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「100分de名著」収録を終えて――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。7月から一か月間、柚木さんが講師として出演する「100分de名著」の収録の裏話をお送りします。
※当記事は連載の第28回です。最初から読む方はこちらです。


#28 テレビ出演

 この連載の媒体はNHK出版だが、同系列のNHKでテレビ出演をする。「100分de名著」にて林芙美子『放浪記』を全4回で解説することになったのである。新刊案内でキー局の番組にちょっとだけ顔が映ったことはあるが、ちゃんと台本がある長期に渡る出演は今回が初めてである。これは裏話だが、出演依頼はものすごく早い段階できた。1年前くらいから、たくさんの資料が送られてきて、それを制作陣たちと一緒に読み進めていった。テキスト制作は大勢の識者がサポートしてくれながら、数か月以上かけた。そのテキストをもとに台本が出来ているので、台本からしてもう面白い。普段ひとりで文章を書いている身からすると、一つの作品に信じられないほどの人数と時間がかかっている。いつも引き込まれる番組だなあと思っていたが、そりゃこれだけやればそうなるだろう、と納得しっぱなしだったのである。
 そして迎えた六月、二日間かけての収録である。自分の名前がプリントされた紙が入り口に貼ってある、まるで古いホテルみたいな絨毯敷きの楽屋にはしゃぎ、メイクさんやスタイリストさんの普段自分では使わないような色使いや熟練のテクニックに感動した。何度もいうが台本が面白いし、司会の方がサポートしてくれるので、セットの中で大量のライトを浴びても、緊張をまったくせず、ずっと楽しいまま収録が進んだ。中でも一番テンションがあがったのが、いろんな食べ物を好きなように食べられるところである。
 なにしろ、お弁当だけでも五種類から選べるのだ。私は生まれてこのかた、自分でお金を出さずに、五つ種類がある中からお弁当を選んだことがいっぺんもない。有名料亭のあさりご飯、煮込みハンバーグ、健康に配慮した五穀玄米弁当、チキンタルタル南蛮もある、最先端のザラザラした素材のエコ包装の幕内――。はっきりいって、全部美味しそう。全部好き。選べない。アシスタントディレクターの若い男性にそう告げると、「美味しそうなやつを選んだから、嬉しいです!」と喜ばれた。
 彼の言葉を反芻しながら、身体によさそうだったので、野菜と魚中心の五穀玄米弁当を楽屋に持ち帰った。大勢のスタッフが立ち働くセットや廊下を一時的に離れて、ひとりだけの絨毯の小部屋に靴を脱いであがると、経験したことがない種類の贅沢さを感じた。わくわくしながら、さっそく蓋をあける。丁寧にとっただしのいいにおいがする。ご飯はつやつやで、魚の唐揚げも身が甘くて、澄んだ味がする。壁一枚隔てた向こうには、というか建物全体には、ものすごい数のスタッフさんや演者さんが立ち働いていると思うと、舌の上にころがっていくこんにゃくとか膝に感じる絨毯のざらつきの個人的感覚が、ともすると時空に吸い込まれてしまいそうな、得難いものに思われた。そうこうするうちに、ノックする音がして、ディレクターさんが「コーヒー飲む?」と声をかけてくれる。演者さんやスタッフさんがチョコレートやクッキーを差し入れてくれる。NHK出版の担当さんから美しい焼き菓子をもらった。渋谷という立地柄、「日本で手に入ったんですね……これ」と目を見張るような知る人ぞ知るブランドのものばかりだった。
 いつでも、それもわざわざ頼まなくても、コーヒーをもってきてもらえる。出演の間、口紅がつかないようにストローを刺した水が何回も差し出される。お弁当が選べる。そして、うろうろしていれば、廊下で必ず「〇〇さんからの差し入れです」との一文が添えられた軽食やお菓子が見つかる。しかも全部美味しい。テレビ出演する方からしたら当たり前でも、私からしたら、夢のようで、常識が遠ざかっていく。この建物を離れた後、「お金を払う」「自分で自分をケアする」という行為が自分に出来るのか、やや不安になっていた。
 いろいろ美味しいものをたくさん食べた中、心に残ったのは、前述のADさんが楽屋に用意してくれた、お菓子の籠である。大福とカントリーマアム、バームクーヘン、ミニどら焼きの詰め合わせだ。懐かしく、取り合わせが絶妙だった。聞けば、彼はおばあちゃん子で、おばあちゃんのうちにあるお菓子籠をイメージしてくれたのだという。突然現れた家庭の気配が、尊く思われた。
 一つの番組を大勢が支えているのを間近で見るのはもちろん、巨大な船のようなテレビ局であらゆる種類の最新フードからおばあちゃんのお菓子籠まで行き交っているのは、私にとっては大冒険であり、エンタメの核の部分に一瞬、触れたようにも感じたのである。

次回の更新予定は8月20日(日)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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NHK「100分de名著」林芙美子『放浪記』に柚木麻子さんが出演します!
古今東西の名著を読み解く、NHKの人気番組「100分de名著」に柚木さんが出演します。テーマは林芙美子の『放浪記』。舞台化により広まったイメージとはまったく異なる魅力が詰まった、激動の昭和初期を生き抜く女性の姿に、新たな光を当てて読み直します。放送は7月3日(月)より全4回、Eテレ毎週月曜夜10時25分から放送、テキストは好評発売中です!

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はじめての子育て、自粛生活、政治不信にフェミニズム──コロナ前からコロナ禍の4年間、育児や食を通して感じた社会の理不尽さと分断、それを乗り越えて世の中を変えるための女性同士の連帯を書き綴った、柚木さん初の日記エッセイが好評発売中です!

プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。最新書き下ろし長編『オール・ノット』(講談社)が好評発売中。

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