分断された平和な日々の再生を願って、明日へと続くペダルを踏み続ける――直木賞作家のロードバイク愛あふれる感動ストーリー
河北新報などで好評だった連載『明日へのペダル』が単行本となって本日発売。直木賞作家であり、自ら愛車を駆りイベント入賞も果たす現在最も自転車に詳しい作家・熊谷達也さんが、ロードバイク愛を込めて描いた感動の物語。
主人公・本間優一は、多少のさざ波はあっても大過なく仙台で会社員生活を送ってきた。50代半ばに差し掛かり、健康上の理由からロードバイク(本格的なスポーツ用自転車)に乗るようになる。部下の唯の指導を受けて、優一のロードバイク技術は向上していく。思えば本気になって趣味に打ち込むことは、いままでに経験のないことだった。おりしも新型コロナウイルスのパンデミックが仙台にも広がり経済にも影響を及ぼすように。そんな息苦しい状況にあっても、自転車を通して、優一たちは新しい扉を開いてゆく。
当記事では、発売されたばかりの『明日へのペダル』からその一部をご紹介。
13 百キロライド
八月二週目の三連休の最終日、まだ午前七時前という早朝に、デローザアイドルに跨った優一は、仙台市の中心部を走っていた。百キロライドへの挑戦日である。
ほんとうは土曜か日曜に走りたかったのだが、二日連続であいにくの雨模様だった。自転車乗りにとって、休日の雨ほどがっかりするものはない。鼠色の空を見上げ、悶々としてすごすしかなかったのだが、かえってそれがよかったのかもしれない。走り出してみたら、ペダルがいつもより軽く感じる。休息もトレーニングのうちだと自転車雑誌に書いてあったが、確かにそのようだ。
朝五時に起き出して自分でベーコンエッグを作り――料理をするのは苦にならないほうである――昨夜の残り物の味噌汁を温め直して、納豆ご飯と一緒に朝食を終えた優一は、まだ夢の中にいる妻を残して午前六時ちょうどに出発した。
走り始めたときの気温は二十四度。天候は薄曇り。天気予報では昼にかけて次第に晴れてきて、気温も三十度を超えるとのことだが、いまのところは爽やかな気温だ。
祝日の早朝ということもあって、街なかの交通量は少ない。車が走っていないと、いつもは鬱陶しく感じる信号待ちもさほど気にならないから不思議だ。渋滞がひどい平日の通勤時と違って実に快適である。空いている街なかを抜け、広瀬川の河川敷を見渡せる土手の上に出たところでサイクルコンピュータをチェックしてみると、自宅を出発してからここまでの距離は十五キロほど。まだまったく疲労は感じない。
この調子なら百キロなんて楽勝かも、と思いながら、広瀬川から名取川にかけての土手を、軽いペダリングで快走する優一である。
鼻歌気分で気持ちよく自転車を走らせている優一ではあるが、世間は新型コロナウイルス第二波の真っただ中だ。幸いにも宮城県の新規感染者は、八月に入っても多くて五、六人で、ゼロの日もある。しかし、東京や名古屋、大阪を中心に感染者は増え続けており、全国的に見ると、七月末に新規感染者が千五百人を超えてからは、ほぼ同様の感染者が出続け、累計感染者は五万人に迫る勢いだ。そして、死亡者もついに千人を超えてしまった。東京や愛知では飲食店に対する営業時間の短縮要請が出されているし、あちこちの県知事が、今年のお盆期間の帰省を控えるように呼びかけている。
優一の家でも、今年のお盆休みは、旅行や墓参りなどの特別な予定はなにも立てていない。いや、実際にはお盆休みを利用した北海道旅行を計画していたのだが、春の連休の沖縄旅行と同様にキャンセルした。GoToトラベルキャンペーンを利用してその気になれば安く済ませることも可能だったのだが、感染拡大の第二波の渦中にあっては、気分的に積極的になれない。
事実、広島と長崎の原爆の日の記念式典が大幅に参列者を制限して執り行われたのをはじめとして、全国各地でさまざまなイベントが中止や規模縮小に追い込まれている。そういえば先月、出社日に会社に姿を見せた唯が、ひどく元気がなさそうに見えたので、どうしたの、と訊いてみたら、十二月に有明の東京ビッグサイトで開催が予定されていたコミケ、つまりコミックマーケット――漫画同人誌の即売会――が中止になったとの話だった。毎年八月と十二月に開催されているコミケだが、今年は東京オリンピックの影響で、八月開催が春のゴールデンウィークに前倒しされていた。それが早々に中止になったのに続いて、十二月も開催できない事態となり、かわいそうなことに唯は、「精神的ダメージ百二十パーセントです」と、力なく肩を落としていた。
