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「性格が悪い」とはどういうことか――お題を通して“壇蜜的こころ”を明かす「蜜月壇話」

タレント、女優、エッセイストなど多彩な活躍を続ける壇蜜さん。ふだんラジオのパーソナリティとしてリスナーからのお便りを紹介している壇蜜さんが、今度はリスナーの立場から、ふられたテーマをもとに自身の経験やいま思っていることなどを語った連載です。
第1回からお読みになる方はこちらです。


#20
「悪い」と「ゆがんでいる」の違い

 いまだに「アイツ性格悪いんだよ」とか、「彼女は性格のいい人でね」と言われても理解できない。性格が良い悪いとは、いったいどういう意味なんだろう、と。
 たとえば、「気に入らない相手は無視して挨拶もしないこと」は、性格が悪いと言われる行為。「陰口や悪口を言ったり、その悪感情に荷担したりしないこと」は性格が良いと言われる行為……そんなふうに一般論を引き合いに出されると、「ああ、なるほど」と漠然と理解できるような気がする。しかし、「そういうことか! 心得たり!」とナットクヒザポン状態にはならない。44年あまり生きてきてこんな理解度なら、ヒザポンできる可能性はこの先も薄いんじゃないかと、なかばあきらめている。とりあえず性格の良し悪し的な話題が出たら、「あくまで話し手の解釈や見解、経験から出た意見なんだろう」と聞いている。

 学生時代、ワンマン気質だが後輩想いで、何かと「もうしょうがないんだから」「いつまでも私に頼ってばかりじゃダメじゃないの! 私がいないときはどうするのよ」と、厳しい顔をしながらも何だかんだで助けてくれたバイト先のリーダーがいた。年上の彼女は本当に仕事ができるチャキチャキ姐御で、「すんまへん、すんまへん」と謝りながらも、叱咤激励のなかに優しさが漏れているのがわかり、いい人なんだなと内心尊敬していた。
 しかしあるとき、入ってきた新人を「気に入らない」といちいち冷たくあしらい、すぐ追い出してしまったという噂を耳にして、それはそれは混乱した。相性もあるだろう。その新人が、先輩だろうが社員だろうが遠慮なく突っかかっていくような気の強いじゃじゃ馬系だったことも知っている。きっとお互い譲らずケンカになったんだろうと勝手に解釈していた。けれど、どうも違うという話もあった。はねっ返りの態度が気に食わんと、ことさらつらくあたり叱責や無視ばかりして居づらくさせ、退職に追い込んだんじゃないかという……。あのリーダーが本当に?
 真相はわからないまま、噂と不確かな目撃情報しか伝わってこず、新人が研修中に泣きながら去っていき、二度と戻ってこなかったという展開を他のスタッフから聞いて、「信じられん」と愕然としていた。こっそり標的を攻撃する彼女の姿など想像がつかなかった。いわゆる「自分主体の思い出補正」がされており、この話はいまだに信じられないのだが、「性格が悪い」という意味を説明する際にかなり的を射た例だとは思う。どうか噂レベルであってほしいと改めて願うのだが。

 性格の良し悪しについてはなかなか理解できないが、少なくとも「意地悪や無視、イヤガラセをする」のは「悪い」と認定することにしている。少なくとも「良い」ではないし。私にだけだったのか、ほかにも被害者がいるのかはわからないが、「目の前で頭を下げて挨拶したのにガン無視した有名若手俳優」「共演者にお菓子を配りながら私にだけ渡さなかったアイドル出身女優」「〝こんなに露出したらテレビで使われないでしょ? 私にはできないわぁ、すごいわねぇ〞と気の毒そうに、私が掲載されたグラビア雑誌を、汚いものをさわるようにつまみ上げた女性タレント」などに遭遇した経験はあるにはある。雑誌を作った編集やスタッフ、カメラマンに謝れ、と胸ぐらをつかみそうになった。
 「こういうのを性格が悪いというのかもな」とサンプルとして脳内の引き出しに入れてある。引き出しのインデックスに「性格が悪いと思われる者の事例」と書いて。
 「悪い」と「ゆがんでいる」とは微妙に違うと思う。ゆがんでいるからといって、悪いとは言いきれない場合もある。
 「こんなに好きなのにソデにされた! 彼を振り向かせるために何かショック的な出来事を与えたらいいんじゃないか?」とか、「あの子は本当はシャイで甘えベタな寂しがりなのだろう。私が叱ってかまってあげないと」とかイヤガラセじみた執着行為をするからといって、「性格が悪かった」と断言はできない。現実を受け入れられず自分なりに解釈をした結果、「道理からは逸脱したゆがんだ行為」を生じさせてしまい、なんとなく「悪い」につながっていくような気がする。上記のような感情の根底には「相手が好き」があるのだろうし。

 ここまで分析して、自分のゆがみは何かと考える。こんな分析をしている時点で十分ゆがんでいるとは思うが、「これは独特なゆがみかな」と認識する考え方がひとつある。損も苦労も徒労もある程度ならしてもいいが、「情報は有料と無料に分けられる。その判断を誤るのはバカだ」という考え方がいつも頭にある。
 ブログは閲覧をタダにして、よそ行きの己を演出している。毒にも薬にもならぬ文章に生々しき本音はつづらない。新聞、雑誌、著書やインタビュー記事など「読むためにはお金がいる文章」にはある程度の黒さや狡猾さ、他者への恨みなども加えて生々しくする。ミステリアスぶっているのではない。私の場合、そうしないと金は手に入らないと妄信しているからだ。
 これを「ゆがみ」と言わずしてなんと言う。そしてその延長に「金を払うやつがいちばん偉い論」をほんのり支持する心アリ。そこには他人も身内もない。ああ、ゆがんでいるな。やっかいだ。

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プロフィール
壇蜜(だん・みつ)

1980年秋田県生まれ。和菓子工場、解剖補助などさまざまな職業を経て29歳でグラビアアイドルとしてデビュー。独特の存在感でメディアの注目を浴び、多方面で活躍。映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。『壇蜜日記』(文藝春秋)『たべたいの』(新潮社)など著書多数。

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