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チャーリー・チャンは死んだ――#7ジェシカ・ハゲドーン『ドッグイーターズ』(1)

早稲田大学教授で翻訳家・アメリカ文学研究者の都甲幸治さんによる連載の第7回では、ジェシカ・ハゲドーンを取り上げ、本日と明日の2日連続で更新します。本日更新の前半では、フィリピン系のルーツを持ち、ミュージシャン・パフォーマー・作家など幅広い分野で活躍する彼女が編集したアンソロジーの歴史的な位置づけについて都甲さんが解説します。
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エンターテインメントとしてのマイノリティ文学

 劉慈欣の『三体』(ハヤカワ文庫)が世界的なブームとなり、ついにはNetflixでドラマ化までされた。そして、こうした中国SFを翻訳して英語圏で流行らせた立役者であるケン・リュウは、2011年に発表した短編「紙の動物園」でヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞の三冠を獲得し、SF作家として日本でも広く読まれている。あるいはジュンパ・ラヒリはどうか。2000年にデビュー作『停電の夜に』(新潮文庫)でピッリッツァー賞を獲って以来、彼女の書くものは次々ベストセラーになった。2012年のイタリア移住を機に、創作のための言語をイタリア語に変えても彼女の作品は日本で読者を広げ続けている。今ではラヒリの作品を読むことは、文学好きにとって当たり前の行為だろう。そして最近ではミン・ジン・リーの『パチンコ』(文春文庫)も話題になった。韓国、日本、アメリカを股にかけた家族の物語は全米図書賞の候補にもなり、多くの読者を得た。さらにApple TV+でドラマ化されたのは記憶に新しい。

 いや、ちょっと待ってくださいよ、とあなたは思うかもしれない。いったい何の話ですか。ケン・リュウは中国系で、ジュンパ・ラヒリはインド系だ。そしてミン・ジン・リーは韓国系である。全然関係ないでしょう。いやはや、この三者が現在、そんなふうに読まれていると考えると、実に感慨深い。たとえばこれが30年前だったらどうだろう。彼らの作品はアジア系アメリカ文学として一括りにされ、研究者と、よっぽどの読書好きが読むだけの存在だったかもしれない。そして作品の面白さそのものよりも(そう、彼らの作品は実に面白いのだ)、そこで扱われている彼らの歴史的苦難や、そうしたものが描かれる意義に注目して、大学で盛んに論じられていたことだろう。

 けれども今ではどうか。一つ一つの作品が直接、一般の読者に愛され、大きな文学賞も与えられて、しかも続々と映像化されている。言い換えれば、エンターテインメント作品としてきちんと多くの人々に届いているのだ。すなわち、マイノリティの作品がそのままメジャーな存在となっているのが今だと言えるだろう。そしてこうした大転換は自然に実現したものではない。

「アイー!」――見えない書き手たちの連帯

 半世紀ほど前、アメリカ文学は主に、アメリカ合衆国で生まれた、白人男性の作家によって書かれるものだった。ハーマン・メルヴィルも、マーク・トウェインも、アーネスト・ヘミングウェイも、みんな白人の男性である。そしてそこに、フィリップ・ロスなどのユダヤ系作家と、ラルフ・エリソンなどの黒人作家を加え、さらにイーディス・ウォートンなどの女性作家も少し加えれば、ざっとアメリカ文学の広がりを見渡せた、ということになった。いわゆる「旧き良き」アメリカ文学の世界である。

 お気づきのように、こうした文学観からは膨大な書き手が漏れている。多くの女性作家が言及されていないし、ユダヤ系と黒人以外のマイノリティも事実上、無視されてしまっている。あるいは、アメリカ合衆国生まれではない移民の作家についてもそうだ。したがって、たとえばアジアから移民してきた女性作家にはなかなか目が向けられない時代が続いた。やがて1960年代の公民権運動に歩調を合わせて、アジア系の権利獲得運動が興隆すると、アジア系作家たちは連帯することで自分たちの存在感を増そうとし始める。

