卑弥呼は日御子? 騎馬民族の女王? 邪馬台国=九州説を下敷きにした作品とは?――周防柳「小説で読み解く古代史」第2回
「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。
謎1 卑弥呼と邪馬台国 (その2)
あずみの使譯の二百年
最初に挙げますのは、帚木蓬生さんの『日御子』です。
タイトルからすると女王卑弥呼(本作では日御子)が主人公のようですが、さにあらず。主人公は筑紫の王たちの使譯(通訳)をつとめた「あずみの一族」です。
あずみ氏(阿曇氏、安曇氏)といえば古代の海で活躍した海人族を思い浮かべる方も多いでしょう。けれど、本作のあずみ氏は漢の時代に江南地方(揚子江)の南のあたりから渡ってきて、言葉の能力をなりわいとして生きた人々です。「あずみ」の名は、「東」のほうから来たことに由来するそうで、元をたどると、不老長寿の霊薬を求めて旅した徐福に従っていたようです。
物語は志賀島の金印で有名な奴国(本作では那国)に仕えた灰から始まり、伊都国の使譯となった針、邪馬台国(本作では弥摩大国)の日御子につき従った炎女、日御子の死後、魏との交渉にかかわった銘や浴まで、九代にわたります。
通訳というのは、舞台上の主役たちを袖から眺めるポジションですから、客観的な時代の証言者となりえます。一族の物語は二百年にもわたり、おのずと日御子だけでない、その前後の歴史の流れも俯瞰することになります。なにかとややこしい大陸の情勢も、あずみの人々の目を通して、わかりやすい。使譯たちのまなこを定点に据えた時点で、すでに邪馬台国小説として一本取っていると思います。
本作では、弥摩大国は御井(現在の久留米市)に設定され、王宮は高良山にあります。那の津(博多湾)、宇佐、有明海の三方面を睥睨し、防衛にも適した立地です。豊かな水に恵まれ、稲穂の実る沃野が広がる、北部九州諸国の中でも頭一つ抜けた存在です。
そんな国の姫として生まれた日御子は、並みはずれた器と聡明さに恵まれ、父王から位を譲られました。「日御子」とは、美しい日の出とともに誕生したことにあやかってつけられた名です。
二世紀ごろの日本は「倭国大乱」といわれ、有象無象のクニグニが絶え間なく離合集散を繰り返す戦国時代でした。無益ないくさを憂えた日御子は知恵を絞って周辺国に同盟を呼びかけ、平和的な連合を作りあげます。
日御子は超人的なカリスマというより、理性的なリーダーとして描かれています。その協調的な人となりには、幼少期から教育係を務めたあずみの炎女の考え方が濃く反映されています。彼らはけっして裏切らず、戦わず、日々勤勉に働くことを掟として乱世を生き抜いてきた篤実な一族だからです。
また、この小説の大きな読みどころは、使譯を主人公としているため、おのずと『魏志倭人伝』の種明かしがなされる点です。
文献学の世界では、魏からの使節は伊都国にとどまり、そこから先へは行かなかったという見方が強いです。松本清張さんなどがこの論者で、『魏志倭人伝』の数字は陰陽五行説にもとづく実態を伴わぬ「虚数」だから、旅程に記された距離や日数にこだわる意味はないと主張しています。
しかし、本書は正反対です。使節らは意欲満々で、異国の地を隅々まで経めぐります。羊皮紙の白地図を持参し、小島の距離をこまごまと測り、実測図を作成しつつ進むのです。使節の目的は日御子の朝貢に対する返礼などではなく、周辺国の内情の探査であり、戦略的な情報収集であったというのが帚木さんの解釈です。
ゆえに、弥摩大国にももちろんやってきます。見るもの聞くものいちいちに興味を示し、質問責めにします。日御子の執り行う儀式のこと、王宮に仕えている巫女たちのこと、民の暮らしのこと、日御子が鏡を好んでいること……。魏の使節と使譯の在のやりとりを読んでいると、なるほどこのようなできごとがあったために、『魏志倭人伝』にはかく記されたかと納得することも多いです。
