おいしいミルクティーを求めて――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子
『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、秋の気配が深まってくると飲みたくなる、ミルクティーについてのお話です。
※当記事は連載の第19回です。最初から読む方はこちらです。
#19 シン・ミルクティー
ミルクティーが好きだ。もっと言うと、ロイヤルミルクティーが大好きだ。夏が完全に終わって、今年もなんの冒険もできなかったなあ、という切なさが喉の奥にこみ上げると、牛乳たっぷりの熱い紅茶で、気持ちを押し込む。ほのかな甘みとまろやかな熱が身体を駆け巡ると、高くなった青空や静謐な風の気配が、急に感じとれるようになる。毛布にくるまって飲むあたたかな飲み物はもちろん、松茸と白だしのみで炊く新米、落ち葉をカリッとブーツで踏みしめる心地よさ、旬の青魚の脂でへこんだ大根おろし、美術展の物販コーナーで謎のパワーが湧いてきての爆買い、文化祭めぐりでしか得られない高揚感とノスタルジー、皮まで食べられる葡萄があふれるタルト。去年の今頃の景色が駆け巡る。夏は夏でいいけれど、生きる醍醐味を感じられるのは、やはり涼しくなって気持ちが落ち着いてから、とティーカップの底が見える頃には、顔を上げるのが楽しみになっている。
数年前のタピオカミルクティーブームあたりから、ミルクティー専門店が話題になったり、コンビニでペットボトルの種類が増えたりと、あきらかにミルクティーはコーヒーの次の次くらいの定番飲料としての地位をかためつつある。喫茶店のメニューでその名を見ることも増えた。見たら、絶対に頼む。
圧倒的に牛乳量が多く、茶葉の味わいが濃ければ濃いほど、良い。
というのも、私は昔から、母の作るロイヤルミルクティーが好きで、そのやり方が絶対に正しいと思っていたので、長らく、牛乳だけでたくさんの茶葉を煮出すやり方をとってきたのだ。「牛乳だけで、茶葉、出るの?」と正統派の紅茶好きからよく怪訝な顔をされるが、無視していた。出なくても、出せばいい。小鍋に入れた牛乳がかなり茶色に染まるまで、膜が張るのも気にせず、ことことことこと気長かつヒステリックに煮て、あとは漉す(母はここにシナモンやクローブを入れるので、これはもうチャイと言った方が正しいのかもしれない)。ここに無糖の缶入りエバミルクをたっぷり入れると、専門店みたいな味になる。なんでそうするようになったかと言うと、某チェーンのロイヤルミルクティーが大好きなのだが、ある時「甘み抜きで」と注文したら、ものすごく凡庸な味になっていて、びっくりしたのだ。以来、入れたり抜いたりのオーダーを繰り返した結果、おそらくあのロイヤルミルクティーの甘みは「コンデンスミルク」なのではないか、という結論に達した。濃縮したミルクを入れれば、当たり前だが、紅茶と牛乳を適当に割っただけでも「ロイヤル」風になる。ただ、私はロイヤルミルクティーを頼む時は、もう是が非でもケーキかクッキーが欲しいので、甘みは邪魔である。もちろん、ダイエット目的ではなく、焼き菓子に存分に集中したいためである。
そんなわけで、牛乳で茶葉を煮出して無糖エバミルクというオリジナル黄金ルールが生まれた。コロナ前のオープンハウス(今月出るエッセイに詳細は書いているが、桐島洋子さんのエッセイで知った、準備いらずぶっつけ本番で出来るホームパーティーのようなもの)で、牛乳2リットルで鍋いっぱいに作って魔法瓶に入れて出したら、絶賛され、あっという間にはけた。
しかし、あれからそろそろ四年が経つ。大量の牛乳で大量の茶葉を煮出すミルクティーを振る舞う機会は、おそらく年内はないし、来年もないのではないか、という気がする。夫は圧倒的コーヒー派なので、自分のために鍋を出すのはもうおっくうで、私はとうとう、頑丈なマグカップに牛乳と、燃えるのが嫌なので紙の部分を引きちぎったティーバッグをぶち込んで、レンジで一分半チンするところまで、堕落する。
一方で、今年の夏、私はツイッターで見つけた「牛乳出しアイスカフェオレ」なるものにハマる。挽いたコーヒー豆をだしパックに入れ、冷たい牛乳に一晩つけるという、水出しコーヒーの牛乳版みたいなものである。贅沢な苦味とまろやかさが最高なのだが、ここで私は、牛乳にコーヒー粉が染み出すまで大変な時間を要することを発見する。牛乳オンリーで出すのは贅沢でいいのだが、やはり、これまでの方法だと、本当に茶葉が出ていたかは怪しいのである。正統派の紅茶好きたちの意見は正しかったのだ。
かくして、レンジに少量の水と紙の部分を引きちぎったティーバッグを入れてチンする。続いてたっぷり牛乳を注ぎ、またチンする、という方法に最近は落ち着いた。随分遠い場所にきたな、と思わなくもないが、邪道な作り方でも、熱いマグを傾けると、やはり、虫の音が心地よく聴こえてくるので、ミルクティーと言ってしまっても問題ないと思うのだ。
(FIN)
題字・イラスト:朝野ペコ
当サイトでの連載を含む、柚木麻子さんのエッセイが発売に!
はじめての子育て、自粛生活、政治不信にフェミニズム──コロナ前からコロナ禍の4年間、育児や食を通して感じた社会の理不尽さと分断、それを乗り越えて世の中を変えるための女性同士の連帯を書き綴った、柚木さん初の日記エッセイが10月19日に発売となります。
NHK出版デジタルマガジンにて、収載エッセイの一部が試し読みできます!
プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。最新短編集『ついでにジェントルメン』が発売中。