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「日記の練習」12月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの12月の「日記の練習」です。


12月1日
キコと安藤さんと平興へ。わたしははさみ将棋が強い、と豪語していたことを覚えていた名人が「やるか!」と言ってくれたがぼろ負け。一気にふたつの駒を取られたとき、我ながらあまりの愚かさに笑ってしまった。あらゆる「最後」が苦手なので、閉店する前の最後の来店だろうということはあまり考えないようにした。

12月2日
ようやくワインオープナーを買った。しかも電動でウイョ~ンとなるやつである。半信半疑で使ってみると、本当に一瞬で簡単にコルクが抜けた。「いままでの苦労はいったい……」と夫とふたりで項垂れながらワインを飲み、『海街ダイアリー』を見た。樹木希林が亡くなった祖母に似ていて夜は祖母のことばかり思い出した。

12月3日
「かがくいひろし展」を見るために花巻市博物館へ。宮沢賢治記念館に実は一度も行ったことがない、と話すと「今年の後ろめたさ、今年のうちに」と夫は言う。たしかに……と意気込んで記念館も見ることができる三館共通券を買ったが、絵本展のあまりのボリュームにふたりとも疲れ果ててしまい、スープカレーをお腹いっぱい食べて大人しく帰った。三館共通券には有効期限がないらしく、また今度来よう。今年の後ろめたさ、来年に続く。
夕飯の前に机の上にあったミルクフランスを勝手にひとくち食べたら夫がそれを見つけて「あーっ!食べたな」と言う。口笛をぴゅーと吹いてあからさまな知らんぷりをすると「こら、夜に口笛を吹くと蛇遣いがくるよ」と夫は言った。蛇ならいいけど蛇遣いが来るのは本当にいやだったので、すんごいいやそうな顔になった。

12月4日
編集さんが盛岡へ来てくれてうれしい。冷麺と光原社とリーベ。リーべに行くのは久しぶりになってしまった。お母さんが「なにかあげたかったのになんにもなかった~」と言いながら立派な柿を三つもくれた。打合せを終えて編集さんに手を振って、それからずっと柿三つを持ち歩いた。柿三つの重さには妙に説得力があり(これは柿三つ)と納得しながら持った。

12月5日
柿三つ一気に食べた。

ようやく免許更新。前に一時停止違反で一回切符を切られていたため1時間の講習を受ける。まずは「ここにいるみなさんは『かもしれない運転』ではなく『だろう運転』になっているおそれがある、今一度交通安全への意識を高めていただきたい」と言われ、『だろう運転』なんてはじめて聞いたのでなにがなんでも「○○運転」と名付けたかったんだろうかと思ってちょっと笑ってしまった。そのあと「運転への意識は性格や普段の態度に非常に通じてくるところがある」と言うので真顔になった。そう言われるとわたしは(こうなるかもしれない)という不安と確認よりも(こうなるだろう)という漠然とした強気で人生を操縦してきたような気がしてくる。一時停止を怠り、『だろう運転』で進む人生。
新しい免許証をもらう。前回は顔写真がやたら強張った顔になってしまい、毎度免許証を出すのが本当に恥ずかしかったので、今回はばっちり化粧をして笑顔の練習までして撮影に臨んだ。いい表情だったが前髪とタートルネックの首元がしっかり乱れていて、あーあ。この先5年、乱れたタートルネックのわたしである。

12月6日10時
あゆさんの家でトカゲとヤモリを触らせてもらった。特にクレステッドゲッコーというヤモリが、おっとりぽってりとしたちいさなワニのようでたいへんかわいらしかった。手にも腕にも肩にもぺとぺとよじ登ってくる。しっぽの付け根におまんじゅうのような膨らみがありあゆさんが「それはきんたま」と言う。きんたまってなんでこんなあぶないところについているんでしょうね、などと言いながらケーキ屋に並び、炒飯を食べて中国茶を飲んで解散した。

12月6日22時
きもちがどうしようもなく黒ずんだので、寝室の扉をがばっと開いてちいさな声で「ワカチコワカチコ」と言うと、本を読んでいた夫はすぐに「ちっちゃいこと気にしてたの?」と言ってくれた。「キョウレツ~ゥ」と言って扉を閉めて夜中まで仕事をした。やたら捗って3時に寝た。

12月7日
「うちの子、サンタさんのことを『ごんたさん』って覚えちゃったんだよね」

12月8日
平興が閉店した。一日中、今日閉店するなあと思っていて、20時になるまでそのそわそわは続いた。店の前まで行って写真を撮ったけれど、入店はしたくなかった。行けばよかったかな、と最後までうじうじ思っていたが、行って(行かなきゃよかった)と思うよりずっといいと思った。

