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商店街マダムショップは増殖しているのか?――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子
『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月はどの街の商店街にも必ずある、ファンシーな洋品店についての考察をお送りします。
※当記事は連載の第47回です。最初から読む方はこちらです。
#47 商店街マダムショップ
ある程度の規模の商店街には必ずある、上品でファンシーなマダム向けの雑貨やアパレルを集めた「商店街マダムショップ」。客の姿が全く見えない、売れている様子もない。それなのに、何十年も存続していて、店主(女性の場合が多い)は、売ろうとする姿勢をいっさい見せない。一体、なんで潰れないのか、誰がああいった商品を求めているのか。
「商店街マダムショップ」は長年私の研究・観察対象で、その熱量が高じた結果、昨年出版した短編集『あいにくあんたのためじゃない』には「商店街マダムショップは何故潰れないのか?」という作品が収録されているくらいだ。その物語には、商店街マダムショップはどの店もある共通の目的を持っていて、その秘密がバレないように、わざと誰も欲しがらなさそうな、だけど無害な商品を並べて、街に溶け込んでいるのだ、という結論を与えている。実際、私の調べた範囲だと、裕福な一族を持つ女性が、税金対策のために開いている、儲けが目的ではない商売であることが多いようだ。
しかし、ここにきて、初めて、商店街マダムショップで買い物をする人間が現れたのである。他でもない私である。この冬が寒すぎて、遠出が辛く、暖かい服を近場で手に入れたらどんなにいいだろう、と思っていたら、長年近所にある商店街マダムショップが目に留まった。客の姿を見たことはないが、落ち着いていて、ちょっとだけファンシーな服をいつもウィンドウに飾っている、おそらく誰もが一度は目にしたことがある類いの街のアパレルだ。私は、ふと思いついて、そのウインドウに飾られていた、分厚い白いズボンを買った。
店に入る時は緊張した。ガラス越しに見る商店街は、いつもと違う角度のせいか、日常なのに遠くに見えた。商店街マダムショップはみんなそうなのだが、客がくると、店主はびっくりした顔をする。一瞬、入っちゃまずかったか? と心配になる。値札を見ると思ったより全然高い。領収書をお願いすると、店主は書き方がパッと思い出せない様子で、「なんだったっけ?」と呟きながら、レジ横のお菓子の缶(本当に判で押したように、みんなお菓子の缶で文房具を管理している)をガサゴソと探り、首を傾げつつ、自信なさそうに値段を記入してくれた。
さて、生まれて初めて購入した商店街マダムショップのズボンは、イタリアのインポートであった。穿いていて誰かに褒められるということは全くないものの、何しろ、軽く暖かい。年齢よりちょっと落ち着いて見られるが、何しろ、無害で上品。量販店では得られない「いいおばさん」感は今、逆に新鮮だ。
この日をきっかけに私は、躊躇なく商店街マダムショップに飛び込むようになった。そして、先週、ついに小説でも辿り着くことができなかった、深淵に触れてしまうことになる。
その通りに面した商店街マダムショップの前には、セーターがたくさん下がったラックが出ていて、その中の絶妙にロマンチックで素朴な柄に魅せられ私は躊躇なく購入を決め、入店した。そこには客はおろか、店主もおらず、レジは開けっぱなしで、小銭やお札がのぞいていた。レジ周りにはお菓子の缶や読みかけの本が置いてあり、ほんの少し前まで、ここに誰かがいた気配が伝わってくる。「ごめんください」と叫んでみたが、店舗がどこかにつながっているということはなく、なんの反応もない。私は、セーターを手にレジ前の丸椅子に座ることになった。
待つこと、三十分――。店主どころか、客まで入ってこない。私はだんだん不安になり始めた。セーターが何がなんでも欲しいというわけではないが、私が立ち去ったら、開けっぱなしのレジを見張る人間がいなくなる。行きがかり上とはいえ、ここを離れることは自分の信条に反する気がする。近所に住んでいる友達に電話をし、事情を説明し、店番を代わってもらえないかと頼んだら、爆笑された。
その時、「待てよ?」とふいに、思った。
誰がなんの目的でやっているのか、今一つ定かではない、商店街マダムショップ。ひょっとして……。私のような偶然飛び込んだ人間が、善意からこんな風に店番をすることになり、いろんな事情が重なって、離れることができなくなり、そのまま店に取り込まれる形で、店主になっていったとしたら――? 商店街マダムショップとは生き物で、街行く人を捕食し、自らの養分として、古から生きながらえていたとしたら――?
そんな風に考えていたら、常連らしき老婦人のお客さんがやってきた。反射的に「いらっしゃいませ」と口にしてしまい、いよいよゾッとした。慌てて「私はここの店員さんじゃなくて」と言いかけたら、彼女は「わかってますよ」という風に頷き、「店長だったら、一号店の方にいる。ここは二号店だ」と教えてくれた。狐につままれたような気持ちのまま、老婦人が教えてくれた、通りの反対側にある、もう一つの商店街マダムショップに足を踏み入れる。もちろん、そっくりな店なのだが、商店街マダムショップはどこも似ているので、系列店とは思いもよらなかった。一号店には今、まさに私が手にしているようなセーターを着た夫婦がいて、「あ、ごめんなさい、あっちの店舗、今、誰もいないでしょ」と、軽い調子で受け止められた。
ようやく、当初の目的であるセーターは購入できたが、今、私の商店街マダムショップ観は新たなフェーズに突入しつつある。それは、ああいった店舗は、一号店、二号店、と実は水面下でつながっていて、実はどこもオンリーワンの店舗ではなく、模倣と増殖を静かに繰り返しているのではないか、という疑念である。
ちなみに、セーターは周囲には好評で、近々あの二号店にはまた行ってみるつもりである。
次回の更新予定は3月20 日(木)です。
題字・イラスト:朝野ペコ
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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
ゆずき・あさこ 1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』『オール・ノット』『マリはすてきじゃない魔女』『あいにくあんたのためじゃない』など著書多数。雑誌でのドラマ批評連載をまとめた最新刊『柚木麻子のドラマななめ読み!』が好評発売中。