「日記の本番」2月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの2月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。
オーブンレンジということはオーブン機能もあるということなのに、日ごろ暮らしていてオーブンレンジのレンジ機能しか使っていない。バレンタインデーを前に久々にケーキでも焼いてみようかと思ったのはなかしましほさんのレシピを見たからで、バターではなく油でよいというところが魅力的だった。
義弟が夫の誕生日プレゼントとしてブレンダーを送ってくれたので、突如ブレンダーのある生活になってよろこんでなんでもかんでも撹拌していた2月だった。夫が体調を崩している間何度もバナナミルクを作ったし、祖母から貰ったじゃがいもをポタージュにしたりもした。ガトーショコラを焼こうと思ったのもそのブレンダーに泡だて器アタッチメントが付いていたからで、メレンゲも生クリームも楽勝で作れるならやってみていいかもしれないと思った。ブレンダーのことを漠然と「持つミキサー」と思っていたがそれは結構正しくて、深くて大きなコップのような容器に、とにかく回転するコンセント付きの部品を突っ込んでかき混ぜる機械だった。ただ、ミキサーのほうが馬力と言うか、なんでも粉々にしてやるぞ、という意志の強さはあったような気がして、ブレンダーはあくまで「なめらかにする」ための道具であることも使いながらわかってきた。
実家ではミキサーを使っていた。ずっしりと重いガラスの、持ち手付きのジョッキのようなものをセットすると、そのジョッキの底の部分にあるプロペラのような刃が回転する。実家のミキサーはえんどう豆のポタージュのような淡い緑色をしていて、ジョッキの蓋も同じ色をしていた。ミキサーで料理をするとき母はあぶないからと言って、その蓋を押さえてスイッチを押すところだけやらせてくれた。スイッチを押すだけなのに、ミキサーを使ったという気になった。うれしかった。本当に面倒なのはそのあとプロペラの刃を洗うところだったろう、とブレンダーを洗いながら思う。ミキサーは毎度ものすごい音がした。力強く回転を続けるものだから、回転部分からは摩擦で焦げたようなプラスチックのにおいがした。チーズケーキを作り、コーンスープを作り、バナナミルクを作ったミキサーはまだ現役だ。ミキサーは食材を大まかに切ってぶちこんでもものすごい音を立てながら必ず粉々にした。その粉々をしばらく眺めているとなめらかになった。なめらかの前には粉々が必要で、その粉々にするまでの作業を、ブレンダーの場合はこちらがやっておかなければならない。ブレンダーはあくまでなめらかにすることが仕事なのだ。
気落ちすることはたくさんあるけれど、そのたびわたしはブレンダーのスイッチを入れてなめらかにした。ブレンダーの振動がてのひらからわたしのからだに伝わって、わたしの面倒な思考もすべてなめらかになればいいのに。
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タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。東直子さんとの歌物語『水歌通信』が発売中。