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日本人のお尻は甘やかされている――「マイナーノートで」#27〔トイレ事情〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


トイレ事情

 コロナ禍での封印を解いて、4年ぶりに海外へ出た。出るたびにぎょっとするのはホテルに入って、最初にトイレを使うときだ。まず便座の高さが違う。腰を下ろしかけて、どこに着地すればよいかわからないまま、お尻が宙に浮く。お尻がついたらついたで、今度は足が浮く。今回の旅行は南欧だったので、わたしのような小柄な女でも、便座に座って足が地についた。ドイツや北欧のような巨人族のいるところだと、腰を下ろすのはできても、今度は足がぶらぶらと宙に浮く。それに何より抵抗があるのは、誰が腰を下ろしたかわからない便座に、べったりと尻をつけることだ。日本人が酒盃を交わし合ったり、酒の回し飲みをするのを見た外国人が日本人の衛生観念を疑うのを耳にしたが、それなら尻をつける洋式便座はどうなるっと言いたい思いだ。

 次にくるのはヒヤッと感。どんな高級ホテルでもこれにはまいる。日本ではこんなことはなかったのに、とあの暖房付き便座が恋しくなる。

 その後にあれれ、と思うのが温水シャワーのないこと。大きい方をしてから紙で拭き取るのは久し振りだった。そういえば、昔はこうだったっけ、と。ギリシャの田舎では、トイレットペーパーを便器に流さないで、と指示があって、便座の隣に蓋付きのポットが置いてあったが、そこに排泄物で汚れた紙を入れるにしのびない。ごめん、と言いながら最小限の使用量を便器に投げ入れる。流れてくれよ、と祈りながら。

 日本に帰って空港のトイレに心底感激した。日本では公共トイレでさえ、大部分に温水シャワー付きの暖房便座が設置してある。わたしたち日本人は、ずいぶんお尻を甘やかされているのだと、改めて感じる。

 帰国したその日。PARCO出版から毎年出ている御教訓カレンダー「三日坊主めくり」のその日の標語が「尻ぬくい」だったので、爆笑した。まったく、こんなにお尻に対して親切な国はない。わたしもすっかりそれにスポイルされてしまったので、いちいち驚くことになった。温水シャワー付き暖房便座は日本が世界に誇る発明品だと思う。海外の一流ホテルもこれを採用してくれたらよいのにと思うが、まだ便座のグローバリゼーションは起きていないようだ。それにトイレットペーパーと紙ナプキンの使い捨ては大問題。インド14億の民が手で尻拭いをするのをやめてトイレットペーパーを使いはじめたら、世界の森林のどれだけがなくなるかという試算を見たことがあるが、こちらも温風便座で解決する。え、今度は電気エネルギーの浪費だって? 再生可能エネルギーを使えばよい。

 「流れて行く。もちろん、流れて行く。」「どこへ?」。誰もがあたりまえにやっているのに、誰も問おうとしない問いがあると書いたのは、イタリアのヴェネチアで暮らしたことのある矢島翠さんだ。加藤周一さんの妻だった矢島さんは、加藤さんに伴って世界各地で生活した。加藤さんがヴェネチア大学の招待教授だったときに彼の地で暮らした。毎回便器で水を流すたびに、この辛辣な眼を持つ才女は、「流れる、流れていく、どこへ?」と気になった。この問いはあたかもタブーのようにヴェネチア人のあいだでは触れられない。潮位が上がると水面が地表すれすれになり、何年か前の水害の折には、観光地の中心、サンマルコ広場が冠水した。温暖化のせいで海面が上昇しつつあり、このイタリアの至宝の都市も、いつか水没すると言われている。そこに訪れる毎年何百万という観光客が排泄物を流す。どこへ? 地表すれすれの運河や海水の中しかない。あの優雅なゴンドラも、汚水の中を漂っているのかと思うと……。

 ギリシャの田舎町には日本式の便器があった。2本の足でまたいでしゃがむタイプだ。アメリカ人の観光客がのぞきこんで、オー、ノー、と叫んで開けたドアを閉める。あとには長蛇の列が続いている。ためらっている場合じゃないだろう。どこに行ってもその地で排泄できなければ旅などできない。これは古代ギリシャ式といって日本にも同じものがあるよ、と言って、さっさと使わせてもらった。

 中国の田舎に行ったときには驚いた。トイレは?と尋ねて通されたところには台座に穴が幾つか開けられているだけで、あいだに仕切りがなかった。そこで中国の女性たちが尻をめくって腰を下ろしていた。欧米から来た外国人たちがキャッと叫んで腰を退いた。だからといって尿意がなくなるわけではない。覚悟を決めて並んで腰を下ろした。このくらいのことができなければ外国の旅などできない。

 感動したのは古代ギリシャに水洗トイレがあったことだ。ギリシャの古代遺跡には紀元前から上水道と下水道を完備した都市がある。インフラを含めて都市計画ができているところに石造のがっしりした都市国家が成立した。紀元前何世紀もの昔、日本がまだ石器時代だったころのことである。一番かんたんな水洗トイレは、またいでしゃがんだ穴の下を水が流れていくものだ。そういえば、アウシュビッツの収容所のトイレも、同じく板を2枚わたしたすきまに水を流したものだった。これだって水洗トイレには違いない。

 アウトドアが好きだったわたしは、いろんなところでトイレをした。好きも嫌いも言っていられない。男をうらやましいと思ったことはほとんどないが、立ち小便のできるホースがついていることだけはうらやましい。戦前日本の農家の女たちが、農作業のあいまに立ち小便をしたと知った。身体の解剖学的構造は変わらない、戦前の女にできた身体技法が、戦後の自分にできないわけはなかろうと、何度か失敗しながら試行錯誤したら、できるようになった。

 野外の排便排尿は気持ちいい。ただし犬や猫のように出しっぱなしというわけにいかないので、ちり紙が残る。自然の中では紙の白さが目につく。自然保護のためには、犬の散歩のときのように自分の排泄物を回収して歩くべきなのだろう。

 怖かったのはチベットで野糞をしたときのことだ。野犬がじっとこちらを見ている。いや、こんなところに野犬がいるわけがない、村はずれの飼い犬なのだろうが、痩せ方や精悍さが日本の犬の比ではない。犬と眼が合う。寄るなよ、来るなよ、と警戒しながら脱糞する気分はスリルを超えていた。出した糞は犬がただちに食べに来る。人間がヤクの糞を回収して用立てるのと変わらない。

 これまでで一番スリルのあるトイレは、東南アジアの沿岸地域でのことだ。水面の上の高床式住居に、2枚の板をわたしたトイレがある。そのスキマから糞便を落とすと、待ち構えたように魚が寄ってきてそれをつつく。そうやって人糞で魚を養っているのだ。もし落ちたら……と思うとぞっとした。その話を聞いた別の女性が、これまでで一番怖かった豚洗トイレの話をしてくれた。トイレに行きたいと言うと棒を1本手渡された。行った先は豚小屋だった。棒は何のためにあるかというと、脱糞した後にそれをめがけてとびかかってくる豚を追い払うためのものだった。「あんな怖い思いをしたことはなかった」と彼女は言った。これでは便意もひっこむというものだろう。

 ひとはトイレなしで生きていけない。これを文字通りインフラストラクチャー(下部構造)という。原発を「トイレなきマンション」とはよくも名付けたものだと思う。

(了)

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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