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【連載】南沢奈央「女優そっくり」第8回

芸能界随一の読書家・南沢奈央さんによる、「私小説風エッセイ」。かくも不思議な俳優業、どこまでが真実でどこからが虚構か。毎月1日更新予定。
第1回からお読みになる方はこちらから

女優をやりたいと思える理由は、確かにここにある

 なぜ、女優になったのか。
 取材において、最も聞かれる質問と言っていいだろう。だが、聞かれるたびに考えてしまう。どうしてだろうか。未だに頭の中では整理がついていないけれど、もうこれまで幾度となくしてきた受け答えが勝手に口から流れ出る。
 ――中三の時に、当時住んでいた埼玉の家の前でスカウトされたのがきっかけです。芸能界にはまったく興味がなかったし、高校受験を控えているし、何より人前に出るのが苦手なのでお断りしたんです。だけどその後も、何度も何度も事務所の方がアプローチしてくれて、約一年後、高校に無事入学した時に舞台に誘ってもらったんですね。
 言い慣れたパッケージすぎて、ただの説明になってしまわないように、情感を乗せることを意識する。
 そしてここからだ。いつも何となく後ろめたさを感じてしまうのは。
 ——誘ってもらったのが、のちに事務所の先輩となる黒木メイサさんが主演されていた『あずみ』という舞台で。そこで初めて目の前で生の芝居を見て、そのお芝居の力、そして大袈裟かもしれないけれど、人間のエネルギーを受け取って、とても感動したんです。
 言っていることはすべて本当のことだ。嘘ではない。だけど、一年間断り続けてきた女優をやってみようと思ったきっかけが、本当にこれなのか、わからないのだ。というか、初めからわからなかったから、初めての取材で、事務所に入るまでの経緯を話した。そしたら何となく、これが「女優を始めた理由」となってしまった。
 ——芝居で、表現で、自分の身体で、人の心を動かすことができる。こんな世界に入れるチャンスなんてないかもしれない。
 完全なる後付けだ。むしろ実際に女優になってから気づいたことだ。でも、心から思っていることだから話す。ただ、「そう思って、女優をやってみようと決意したんです」。こう締めくくっていいものか、いつも悩みながら、そしてどこか後ろめたさを感じながら言葉を発する。
 とは言え、こうして話したことが映像になり、文字になり、記録として残った時点でそれはもう真実になり変わる。そうして何百回と受け答えているうちに、自分の中でも真実なのだと思い込んできている。それでいいのだ。いいのだけれど、世間よりも自分自身に対して抱くほの暗い後ろめたさは、これからも忘れないでいたいと思っている。
 さらにそんな私の初舞台が、憧れの黒木メイサさんとの共演である、というのも、あまりに美しいエピソードになってしまい、嬉しい一方で恥ずかしい。
 2009年、シェイクスピア、J・フレッチャー共作の戯曲『二人の貴公子』を、蓬莱竜太さん脚本、栗山民也さん演出で上演した舞台『赤い城黒い砂』。
 高校の卒業式からそのまま稽古場に向かい、公演中に大学に入学……という生活の変化も大きい時期の作品だった。卒業式を早々に後にして、大学入学式に参加することができず、初めのオリエンテーションには事務所のマネージャーさんが行ってくれた。講義の選択の仕方や試験のことなどの説明を聞いてきてくれただけではなく、代わりに友達をつくってきたのには笑ってしまった。奈央に合いそうな子見つけたよと、写真と連絡先をメールで送ってくれたが、実際はほとんどその子たちと話すこともなく、仲良くなったのは別の子たちだった。
 その頃私は、桜咲く4月の京都・南座にいた。初舞台の初日が、京都南座であるというのはなかなか稀有なのではないかと思う。その後出演した舞台作品は25本になるが、南座はもちろん、東京公演の日生劇場にも立つ機会がなく、貴重な経験だったのだなと今になってありがたみを知る。
 南座の楽屋は畳張りで、廊下には歌舞伎で使うかつらが並んでいた記憶がある。だけどヘアメイクスペースにあったのは、今回使う洋風のウィッグ。
 舞台では自分でヘアメイクをするのが基本である。ウィッグやヘアセットが必要な時のみヘアメイクさんにやっていただく。それまで私はヘアセットはもちろん、メイクをほとんど自分でやったことがなかった。なのでまずはヘアメイクさんに、必要なメイク道具、化粧品を教えてもらう。そして初めてファンデーションとチーク、そしてアイライナーを購入した。メイクのやり方も指導してもらったが、アイラインだけはどうしても自分で引くことができずに、ヘアメイクさんにやっていただくという流れだった。
 本番前から慣れないメイクにたじたじだ。さらに初めての舞台に対する緊張と不安でお腹が痛くなり、トイレに籠もる。台詞を反芻はんすうする。こんなひよっこに個室の楽屋を用意してくれたのはとてもありがたいが、心細くて常に泣きそうだった。
 そこへ京都での舞台デビューを見に来てくれた祖父が、楽屋暖簾を贈ってくれた。自分の名前と祖父の名前が入った暖簾。ただそれを掛けているだけで、背中を押してもらっているような、抱きしめてもらっているような、安心感と頼もしさがあった。
 「大きく見えたよ」。嬉しそうに感想を伝えてくれる家族や友人。それが本当に嬉しくて、それだけで女優になった意味はあると思った。
 私自身はあまりの緊張で本番中の記憶はほとんどなかった。でも本番後に残っている胸の高鳴り、興奮は今まで経験したことがないもので、疲れているはずなのに眠れない夜が続いた。
 そしてあの日見た『あずみ』を思い出す。生で人間のエネルギーを浴びた感動と興奮、それと似たものを感じていた。今度は自分が表現することで。全身で表現するという快感を味わっていた。それを直接目の前の観客に伝えられる喜びを嚙みしめていた。
 未だに舞台の袖では、なぜ私はここにいるのだろうと思う。手汗で手がぼろぼろになるほど、呼吸が浅くなってしまうほど緊張して、決してかっこいい意味ではなくて命を削って、なぜお芝居をしているのだろう。
ここまでして、なぜ、女優をやっているのか、女優になったのか。
 それはやっぱりわからないけれど、女優をやりたいと思える理由は、確かにここにある。袖から舞台を見つめ、奮い立たせる。私は力強く、一歩を踏み出す。


プロフィール
南沢奈央

俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。

タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所

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