アイアイからインドリに?! 「病める時も健やかなる時も」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第2回はパートナーの看病を通して感じたことのお話です。
#02
病める時も健やかなる時も
この冬、夫が初めて熱を出した。つきあっているときを含めても風邪らしきものをひいているのを見たことがない。それどころか、8割くらいの人が発熱すると聞いていたワクチンを接種したあとに、看病しようと意気込んでポカリやら水枕やらを用意して臨んだのだが、むしろ、じんわり熱が下がっただけで終わった。唯一看病したことがあるのは、捻挫だ。私の家に来る前に遊んでいた場所で足首を捻挫して、ようやくたどりつきそのまま翌朝一歩も動けなくなったのである。まさかフットサルでもしてきたのかと思いきや、謎解きで部屋の中を歩き回っていただけらしい。
このように、体が丈夫というわけではないが、意外と体調を崩すには至らず低空飛行で長く飛び続けられるタイプの人間が存在していて、夫も私もそのタイプである。そして、体調を崩し慣れていない人間は、不調の解像度が著しく低い。
その夜、夫は、とても疲れていると主張していた。体力はないのでしょっちゅう疲れ果てていて、確かにいつも以上に忙しそうな週でもあったので、疑いはなかった。その上、「こういう、体力が底を突いたときに運動することで、体力上限を上げられる」とよく分からない持論を持ち出して数回スクワットをしてへたり込んではいたので、聞いているよりは元気そうに見えた。
触ってみるとなんだか熱い気もしたけれど、私がとてつもなく寒い屋外から帰ってきたばかりだったので、自分の手が冷えているのかと思い、特に気にせず、栄養ドリンクをあげて寝ることにした。
翌朝、目が覚めると、布団の端をぎゅっと握り、アイアイのような顔をした夫がいた。その顔を見た瞬間、「これは駄目だ、ただごとではない」と思った。童謡ではおなじみのアイアイだが、意外に実物の知名度が低いのでこの機会に是非、検索してほしい。家族がしていたら、焦る顔ランキングの上位に入るであろうことを、読んでくださる皆さまとも共有したい。
一目見ただけで慌てるような具合の悪そうな顔をしているのに、夫は依然として自覚に乏しく、何が起きているのかまるで分かっていない様子である。額を触ってみるとカイロのようにカッカと熱い。急いで熱を測ったところ、39℃を超えていた。
話を聞いていると悪寒と筋肉痛と喉の痛みがあるようで、インフルエンザと仮定して行動することにした。
曜日が悪かったせいで開いている病院が少なく、公共交通機関を使わずにたどりつけそうになかったので、昨夜念のために調べておいた往診サービスを予約する。
ピンポンとベルが鳴り、ドアを開けると、リングの上でしか見ることがないようなすさまじい筋肉を白衣に包んだ医師がいた。発熱の治療には全く関係がないのだけれど、私の中にマッチョと安心をつなげている脳の回路があったようで、その瞬間、猛烈な安心感に包み込まれた。もちろん、筋肉とは関係なく、手のひらサイズの検査キットであっさりとインフルエンザと診断され、指先に乗るような小さな薬をいくつも処方してもらった。
私は早くに実家を出ていることもあって、人の看病をした経験がほとんどない。看病経験の大半は飼っていた老ドブネズミたちの介護である。老ドブネズミの看病の基本は、食べられるものを与えることである。
「うどん食べる?」そう聞くと、ふるふると弱々しく首を振ったので、そんなに悪いかと哀れみながら、何か食べたいものはないか聞いたら、小さな声で「カツサンド」とつぶやいた。うどんに関心がないだけだった。すぐにUber Eatsを頼み、カツサンドを手渡すとペロリと平らげ、アイアイからインドリ(マダガスカル島に生息する霊長類)くらいまで落ち着いた顔になった。
全く生活空間を分けられない間取りの家で、普段は夫が書斎と私が寝室にざっくり分かれて生活していたのだが、病人はもちろん寝室に寝かされるべきである。問題は私が書斎で過ごせないということだ。
私は、とにかく尻が薄く、デニムを前後逆ではけるほどである。尻が小さいというと「いいじゃん」と言われるが、そういった好ましさはなく、痩せたハンプティ・ダンプティと言って伝わるだろうか、上半身にそのまま脚が生えているような体型をしているのだ。そのため、食事より長く椅子に座ると尻がきしみだすので座るのが大嫌いで、家では氷上のアザラシのように腹這いで生活している時間が最も長く、この連載ももちろん腹這いで執筆している。たとえ、愛してやまない病身の夫であっても寝室を譲り渡すことはできないのだ。
これはもう、感染は避け難いと半ば諦め、せめて、発症までの日数を稼ぎ、夫が回復してから寝込むことを目標に背中合わせの看病が始まった。
コロナ禍が始まったころ、滑り込むように取材でエジプトに行ったのだが、入国した途端、ナイル川クルーズ帰りの観光客の連続的な発症が日本で話題になり、さらには宿泊していたホテルが一度封鎖されたことがあった。このころはエジプトで新型コロナウイルスを発症すると、受け入れる病院が国境の近くにある砂漠の中みたいな場所にしかないと聞いて、せめて、トランジット先のドイツに着いてから発熱したいと願っていたが、おおよそそのときと同じような心持ちだった。
数日で夫はすっかり元気になり、それからしばらくたったわけだが、なんと結果として私は逃げきった。私も体が丈夫というわけではないが、意外と体調を崩すには至らず低空飛行で長く飛び続けられるタイプの人間であることが、改めて実証された。決して丈夫ではない。やたら膝関節が小さくて、よく膝が外れるし、低血糖になりやすいし、尿検査や血液検査にしばしば引っ掛かり再検査をしては何もないという結論に落ち着きがちだが、感染症にめっぽう強いのである。幼稚園での感染症の大流行を一人だけ逃げ延び、サークルの追いコンでの集団食中毒を回避し、バイト先の集団感染にも負けず、私を除く家族全員が風邪をひいておばあちゃんの家に預けられる実績多数という、生き残った男の子体質だ。ヴォルデモートが感染症の一種だったら勝てると思う。
あまりに健康なので、小学四年生で不登校になる瞬間まで皆勤賞だった。やはり風邪に対する解像度も低いので、学校に復帰した日、心配して話しかけてくれた子に「連続で風邪を引き続けてしまった」とバレバレの噓をついた。多分、めちゃくちゃな言い訳してきたって思われただろうなと思って、いまだに身もだえする。そんな私でも28年も生きれば、看病された経験は何度もあって、その度に母が「具合の悪そうな顔している」と言っていたのを思い出す。あのとき、私はどんな顔をしていたのだろう。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