12月9日
美容院でパーマ。飽きるまではこのくしゃくしゃパーマでいようと思っている。読んでいた雑誌にノルウェーの古いことわざに「天気が悪いのではない、服が悪いのだ」というものがある、と書いてあって(これは日記に書こう)と思った。
夫の誕生日祝いにカニ食べ放題へ。わたしはカニを食べること以上にカニの殻をばきばき折ったり切ったりして綺麗に身を剥くのが好きだということを思い出して、肘までカニの汁を滴らせながら目を輝かせて剥きまくった。お腹いっぱいで部屋に戻ると夫が笑顔で横歩きをしだしたので「あーあ、夫が巨大蟹になってしまった」と言い、寝た。

12月10日
わたしはどうしてこんなにも「低反発」のものがこわいのか。どうしても、あの、もったりと沈んでゆく感覚に、そのままからだの輪郭が低反発と一体化して顔がのっぺらぼうになるようなことを想像してしまう。ドトールで本を一冊読んで、本を一冊買って帰る。

12月11日
メールに「ハイヤーをご利用くだい」と書かれており(ハイヤー!)と叫びながら必殺技のポーズをする自分のことを想像したのち、ところでハイヤーってなんだっけと調べる。気の重い仕事があり、そのことを考えるだけで一瞬で頭が重くなり眠くなって寝てしまう。

12月12日
「気に入った」のことを「気にった」と書いてある(そしてそれは誤記ではないようだった)Instagram投稿を見て、おお~と思った。わかるっちゃわかる。

12月13日
「だれになにを言われたって構わない、気にしなくていい」と祈るように、脳の皺に擦りこむようにそう思う。だれにもなにも言われていないのに。仕事がはかどらないときによくそういうきもちに囚われる。

12月14日
「もっともっと戦闘的に生き、自分でも許せる小説を書きつづけなければならない」と書かれており、わかるわあ、と思ってすぐ、わかったとすぐに思ってはいけないな、わたしは出家できないと思うし。と反省した。瀬戸内寂聴展。

12月15日
緊張しすぎて6回歯を磨いた。

12月16日
11年ぶりの場所に行ったけれど、懐かしい、と思ったのは建物の外側の見た目だけで、講演をする会場へ行ったら記憶と違った。「あのときはカーテン、開いてましたよね、あんなに蛍光灯じゃなく自然光でしたよね」と何度も、縋るように確認したら、元顧問は「うーん、そうだったかもね」と言ってくれた。11年ぶりの場所が11年前と全く同じとは限らず、わたしの頭の中の11年前が正確な景色とも限らないのだった。
演題に立ったら泣いてしまうと思ったのに泣けず、11年分の総決算と思っていたが思ったより解脱した感じもやり切った感じもなく、とにかくおどろくほど地続きのわたしと地続きの仕事だった。

終わって寿司。「お仕事なにされてるんですか」「エンジニア」「ヘルニア?」で四人が張り裂けるように笑い、東京駅でみんなで写真を撮って帰った。

12月17日
紅まどんなを剥いた。「ジューシー」という言葉がわたしは好きだ。

12月18日
駐車券をなくして3000円払った。最悪の一日。

12月19日
京都へ。京都につくと「京都」と書いてあり、京都!と驚いた。わたしはその気になればいつでも京都へ来ることができる。その事実がお守りのようにきっとなる。
観光は一切せずに見たかった「絵本編集者筒井大介の仕事展」を筒井さんに案内してもらいながら見て、会いたい人たちに会った。ミシマ社へ行くと社員総出でハートの紙吹雪を飛ばして重版のお祝いをしてくれてうれしくて、2023はこういう1年だったと思った。

12月20日
ノザキの家で起きる。ノザキが「さむいよーん」とがくがく震えながらストーブにあたり始めたのでかわいかった。これはまだ寒いのうちには入らんが、と思いながら白湯をもらって飲んだ。帰りにシゲキックス貰う。シゲキックス貰うのうれしい。
nowakiでおしゃべりしたあと鴨川をちょっとだけ見て、サンマルコのカレーと551の豚まんと、黒豆と生麩とソーセージとカルネ買って帰る。京都が大好きになって、2023はこういう1年だったと思う。

