シン・アナキズム――連載「アナキスト思想家列伝」by ディオゲネ子(重田園江)
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シン・アナキズム――連載「アナキスト思想家列伝」by ディオゲネ子(重田園江)

 デイヴィッド・グレーバーの著作をはじめ、いまあらためて注目されているアナキズム思想について、その繊細さと多様性を保持しながら魅力を伝えていく「列伝」形式の連載。今回は1人目「ジェイン・ジェイコブズ」の2回目です。※前回「ジェイン・ジェイコブズ1」を読む方はこちらです。

ジェイン・ジェイコブズ2

グリニッジ・ヴィレッジの救済

 『アメリカ大都市の死と生』第5章で、ジェイコブズは公園というのはただ作ればいいのではないと強調している。私たちはよく「都会には緑がない」「公園を増やしてほしい」というが、実際には誰も寄りつかない放棄された公園は、都市の荒廃をかえって加速させる。私たちが住む街でも、なぜかいつも人でいっぱいの公園が必ずしも広くもなければピカピカでもなく、一方で新しい遊具に変えた途端に子どもが寄りつかなくなる公園もあることに皆気づいているだろう(たいていは「安全に配慮した」という行政の責任逃れの何のニッチもない遊具に変えられて、子どもをがっかりさせたのが原因である)。
 ジェイコブズは公園が豊かであるためには、時間帯や曜日によって異なったタイプの人たちが、別々のやり方で利用することが重要であるとする。平日の朝と夕方はオフィスを行き来する人たちが通り、昼時にはランチを食べるのにベンチを利用する。それ以外の日中の時間帯は小さな子ども連れの主婦がやってきて、学校が終わると子どもたちの歓声が響く。夜になると繁華街に出入りする人がたむろするが、休日の昼間は大人たちが楽器を演奏したり歌ったりして通行人がそれを見物する。そして地元に住む人たちは、頻繁に公園を横切り、顔見知りと立ち話をし、また見知らぬ人々の活動を眺めて過ごす。
 こうした多様性は、公園の周囲の環境が人々を惹きつけることや、その場所が繁華街や人が出入りする場所への動線の一部となっていることで成り立つ。また、近隣に活気があることも重要である。平日の昼間だけ人が増えるオフィス街近くの公園は、朝夕の時間帯以外は閑散としてしまい、夜は無人となるので危険である。また、小さな子どもを連れた主婦しか集まらない公園も、夕方以降は無人となり、いつしか荒廃する。つまり、都心部に緑を増やすという配慮だけではなく、公園の立地の近くに多様な人々の活動や暮らしがあることが、生きた公園を作るためには重要である。ジェイコブズの考えでは、ブルドーザーで「スラム」を一掃してだだっ広い通路と高層団地の間に作った芝生公園は、それがどんなに広々としてピカピカでも、すぐに誰も寄りつかなくなり地域の荒廃の象徴のようになってしまう。彼女は現にそういった公園を、ロサンゼルスやフィラデルフィアなど全米各地で見てきた。
 さらに、活気ある公園を支える多様性は、都市計画家が図面や模型でシミュレーションしてあらかじめ用意することはできない。公園の活力は現にそこにあるものの観察によって理解できるけれど、それは複雑な都市機能の一部であり、たとえば何ブロックか先のビルのテナントが変わるだけで様変わりするような繊細さを持つ。そのど真ん中に道路を突っ切らせて「渋滞を解消して街の機能を合理化する」などと考えるのは、とても図々しいことなのだ。
