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「日記の練習」2月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの2月の「日記の練習」です。


2月1日
モリユと仕事。大変捗る。札幌に行くためのチケットを取る。夜、21:30からもうひとがんばりしたかったのだが、きゅうっと搾り上げられるように睡魔に襲われていつ寝たか覚えていない。

2月2日
折角重い腰を上げてひとつの手続きをしに来たのに、その手続きをしてみたところ、これからしなければいけない手続きがもう4つあることが判明し窓口で項垂れた。
きょうもモリユと仕事。

2月3日
「恵方どっち?」「右」

2月4日
いつもほぼ貸し切り状態のコインランドリーが混んでいて(混むなよ)と思ったが、すべての営利目的の施設は混んでいるべきだ。

2月5日
札幌から来た友人と会うため仙台へ。いつ来ても虹色の薔薇を売っていた花屋がきょうも虹色の薔薇を売っていて、もう十年近くこの虹色の薔薇を売っている花屋ということだ。一輪の薔薇がグラデーションに虹色になっていて大変胡散臭い。アイスプラントと八朔とフルーツトマトとバジルとディルのサラダ。とてもおいしい。新幹線までの時間、待合室ではファミリーヒストリーが流れていて柳葉敏郎が号泣していた。

2月6日
わたしは大見得を切るのがほんとうに得意で、あとはもう、言っちゃったからにはできるようになるしかない、出来たんだってことに、あとからするしかない。「にあ”~」と言いながら気の思いメッセンジャーを開くとモリユが「どうしました!」と言ってくれて、繋いでいることをまた忘れていた。ものすごい集中力で仕事がみるみる進む。

2月7日
豆乳と牛乳と絹豆腐としらたきを買ってずっしりと重い鞄を助手席に置いたところ、その重さを「人が乗っている」と感知した車が「シートベルトしてませんけど!」とアラームを鳴らし続けるので笑ってしまった。「豆乳と牛乳です!」とひとりごとを言っても鳴りやむわけがなく、豆乳と牛乳にシートベルトを掛けるかどうか悩んでいるうちに家に着いた。

2月7日夜
ここ一週間は9時から18時までビデオ通話しながら仕事をしているので、自然とSNSをなんとなく見て時間が過ぎる、ということがなくなっている。久しぶりにXをしっかり見たら気持ちが悪くなり、それはとても健康な感じがした。

2月8日昼
キコとピザ屋へ。いくらクリスピーでとても生地が薄いとはいえ4枚も食べた。食べ終えて歩いていると「喜怒哀楽……」とキコが一瞬立ち止まる。ラーメン屋の裏口の硝子に、「喜怒哀楽」と書かれていた。「店員向けに『笑顔』とか『たのしく』と書いてあることはあっても、喜怒哀楽って見たことないよね、裏口に怒と哀もあんのやだな」と言うとキコは「たしかにぃ~」と言った。わたしはキコの「たしかにぃ~」が好きだ。
キコはきのうびっくりドンキーへ行くとこどもが「おいしいものをたべると、とってもげんきになるね!」と言うので我が子ながら感動した、と言うのでわたしも感動した。「げんきなかったの?」と聞くと、「ううん、げんきだったけど、もーっとげんき出た!」と言ったのだという。

キコと解散するとすっかり気が塞ぐことがいくつも起きて、一刻でも早く夫と会話をしたくなったので会社まで迎えに行ってそのままベルへ(実は盛岡には「ベル」というびっくりドンキーの一号店があり、中身はすっかりびっくりドンキーなのである)。SNSで見たものについて、仕事について、いやな気持ちになることを夫にたくさん話して、夫も気になっていたいやなことを話して、ふたりで「いやあね」と言いながら、うんざりだけど話すとさっぱりとした気持ちになる。パインバーグディッシュを食べてげんきが出た。
帰り際、隣の席におじいさんがひとり来て「ここのいちばん普通でいちばん美味しい定食」と注文するので、(なにが出て来るんだ……)とはらはら見守っていたが、レギュラーバーグディッシュ(150g)が出てきたので(いちばん普通のいちばんおいしいやつだ!)と興奮した。「そうか、味噌汁はついてこないのか、味噌汁もおいしいから飲みたい」とおじいさんは追加注文した。びっくりドンキーの味噌汁っておいしいよね。