12月21日
犬が死んだ。14歳半だった。わたしの人生のちょうど半分。母からちょっと体調が、と連絡がきてすぐに駆け付けてよかった。
母は台所で泣き、父は玄関で泣き、わたしはこたつで泣いた。本当に眠っているようにしか見えない綺麗な亡骸で、あら、寝てるの、おきて、おきて、と母は何度も話しかけていた。おきないよ、と言うのはあまりにも野暮だった。本当に起きそうだったから。

12月22日
犬の火葬。とても良い業者さんだった。あまりにも白く、あまりにも骨のかたちの骨。骨壺を撫でながら(わたしはもっと傷ついたほうがいいのかもしれないのに)と思った。なんというか、自分の感情の流れがあまりにも淡々としすぎていて、「愛犬を失った人」然としていない感じが居心地悪いのだった。息を引き取った犬はとても立派でかっこよくて、お疲れ様でした、とこころから思うだけだった。くいしんぼうで、まぬけで、それなのに時折ぜんぶわかっているかのような利口な顔をする犬だった。

12月23日
お世話になったお店を回って年末のご挨拶。青い脚のついたグラスと、封筒と、本を一冊買った。忘年句会。「ワルツだけは、男性がうまいと何もしなくても上手に踊れるの」と言われて、それがとてもよい台詞だと思って、金粉が降ってきたみたいなきもちになった。

12月24日
惣菜売り場の大盛りの唐揚げの前で下唇を突き出してごねている子がいて、父親らしき男性に「ステーキか唐揚げはどっちかだよ、唐揚げ食べるならステーキはなし、いいの?」と説得されていた。意味が分からない、絶対にどちらも食べる、という意思を持った顔だった。もう一度その売り場の前に行ったらどうやら巨大なローストチキンで手を打ちそうだった。唐揚げとステーキが食べたいときに巨大なローストチキンで手を打つのは妙な納得感がある。

12月25日
朝、夫がフォフォフォ〜と言いながら近づいてきて高い美容液をくれた。しまった、わたし何も用意してない……夫と百貨店へ行き、真っ赤な傘を買ってもらい、真緑の折りたたみ傘を買ってあげて、ケーキを買って帰った。メリークリスマス。
夜美容液塗ってみると顔が一瞬でテパテパになったので笑った。テパテパ。顔がテパテパです。

12月26日
ヤ―レンズの「しゃがんで立つ!」は二日経ってもまだおもしろい。チョコレートナンを半分のサイズにできるか交渉しに行った人が大きなグーサインを出して「交渉成立〜!」という顔をしたので「おお〜」と言ったのが遠くからでもわかるように、大袈裟に「お」の顔をした。

12月27日
悪魔みたいに高い声で爆笑する女性2人が、渡っちゃだめなところを渡りながらさらに張り裂けるように爆笑していた。「大丈夫大丈夫!それ私が使ってた時からぶっ壊れてたから!」と言いながら。
飲み会がはじまるまで文房具売り場にいた。気に入っているボールペンを買い足そうとしたら、試し書きのところに「明るい月」「つめたい雪」と書いてあった。できる。できるやつがいるぞ。と思う。「しずかな海」と書こうとして、蛇足な気がしてやめた。

「さっきから『働いてたとき』って会社に居たときのこと言ってますけど、いまだって働いてるじゃないですか、そのくらい、働いてるって感覚がないくらいたのしいんですね」

12月28日
鳩時計の電池が切れたので交換したところ、
パッポッ♪、パッポッ♪、パッポッ♪
だったのんびりかわいい鳴き声のテンポが
パッポパッポパッポ‼︎ ‼︎‼︎
と猛烈に速くなったのでげらげら笑った。パワーがみなぎっている。

12月29日
両親と青森の旅館へ。宿の外では何故か空をずっと見上げている人たちがいた。両親と、ありゃ何を見上げているのか、という話になり「流星群 年末」「なんとかムーン 2023」と調べたが思い当たるものはなかった。

12月30日
年末っぽさを感じるために八食センターへ行った。混んでいて年末っぽくてよかった。
盛岡に戻ってきて並んでお蕎麦。並んで良かったと思うくらいおいしかった。子犬が来た。カバの赤ちゃんに似ている。

12月31日
弟が帰ってこない年末、いままでのように年越しらしい料理を用意しなくても別にいいんじゃね?となり、かと言って通常通りの生活をするのもなんだかさみしくて、1300円で鴨をまるまる一羽買った。鴨をまるまる一羽買うのはあまりにもくどう家の年越しにふさわしいような気がして、えっへん、って思った。電気圧力鍋で煮てスープが大量に出来上がり、醤油をたらっとだけかけて味見をして(げきうま~!)と思った。


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タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。東直子さんとの歌物語『水歌通信』が発売中

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