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アジアのラテンアメリカ文学――#7ジェシカ・ハゲドーン『ドッグイーターズ』(2)

現代のフィリピン系アメリカ文学を代表する存在ジェシカ・ハゲドーン。彼女の代表作は1950年代のフィリピンを舞台として繰り広げられる血なまぐさい政治サスペンス――と、読むこともできる挑戦的な小説。その読みどころについて早稲田大学教授の都甲幸治さんが解説します。
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フィリピンを舞台にした政治サスペンス

 彼女の代表作が、1990年に刊行された "Dogeaters(犬を食う人々)" だ。フィリピン人の蔑称であるこの語をあえて題名として使っているところに、ハゲドーンの挑戦的な意図が感じられる。主に1950年代のフィリピンを舞台としたこの作品で、彼女はアメリカン・ブック・アワードを受賞し、さらに全米図書賞の候補にもなった。ニュース記事、ゴシップ、コラム、手紙、ドラマ、メロドラマの会話などが次々と本文に織り込まれる。そしてフィリピンの権力の中枢にいる将軍やその家族、上院議員、あるいは女優たちや彼らに憧れる貧しい人々など、あまりにも多彩な多くの人々が登場する。250ページほどの作品なのに、こうした非常に凝った構成に読者ははじめ面食らうだろう。なにしろしばらくのあいだは、中心的な筋すらなかなか追えないのだから。だが、そのうちアジアとラテンアメリカとアメリカ合衆国が混ざり合ったフィリピン独特の雰囲気が、奇妙なほど心地よくなってくる。

 中心となるのは秘密警察による上院議員暗殺とその後の顚末だ。ドミンゴ・アビラ上院議員は、政府の権力の中枢にいる将軍たちと長いこと家族ぐるみの付き合いをしてきた。その意味では彼は、フィリピンの支配階層を構成する一人である。彼らは政治権力を握るだけでなく、手広く産業を支配し、そこに多くの親族を巻き込んでいた。だが徐々にアビラ上院議員は政府批判の立場を強め、左派勢力とも緊密に関わり合うようになっていった。これが大統領や将軍たちには面白くない。なぜなら当時のフィリピンはゲリラ勢力との内戦状態にあったからだ。しかし外国のメディアの目がある以上、政権は安易に上院議員を逮捕したり殺したりすることもできない。そうすれば、この国の民主主義が見せかけであることを世界に向かって発信することになってしまうからだ。


"Dogeaters(犬を食う人々)" kindle版の表紙。ピュリッツァー賞、エドガー賞最優秀新人賞など六冠に輝いた傑作スパイ小説『シンパサイザー』の著者ヴィエト・タン・ウェンは本書に「独創的で、生々しく、野性的。小説そのものの力にあふれていて、読まずにはいられない」と賛辞を寄せている(写真:都甲幸治)

暗殺計画に巻き込まれる人々

 やがて政権はアビラ上院議員の暗殺を決意する。彼が送迎の車から降り、たった一人でホテルのロビーに入っていくところを狙って、銃を持った複数の男が議員に銃弾を浴びせかける。早朝で、予想どおりホテルのフロントに従業員は誰もいなかった。議員の死を確認したあと、男たちは短時間でその場を離れる。こうして暗殺は成功したように見えた。だが、二つの問題がまだ残っている。まずは無関係な誰かを犯人に仕立て上げ、左派勢力によるテロだとでっち上げる必要があった。そしてもう一つは目撃者の抹殺である。実はこの場には誰も予期していない男が偶然通りかかっていたのだ。

 秘密警察が上院議員暗殺の犯人役として選んだのはロミオ・ロサレスだった。映画俳優になることを夢見てマニラに出てきたロミオだが、すべてのオーディションに落ち続ける。それでも彼は夢を諦めきれない。なぜなら、友人がすでに俳優として銀幕で活躍しているからだ。ロミオは、レストランでフロア係として安い賃金で働いている。映画館で受付をしている年上の女性と付き合っているが、特に彼女を愛しているわけではない。あれこれと彼の世話を焼き、おごってくれる彼女と一緒にいれば、何かと金のかかる都会暮らしでは助かるからだ。しかし、いよいよ彼女との別れを決意し、彼女の職場まで伝えにいったところで、彼は秘密警察に撃たれ、負傷したまま軍事施設に拉致される。

どこへも行けない目撃者

 目撃者の方はどうか。彼の名前はジョーイ・サンズで、フィリピンに駐留していたアメリカ軍の黒人兵士と売春婦だった母のあいだに生まれた。母はすぐに入水自殺してしまい、残された彼はスラム街に住む「伯父」と呼ばれる男に50ペソという、極端な安価で売られる。麻薬中毒者の伯父は彼に、盗みや暴力など、ここで生き延びるための様々な技術を教える。やがて大人になったジョーイは、クラブでDJをやりながら男性相手に売春をしていた。今回彼を買ったのは、ドイツからやってきた有名な映画監督のレイナーだ。ジョーイを気に入った彼は一週間連れまわし、彼に恋心すら打ち明ける。だが、嫌気がさしたジョーイは隙をついてレイナーの鞄を盗み、ホテルを出ようとする。ちょうどそのときホテルのロビーで、彼はアビラ上院議員の暗殺を目撃してしまったのだ。

