物理学者にとって美とは何か? 「万物の理論」の最先端をめぐる新刊『神の方程式』発売記念、著者ミチオ・カク氏特別インタビュー(後編)
アメリカで2021年4月の発売以来、8万5千部を売り上げている『神の方程式』の待望の日本語版が発売になりました(斉藤隆央訳・NHK出版)。本書の刊行を記念して行った著者インタビューの後編は、究極理論を追求する物理学者にとっての美――「対称性」を中心に語っていただきました。
*インタビューの前編はこちらです。
取材・写真:大野和基
真に偉大な理論は、子どもにもわかる
――本書『神の方程式』は、「万物の理論」をめぐる科学者たちの挑戦をクロノロジカル(時系列)に描き出すところから始まります。前作『人類、宇宙に住む』も、ロケットの開発に関わった科学者たちの挑戦の歴史から始められていました。カク博士は、科学者たちを、まるで物語の登場人物のように魅力的に提示することに長けていますね。
科学者には、ストーリーとして本を書くことが苦手な人も多いと思いますが、なぜこのような形式でポピュラー・サイエンスを書こうと思われたのでしょうか?
ほとんどの物理学者は研究に専念しています。一般の人に向けて説明するためには、ストーリー・テリングの方法やジョークの言い方を新たに学ぶ必要があります。かなり個人的な、自分のライフヒストリーについて明かすのを求められることもあります。ですから、一般の人に向けて説明したがらない物理学者もいます。「私は物理学や方程式の話をしたいだけなんです」と彼らは言います――方程式は、膨大な量の情報を圧縮する、すこぶる簡潔で手っ取り早い方法で、科学者はそれで意思疎通ができます。私自身も専門は物理学の研究です。いつも方程式について考え、方程式を頭の中で踊らせています。なのに、どうしてわざわざポピュラー・サイエンスを書くのでしょうか。
それには2つの理由があります。子どものころ、すばらしい科学の世界が私を待ちうけていることはわかっていましたが、図書館に行っても、四次元や超空間や、宇宙のエイリアンについての本はまったく見つかりませんでした。宇宙の不思議について私に説明してくれる本は、一切なかったのです。そこで私は、大きくなったら物理学者になって自分で本を書こうと自分に言い聞かせました。それが1つめの理由です。もし自分が子どもだったら読みたいと思うような本を将来書きたいと思ったのです。
子どもに何かを説明するのは、非常に難しいことです。しかし、かつてアインシュタインは「ある理論を子どもに説明できないのなら、その理論はおそらく役に立たない」と言いました。すべての偉大な理論はシンプルなイメージに基づいている。まずイメージがあり、そのあとに数学が来る、とアインシュタインは言うのです。ニュートンの法則は、ロケットや衛星などの例を挙げて説明できます。特殊相対性理論は、宇宙船や光線を使って説明することができます。一般相対性理論は、ボウリングの球やトランポリンのネットを使って説明できます。ですから、真に偉大な理論は、子どもにもわかるように説明できるはずなのです。
子どもたちが私のところにやってきて、私の本を読んだと言われると、自分がうまくやったとわかるのです。その子どもたちは、かつて私が図書館に足を運んで、反物質や高次元や超空間などに関する本が見つからないときに感じたフラストレーションを覚える必要がないからです。
2つめの理由は、私がストーリー・テリングで人を魅了すること自体が好きだということです。どの物理学者も趣味を持っています。アインシュタインの趣味は、バイオリンを弾くことでした。そして、ひも理論研究者の多くは、山登りを趣味にしています。信じるか信じないかはあなた次第ですが、ひも理論の研究者が余暇に集まると、みんなで山に登るのです。私は山登りが大嫌いなので、行きたくありません(笑)。
逆にいうと私にとっては、どうしてほかの人が私と同じくらい科学にワクワクしないのか、ということが、非常に大きなミステリーでした。自分が子どもだったときのことを思い出してみて、この違いは子どものときからあったのだと気づきました。私は、科学と出合って、新しい世界が目の前に広がっていることを知りました。でもほかの少年は野球やバスケットボールをしていました。野球もバスケットボールもいいのですが、彼らは、私が新しいアイデアについて学ぶときに感じる驚異を、同じようには感じていなかったように思えます。私は、自分が感じた興奮を、ストーリー・テリングによって多くの人に伝えたいのです。
私の専門はあくまでも物理学の研究ですが、この2つの理由から、積極的にポピュラー・サイエンスを書くのです。
――あなたは本を書くことで、世界中の人が科学に興味を持つことに貢献していますね。
努力しています。テレビでも、とてもがんばっています。30人の子どものクラスを受け持ったら、うまくいかなくても飽きさせるのは30人ですが、テレビでつまらない話をしたら、100万人を退屈させることになってしまうのですから。
「対称性」はなぜ美しいのか
――本書『神の方程式』では、科学者にとっての「美しさ」である「対称性」がひとつのキーワードになっていると思います。第3章では、博士はディラック方程式[編集部注:物理学者のポール・ディラックが考案した、アインシュタインの特殊相対性理論にしたがう波動方程式]に出合って泣いたとまで書いています。博士がこのように「対称性」に深く心を動かされるようになったきっかけは何かありますか? またこのように、ほかの物理学者も「対称性」に深い関心を持っているのでしょうか?