使節の歩んだ道筋にも注目したいところ。『魏志倭人伝』の字面は矛盾を感じる点が多いですが、小説ではうまく肉付けされ、不自然さが薄まっています。
運んでいる荷物や人員、地形、敵対国のあるなしなどが考慮されたうえで、コースが選ばれます。要所要所で宿泊し、綿密な調査を行いつつ進んでいく。すると、数日で着きそうなところが倍ほどかかっても、とくに不思議ではないのです。
帚木さんが九州の出身ということもあるのでしょうか。目の前に展開していく地形や風景もリアルです。
地図を用意して引き比べつつ読むと、より楽しくなる小説だと思います。
ハードボイルドな騎馬民族の女王
帚木さんの日御子は正統派の女王として造型されましたが、対照的に、思いきり反対側に振り切った卑弥呼を描いたのは豊田有恒さんの『倭の女王・卑弥呼』と、続編の『親魏倭王・卑弥呼』です。
古代史小説の中でも卑弥呼はずいぶん凝った人物像が創られているのですが、なかでも豊田さんの卑弥呼は別格で、父親は北方の騎馬民族、母親は漢民族、しかも魏の曹操の娘という尖った設定です。
豊田さんはこの二つの要素を二部作のそれぞれに割り振り、第一部では父親から受け継いだ戦闘的な血をキーワードとし、第二部では母方の正統王朝への憧憬をキーワードとしました。全体の構造も明快です。
では、第一部の『倭の女王・卑弥呼』からいきます。
まず、騎馬民族とはなにかといいますと、朝鮮半島の北部から旧満州方面にかけて広く存在した、遊牧をなりわいとする非定住性の人々です。一九六〇年代に、考古学者の江上波夫氏が、四、五世紀に南朝鮮を経由して日本に渡ってきた彼らが、征服王朝として大和王権(崇神天皇)を打ち立てたという説を唱えました。
この説は一時学会を席巻したのですが、その後各方面から反証がなされ、いまではそのままの形を容認する声は少なくなっています。しかし、大枠の考え方としては正しいのではないかと私は思っていて、参考になることも多いと感じます。
この小説においても、江上説がそのまま使われているわけではなく、年代的にもプレ騎馬民族征服説とでもいうべきものなのですが、ともあれ、卑弥呼の不羈奔放な行状がいちいち騎馬民族の行動原理から説かれるのがユニークで、また、なかなかの説得力を持っているのです。
物語は卑弥呼の家族がある日、叔父の一派に襲われ、弟と二人きりになるところから始まります。
卑弥呼の父の若卑狗はツングース系の夫余族(高句麗や百済の祖とされる)の流れを汲む濊族の辰王の子で、騎馬民の中でも不耐濊と呼ばれる、とくに戦闘的な集団です。彼らは朝鮮半島を渡り歩き、土着の韓人社会に寄生して生きてきました。
当時の朝鮮半島には、馬韓、弁韓、辰韓という三つの地域があり、弁韓の南端の海岸のあたりは加羅(伽耶)という、倭人と韓人の共生地帯になっていました。卑弥呼は三歳までそこで育ち、のち、父の若卑狗の集団とともに筑紫へ渡ってきたのです。
若卑狗たちは圧倒的な戦闘力をもって北部九州を支配し、卑弥呼一家は奴国に拠点を置くのですが、卑弥呼が十一のとき、韓の本土に残っていた叔父が王家の跡目を奪うため奇襲をかけてきました。これにより、倭国の各地に散っていた一党は壊滅し、卑弥呼もみなしごとなるのです。
しかし、卑弥呼はくじけません。片手に父の形見の真鉄の剣、片手に幼い弟の手を引き、美貌と強運とかなりのハッタリとをもって、捲土重来の旅に出るのです。
誇り高き騎馬民族の娘である卑弥呼は、土着の農耕民の〝土掘り〟を馬鹿にしきっているのですが、場合によっては二枚舌を弄してふところに潜り込みます。そして、用済みとなれば容赦なく切り捨てます。騎馬民族には義理だの人情だのという言葉はありません。昨日の友は今日の敵。
冷徹無比な闘争本能と、顔に真っ赤な丹を塗った神がかりのパフォーマンスによって着実に勝ちあがり、やがて三十国を束ねる女王になります。
本作の卑弥呼はかなり淫猥でもあり、そこがまた魅力です。衝動に任せて男を食らい、交尾が終われば雌カマキリよろしく命を奪います。のちに国政の片腕となる弟とも近親相姦の関係にあります。『魏志倭人伝』には、卑弥呼には「夫なし」と書いてありますが、この小説においては、「定まった夫なし」の意味であります。