新型コロナウイルスによって世界的に閉塞感が蔓延しているなかではあるが、唯一の明るい話題は、世界最大の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」が、どうやら八月末から三週間にわたって開催される見通しだというニュースだ。
もともとは七月に開催予定だったツール・ド・フランスだが、時期がずれたとしてもほんとうに開催に漕ぎ着けることができたら、スポーツ界にとっては大きなニュースだろうし、優一自身も楽しみにしている。昨年の映像をDVDで鑑賞できたとはいえ、ライブで観戦できるとなると、気分は違うだろう。いまこの瞬間に地球の裏側で選手たちが走っている、という感動が絶対あるに違いない。日本では中継が深夜になるので、最後まで起きていられるか若干心配ではあるけれど。
そんなプロの選手には及ぶべくもない、というよりは、比較することもできない脚力ではあるものの、広瀬川から名取川にかけての快適な土手を走る優一の気分だけは、ツール・ド・フランスの平坦ステージを駆け抜けている選手と一緒である。
早朝の気持ちよい空気を感じながら、優一は河川沿いの七キロあまりの距離を淡々と走り切った。
それに続き、名取川に架かる閖上大橋を渡ったあとの交差点を左折して閖上港へ向かって走り始めたとたん、急に交通量が増えた。日曜と祝日に開催される朝市へと向かう車の群れだ。今年になって周辺の道路とともにアスファルト敷きの広い駐車場が整備され、訪れやすくなったこともあるのだろう。コロナ禍の前とたいして変わらない賑わいぶりのようだ。道路自体は、自転車専用のレーンが幅広く取ってあるので、車の多さはさほど気にならない。
朝市の一キロほど手前の交差点で二段階右折をした優一は、今度は南へと向かって自転車を走らせ始めた。
周囲よりも五メートルほどかさ上げされた、真新しいアスファルトが敷かれた気持ちのよい道路は、通称を「復興道路」、正式には「第二次防御ライン」という。
このあたりは、東日本大震災の大津波でほとんどすべてのものが流失した一帯なのだが、当時、海岸から内陸へと押し寄せてくる津波を止めたのは、仙台東部道路という高速道路だった。高速道路の盛り土が堤防の役割を果たしたのである。
実は、すでに完成している海岸線の防潮堤だけでは、東日本大震災クラスの千年に一度の大津波は防ぎ切れない。想定にあるのは、二百年に一度程度の津波まで。つまり、海岸線の防潮堤を越えて襲ってきた大津波を止める役割を持たせるために造られているのが、優一が走っている道路なのだ。第二次防御ラインの名称は、そこから来ている。まだ全線開通はしていないのだが、完成すれば、閖上から仙台空港まで六・六キロの総延長となるはずだ。いま走っている道路は、先行開通によって数日前に通れるようになった部分なので、アスファルトが信じられないほど滑らかだ。タイヤから届いてくるロードノイズも実に軽やか。
復興道路の左右には、青々とした稲に覆われた広大な田んぼが連なっている。震災直後は海水による塩害で稲作は無理だろうと言われていた記憶がある。だが、こうして見事に復活した様子を目にすると心が和む。車で通過するだけでは、ここまで心に響いてくることはないに違いない。ここにも自転車でしか味わえないものがある。
優一が走っている右手、復興道路の片側には縁石で区切られた自転車と歩行者用の専用道が整備されている。幅が優に三メートルを超えるような専用道である。輪行で仙台空港に到着したサイクリストのために、ここまで立派に造ってあるらしい。
輪行というのは、目的地まで自動車や鉄道、あるいは飛行機で出かけ、現地に到着したら持参してきた自分の自転車でサイクリングを楽しむ旅のスタイルのことだ。ロードバイクはママチャリとは違って軽量なうえに、前後のホイールを簡単に取り外せる。輪行バッグという袋――簡易的なものから緩衝材が入ったものまでさまざまなタイプがある――に分解した自転車をコンパクトにまとめて収めれば、公共の交通機関を使ってどこへでも持ち運びできるというわけだ。
だが……と、走りながら優一は考える。この専用道、輪行のサイクリストを想定して造ったのはよいとして、設計する際、実際にロードバイクに乗っている人間の意見は聞かなかったに違いない。あるいは聞いたけれども無視したのか……。