なぜ方程式が好きなのか、とほかの物理学者に訊ねると、彼らは「方程式は美しいからです」と答えます。あくまで数学的な美しさですが。一般の人は、「数学が美しいなんてことがあるだろうか? 方程式なんて、ニワトリが紙の上を歩いた跡みたいなものじゃないか」と言うかもしれませんが、それは的外れです。
数学的な美しさとは対称性です。対称性は物理学においてもっともすばらしい原理の一つです。かつては、対称性なんておまけみたいなもので、方程式が美しくても、それは別にどうだっていいだろうと考えられていました。しかし今では、方程式の最も重要な特徴が「美しい」ことだとわかっています。繰り返しますが、「美しい」とは、対称性があるということです。
では対称性とは何でしょうか。対称性とは、物体を回転させても元と同じままであるということです。球を回転させても、ずっと球のままに見えるでしょう。それが対称性です。同じように、アインシュタインの方程式を回転させても、同じ方程式のままなのです。これは驚くべきことです。まさにそこに美しさがあるのです。方程式の美しさには理由があると分かってきたでしょう。自然の基本法則は常にシンプルで、エレガントで、美しい。球のように対称性がある。ですから、もし方程式が美しくないとすれば、それは自然の基本法則を著していないということなのです。
私は、自然の基本法則に対称性があるのは、そもそも「時間」のはじまりのときに究極の対称性があったからではないかと考えています。時間が生まれたとき、すなわち創造の瞬間に、宇宙は美しい結晶で、どのように回転させても同じだったということです。その究極の対称性が、11次元の超対称性です。それは私たち物理学者が、これまで目の当たりにしたなかで最大にして最も美しい対称性――ひもの対称性なのです。ひも理論を超対称性によって回転させても、同じままなのです。これは驚くべきことです。
だから、ディラックの方程式を見て、私は泣いたのです。それ以前に、私は、非相対論的な[編集部注:速度が小さい場合にしか成立しない]シュレーディンガーの量子力学を学ぶために、何週間も、何か月も費やしました。シュレーディンガーの方程式は、アインシュタインの方程式のような対称性を欠いていました。高校生だった私を呆然とさせるような醜い方程式を作り出すなんて、自然はなんと残酷なのか――。そんなふうに思っているときに、空間と時間を結合させてシュレーディンガーの方程式を再構築するとディラックの方程式になることがわかったのです。シンプルで短いけれども、パワフルな方程式です。
実のところ、ロンドンにあるウェストミンスター寺院に行き、フロアに目をやると、ディラック方程式が刻まれています。大英帝国の最も神聖な場所に刻まれるほどに、その方程式は美しいのです。
パンデミックは物理学を変えるか?
――2019年末からの新型コロナウイルス・パンデミックは、仮想世界とのかかわり方の変化を大きく推し進めているように感じます。『2100年の科学ライフ』の前半で議論されていた「現実とバーチャルが混ざる」現象や、『フューチャー・オブ・マインド』で描かれていた感情や感覚とインターネットの相互作用などの未来予測に関して、その進行が加速していると感じることはありますか?
