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ゆっくりやすみなさいと、言われていたのかもしれない。「必要だった」――《こどく、と、生きる》統合失調症VTuber もりのこどく

「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」という思いでVTuberになり、配信を通してメッセージを伝え続けるもりのこどくさん。高校生で統合失調症になった彼女がいかにしてVTuberになったのか、その足跡を綴ったエッセイ連載です。
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#34 必要だった

 こどくは高校2年生、16歳のとき、統合失調症と診断され、診断されたその日に精神科の閉鎖病棟に入院することになった。
 しかし、こどくはそのときのことをぼんやりとしか覚えていない。
 幻覚や妄想といった統合失調症の陽性症状が出ていたこともあるが、いちばんの理由は、こどくにもはや「自我」というものがなくなりかけていたからだろう。こどくはあのとき、自分がこどくであること、そしてかぞくがかぞくであることもわかっていなかった。他人と自分との境界があいまいになっていて、鏡を見るたびに、「これはこどくじゃない」と泣いたり、かぞくが介抱してくれているときでさえ、かぞくから逃げようとしたり。
 こどくはそんななかで、やっとの思いで生きていた。だから、閉鎖病棟に入るときも、病室でただ、わけもわからず、しくしく泣いていた。
 しかし、入院したことで、こどくの体調はよくなっていった。統合失調症のおくすりが、こどくに合っていた、ということなのだろう。
 こどくは隔離室から出て、閉鎖病棟内ではあるが、ふつうの病室に入ることとなった。ほかの患者さんともなかよくし、病棟内で当時はやっていた卓球とバドミントンがとてもうまくなった。
 いつの間にか、幻覚はいなくなっていたし、妄想も、病棟内ではなりを潜めていた。病室ではひまなときには小説を読んだり、クイズの懸賞に答えて応募したりしていた。統合失調症になってはじめて、「生きていてたのしい」と思った。
 しかし、そのころのこどくは知らなかった。統合失調症という病気のことを。これから待ち受ける、統合失調症の症状にくるしめられるながい日々のことを。
 入院して3か月。こどくは退院した。ながかったなあと、にこやかに。そしてしばらくはげんきだった。そして、その瞬間は唐突に訪れた。
 あさ、ベッドから、動けない。ごはんを食べてもおいしくない。なにをしてもたのしくない。
 統合失調症の、陰性症状である。
 陰性症状は、感情の平板化や、やる気がなくなってしまう症状だ。こどくは統合失調症発症時と同様に、ふたたびへやに引きこもるようになった。また、この時期から、入院や療養による体力の低下が顕著になり、それも引きこもりを助長するおおきな理由となった。
 なにもたのしくなくて、生きていることに価値を感じなくなっていった。
しんどいという言葉さえも、思い浮かばなくなっていく。
 統合失調症になるまえ、こどくは自他ともに認めるよくわらうひとだったが、笑顔も消えていった。
 ベッドから一歩も出ない生活。よるになると、「今日もなにもできなかった」と絶望する。
 そんな生活が、ながく、ながく続いた。
 でも、それは必要な時間だった、といまのこどくは思う。あのおそろしい陽性症状によって疲弊してしまったこどくのこころとからだに、ゆっくりやすみなさいと、言われていたのかもしれない。だから、あの時間は、こどくにとって、必要だった。いまは、そう思える。

#35へ続く
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※本連載は毎週月曜日に更新予定です。

プロフィール

もりのこどく
VTuber。「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」。そんな思いで19歳で配信を始めた。バーチャルの強みを生かして、当事者たちの居場所をクラウドファンディングでメタバース上に創るなど幅広く活動。2023年、SDGsスカラシップ岩佐賞を受賞。

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