男子禁制でないならば子を生むこともできるわけで、この卑弥呼には珍しく息子がいます。若き日に肉体に溺れ、のちに命を奪った恋人の子なのですが、いくさの中で生き別れになり、成人したのちに再会するも、わが子と知らず殺してしまいます。この子には一粒種の娘がおり、やがて後継ぎの壱与となります。
加えて私がおもしろく感じるのは、邪馬台国という国は、九州にはもともとなかったという点です。たしかに卑弥呼は外来の侵略者ですから、本貫みたいなものがあったらむしろおかしい。攻略した土地から土地へと渡り歩くのが当然です。よって、戦いに戦いを重ねて筑後川の中流域をほぼ手中におさめたとき、初めて獲得した領土に「邪馬台」という名をつけるのですが、その名がどこからひねり出されたかというと、畿内のヤマトなのです。遠い遠い東のほうに「倭面土」という強い国があり、この筑紫もかつて襲われたことがあるという噂を聞き、箔をつけるために同じ名を詐った。「ヤマタイ」は「ヤマト」の転訛です。
小説中にはこれ以上の言及はありませんが、もともと豊田さんは二つのヤマトを最終的になんらかの形で絡ませようと考えていて、このような種まきをしたのではないかと、個人的には気になります。
卑弥呼、韓土を駆けめぐる
続いて第二部の『親魏倭王・卑弥呼』です。
第二部は、連合国としてまとまった邪馬台国が、南の狗奴国と敵対するところから始まります。
狗奴国とは現在の熊本県のあたりと考えられていて、いわゆる熊襲の国です。阿蘇をはじめとする過酷な環境に生きているので、肉体も強靭なら思想も苛烈。いくさも強いのです。
ある日、邪馬台国は南方の村を狗奴国に襲われ、手痛い敗北を喫します。卑弥呼は頭のてっぺんから火を噴き、なにがなんでも復讐すると息巻きます。このとき狗奴国の若い頭領の狗古智卑狗が生け捕りされるのですが、卑弥呼はこれを拘束していたぶっているうちに気に入って男妾にします。
敗戦の屈辱から卑弥呼が決意したのは自軍の武力を徹底的に増強することで、そのために絶対に必要なものは鉄と馬だと考えます。そして、みずから五百人の部隊を率いて朝鮮半島に遠征するのです。
え……、卑弥呼、海を渡る?
この展開には私もたまげましたが、豊田さんにとっては、この小説はそもそもSFなのです。
ここから先、卑弥呼の旅はどんどん破天荒になっていきます。対馬ではジュール・ヴェルヌばりに巨大な怪魚と戦い、つづいて韓土南端の加羅へ渡り、良質な鉄を産することで知られる谷那の鉄山を目指すのですが、途中で気まぐれを起こし、辰韓の斯盧(のちの新羅)へ行く先を変更します。辰韓では、帯方郡から公孫氏の手下が郡使としてやってきたのとたまさか出会い、また気を変え、ともに帯方郡に向かうことにします。
朝鮮半島の中西部の帯方郡は、もともと半島の動きを監視するため漢帝国が設けた楽浪郡という直轄領だったのですが、漢の衰退とともに遼東半島の豪族の公孫氏が奪い取り、その後、領域の南部を分かって帯方郡という行政区を新たに設置しました。楽浪、帯方の二郡を領有した公孫氏は、これを取り返そうとする漢の後継王朝の魏と鋭く対立し、卑弥呼が半島に渡ったとき、両者はまさに一触即発の様相を呈していました。卑弥呼と出会った帯方郡使は戦いに備えるため、半島内を駆けめぐって兵をかき集めていたのです。
それを知った卑弥呼は、筑紫から自軍を呼び寄せ、加勢してやろうと申し出ます。
しかし、それは口から出まかせで、成りあがりの公孫氏に与する気など、卑弥呼にははなからありません。反対に、彼らが敵対する魏のほうに熱いまなざしを向けていたのです。なぜなら、卑弥呼の母はかの魏の名軍師、曹操の娘なのですから。
そもそもなぜ曹操の娘が卑弥呼の母なのかといいますと、かつて曹操は公孫氏を手なずけるため、自分の娘を人質として楽浪へ送り込んだのです。そのときたまたま当地を荒らしていた濊族の若卑狗が彼女を見初め、横から攫って妻にしたのです。