コンピュータの能力が18か月ごとに2倍になるという「ムーアの法則」がありますから、私たちの予測は加速しつつあるといえるでしょう。この法則は機械式コンピュータ[編集部注:電子部品ではなく、歯車やレバー等の部品で作られたコンピュータ]にはじまり、現在までおよそ100年の間有効であり続けています。このことを踏まえて、過去に行った予測のほとんどは修正する必要があります。
しかし、ある意味では未来を予測することは可能です。たとえば、第一の技術革命は産業革命でした。私たち物理学者が開発した蒸気機関によって、汽車を実現しました。第二の革命は、電気と磁気の革命です。物理学者は電気と磁気の法則を解明し、発電機、電球、ラジオ、テレビの実現につながりました。第三の革命は量子革命です。これはトランジスタやレーザーの発明につながっています。いま、私たちは第四の革命に向かっていますが、それは分子レベルの物理学によるテクノロジーです。AI(人工知能)、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーを実現しつつあります。
ここで私が予測するのは第五の技術革命です。今世紀半ばまでに起こる第五の波は、原子レベルの物理学における新たなテクノロジーでしょう。まずは核融合発電です。太陽をビンの中に入れるようなものです。イメージできるでしょうか? さらに、私たちはトランジスタでなく原子で計算するようになる。量子コンピュータと呼ばれる技術で、最大で通常のコンピュータの1兆倍のパフォーマンスを発揮するはずです。
そしてブレインネットの登場です。私たちは「心」をインターネットにつなげられるようになるでしょう。頭の中でイメージしたり考えたりするだけで、チャンネルを変えたり、メールをしたり、友人と話したりできるようになるでしょう。物理学の法則を考察し、それが将来私たちをどこに連れていくのか見極めることで、こうした未来予測が可能になります。
――パンデミックによってあなたの思考は影響されなかったのですか?
影響されませんでしたが、パンデミックについて、ひとつ興味深いストーリーがあります。1666年頃パンデミックがイギリスを襲いました。腺ペストの大流行です。当時20代で、ケンブリッジ大学に通っていたある男性は、パンデミックのために大学が閉鎖されたので、故郷に帰りました。彼は自分の屋敷を歩いているときに、リンゴが木から落ちるのを目の当たりにし、万有引力の法則を発見しました。そう、このパンデミック禍で故郷に帰った男性こそ、かのアイザック・ニュートンだったのです。ある意味では、ニュートンはパンデミックが起こったから、その最も偉大な発見をしたとも言えるのです。
――同じようなことがあなたにも起こるかもしれませんね。
そう願うばかりですね(笑)。
(了)
著者プロフィール
ミチオ・カク Michio Kaku
ニューヨーク市立大学理論物理学教授。ハーヴァード大学卒業後、カリフォルニア大学バークリー校で博士号取得。「ひもの場の理論」の創始者の一人。『アインシュタインを超える』(講談社)、『パラレルワールド』『サイエンス・インポッシブル』『2100年の科学ライフ』『フューチャー・オブ・マインド』『人類、宇宙に住む』(以上、NHK出版)などの著書がベストセラーとなり、『パラレルワールド(Parallel Worlds)』はサミュエル・ジョンソン賞候補作。本書『神の方程式(The God Equation)』は『ニューヨーク・タイムズ』紙ベストセラーとなり、Amazonで2,000件超の評価がつくなど、読者の圧倒的な支持を得ている。BBCやディスカバリー・チャンネルなど数々のテレビ科学番組に出演するほか、全米ラジオ科学番組の司会者も務める。最新の科学を一般読者や視聴者にわかりやすく情熱的に伝える著者の力量は高く評価されている。[著者サイト]www.mkaku.org
訳者プロフィール
斉藤隆央(さいとう・たかお)
翻訳家。1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。訳書にミチオ・カク『パラレルワールド』『サイエンス・インポッシブル』『2100年の科学ライフ』『フューチャー・オブ・マインド』『人類、宇宙に住む』、フィリップ・プレイト『宇宙から恐怖がやってくる!』(以上、NHK出版)、ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』、ポール・J・スタインハート『「第二の不可能」を追え!』(以上、みすず書房)、ホヴァート・シリング『時空のさざなみ』(化学同人)、ジム・アル=カリーリ『エイリアン』(紀伊國屋書店)、キース・クーパー『彼らはどこにいるのか』(河出書房新社)ほか多数。
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