 ジェイコブズたちの住民運動は、ワシントンスクエア公園の道路縦断計画を中止に追い込んだ(連載第2回参照)。これは小さな勝利であったが、実は戦前からこの公園を「改良」しようと何度も手を伸ばしてきた再開発の帝王ロバート・モーゼスにとっては、不愉快な一撃だった。そして彼が強調した「道路がなければひどい渋滞が起こる」は、結局本当ではなかった。その後も周辺に目立った渋滞は起こらなかったからだ。この結末から、道路を通せば渋滞がなくなるわけではなく、迂回の工夫や不便であることそのものが車の通行量を減らす効果があることが分かる。そしてまた、徒歩での散策を魅力的にする街づくりには、排気ガスと轟音を残してただ通過していく車にとっての一瞬の風景でしかない沿道の開発とは、全く異なる価値があることも分かる。
 ジェイコブズは1961年1月に、現在も都市論の古典として参照されつづけている『アメリカ大都市の死と生』を、ランダムハウス社から出版した。ところがそのすぐあとの2月に、ハドソン通りの自宅を含むグリニッジ・ヴィレッジ一帯がスラム地域に指定され、再開発の対象となったことを知る。ここで起きようとしていることは、ニューヨーク中、アメリカ中、そして世界中で、これまでもそれ以降も現在に至るまで起こりつづけているジェントリフィケーションの一例だった。古い建物を破壊し、中小所有者にはとても手が出ない高級マンションに建て替え、地域住民は追い出される。代わりに当てがわれる住宅の交渉に応じなければ、住むあてもないまま放り出されるのだ。移転拒否は不法占拠のように扱われ、「住民エゴ」のレッテルが貼られる(ブラジルのクレメール・メンドンサ・フィリオ監督による、映画「アクエリアス」を見よ。移転拒否は元住民からも罵られ、開発業者にシロアリをばらまかれ、家族さえバラバラにする)。
 ジェイコブズたちが反対運動をはじめたとき、ニューヨークはどこもかしこもモーゼスの巨大建築物や道路や公園などの「公共」事業のブルドーザーに押されっぱなしで、再開発反対運動が成功した例は見当たらなかった。住民たちは「交渉」の場に引きずり込まれると、全くの力の非対称によってほぼ開発側の条件をそのまま吞まされてきたからだ。かといって、リンカーンセンターの場合の一部住民のように真っ向対決を選ぶと完全に無視され、ニューヨーク市は開発側の味方をして非情にも住民を追い立てた。
 ジェイコブズたちはヴィレッジ救済委員会を作り、スラム指定を解除できなければ必ず住民が追い出されるであろうことを確認し、全面対決を念頭に戦略を練った。彼らは手続きや法律をつぶさに調べ、その不備や怪しいところを突くという方針を採用した。それによって明らかになったのは、架空の賛成派住民組織のでっち上げや、手続きの順序がまるで逆なのに見かけだけきちんと手順を踏んでいるようにするやり口、偽の嘆願書や署名を行う事務所の存在など、杜撰かつ卑劣な数々のやり方だった。こういう手法は現在でも、「桜を見る会」や「愛知県知事リコール署名活動」などで目にする。汚い手口には普遍性と歴史超越性があるらしい。
 また、反対運動に関わった人たちは、住民に対案を出させてそれをほんのちょっとだけ計画に取り入れ、彼らを追い出す糸口にする行政の常套的な手法に、決して乗せられないよう注意を払った。考え抜かれた粘り強い運動戦略によって、グリニッジ・ヴィレッジ一帯は結局スラム指定を免れた。ジェイコブズたちは再開発に代わって今度は不動産投機という市場の魔手が住民を追い出すことを避けるため、ウエストヴィレッジハウスという低層住宅プロジェクトを構想した。

