【連載】南沢奈央「女優そっくり」第7回
本名の自分であり続けたかった
高校の卒業式の日、私は逃げるように校舎を出た。
その日は久しぶりの登校だった。高校三年の終わりは受験期で登校日が限られていたからだ。いや、もしかしたらそれは、私の仕事が忙しくなってきていたからかもしれないが、今では覚えていない。とにかく卒業式の日に何週間ぶり、もしくは一か月以上ぶりに学校へ行ったら、周りの私への態度が変わっていたのだ。
女優の仕事をしていることを、学校では、先生と親しい友人以外に告げていなかった。だから私がたびたび学校を休むのは、病弱だからだと周囲は思っていたのではないか。何日ぶりかに登校したと思ったら、とても眠そうで疲れているように見えたはずだし、長崎の修学旅行でも途中で親が迎えに来て、帰京したこともあった。何か重大な病気を抱えている子なのだと、きっと思っている人は多かったのではないだろうか。特に深く事情を聞いてくる子もいなかった。
そもそも私は人見知りで、内向的で、なかなか人に心を開かない。中学で同級生から「暗いね」と言われて以来、その言葉が呪いのように頭から離れず、知り合いが一人もいない高校に入ったら、変わりたい、変わろうと思っていた。いわゆる高校デビューを目指した。だけど、高校に行ったら、もっともっとキラキラしていて、根から明るくて楽しそうな子ばかりだった。今思えば、私と同様に、高校デビューの子もいたのかもしれないが、そのあまりのエネルギッシュな高校生たちの姿に圧倒された。最初に行われたオリエンテーションで、私はおりた。みなそれぞれ、自分が呼ばれたいあだ名を発表している。お互いのことをまだよく知らない状態で、あだ名を決めて呼び合う。みんなはきゃっきゃと楽しそうにやっていたが、頑張れないと思ってしまった。私はいつの間にか、下の名前に「ちん」を付けたあだ名に決まっていた。
おそらく入学直後のこの頃が高校生活のピークだったかもしれない。高校に入ってすぐに仕事を始めたこともあって、学校も休みがちになり、行っても授業についていくのに必死で余裕もなかった。だから話をするのも限られた友人だけで、友人が近くにいても休み時間は本を読んだりして過ごしていたから、ひと言も会話をしたことがない同級生も多くいたと思う。
こんな、言ってしまえば“暗い”子が、まさか表に出る仕事をしているとは同級生たちも想像しなかったのだろう。ドラマやCMでテレビに出たり、雑誌の表紙を飾ったりしているのを見かけた同級生がいたとしても、私とは一致しなかったと思う。実際に、「テレビに出てた子、似てたんだよね」とか「○○さん(いつの間にかあだ名では呼ばれなくなった)も、どこかの事務所のオーディションとか受けてみたら」とか言われたこともある。
でもそれでいいと思っていた。知られたくなかった。目立ちたくなかった。だから決して学校では、仕事のことを匂わせないようにした。それで穏便に過ごせていたのだから。
そうして可もなく不可もなく三年間を終えようと、久しぶりに卒業式の日に登校したら、状況は大きく変わっていた。とにかく話しかけられる。これまで話しかけてこなかったような同じクラスの子や、「初めまして」と言いたくなるような他のクラスの子、そして部活も異なる見知らぬ後輩からも声をかけられた。私はその冬、ケータイ小説が原作の連続ドラマと映画の主演をやっていたのだ。
「南沢奈央さんですよね」
南沢さん――。学校で呼ばれたことがない名前。あだ名でもない。でももう一つの自分の名前。
突如として、自分が三年間過ごしたこの学校が、どこか知らない場所に変わったような気がした。その途端、大きな声を出して泣き出したくなった。卒業が寂しいのではない。気づいてもらえてうれしいわけでもない。裏切られたような気分になった。なぜだろう、せめてこの場所では、南沢奈央ではなく、本名の自分であり続けたかった。
式が終わって荷物を早々に片づけて、お世話になった先生への挨拶もそこそこに、私は校舎を後にしようと昇降口へ向かう。そこで女の子の後輩数人に声をかけられ、「上履きが欲しい」とお願いされ、私はそのまま、上履きを置いて学校を後にした。もう一生、あのオリエンテーションでみんなのあだ名をつけ合うような時間には戻ることができないのだろうな、と思った。
そして私は制服姿のまま、初めて出演する舞台の稽古場へと行った。その舞台とは、片岡愛之助さんと中村獅童さんがダブル主演の『赤い城黒い砂』という、シェイクスピアの幻の戯曲(J・フレッチャーとの共作)と言われている『二人の貴公子』をアレンジした作品だ。
その日はちょうど、数日間の座った状態での本読みが終わり、立ち稽古の初日だった。緊張した面持ちで稽古場に着くと、卒業証書やらお祝いのお花やらを持っている、いかにも卒業式後の女子高生に、共演者やスタッフさんは、「卒業おめでとう」と声をかけてくれた。
そうだ、おめでたいのだ。卒業できてよかった。そもそも芸能活動を融通してもらえるような芸能学校ではなく、普通の私立だったから、授業に参加できない分は、特別レポートなどで穴埋めをさせてもらっていた。学校側が私の卒業を認めてくれたことがまず一つ奇跡だし、何より思ったのは、もしもっと早い段階で、学校で私が「南沢奈央」になってしまっていたら、通い続けられなかったかもしれない。それは卒業した後だからこそ気づいたことだった。
私は稽古着のジャージに着替えて、南沢奈央でもなく、違う人物になりきる。稽古を終えた後はまた制服に戻って帰宅する。両親からの「卒業おめでとう」を受け取って、私は制服を脱ぎ、そのままゴミ袋に捨てた。
プロフィール
南沢奈央
俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。
タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所