2月9日
「あたしゃうれしいよ」と返信。

2月9日夜
わたしってうるさいな。と思い、落ち込む。

2月10日
夫と税理士さんのおかげで確定申告作業が終わる。肩こりが全部治った気がする。実家で犬を揉み、父にあげるつもりで持ってきたチョコレートをわたしも食べる。

2月10日夜
がんばって考えたことを「まあまあそんな考えすぎず!」と言われ、もうだめになっちゃった。わたしってうるさいな。と思い、落ち込む。わたしってうるさいし、強気だ。

2月11日
わたしって強気だな。と思い、起きても落ち込んでいる。あなたが不慣れでも弱気でもわたしには関係ない。あなたを手練れにすることも強気にすることも、わたしの仕事ではない。

キコとそのこどもとわたしと夫の4人でピザ屋へ。先日夫がだいすきなピザ屋で夫抜きで4枚も食べたことを「ずるい!」と本気で悔しそうにされたので、夫も入れてもう一度行くことにしたのだ。大人3人で5枚食べてごきげん。本当に信じられないくらいすべてがおいしいピザ屋だ。閉店しないでほしい。
キコのこども……便宜上、キココと呼ぶ。3歳のキココは会うたびに話せるようになっている単語や文章が増えている。キコの誘導のもと「れい……ん、ちゃ!」と呼んでくれていたものが「れいんちゃんはさーそのコップが水色だねっ」と言い出すのでたまげた。大人が食べ終えるまで退屈したキココは「にらめっこしーましょ、泣いたらまけよ」と言うので、夫と「泣くまで?」「こわ」と怯えたが、泣きさえしなければ勝ちも負けもせず、謎のゲームだった。

キコとキココと話しておいしいピザも食べ、気分は少し明るくなったものの、まだそわそわとしていけない。ぜんぶiphoneのさわりすぎが悪いような気がして電源を切って家に置いたまま夫と温泉へ行き、居酒屋へ行き、映画を二本見た。『夜明けのすべて』と『カラオケ行こ!』どちらもとても良かった。感想を言い合いながらミカン味のソーダを飲んで、直接話せる人がたくさんいればSNSもiphoneも要らないのかもしれないと思う。

2月12日
朝起きてもわたしって強気だな。と思う。スマホを家に置いたまま一眼だけ持って夫と花巻へ。曇天。飛行機のひとつもない空港。はやく飛行機乗りたいなあ。
ポッポでお昼を食べるととても眠くなり、昼過ぎ帰ってきてすぐに夕方まで寝た。起きて鱈鍋を作って食べ、鱈って安いのにこんなに味が美味しいんだね。さすがに告知をせねばならずiphoneの電源を入れる。30時間くらい、iphoneをさわらなかった。
iphoneを見るのを辞めれば健康的かと思っていたが実際はそんなこともなく、終始自分のよくないところや既に取り返しのつかない他人への失礼のことなどを考えてしまい、うあー、と数分に一度呻いていた。夫はそんなわたしに「よしよし」と言うテンションで「ごしごし」と言いながら肩や頭をスポンジで拭くような動作をしてふざけてくれて、それを言うなら「よしよし」でしょうが、と笑い返しつつ、しかしごしごし、なのかもしれない、このこびりつく暗い気持ちは。

2月13日
仕事をたっぷりして、着替えて、着替えた。新年会。おいしい紹興酒。わたしはバイスサワーと梅水晶が好き。

2月14日
数年ぶりにオーブンを使ってケーキを焼いた。きもちが膨らんでよい。

2月15日
いちごのロケ。

2月16日
大きなあわびの貝殻を持たせてもらってきらきらさせた。

2月17日
朝、光原社の前を通っていたら商店街の人が梅の木の剪定をしていて、おつかれさまです、と声を掛けたら「咲くかもよ」と言って枝を四本くれた。咲くといいなあ。

