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「真に生きた土」をつくり、温暖化まで止める! “環境革命の実践書”と話題の新刊『土を育てる』

 いま、密かに“土ブーム”が起きています。
 土と生き物の関係や、自然環境での土のはたらきなど、知られざる土の営みへの関心が高まっています。
 足元で無数の微生物たちが織り成す宇宙――何十億年もかけて形成されてきた地中の生態系のことを、私たちはまだ何も知らないのかもしれません。
 その土の本質に、身近な「畑」から迫った一冊が『土を育てる――自然をよみがえらせる土壌革命』(2022年5月30日発売)。従来の工業型農業から、環境再生型農業(リジェネラティブ農業)の第一人者へと転身した著者が、実体験をもとに綴った革新的な土壌のバイブルです。
 本書より、4年連続の不作を乗り越え、リジェネラティブ農業に目覚めたシーンを抜粋・編集してお届けします。


土は生命現象の産物、そして生命のゆりかご。土から始まる環境革命の実践書。

――福岡伸一(生物学者)

人が土を育て、土が人間を育てる。土をケアする営みは、こんなにも奥深く切実で面白い。

――森田真生(独立研究者)

破滅的な数年間がはじまる

 2年連続でひように見舞われ、作物は全滅、借金ばかりが増え、農業以外の仕事もするしかなくなった。
 私は次第に睡眠時間を減らすようになった。週40時間の仕事を日中にこなし、夜に農場の仕事をする。幾度となく、トラクターを居眠り運転している自分に気づいてハッとした。義父にも何度「線が曲がってる!」と言われたことか。
 その翌年、今度は猛烈な吹雪が襲った。3日間、記録的な低温と雪、そして秒速23メートルを超えるような暴風に見舞われた。吹雪が過ぎて家畜小屋に行ってみると、相当数の子牛が死んでいた。胸が張り裂け、恐ろしかった。2年にわたる不作で抱えた山のような負債。その返済に、なんとしてもこの子牛たちを売って収益を上げる必要があったのに! 収益どころか、負債はさらにふくらんだ。
 私は人生ではじめて、自分が選んだ職業に疑念を抱いた。

見方を変える

 破滅的な数年間に見舞われつつも、私は土壌に関する本を読みあさった。
もっと知りたいと思った私は、畜産会議に参加した。そこでカナダのある畜産家が、生涯忘れることのできない発言をした。いまも日々そのことを考え続けている。「小さな変化を生み出したいなら、やり方・・・を変えればいい。大きな変化を生み出したいなら、見方・・を変えなければ」。頭のなかに閃光せんこうが走ったようだった。そのときに至るまで、自分はいつも小さな変化しか起こさずに、大きな結果を願ってきたのだ。物の見方を変えなければいけないのだと悟った。はまり込んでいる穴から這い出て農場を続けていくには、システム全体の見方を変える必要があった。

人生最大のピンチ

 大吹雪の翌年はいくらか雨に恵まれ、ほっとひと息つけた。少し運も回りはじめたのかもしれない。私はアルファルファの作付面積を増やすことにした。すべては順調だった。
 それが一気に変わったのは6月の終わりのある日。突然嵐がやってきて、またしても、とんでもない雹に見舞われたのだ。嵐が引き、被害を確認すると、作物の8割以上が、またもや根こそぎやられていた。
 これは本当に自分に起こっていることなのか? どうやったらこんなにも不運になれるのか? あまりにも、あまりにもつらい運命だった。
 4年連続の大打撃。皮肉なことに、近隣の農家のどこも4年続けて被害を受けてはいなかった。4年連続で被害を受けたのはうちだけ。
 つくづく、この経験は地獄だった。でも、あとになってみれば、これは私の人生に起きた最良の出来事に違いなかった。なにしろ、この4年があったからこそ、自分は常識の枠を取っ払って考えざるをえなかったわけだし、失敗を恐れず、自然に寄り添って仕事する方向に進んでいけたわけだから。
 この4年間こそが、自分をリジェネラティブ農業の道へといざなってくれたのだった。

自然がよみがえる

 「農場の自然がよみがえりつつある」と最初に気づいたきっかけは、ミミズだった。以前はよく、「うちの農場にはミミズがいないから、釣りに行こうにも行けないな」なんて軽口をたたいていたけれど、哀しいかな、事実だった。それが、4年にわたる不作のあと、急に土のなかにミミズが見えるようになったのだ。突然ライトがついたかのようだったけれど、何が起こったのか、理由はだんだん見えてきた。
 まず、4年間、飼料用のアルファルファ以外は、育てた作物を耕作地からいっさい持ち出していなかった。それら有機物のかたまりをまるごと地面の上に残したおかげで、地表が守られ、地中の微生物に炭素が供給されたのだ。また、作物に使う除草剤と化学肥料の量を大幅に減らしていた。理由は「買えなかったから」。でも、結果はだれの目にも明らかだった。土にシャベルを入れると、ミミズがいるだけでなく、土が黒々と豊かな団粒構造をなしていて、土壌が改善していることは一目瞭然。色が変化して、まるでチョコレートケーキのようになってきていた。これは有機物含有量が増えている証拠。保水性もアップしていた。おかげで、干ばつの年でも牛のエサに事欠くようなことはなくなった。