都市の生命の源

 ではジェイコブズは、グリニッジ・ヴィレッジのどこに魅力を見いだしたのだろうか。全22章からなる長大な著作『アメリカ大都市の死と生』の中で最も有名な箇所は、第2章に含まれる「私の暮らすハドソン通りは、毎日複雑な歩道バレエの場所となります」[※1]ではじまる一節だろう。このバレエには様々な登場人物が出てくる。まずジェイコブズ自身が、朝8時過ぎにゴミバケツを持って通りに登場する。その横を中学生の一群がキャンディの包みを落としながら通りすぎる。近所の人たちが次々に自分の仕事にかかる。商店から空き箱を外に出す人。折り畳み椅子を店先に置く店員。開店中のサインを入口に掲げる商店主。3歳の子どもを家の前で遊ばせる母親。学校に急ぐ小学生たち。ブリーフケースを抱えて駅に向かう勤め人。タクシーを拾う人。近所の女性たちのおしゃべり。挨拶を交わす顔見知り。昼時になると、レストランに食事に向かう重役たち。仕事がない日は昼間から一杯やる人夫たち。午後には、スクーター乗り、世間話する店員たち、店先の植物に水をやる店主、人形を持った幼児。ローラースケートに三輪車の子どもたち。夕方になると、配達人たち、デートに急ぐ若者、消防車に歩道ピザ販売所、雑貨店で夕食の買い物をする人たち。深夜には、一杯飲みに出る人たち。午前3時の歌声。酔っ払いの喧嘩。バグパイプに合わせた深夜の即興ダンス。そしてまた朝が訪れ、翌日のバレエがはじまる[※2]。
 ジェイコブズはこの見知らぬ人たちの群舞こそ、「我々住民が街路の治安を守る支援となる目を提供してくれる」[※3]という。彼女は警備員や門番では街に安全は生まれず、そこに住み行き交う人たちの無数の目が、犯罪や事故や小さなトラブルを見張る無償の監視役となっていると指摘する。この発想は、1980年代以降話題となった「割れ窓理論」[※4]を連想させる。ケリングとウィルソンが提唱した「一枚の割れた窓を放っておくと次々に窓が割られ、治安が急速に悪化する」という考えは、しかしジェイコブズとは似て非なるものであることに注意しなければならない。警官の徒歩でのパトロール、ガーディアン・エンジェルズのような自警団の結成など、「割れ窓」が提起したスタイルや、そこで警官や自警団が街路の人々に注意を与えることで知らしめる細かなルールを、ジェイコブズの都市は必要としていない。
 何よりも、警官や自警団と地域住民の間に生じる上下関係は、都市の「自生的秩序」とは許しがたいほど異なっている。だいたい割れた窓を放っておくと治安が悪化するというのは理論でもなんでもなく、放棄された近隣が荒廃することぐらい、ジェイコブズを読めば至るところに書いてある。そこに警官や自警団を連れてきてパノプティコン的な内面監視を強いるなどというのは、アナキズム的でその場かぎりの、偶発的でありながら24時間機能する、それ専属ではない流動的で多様な人々による街路のチェックとは、どこまでも異質なのだ。「割れ窓」が90年代にニューヨーク市長ジュリアーニ(現在はトランプ応援団の中枢)のゼロトレランス政策に利用されたのは、この自称「理論」がもともとこうした排除と分断の政治に親近性があったことを示している。
 雑多な人々の偶然性をはらんだハドソン通りのバレエは、誰かが計画して作り出すことはできない。多くの人が緩やかに集い即興で自らの役を演じ、再現不可能なその時々の調和を作り出す。事前に決められたプラン、計画、合理性や整理整頓、整然とした秩序(に見えるもの)をジェイコブズは嫌っていた。雑多性こそが都市の活力である。「『一体感』というのは、計画理論における古くさい理想にふさわしい、ひどく不快な言葉です」[※5]。彼女は、そうしたものが本物の都市には必要ない、あるいは都市の生命をつかみ損ねていると考えていた。生きるものとしての都市。その生命の源は、無名で無数の登場人物たちであり、小さな憩いを提供して対価を得る商店主、子どもの安全を願う親たち、通りを眺めて楽しむ人々、お気に入りのレストランを毎週末訪れる若者、休日に公園で演奏するのを楽しみにするミュージシャンやダンサーたちだった。
 ジェイコブズが最後にハドソン通りの住民としてニューヨークの住民運動にかかわったのは、ローワーマンハッタン高速道路への反対闘争である。これはマンハッタン島を横断するモーゼスの五つの道路計画の最も南に位置するものだ。住民たちは、すでに建設されたクロスブロンクス・エクスプレスウェイがいかにひどいものかを知っていた。ドキュメンタリー映画「ジェイン・ジェイコブズ」の中で、あのマイク・デイヴィスが「これほどひどい道路計画はない」と力説しているように[※6]、ブロンクス中心部を切り裂いたこの道路は、活気あふれる街だったサウス・ブロンクスに衰退と荒廃をもたらし、文字通り殺してしまった。
 ジェイコブズがニューヨークのダウンタウンのど真ん中で、雑誌に原稿を書き、編集者となり、都市観察を行いながら3人の子どもを育てた時代は、アメリカの新しい時代、ヒッピーとベトナム戦争反対とキング牧師とウーマンリブと市民的不服従の時代でもあった。ニューヨークで相次いだ再開発反対運動の中心に立ち、従来の都市政策の発想を根本から批判する本の著者として、ジェイコブズは全米で知られるようになった[※7]。彼女は街角でサインをねだられ、都市問題のコメントを取りたい記者から絶えず電話を受けるようになった。次々に押し寄せる新しい住民問題に奔走する毎日は、彼女が専心したかった調査に基づく執筆を妨げた。またベトナム戦争に反対し、二人の息子が徴兵されることを忌避したジェイコブズは1974年、夫が仕事の拠点を移したカナダのトロントに引っ越した。そこでも住民運動に関わりを持ちながら多くの著書を執筆し、90歳目前の2006年に死去した。晩年まで旺盛に活動し名声は高まったが、彼女の主著はやはり、ニューヨークでの手探りの運動と喧騒の日々に書かれた都市論の大作『アメリカ大都市の死と生』だった。