東京から来てくれた読者夫婦と夫と4人で朝にパンを食べ、夜に冷麺を食べた。この夫婦はどこかわたしたち夫婦ととても似ているように思っていて、たいへんおおまかなビジュアル(夫:細くて眼鏡、妻:髪が長くて笑顔がかわいい)が似ているだけなのかもしれないが、4人で歩きながらずっと(ババ抜きだったら「夫夫」「妻妻」で上がれるなあ)などと思っていた。

2月17日夕方
本物のサイン会をみた。わたしはまだまだだ。句会。「鄙びた」という漢字と、二月はひかりの春であることを知る。

2月17日夜
ここ数年、わたしは自信を持つべきではない、自信を持っていいような人間ではない、常にここが最高潮でいつかすべて失う、と自分の強気を窘めるように生きてきたが、もしかするとわたしはむしろ、もっと自信を持つべきなのかもしれない、と思った。自信を持つために出来る努力はいくつもある。

2月18日
オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームを映画館で見た。結局体力なのかもしれないぞ。

2月19日
3キロ走った。

2月19日夜
「あんたたち、ホットドッグ似合うわよ」と返信。

2月20日
バーにスミレのチョコレートを持って行ってみんなで食べた。
かっこいいお兄さんが「おれの昔好きだった女の子の名前です、すみれちゃん」と言ったあと「あ、ちがった、かすみちゃんだった」と言うのでなんでもありだった。かすみちゃんはやたらしずかでミステリアスな女の子だったらしい。

2月21日
午前中、ホームスパンの毛糸でアームカバーを編んでくれた80代の俳句友達と会う。昔はニットも編んだのよ、もう着なくなっちゃったけど捨てられなくてね、と言うのでそのニットも貰った。とてもいい毛糸だ。

そうだ、ケフィア。ケフィアってものがあったじゃないか昔。いまケフィアはどこへ行ったんだろう。

2月22日
短篇小説を書いて、ふらふらになった。

2月23日
酒蔵へ行って限定酒を買い、産直で猫柳を買った。うっすら赤く透けていてかわいい。

2月24日
写真を撮られるときの、レンズの奥にいる撮影者の目を見るつもりで目線をレンズの中にすいーっと吸わせるときの、レンズを見ているはずなのに撮影者と目が合っているのがわかるような瞬間の、こと。

2月25日
「キスの方法17選だって」「そんなにある?」「あ、これぜんぶやったことある」「あるんだ」

2月25日 夜
帰宅したら梅が咲いていた! わーい

2月26日
「タイトルは”モテモテローラースケート”ではいかがでしょうか?」「モテモテローラースケート!いいですね、それでいきましょう」というメールのやりとりをして、(へんな仕事)とうれしく思った。

2月26日夜
あまりの吉報があり、すぐにコートを羽織ってもつ焼きを食べた。盛岡でバイスサワーを飲めるお店を全部知りたい。

2月27日
ひさびさの整骨。「ねむたくなりました?」と言われてぜんぜん眠たくなかったが面倒なので眠たかったことにした。ここへ来るといつも眠くないのに眠たいですかと言われるのはなぜなんだろう、と、腰に電気を流されながら考えていたが、蛍光灯を直視したくなくて仰向けの時ずっと目を瞑っているからなのかもしれない。わたしはまぶしいのが苦手だ。

2月28日
月曜日から金曜日。8時か9時から。お昼休憩を一時間挟んで18時まで。モリユとビデオ通話を繋ぎながら仕事をしてすっかり1か月が経とうとしている。つかれたりへこんだりする日もあるけれど、「ひとつも仕事ができなかった日」が一切なくなり、こころがぷりっと艶やかなまま仕事を出来ているような気がして本当にありがたい。

担当さんが盛岡に来てくれて、南部鉄器を買って行った。他人の大きな買い物を見るのはたのしい。

2月29日
四年に一度のにんにくの日だ!と知ってから、2月29日をひそやかに楽しみにしていた。だって四年に一度だ。夕飯を餃子に決める。
うるう日だし30歳になるから、筆名を「くどうれいん」に統一した。一生は一度だ。


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タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。東直子さんとの歌物語『水歌通信』が発売中

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