全国どこでもそうだと思うのだが、郊外や田舎に造られた歩行者と自転車の専用道は、あっという間に路面が荒れて走りにくくなってしまう。
たとえば優一の自宅から泉ヶ岳に向かう国道の長い直線路。そこにも同様の専用道が設けられているのだが、路面が荒れてでこぼこなうえに草だらけ。タイヤの太いママチャリでゆっくり走るならまだしも、ロードバイクではとてもじゃないが走れたものではない。最初は路面も綺麗だったはずだ。しかし、予算の関係からだろう、補修がまったく追い着いていないのである。
そういえば、高校時代の通学路も同じだった。車道に沿って設けられている専用道は穴だらけで、走るとかえって危険だった記憶がある。
いまは走りやすそうな復興道路の歩行者自転車専用道だが、きちんと予算を確保して定期的に補修工事をしなかったら、数年後には使い物にならない荒れ果て方になってしまうに違いない。
これだけの幅の専用道を造るのであれば、同じ土地を使って車道の両側にペイントを施し、自転車専用レーンを設けてもらったほうが、サイクリストにとってはずっとありがたい。やはり日本はまだまだ自転車後進国なのだなと、少々がっかりしてしまう。
サイクリストにとっては若干残念な復興道路ではあるが、トラックが行き交っていない休日の早朝にこうして走っているぶんには、気持ちよすぎてまったく文句はない。
サイクルコンピュータで走行距離を確認すると、自宅を出発してから二十五キロメートルを超えている。すでに目標の四分の一を走ったことになる。
疲れはぜんぜん感じない。このままいつまでも走っていられそうな気がする。
ここまでの平均速度をチェックしてみると、時速十九キロメートル。平均時速が二十キロに届いていないが、市街地を抜ける際に信号待ちのゴーストップが多かったせいだ。ここから先、信号は皆無に近いことはマップで確かめている。平均速度も自然に上がってくるはずだ。
今回の百キロライドだが、できれば五時間以内で走りたいと考えている。単純に計算すれば、時速二十キロメートルで走って五時間。優一の脚力でも可能なタイムであるように思える。
ここが実は微妙なところだ。優一のサイクルコンピュータは、信号待ちや休憩で止まっている時間は加算されないように設定してある。そのほうが走っているあいだの平均速度、正確には平均移動速度を正しく把握できるからだ。
たとえば、時速二十五キロで二時間走れば、単純計算で五十キロメートルの距離になる。ところが、一時間走ってランチ休憩を三十分取り、そののち再び一時間走ったとすると、休憩時間も含めれば、スタートからゴールまでの経過時間は二時間三十分になる。それで平均速度を計算すると、時速二十キロメートルに落ち込んでしまう。
つまり、自宅を出てから戻るまでの経過時間を五時間以内にしたいのであれば、サイコンに表示される平均速度が二十キロでは駄目なのである。仮に余分にかかる時間を三十分ほど――トイレ休憩や自販機での補給、信号待ちなどで止まっている時間の合計――見込んだとして、走行時間は四時間三十分になる。それで平均速度を計算してみると、時速二十二・二キロで走らなければならないことになる。時速二十キロとの二・二キロの差はたいしたことがないように思えるが、実は違う。一時間に二・二キロということは、四時間半走ったら十キロメートルほどの差がつくことになる。これは大きな差だ。しかも、それだけではない。もうひとつ、平均速度には罠がある。
罠と言うほど大げさな話ではないのだが、平均時速二十二・二キロ――止まっている時間を加算しない移動速度――で今回の百キロライドを走りたい場合、時速二十二、三キロ程度のペースで走っていたのでは、絶対に届かない。ゴーストップや交差点での減速、ちょっとした上りでの速度低下などが積もり積もって、結果的に平均速度を下げるからだ。これまでの経験上、目標とする平均速度プラス五キロくらいは維持する必要がある。つまり、今回の百キロライドを五時間以内で終えたいのであれば、常に時速二十七、八キロ、できれば三十キロのペースで走るつもりで頑張る必要がある。風向きにも大きく左右されるものの、いまの優一にとっては限界に近い速度と言える。
ということで、時速三十キロの維持を目標にペダルを踏み始めたのであるが、かなりきつい。というより無理。二十七、八キロがせいぜいで、ともすれば、時速二十五キロ以下にまで速度が低下してしまう。