卑弥呼も若き日は勇猛な騎馬民族の血を誇りとしていたのですが、長ずるほどに母方の血を慕わしく感じるようになりました。そして、半世紀ぶりに大陸の土を踏み、雄大な空を見上げたとき、是非ともおのれも世界の覇者たる中華の列に連なりたい、と、烈しい衝動に突き動かされたのです。
そこで、魏に内通し、公孫氏の情報を垂れ込んでやろうともくろみます。これによって点数を稼ぎ、ゆくゆくは魏と結んで韓半島に返り咲かんと、壮大な野望を抱くのです。
卑弥呼は手下の南正毎と牛利を使者に命じ、十人の従者をつけ、魏に向かわせます。
――と、ここまで述べたら、カンのよい方はもうお気づきなのではないでしょうか。
そうです。本作の卑弥呼が韓土を駆けめぐったこの年は、景初二年(二三八)なのです。
『魏志倭人伝』には、邪馬台国の女王卑弥呼は景初二年に魏に使いを出したと書いてあります。しかし、これは景初三年(二三九)の誤りとされ、教科書や学習参考書もそのように改められています。私自身、学生のころ「文来るか、卑弥呼、魏に期待する」と覚えたものです。
なぜかというと、この年朝鮮半島は大混乱で、帯方郡は公孫氏の反乱軍の支配下にあったのだから、魏へたどりつけたはずがない、というのが理由です。公孫氏はその年のうちに魏の将軍司馬懿に滅ぼされますので、使者が出立したのは翌年だろうというわけです。
そこを、著者はいやいやそうではないと、もの申した。景初二年のままでよいのだ。では、それで正しいとするためにはどんなシナリオが必要か、壮大な想像をめぐらせたわけです。
たしかにこの反証には一理あり、『魏志倭人伝』によると、このとき卑弥呼が貢納したのは生口たった十人と、極端にお粗末です。それは、いくさの火の粉をかぶりつつの朝貢であったため、その程度の貢ぎ物しかできなかったのだと考えることができます。また、そのみすぼらしい献上品に対する明帝からのお返しが、とてつもなくみごとなのです。「親魏倭王」の金印をはじめとして、銅鏡百枚、豪華絢爛な錦、白絹、金、真珠、鉛丹など、破格の答礼品が下賜されています。余裕のある王者は倍返しするものだという伝統があるにせよ、あんまりな厚遇です。してみれば、これはやはり景初二年、卑弥呼の使者が戦火の下、非常なる困難と危険を乗り越えてやってきたことに対する謝意だったのではないでしょうか。
というわけで、筆者ははちゃめちゃな冒険活劇を装いながら、大きな歴史のナゾを一つストン、とひっくり返してくれたのです。こういう予想の裏切られ方はじつに愉快です。
さて、南正毎らを魏に送り出したのち、卑弥呼は目的どおり大量の鉄と馬を手に入れ、さらに憎い叔父を討って父親の復讐も果たし、意気揚々と邪馬台国に凱旋します。
ところが、最後に思わぬどんでん返しを食らいます。
捕虜から卑弥呼の妾となってつき従っていた狗古智比狗が裏切るのです。狡猾なこの山岳民は、しおらしい顔をして老女王に寄り添いながら、反旗を翻す機会を虎視眈々と狙っていたのです。むろん、苦労して手に入れた鉄と馬も持ち逃げします。そして、故郷の狗奴国に戻り、「卑弥弓呼素」という、きわめて卑弥呼をおちょくった名乗りを、たからかにぶちあげるのです。
卑弥呼は失意と挫折感のあまり常軌を逸するようになり、やがてみなにもてあまされるようになり、最後は身内の手によって葬られる――というハードボイルドな幕切れです。
本書は第二部で終わりですが、本来は卑弥呼の後継の壱与を主人公とした第三部が書かれる予定だったとのことです。諸般の事情により中止となったそうですが、もし書かれていたら、この先の展開はああだったか、こうだったかと興味は尽きません。
続きは、NHK出版新書『小説で読みとく古代史』でお楽しみください。
プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)
1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。