生態系の再生

 この一連の変化を受けて、私はいろいろ思いをめぐらせた。まず、やせていた畑の土を「当然のもの」として受け入れてしまっていた自分に気づいた。やせた土をどうにかしようともせず、ただそこにしがみついて、事態がもっと悪い方向にいかないよう願っているばかりだった。回復や改善をうながすのではなく、不健全な状態をそのまま持続しようとしていたのだ。
 「持続可能サステイナブル」は、いまちょっとした流行語となっている。だれもがサステイナブルをめざしている。でも、言いたいのは、「いったい、どこのだれが劣化した自然をそのまま持続サステインさせたいか?」ということ。必要なのは、むしろ「生態系をよみがえらせること」なのだ。やせた土地は、水分浸透速度の低下、生産性の低下、土壌の圧密(圧縮や沈下)、雑草の増加など、さまざまな兆候となって表れる。原因はただひとつ、「生態系の機能不全」だ。4年にわたる不作のおかげで、私は土地への見方・・を変えることができた。不幸にも、神が4回も平手打ちするまで目を覚まさなかったのだけれど!

“死んだ土”が“生きた土”に変わる

 次に、土地の再生が自然に進みはじめたことに気づいた。5年間耕さず、窒素を固定するマメ科をふくむ多様な作物を植え、カバークロップ(土壌の働きの活性化を目的に育てられる作物)で土を覆い、収穫できなかった作物の残渣をそのまま地表に残し、農薬類の投入をほぼゼロにすることで、私はいつの間にか土壌生物たちが元気を取り戻せる環境をつくり出していた。とくに、地中の菌根菌きんこんきんの数が増えはじめていた。菌根菌は植物の根と共生関係をつくる菌類で、土の健康に欠かせない。グロマリンというのりのような物質を分泌し、それが土の粒子の結合を助け、団粒化が進むことで、土壌に“隙間”ができる。この“隙間”、いわゆる「孔隙こうげき」は水分浸透の要となる。この孔隙のなかの薄い水の膜の内側や表面に、地中のほとんどの微生物がんでいるのだ。
 土のなかには、たとえどんなひどいことをしていても多少の生物はいる――農薬どっさりの、がんがん耕している農地の土のなかにさえも。ちゃんと育つようにチャンスさえ与えれば、命は必ず応えてくれる。急にミミズが出てきたとき、つくづくそう思った。土をつくれば命は宿る――いや、この場合は「破壊をやめれば」というべきか。命を育むことで、死んだ土は生きた土に変わるのだ。

土の健康の5原則

 「土の健康」という言葉は90年代にはまだろくに使われていなかったけれど、破滅的な数年を乗り越えたことで、私には徐々にその“5つの原則”のようなものが見えはじめていた。
 破滅的な4年間、農業のやり方自体も再考を迫られたし、破壊的な工業型農業の手法から土地を引き離して休ませることにもなった。なんとか農場を続けるために必要なことをしただけだが、それが幸いにも“土がみずから再生する”ための適切な条件をつくり出したのだ。そうとは気づかないうちに、より多くの日光が集まり、より多くの炭素循環が起こり、それが微生物の栄養となった。土地は癒やされつつあった。もう新しい挑戦も怖くなかった。

※続きは『土を育てる――自然をよみがえらせる土壌革命』でお楽しみください。

写真=kram-9/Shutterstock.com

プロフィール
ゲイブ・ブラウン

気候変動対策「カーボン・ファーミング」として、いま世界で注目を集めるリジェネラティブ農業(環境再生型農業)の第一人者。アメリカ、ノースダコタ州で2,000ヘクタールの農場・牧場を営む。妻と息子の家族3人でたび重なる危機を乗り越えて、化学肥料・農薬を使わない不耕起の栽培によって自然の生態系を回復させる新たな農業を確立した。彼の農場には国内外から毎年数千人の見学者が訪れるほか、講演やメディア出演も多数行い、世界中にそのメソッドを伝えている。アメリカ不耕起栽培者賞、天然資源保護協議会から成長グリーン賞を受賞。

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