてだったので感動した。白子ポン酢や白子の天ぷらって、いつもどのくらい出てくるかわからなくて賭けみたいなところがある。
10月31日
夜、原稿を書いていたら夫がなにか企んでいる空気がした。敢えて振り返らずにいたがなかなかこちらに来ず、おばけになるためにシーツを被ったまま、眼鏡をうまくかけることが出来なくてあたふたしているようだった。おばけの目の位置を調整して、丸い伊達眼鏡をかけてあげると、眼鏡おばけは指先をぐっと丸めてガッツポーズをした。そういえばおばけのガッツポーズって見たことがないな、と思っておかしかった。
書籍はこちら
タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中。