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熱が出た時は、何を食べる?――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は発熱時に食べる、定番のメニューについてです。
※当記事は連載の第15回です。最初から読む方はこちらです。


#15 発熱

 金曜日の夜に38度を超える高熱を出した。この三年はマスク生活だったから、風邪をひくのは久しぶりだ。ワクチン接種後の発熱と、風邪によるそれは微妙に違う。ウイルスが身体に回ってじわじわだるくなり、寒気でガタガタと歯の根があわなくなり、発熱が始まるとむしろ身体がふわっと軽くなる感覚を久しぶりに思い出した。熱にうかされながら、いろいろ考えた。ここ最近の私は、子どもからもらったウイルス性腸炎にかかるなど、何かやろうとする時にかぎって体調を崩すことが続いていて、仕事も家事も停滞している。立ち直ろうとすると、激変する天気と気圧によろめいて、元気がなくなってしまう。味もにおいもするけれど、もしかしてこれコロナでは、という不安に始まり、物価の値上がり、戦争、社会情勢、出版界の未来、進まない新作、人と比べてうちの育児がだいぶ雑なこと、パートナーとの家事分担……。目が覚めたら、熱が抜けた身体に、灰色の感情だけが堆積し、ぐったりしている。土曜日は午前中の診療しかないので、なんとか縦になって部屋着のワンピースをかぶり、外に這い出た。発熱外来がある、少し遠くの病院まで歩いて、初めてPCR検査を受けて陰性を告げられ、風邪薬を処方された。帰り道、何か口にせねば、とスーパーマーケットとコンビニをはしごした。道ゆく人がみんなマスク姿でスタスタ歩いて社会に順応しているように見えること、二日前は肌寒かったのに今日は猛暑であること、自分が寝巻きみたいな格好でいること、その何もかもに傷ついてしまう。
 さて、熱が出た後、私が口にするものは決まっている。ポカリスエットとinゼリーと冷凍うどん。それで薬を飲んで一眠りしたら、梅干し入りの卵おかゆと缶詰のみかんが入ったゼリーである。冷凍うどんはこの間のワクチン後の発熱の時に美味しく感じた「うす家のしっぽくうどん」を、今回はみかんゼリーではなくセブン-イレブンの「みかんの牛乳寒天」を選んだ。
 物心ついた時に親から与えられたことをきっかけとして、多少メンバーの入れ替わりはあるものの、律儀にこれらを食べ続けているので、なんでこの並びなのか、深く考えたことがなかった。しかし、今回は打ちひしがれているせいもあり、味や効能についてじっくり向き合ってみようと思った。
 まず、ポカリスエットにうっすらついている塩味が、枯れ果てた身体に沁みていく。とても美味しく感じるのはこのグレープフルーツ味と塩味のバランスなのである。おしゃれな組み合わせだなあ、と子どもの頃から感じていたが、そういえば「ソルティドッグ」と同じだ、と初めて気がついた。inゼリーは銀色のパッケージに見入ってしまう。いつみてもSFの佇まいだ。ぎゅっと飲み干すと、人間のものではない力が湧いてくる気がする。「うす家のしっぽくうどん」の魅力は、麺がいびつなところだ。細いところと太いところがあり、力強い歯ごたえで、いかにも手作りといった風情がある。薬を飲んで寝たら少し回復したので、おかゆを作ってみた。水と白ご飯を軽く煮ただけのものに、といた卵を入れて、ネギと梅干しを載せて私は食べている。お米が熱くとろけたものを口にすると、癒し効果と郷愁がすさまじく、なんだか私はいつも照れてしまう。胃がなだめられ、梅のおかげでしゃっきりもする。セブン-イレブンの「みかんの牛乳寒天」は、角がない甘い味で喉がなんのストレスも感じずするすると受け入れていく。缶詰みかんも病気の時の定番だ。生の果物にはない、優しさと丸みがある。全部、心身が弱っている時ほど、美味しく感じるものばかりだ。逆に元気な時は、私にはやや過剰か、ものたりなく感じる味ばかりかもしれない。そうだ。私は弱っている。
 私だけではなく今、多くの人が疲れているし傷ついていると思う。ちょっとしたご褒美や前向きな思考では乗り切れないところまで世界が来ている。そんな時、どれだけ自分が弱体化しているか、ダメージをくらっているか、社会がまずい状況であるか確認することはかなりキツいが、回復には必要なことだ。
 あれから数日。ようやく活力を取り戻した私は、病院の予約を三件入れ、ストレッチをしながら、カーディガンとレギンスとヒートテックを気温に応じて素早く脱ぎ着できるテクニックを身につけた。そして、ようやく、読んだ人というか、書いている私にとって勇気となるような新作を思いついたところである。

FIN

題字・イラスト:朝野ペコ

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新作短編集『ついでにジェントルメン』
ダメ出し続きの新人作家に話しかける菊池寛の銅像、デート仕様の鮨屋に子連れで現れた女性……柚木さん初の独立短編集が好評発売中!

プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。最新短編集『ついでにジェントルメン』が発売中。

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