 例えば1974年にはアンソロジー " Aiiieeeee! ――An Anthology of Asian American Writers" が刊行された。題名の「アイー!」という言葉は、アメリカの映画や漫画などで、戯画化されたアジア系の人たちが発する苦しみの叫びのことである。この本では中国系と日系の作家を中心に、フィリピン系の作家の作品が加えられている。具体的には、カルロス・ブロサン(フィリピン系)、編者でもあるフランク・チン(中国系)、ジョン・オカダやヒサエ・ヤマモト(日系)といった人々の作品が集められている。この本が歴史的黒人大学であり、トニ・モリスンの出身校でもあるハワード大学の出版局から出ているというのも意義深い。要するに70年代には、学問的な意義を強調しながらでないと、こうした企画は成立しなかったのだ。さらに1991年には、中国系と日系の作品に絞った上で "The Big Aiiieeeee!" という名前で増補版が出版されている。


“The Big Aiiieeeee!――An Anthology of Chinese-American and Japanese-American Literature” ペーパーバック版の表紙。アジア系アメリカ人の歴史家ロナルド・タカキは「本書のなかで私たちの物語が語られ、語り継がれることで、私たちは記憶の共同体をつくりあげる」と述べている(写真:都甲幸治)

マイノリティのままメジャーになること

 アジア系アメリカ文学にとってもう一冊重要なアンソロジーをあげるとすれば、1993年に刊行された "Charlie Chan is Dead――An Anthology of Contemporary Asian American Fiction (チャーリー・チャンは死んだ)" だろう。ミュージシャン、パフォーマー、作家など幅広い活躍で知られるフィリピン系のジェシカ・ハゲドーンによって編集されたこの本には、エイミー・タン、マキシン・ホン・キングストン、ジョイ・コガワなど、現代の古典として今も広く読まれている作家の作品が収録されている。ちなみにチャーリー・チャンとは、ミステリー映画の登場人物として1925年に生み出された中国系の人物だ。ホノルル警察の刑事で、必ず白人俳優によって演じられたらしい。

 2004年に出た改訂版 "Charlie Chan is Dead 2" のイントロダクションでハゲドーンは言う。1949年にマニラで生まれ、極端に西洋化された文学教育を受けた自分は、タガログ語で書かれた文学作品についてほんの少ししか知らなかった。そして1963年にサンフランシスコに移民してきたとき、アジア系アメリカ人がこの国でどのように苦闘し、どんな作品をつづってきたのかも全くわからなかった。なので、「私はこのアンソロジーを利己的な理由で作りました。読みたくても決して入手できなかった本を自分の手で編集したのです」。この改訂版には、ジュンパ・ラヒリやアキール・シャルマ(インド系)、チャンネ・リー(韓国系)、リン・ディン(ベトナム系)など、現在も第一線で活躍する作家たちが非常に幅広く集められている。こうした名前を見ていると、おそらく2000年前後にマイノリティ文学のメジャー化という転換が起こったのではないかと推定できる。

 日本ではフィリピン文学もフィリピン系アメリカ文学もあまり読まれていない。だがアメリカ合衆国では事情が違う。アメリカは20世紀初頭にフィリピンを植民地化し、太平洋戦争時の日本による軍事支配を挟んで1946年まで領有していた。その歴史的経緯からフィリピン系の移民が数多くいる。したがって、アジア系アメリカ文学の中でもフィリピン系の存在感は強い。現代において、そうしたフィリピン系文学を代表する存在と言っていいのが今回取り上げるハゲドーンである。


“Charlie Chan is Dead 2――An Anthology of Contemporary Asian American Fiction” ペーパーバック版の表紙。ハゲドーンは同書のイントロダクションでこうも言っている。「バルガス・リョサが言うように、私たちが読み、私たちが書くのは、抵抗と反抗の行為としてである。しかしまた、私たちが読み、私たちが書くのは、記憶し、夢を見るためでもあるのだ」(写真:都甲幸治)

明日に続きます。お楽しみに!

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』、『大人のための文学「再」入門』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、トニ・モリスン『暗闇に戯れて――白さと文学的想像力』(岩波書店)ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

関連書籍

 都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。

NHK文化センター青山教室:1年で学ぶ教養 文庫で味わうアメリカ文学 | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー (nhk-cul.co.jp)

NHK文化センター青山教室:1年で学ぶ教養 英語で読みたい!アメリカ文学 | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー (nhk-cul.co.jp)

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