原因は風だ。
広瀬川の河川敷に出たあたりでは、ほぼ無風の状態だったのが、太陽が昇るにつれて、南風が吹き始めた。つまり向かい風である。
風力そのものはさほどではないと思う。道端に立っていれば、たぶんそよ風に毛が生えた程度。風速で言えば、せいぜい毎秒二、三メートルくらいだろう。しかし、毎秒三メートルの風といっても時速に直せば十キロだ。そのぶん余計にパワーが必要になる。無風状態で時速三十キロを維持するのが精いっぱいの脚力ではどうにもならない。
参ったな、と思いつつ、空気抵抗を減らすためにハンドルの下のほうを持ち、できるだけ姿勢を低くしてペダルを漕ぐ。だが、それも曲者。頭を下げて低い姿勢を保ち続けようとすると、肩や首、さらには腰と、身体のあちこちが苦しくなって、我慢できなくなってくるのだ。
もっと強い向かい風のなかを走ったことはもちろんある。だが、百キロを走ろうとしていたわけではない。百キロなんか余裕だ、などとうそぶいていた先ほどまでの自分の浅はかさを思い知らされたようで嫌になる。嫌になったからといってペダルを止めることはできない。ヒルクライムと一緒で、まるでなにかの修業をしているような状況だ。
とにかく耐え続けなければ、と思っていたところで、わずかだが楽になった。
かさ上げされた復興道路から旧道へと降りたことで、向かい風が若干弱まったのである。五メートル程度の標高差にすぎないのだが、身体に受ける風が明らかに違う。
萎えかけていた気力が戻り、気を取り直してペダルを踏み始める。
ほどなく右手に仙台空港の建物が見えてきた。
その光景にちょっと感動する。というのは、飛行機を使って旅行する際は、自家用車で自宅を出発したあと、東北自動車道から仙台南部道路、さらに東部道路と、三本の高速道路を乗り継いで仙台空港まで行くのがいつものことだった。なので、自転車で行ける距離ではないと思っていた、いや、そもそも自転車で行くなどという発想そのものがなかった。その仙台空港に自転車で来ている自分がいる。しかも、折り返し地点の「鳥の海公園」はまだずっと先だ。前に水野さんが言っていたが、自転車以上にエネルギー効率がよい乗り物はこの世に存在しないというのは、紛れもなく真実だと実感できる。
右手に見えていた仙台空港をあとにしてすぐ、「千年希望の丘」という名前の公園が、今度は左手、海側に出てきた。震災の記憶を後世に伝えるために造られた記念公園なのだが、公園のなかには円錐形をした避難丘が造られている。万が一大きな津波が発生したときに避難するための高台である。この公園に限ったことではなく、仙台湾の沿岸部には、あちこちに同様の避難丘が造成されている。
その公園を通過したあとで、海岸線に最も近い道路に入った。幹線道路から外れた裏道なので、車の影は皆無だ。まるで自転車専用道路を走っているような状態になった。向かい風は止んでいないものの、復興道路を走っていたときよりもいくぶん和らいでいる。左手に見える巨大な防潮堤が風を遮るのに一役買っているようだ。かわりに海がまったく見えないので、景色がよいとは言えないのが残念である。
景色を取るか、風よけを取るか。
のんびり走るときには間違いなく景色を取る。しかし、今日のような場合は風よけが優先。それが正直なところであるのだから、自転車乗りはわがままだ。ともあれ、向かい風が減じたおかげで、わずかながらも巡航速度を上げることが可能になった。
向かい風が弱まって楽になったのはよいのだが、直線路がやけに長い。泉ヶ岳に向かう直線路よりも明らかに長い真っすぐの道が、これでもかというくらい延々と続いている。仙台湾の海岸線沿いの道なのだから当然だ。当然ではあるのだが、こんな具合に変化のない道は、実際以上に長く感じる。
行く手にクランク状のカーブが出てきてやっと直線が終わったと思ったら、違っていた。震災以前は松林が連なっていたはずの直線路が、しかも先ほどよりも長い直線が、噓のように延々と続いている。これだけ長い直線路が宮城県内にあるとは思わなかった。まるで北海道の道のようだ。
やがて津波で流されずにすんだ松林が前方に見えてきて、ようやく直線路が終わった。気温がどんどん上がってきたこともあり、ジャージは汗でびっしょり濡れそぼっている。
えーと、どこで曲がればいいんだっけ?
