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日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔蛙と進化〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第19回です。第1回から読む方はこちらです。

 手帳に旅行の予定を書き込んだが、なんだか妙である。
「取鳥旅行」
 それくらい、馴染みのない土地だった。
 新幹線を姫路で降りて、特急で鳥取県内の某駅に着くと、知人が車で迎えに来ていた。梅雨時で空が重く、今にも降り出しそうだ。駅前を離れ川沿いを進むと、雲を被った山の合間に田んぼが広がり、ぽつぽつと数軒の家が並ぶ。知人の家の前で車を降りると、足下で何かが跳ねた。「モグラ叩き」がバグったみたいに、あちこちで蛙が何匹も飛んでいる。1匹捕まえて手のひらに載せると、しっとりと軽く、鮮やかな黄緑色と球体の指先が、作り物のようにきれいだ。だが顔を近付けると、躊躇いなくダイブし、地面に着地した途端、何事もなかったかのように逃げていった。なんという度胸と身体能力。人間だったら怖じ気づくか、死亡率100%の飛び降り自殺だ。散々蛙と遊び、庭で摘んだハーブの茶を淹れてもらい、また外に出掛けた。道路を隔てた向こうは田んぼだ。おそらく卵から孵(かえ)ったおたまじゃくしが蛙になって、こちらへやって来たのだろう。しかし、そこには車が通る。黒いアスファルトに落ちた白いモヤモヤは、大量の蛙の死体だ。雨に滲んで鳥の糞のようだが、よく見ると小さな手足の名残がある。その横を、懲りずに蛙がぴょんぴょん行き交っているのだ。同じ親から生まれたかもしれない兄弟がそこで轢殺されているのに、平気な顔でぴょんぴょんって、どういう神経だろう。どう考えてもここを渡るのは危険なのに、そうまでして知人の家に来る理由はあるのだろうか。もうちょっと効率のいい方法があるような気がしてならない。
 しかし蛙には蛙なりに生き抜くための進化があり、こうして大量の卵を産み、ぴょんぴょん跳ねて移動するようになったのだ。絶滅しないために。
 一歩先へ想像を巡らす楽しさを教えてくれたのは『こどもサピエンス史』という本だ。
「鳥取」すらまともに書けない私でも、長くて短い人類の歴史を知ることができる。
 木にのぼり、草原をよつんばいでうろうろしていた我々の祖先は、自然に生えている植物や、野生の動物を狩って暮らしていたが、1万年くらい前から、田んぼや畑を耕して、食べる物を自分たちで作るようになった。農耕民は食べ物を求めて移動する必要がなく、飢える可能性も少ない。反面、長時間に及ぶ農作業で腰をいためるようになり、収穫した食べ物の糖質で虫歯が増え、栄養が偏って病気にかかりやすくなった。働く時間も、増えてしまった。
 以前読んだ『残酷な進化論』には、〈進化とは変わることで、良くなることも悪くなる〉とある。長い歴史の中で、人間はこの道を進んだけれど、蛙のように、仲間をあっさりと捨てて、次の地へ旅立てるような種になることだってありえたのだ。あんなにぴょんぴょん飛ばなければ人間に見つかることもないし、おたまじゃくしのまま水中にいれば、車に轢かれることもない。絶滅していないのだから、蛙は進化に成功したと言えるが、決して完璧ではないのだ。
 人間だって進化しなければ、絶滅していただろうが、働いても働いても稼ぎは税金で持っていかれて、コロナのような災害で仕事がなくなれば、あっという間に生きていかれなくなるような社会が正解とは決して思えない。
 あっさり死んでしまう蛙を見た時に感じた「バカだなあ」という思いを、他の動物が人間に対して感じていることもあるのかもしれない。その想像は少し恥ずかしくもあり、まだまだ改善の余地あり、と前向きな気持ちにもさせてくれた。

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら

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