連載第3回に入れるイラスト

 以上、ジェイコブズのニューヨーク再開発反対運動と『アメリカ大都市の死と生』の叙述を織り交ぜて紹介してきた。もっとも、はじめからこの書き方をイメージしていたわけではなく、先に略歴紹介をしようと思ったらいつの間にかこの叙述スタイルになっていた。ということはやはり、ニューヨークでのジェイコブズの暮らしと著作のテーマには強い結びつきがあって、容易に切り離せないということだ。たしかに、日本語訳で2段組475ページ(原著458ページ)に上るこの著書には具体例がふんだんに盛り込まれており、彼女がハドソン通り、グリニッジ・ヴィレッジ、マンハッタン、そして全米各地で実際に見て、触れて、感じとった光景をもとに議論がなされている。日本語訳者の山形浩生ありがとうなのだが、山形訳のよさは、「ですます調」を選択し、なぜかその文体が映画や動画で聴くジェイコブズの口調そのものに感じられる点だ。これは私が『暗闇のスキャナー』[※8]以来の山形ファンだから感じるのではないと思う。なぜかジェイコブズのアマチュア性にこだわりを見せる山形浩生こそアマチュアを突き抜けたプロなので、そのこだわりはなんだかわからないし、ジェイコブズがアマチュアでも専門家でもどっちでもいいと思うが、とにかく山形訳だからこそ、この長すぎる著書を読みとおせる人も多いはずだ。

プチ・ブル万歳! のアナキズム

 アナキズムとの関係では、ジェイコブズが市場を決して否定しない点は強調しておきたい。行政の頭ごなしの開発推進に強い不信感を抱いていたジェイコブズは、都市再生におけるビル所有者や地主など民間の力の活用を重視していた。ただし、民間ならどんなものでもいいわけではない。これは、プルードン的にいえば私的所有(propriété)、共有(communauté)あるいは国家、そして占有(possession)の区別にあたる。ジェイコブズの文脈では、その場所に金儲け以外の関心を持たず、そこからどれだけの利益を引き出せるかの観点からのみ投資を行う開発業者のふるまいは、私的所有の範疇に入る。業者と組んで机上の開発計画できれいな街を一から作り直して都市も住民も浄化しようとする当局は、共有にあたる。これに対して、都市の活力の担い手となり、たとえば店子や賃借人の生活の質に配慮する家主は占有者である。こういった不動産との関わり方は、その場所を熟知しつづけなければ実現せず、したがって多くの場所で同時には行えない。つまり責任ある所有とは小さな保有に限られるのだ。ジェイコブズ自身は、このことを民間資金の投資のスピードと規模に着目し、ゆるやかなお金(占有にあたる)と怒濤のお金(私的所有にあたる)の対比として捉えている[※9]。
 都市の再生はよそ者には不可能である。建てたらおわり、作ったらさようならの人たちに任せても、失敗の責任を誰も取ってはくれない。それは行政も同じである。行政担当者が継続的な責任を負うなどというのは甘い考えだ。したがって、都市住民による自治と自立は都市を生かすための最もよいやり方なのだ。都市は生きている。都市が部分的に私有や公有の対象になるとしても、その活気やにぎわいそのものは所有されえない。だからそこに住み、働き、街にやってくる人々、違った時間に街を見守る人々によって維持されなければ、弱って死んでしまうのだ。
 もちろん公的な手助けなしに都市再生は不可能だ。一方に公的予算と行政、他方にビジネスや市場の原理の両方が必要になる。だが、それらをうまく使って街を再生し、都市を生かすのはそこに関わりを持つ市民たちなのだ。ジェイコブズが「不在時に近所の家の鍵を預かる商店主」の例で示したように、街に住まい観察し見守る人々には、緩やかで一線を越えない社会関係がある。「都市の世間とプライバシーの世界を分ける一線」[※10]を守る店主は、近隣から尊敬と信頼を受けている。この店主の例が示すのは、血縁とも農村的な地縁とも異なる形での、都市における自由かつ責任を分有する人々の結びつきである。
 つまりここには、おのおの別個の技能を持った独立自営の小生産者を重視するプルードン的アナキズムがある。個体的な保有を重視し、人々の独立による創意工夫、自分の身の回りのことに気を配る能力をあてにする。街の危機などの非常事態以外では、人々はそれぞれ自立し距離を保っている。このような集合性とつながりのあり方は、実にアナキスト的だ。
 アナキスト人類学者で、『ゾミア』という異界オタクアニメのアイデアの宝庫になりそうな著書があるジェームズ・C・スコットも、『実践 日々のアナキズム』でプチ・ブルを礼賛している[※11]。なぜスコットが突如としてプチ・ブルジョアジーを持ち上げたかというと、彼らこそが社会変革を担いうる力と拠点を持った存在だからだ。プチ・ブルということばはすでに小所有者をバカにした響きがあって感じが悪い。だが、ある場所に小さな土地や建物を所有し、そこで日々商売をし生活をする人たちだけが、その場所に責任を持てるとするなら、プチ・ブル万歳だ。
 ジェイコブズだってオンボロの三階建てを買った小所有者すなわちプチ・ブルだ。なんなら私も戦後日本の住宅政策に肘で小突き回されて(ナッジ)中古住宅を買ったから、ローンは残っていてもプチ・ブルだ。プチ・ブルは国家や政府のやり方に抗し、自分たちの足下で起きていることに関心や疑問を抱くことができる稀有な存在である。小商店主や店のオーナーなど、守るべき小さな保有物があるのは決して格好悪いことではない。小規模オーナーを潰し中小企業を「合理化」するのが長いこと流行しているが、商売の効率性やグローバル競争力というお題目より大切なものに気づかない改革論者は愚か者だ。
 だから小金持ちも株価にばかり気を取られず、周囲を見渡しておかしな政治や行政のやり方に目を光らせなければならない[※12]。政府が中間層を潰す税制改革に腐心するのも、そのほうが好き放題に政策を実現できるからだ。都市の活性化における小所有者の重要性を、ジェイコブズほど理解した人はいない。その意味で彼女は、史上初めての自覚的アナキストであったプルードンの系譜を引き継ぐ、現代のアナキストなのだ。

