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介護される者の哀しみ――「マイナーノートで #04〔憤怒の記憶〕」上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。

憤怒の記憶

 辺見庸さんは、ずっと気になる書き手だった。生活クラブ生協連合会に辺見さんのファンがいるらしく、同会の機関誌『生活と自治』というマンスリー・レポートに、長期にわたって「新・反時代のパンセ――不服従の理由」と題する連載がある。毎号届くたびに、どきどきしながらまっさきに読んだのが、その連載だ。わずか1頁のコラムだけれど、他に子育て情報やお料理ページ、産地だよりなどが載ったふんわりした誌面のなかで、そこだけまっ暗な闇が覗いているようで周囲とはふつりあいだが、逆に目が離せない気分になった。その連載をまとめて単行本にしたのが『コロナ時代のパンセ』(毎日新聞出版、2021年)である。

 連載の期間は2014年2月から2021年3月までの7年間、第2次安倍内閣から現菅政権まで。それ以前に3.11の震災と原発事故という未曾有の災厄が起こり、いままたコロナ・パンデミックという非常時のもとにある。わたしは最新の記事から読んで時代を遡るように読了したが、時代が現在に近いほど文章のトーンはいっそう暗くなる。この7年は、安倍政権とその後継政権の菅内閣のもとで、数で押し切る無理無体な採決で危険な法律が次々に成立し、政治家のことばが空疎にからまわりし、ウソと忖度がはびこり、国民が無力化された時代だった。本書には憲法、政治、沖縄、軍備のようなマクロの社会状況に加えて、ご自身の病気と加齢、周囲の介護やご自身の要介護体験などミクロの経験が通奏低音のようにからむ。

『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を獲得した作家は、世界を旅して貪欲な胃袋で人が食べて生きる苛酷な現場を歩きまわってきた。その行動的な作家が、脳出血で半身麻痺になったと聞いたときには、どれほどの不如意と口惜しさを感じただろう、と想像した。その後も2回にわたるガンの発症と生還。発病後に書かれた文章に、のたうちまわるような呪詛と絶望が溢れているのを見て、目を背けたい思いだったが、思い直した。いや、こうやって辺見さんは、自分を切り刻むようにして、思うようにならない現場からのレポートを、わたしたちに発信してくれているのだ、と。

 そのなかで目を留めたのが、「西瓜のビーチボール」と題するエッセイだった。
 辺見さんは要介護認定を受けて、介護老人保健施設のデイサービスに通っている。ある日のエピソードだ。女性指導員が西瓜の模様のビーチボールを使って、ゲームを始めた。ビーチボールを参加者にまわしながら「冷たいの反対はなーに?」と「脳トレ質問」が出される。「あったかい!」と答えると指導員が「あたりい!」と応答して、ビーチボールがまわっていく。
 辺見さんはそのビーチボールが自分にまわってくるのではないか、とドキドキする。果たしてビーチボールは彼の膝に乗せられ、「明るいの反対はなーに?」と指導員の「脳トレ質問」が投げられた。その瞬間の彼の反応。
「胸のなかに鉄の玉ができて、焼けるほど熱くなる。まっ赤になって胸のなかでゴロゴロ転がる。(……)激怒しているのだ、わたしは。(……)わたしはじぶんの怒りのはげしさにたじろぐ。」
 そして自問自答する。
「にしても、なぜこんなにも憤るのか?(……)ここにかれらなんか(太字部分、原文傍点付き)といっしょにいること、そうせざるをえない心身の老い。それに焦っているじぶん。そして、どうしようもなく末枯(すが)れてゆくなりゆきをまだ諦観できないじぶんにいらだって、かれらなんか(同前)とじぶんを懸命に区別しようとし、同時に、他人にも区別してもらいたがったのである。目がうるんでくる。風景が掠れる。」

 ほとんど全文引用したくなるこの文章のあまりの正直さと切実さに打たれて、わたしはたちすくむ。そして、要介護認定を受けてもデイサービスなんて絶対に行きたくない、と思っているわたしの心の底に、もしかしたら辺見さんと同じ思いがあるかもしれない、とドキリとする。
 老いること、介護されることは、ほんとうはとってもつらいことなんだ、それをわかってほしい……という声の底に、これほどの憤怒と悲哀があるということを、わたしたちは忘れがちだ。
 要介護になれば、わたしたちは無力化される。無力な、というのは、子ども扱いされる、ということだ。だが年寄りは子どもではない。子どものように無垢でも純真でもない。子どものようにうつくしくもない。長い年月を生きてきて苦労も経験もからだに染み込んでいるだけでなく、何より生き抜いてきた矜持がある。だがその誇りは、わずかな不如意でもろくも崩れるほど、不安定なものだ。認知症の年寄りはよく怒る。それは怒るだけの理由があるからだ。そのつど彼らのプライドが傷付けられるからだ。

「さあ、みなさん、ご一緒に」というデイサービスのレクリエーションなどに、わたしは参加したくない。これまでの生涯に団体行動が好きだったことが一度もないわたしが、老いてからそんなものが好きになるわけがない。介護職員に「おばあちゃん」と耳元でささやかれたら、「あたしゃ、あんたの祖母じゃないよ」と毒づきたい。「回想療法」などと称して、「あなたの人生をお聞かせください」と傾聴ボランティアが訪ねてきたら、「見も知らぬあんたにわたしの人生を話す義理はない」と追い返しそうだ。なのに、なのに、その彼らの助けがなければ食事も入浴も、我が身ひとつ思うにまかせなくなるのが、老いという現実なのだ。

 講演の最後をわたしは「安心して要介護になれる社会を!」というスピーチで締める。それを可能にしたのが介護保険という制度だとわかっていても、制度はわたしの心までを救ってはくれない。ままならぬ身体、不如意な動作、ひとに頼らなければならない不甲斐ない暮らしへの歯がみしたいような無念さ、哀しさまでには、制度は届かない。

 辺見さんの隣の老女が辺見さんに声をかける。「ねえ、ねえ、お父さん、もう帰ろ……」と。辺見さんはしわがれ声で応じる。「うん、うん、もう帰ろ……」。

 老いの先に、帰る場所は、どこにもない。不如意な身体という他者を抱えたまま、わたしたちは階段を一段ずつ下りなければならない。
 西瓜のビーチボールは鉛の球の重さを持って、わたしの膝の上に置かれる。さて、わたしはどうしよう……?

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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