どこかで幹線道路に戻らなければならないのだが、建物などの目標物がないのですぐにはわからない。
自転車の速度を落とし、サイクルコンピュータのボタンをプッシュしてマップのページを表示させる。ただのマップではなく、今日のコースを事前に入力したナビゲーションページである。自転車なのに車と同じようにナビが使えるのは便利だ。ふだんは利用することのない機能なのだが、実際に使ってみると、初めての場所を走るときにはやっぱり重宝する。
ナビの指示に従い、松林を抜けて幹線道路へと出た。すぐ先に見えるのは、阿武隈川に架かる亘理大橋だ。
歩道部分を走って橋を渡ったあと、これまたサイコンのナビに従って「鳥の海公園」を目指す。この付近の道路は、震災のあとで整備し直されたらしく、繫がり方がちょっと複雑だ。ナビがなかったら、いちいち止まってスマホの地図アプリで確認しなければならなかっただろう。それをしないですむぶん、時間を節約できる。扱い方に最初は苦労したが、ナビ機能を使えるようになっていてよかった。
ほどなく、行く手に鳥の海公園の全容が見えてきた。陸上競技用のトラックとサッカー場、野球場が整備され、さらに避難丘も設置されている広大な運動公園になっている。
公園の大きさにしばし見とれながらペダルを漕いでいた優一は、ふと我に返って、サイクルコンピュータの表示をナビから元に戻した。
ここまでの走行距離は四十五キロメートルで走行時間は二時間四分。平均時速は二十一・八キロメートル。ただし、時刻は八時二十分を示している。十六分間の差は、街なかでの信号待ちが多かったためにできたものに違いない。
予定では、この公園で最初のトイレ休憩をとるつもりだったのだが、どうするか……。
自宅を出発してからできれば二時間、遅くても二時間十分以内で鳥の海公園に到着したかったのだが、向かい風のせいで思ったよりも時間がかかってしまった。
少し迷ったあとで、ここではトイレに寄らないことにした。実際、汗で水分を失っているせいか、尿意は催していない。
走りながらボトルの水を一口飲んだところで、あっ、と思い出した。
ここまで水分はときおり摂取していたが、補給食を食べるのをすっかり忘れていた。空腹を感じていなかったからではあるのだが、これはまずい……。
補給のタイミングは経過時間で決めるのがいいですと、ベルマシーヌの須藤さんからアドバイスを受けていた。空腹を感じてから補給するのでは手遅れになると脅し半分で。そのアドバイスをもとに、一時間半が経過したところで最初の補給をする予定でいたのだが、向かい風と格闘するのに気を取られ、完全に失念していた。
公園の外側を一周する道路を走りながら、背中のポケットに手を伸ばし、スティック状のパッケージに入った羊羹を一本取り出した。
事前に家で食べてみたのだが、実によくできている。スティックの真ん中あたりを指で潰すと自然に開封されて、中身が押し出されてくるのである。しかも、味もなかなかよい。
押し出された羊羹を口許に持っていき、食べ始めた。自転車に乗ったまま食べるのは初めてだ。気分はまるでツール・ド・フランス、というのは最初だけだった。もぐもぐと咀嚼しているあいだ、呼吸が苦しいのである。というか、咀嚼中なので、羊羹を飲み込み終わるまで呼吸を止めていなければならない。そこそこの強度の運動中に、そこそこの時間、息を止めているのだから、苦しいのは当たり前である。
なにごとも経験してみないとわからないものだ。自転車に乗りながら物を食べるのがこんなに大変だとは思わなかった。
なんとか食べ終え、空になったパッケージを背中のポケットに戻した優一は、ボトルの水を一口飲んで、口に残った羊羹の甘さを薄めた。
一本目のボトルはまだ空になっていない。上手に節約しながら飲めば、自動販売機に寄らずに走り切れるかもしれない。そうすれば、さらに時間が節約できる。
気分をあらたにしてペダルを踏み、走ってきた道を戻り始めた。