 このままここにいては秘密警察に殺されると直感したジョーイは、慌てて逃げ出す。しかし、どこへ行っていいかわからない。マニラをさまよったあと、伯父の家に戻る。だが彼は、おとなしくここに居ろ、と伯父に言われ、そのまま閉じ込められてしまう。外には凶暴な犬がつながれている。伯父が政府に関係した人物と接触するために外出した隙を突いて、ジョーイは家から出ることに成功する。きっと伯父はもう、政府に自分を売り渡したに違いない、と考えたジョーイは、働いていたクラブまでようやくたどり着き、仲間の手を借りてマニラを脱出する。目隠しをされ、延々と車を乗り継いでたどり着いたのは、山の中にあるゲリラのアジトだった。そこで彼は上院議員の娘であるデイジーと出会う。フィリピンの美人コンテストで優勝したほどの美貌を持つ彼女は、そのあと反政府ゲリラの一員となって戦い続けていた。

 作品の舞台はハゲドーンが直接知っている1950年代だと先に述べたが、実際には1965年から1986年まで独裁政権を率いてフィリピンを支配していたマルコス大統領の時代を彷彿とさせる内容となっている。政権崩壊の直後である1988年に、この本の取材のためハゲドーン自身がフィリピンに戻っていることからも、この想定はあながち間違いではないだろう。アビラ上院議員の暗殺のエピソードから、1983年に起きたマニラ空港でのベニグノ・アキノ元上院議員の暗殺を思い出す人も多いのではないか。

垂直に混ざり合う文化と生活

 確かに、ワイロやコネが横行し、大統領を中心とした少数の人々が暴力を背景に富や権力を独占する、というフィリピンの状況が、この作品ではふんだんに描かれている。けれども本書の魅力はそれだけではない。膨大な数の民族が暮らすフィリピンの固有文化と、1565年から19世紀末まで続いたスペイン支配の影響下にある文化、そして約半世紀にわたってこの国を支配したアメリカ合衆国の文化と、それらすべてが、生活のさまざまな場面で見事に混ざり合っているさまが登場する。しかもすべては対等ではなく、政治的な上下関係を持っているのだ。

 たとえば食べ物だ。本書には、動物の血を使った黒いスープや、中国文化の影響を受けた麺類、あるいはじっくり焼いた仔豚の丸焼きなど、フィリピン料理がふんだんに登場する。だが、そうしたものは必ずしも価値の高いものだとは考えられていない。大金持ちになった後も、出身の村の食事が恋しくて、わざわざ召し使いたちとキッチンで地元の料理を食べる老婆が出てくる。そして若い女性は、輸入された高価なものだという理由で、キャンベルの缶詰の豆を珍重する。

 「私たちフィリピン人は集団で劣等感に苛まれている」という言葉が出てくるが、それは食べ物にとどまらない。娘たちは自分の鼻がどれだけ尖っているか、どれだけ肌の色が白いか、そしてどれだけ髪の色が薄いかを競い合う。つまりは白人にどれだけ近いか、ということだ。だからこそ、先祖にスペイン人の血が入っている者が最も美しいということになる。

 見た目だけではない。本当はみんなタガログ語で語られるラジオのメロドラマが大好きなのに、それはこそこそ楽しむものとされている。この国では、カトリックの宗教をつかさどるスペイン語や、ジャーナリズムから文学、政治まで覆い尽くす英語の方がはるかに価値が高いのだ。だからこそ、金持ちはスペインやアメリカに移住していく。けれども、移住先では当然、有色人であるフィリピン人としか見なされない。


“Life With Ben――A Story of Friendship and Feathers” kindle版の表紙。本書は2010年に刊行されたハゲドーンの回想録。ベンとは、彼女の苦難に満ちた大学生時代をともにすごしたオウムの名前(写真:都甲幸治)

それはあり得たかもしれない日本なのか?

 ハゲドーンのこうした記述を読んでいて、僕はどうしても日本のことを考えてしまった。彼女の作品の中のフィリピンは極端な形で書かれている。だが、西洋に対する集団的な劣等感を今も抱き続けているのは、日本も同じことだ。あるいは、フィリピン文学がそこまで日本で人気がないのは、自分たちの姿をあまりにも正確に映す鏡だからかもしれない。

 政治までがショーになっているのも印象的だ。一般の人々は足繁く映画に通い、アメリカやフィリピンのスターたちに憧れる。そして女優たちは政府の有力者に見初められ妻となる。上院議員の娘までが美人コンテストに出て、国民的な有名人となる。そうしたイベントには大統領夫人が顔を出し、いかに政府が国民のことを考えているかを訴えかける。一方で秘密警察の網の目は常に人々を監視している。

 ハゲドーンの書いた本作は、政治ミステリーとしてだけでも存分に面白い。だがそれだけではない。植民地的な状況に置かれたアジアの国が現在、どのような問題を抱えているのかという現実をも読者に突きつけてくる。日本でも、こうしたフィリピンを扱った文学の紹介が進むことを強く願う。


ジェシカ・ハゲドーン。2008年、ニューヨーク市のマンハッタンで開催されたトライベッカ映画祭にてⓒDavid Shankbone, CC BY 4.0, Wikimedia Commons.

(第7回了)

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』、『大人のための文学「再」入門』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、トニ・モリスン『暗闇に戯れて――白さと文学的想像力』(岩波書店)ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

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