「ジェイン・ジェイコブズ3」を読む

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※1 ジェイン・ジェイコブズ、山形浩生訳『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会、2010、p.67
※2 ジェイコブズが夜中の街の活動をよく知っていたのは、深夜にぐずる子どもをあやすために窓辺で抱っこすることが多かったからだそうだ。子育て経験者には思い当たる通過儀礼だが、そのとき一人ではないという感覚を得られるのは、郊外ではありえない贅沢ともいえる。
※3 『アメリカ大都市の死と生』p.70
※4 George L. Kelling, James Q. Wilson, ‘Broken Windows: The Police and Neighborhood Safety,’ in The Atlantic Monthly, March 1982.
※5 『アメリカ大都市の死と生』p.80
※6 マット・ティルナー監督「ジェイン・ジェイコブズ――ニューヨーク都市計画革命」2016(原題はCitizen Jane: Battle for the Cityで、Citizen Kaneのパロディになっている。日本語版字幕監修は山形浩生)。マイク・デイヴィスは大名作『要塞都市L. A.』(原著1990)で、ロサンゼルスの都市としての病理が極限まで進んだ姿を描いたが、ここにはジェイコブズの都市観察の反響が見られる。
※7 ジェイコブズはベトナム反戦運動と再開発反対運動で計2回逮捕された。留置場で同じく逮捕されたスーザン・ソンタグと隣り合って座る写真が残っている(塩沢由典他編『別冊環 22 ジェイン・ジェイコブズの世界1916—2006』藤原書店、2016、p.104—105)。
※8 フィリップ・K・ディック、山形浩生訳『暗闇のスキャナー』創元SF文庫、1991
※9 『アメリカ大都市の死と生』第16章。公と私、あるいは民間の仕事と行政の仕事で求められる倫理性が違っているというテーマは、ジェイコブズ、香西泰訳『市場の倫理 統治の倫理』(ちくま学芸文庫、2016)で考察されている。
※10 『アメリカ大都市の死と生』p.80
※11 ジェームズ・C・スコット、清水展他訳『実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方』岩波書店、2017、第4章
※12 重田園江「投資する人々 沈黙の政権支持」『朝日新聞』夕刊、2020年9月23日を参照。

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)

明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。

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