阿武隈川を越えて、再び海岸沿いの長い直線路に出たところで、本格的にペダルを漕ぎ始める。走る方向が逆向きになったことで、ありがたいことに若干の追い風となった。往路よりぜんぜん楽に速度を乗せられる。時速三十キロを維持するのも不可能じゃない。ケイデンス――ペダルの回転数――も、毎分九十回転前後を保てる。
ロードバイクに乗り始めて二、三か月くらいは、九十回転のケイデンスは無理だった。頑張れば回せないことはないのだが、長く続けることができなかった。楽に回せるのは八十回転ちょっとくらい。それがいいところだった。ところが、いつの間にか自然に回転数が上がってきた。上り坂や向かい風ではケイデンスは落ちる。しかし、無風の平坦路であれば、毎分九十回転が維持できるようになってきている。少しずつ身体が適応してきたのだろう。
それに伴い、絶対に不可能だと最初は思っていた平均時速二十五キロの壁を、赤信号にひっかからないとか、長い上り坂がないとか、条件がそろったときにはクリアできるようになった。もちろんそれは、終始全力で走ってのことで、時間も一時間程度の場合である。百キロの距離をその速度で走るのは、いまの優一では逆立ちしたって無理だが、いつかは走れるようになりたい。
優一のデローザアイドルのギヤ比だと、後輪のスプロケットを軽いほうから五枚目、歯数が十九のギヤに入れていると、毎分九十回転のケイデンスでちょうど時速三十キロ前後になる。
甘い羊羹を食べたからだろうか。向かい風で蓄積した疲労が取れたような気がする。
これはもしかしたら、もう少し速度を上げられるかも……。
ここからさらに速度を上げるためには、ペダルの回転数をもっと上げるか、もう一段重いギヤにするかのどちらかだ
ここでまたしても、ベルマシーヌの須藤さんのアドバイスを思い出す。先月、七月の半ばになって、ようやくベルマシーヌの初心者向けの朝練習に参加することができたのだが、初心者にとって最も大切なのは真っすぐ走れるようになること――ある程度経験のある人でも案外真っすぐ走れていないそうだ――で、そのうえで回転力をつける練習をするのがいい、と教えてもらった。どうしても初心者ほど重いギヤを踏みがち――ペダル一回転で進む距離が長くなるので速く走れる気分になる――で、それだとなかなか巡航速度が上がっていかないので気をつけたほうがよいらしい。
じゃあ実際にはどんな練習を? と質問してみたら、まずは、速度を気にせず自分の脚力でも無理なく回せる軽いギヤで、毎分九十回転のペダリングで、十分間とか十五分間、一定時間維持するのを目標にしてください、と教えられた。それができるようになったら、一枚だけ重いギヤで同様の練習を試みる。すると、最初は無理でも練習を続けているうちに九十回転で回せるようになってくる。つまり、ギヤが重くなったぶんだけ、巡航速度が上がることになる。そうしたらまたもう一枚ギヤを重くして同様に、と段階的に練習を重ねていけば、年配者や女性でも、無風の平坦路という条件であれば、時速三十キロ程度までは巡航速度を上げられるようになりますよ、という話だった。
その練習の際に肝心なのは、ギヤを重くしてから回転数を上げるのではなく、最初に回転を上げておいてギヤを変えること。そのほうが疲労の蓄積を回避できるとともに、回転力を上げるトレーニングにもなるとの話だった。
<つづく>
※続きは『明日へのペダル』でお楽しみください。
写真 Have a nice day Photo/Shutterstock.com
著者プロフィール
熊谷達也(くまがい・たつや)
作家。1958年、宮城県仙台市生まれ。東京電機大学理工学部数理学科卒。97年、『ウエンカムイの爪』で第十回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2000年、『漂泊の牙』で第十九回新田次郎文学賞、04年、『邂逅の森』で第十七回山本周五郎賞、第百三十一回直木賞のダブル受賞を果たす。近著に『潮の音、空の青、海の詩』(NHK出版)『エスケープトレイン』(光文社)『無刑人芦東山』(潮出版)ほか
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