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“人間不在の都市計画”に反対し、都会の中のよきコミュニティを守ったひとりの「母親」ジェイン・ジェイコブズ――連載「アメリカ、その心の生まれるところ~変革の言葉たち」新元良一

 自由・平等・フロンティアを旗印に、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカ。様々な社会問題に揺れるこの国の根底には何があるのか? 建国から約230年。そこに培われた真のアメリカ精神を各分野の文化人の言葉の中に探ります。
 第7回は、行政が推し進める都市の大規模再開発による利便性より、住民の多様性や持続可能性を求めて立ち上がった地域住民の声を集結させ、大きな市民運動にまで広げ、コミュニティの重要性を現代に伝える伝説の市民リーダー、ジェイン・ジェイコブズです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

第7回「こうした関係は、何年、何十年と耐え抜いていける、耐え抜いていくものである」ジェイン・ジェイコブズ

 2018年の秋、筆者が暮らすニューヨークで、巨大IT企業アマゾン誘致のニュースが流れた。創業した西海岸のワシントン州シアトル市に続き、米国内で第二本社(Amazon HQ2)の建設に乗り出すというのだ。
 世界規模でビジネスを展開する企業が来るだけに、その前年に計画が出されるや、いくつもの地方自治体がわが街を候補地にと名乗りをあげ、動画でセールストークをする首長も現れた。結局首都ワシントン近郊のヴァージニア州アーリントン地区と、ニューヨーク市クイーンズ地区にあるロングアイランドシティ(同州で市外のロングアイランド島とは別地域)に決定とアマゾン側から発表され、この件も落ち着くかに見えた。
 ところが、前者はアマゾンの思惑通りにことが進んだが、ロングアイランドシティへの進出の方は事情が違った。地元住民から反対の声が上がり、この動きを支持する、近隣地区選出の下院議員アレクサンドリア・オカシオ⁼コルテスといった政治家も参加する市民運動へと発展し、ついにアマゾンもこの地での第二本社建設を断念することとなった。
 住民の反対により、新社屋建設が頓挫するに至った理由はいくつかある。
 そのひとつが、大規模な居住地域の再開発によって予想される、住居費を筆頭にした生活コストの急騰だ。場合によっては、集合住宅のオーナーが高収入の借り手を求めて、家賃をつり上げ、現在の住民が立ち退きせざるを得ないケースも想定される。
 2万5千人の雇用創出をはじめ、アマゾン側は地域経済が活性化すると自社の新社屋建設をアピールした。しかし誘致のために、巨額の公的資金が導入され、それが市の財政状況を逼迫させる懸念に加え、同社が社員の組合結成に難色を示すなどといったマイナス面がそんな経済効果を凌駕した。
 アメリカのマスメディアでも大きく取り上げられた事例だが、筆者が注目したのは当事者である地域住民が結集し、徐々に運動の勢いが増し、計画頓挫へと追い込んだプロセスだった。
 ニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、同年11月の最初の発表後に、自分たちの生活を守るために立ち上がり、明確に反対の意思表示をする住民は少数であったとされる。ところが翌月になると、ニューヨーク市議たちも巻き込み、反対グループは勢力を増し、抗議を記すプラカードを掲げ、アマゾンの社名を叫び、市議会の席に座る者もいたという。
 抗議運動への参加者のなかには、今回の誘致で恩恵を受ける可能性のある人もいただろう。
 アマゾンに限らず、この大企業の従業員目当てに周辺に新しい商業施設ができ、そこで就職口が見つかるかもしれない。これまでなかったようなレストランや商店がつくられ、わざわざマンハッタンに出る必要がなくなる。あるいは、何年も前から話が出てはすぐに立ち消えになっていた、クイーンズ地区とブルックリン地区を結ぶ路面電車の建設計画も、実現に向けてよりスピーディにことが進むことも想定できた。
 だが、こうした自身の収入や利便性のアップを度外視し、住民たちはノーという断固たる姿勢をとった。自分たちが暮らすコミュニティのためという大義名分が、大勢の人びとの心を突き動かした格好となった。
「わが町を守る」という考えは、人びとをまとめる力をもつのだろう。しかし、抗議に費やす時間や労力、精神面でのストレスなどの個人への負担を押しのけてでも、住民が決起し実行したものの実態とはなんだったのか。慣れ親しむ土地の何を彼らは堅守しようとしたのか、いまひとつはっきりしなかった。

コミュニティを守ろうとする力の源

 そんな風に考えをめぐらしていると、数年前に観た映画を思い出した。「ジェイン・ジェイコブズ―ニューヨーク都市計画革命―(Citizen Jane: Battle for the City)」(2016)は、1950年代から60年代にかけて、ニューヨークで市民運動を率いた活動家ジェイン・ジェイコブズ(1916~2006)の足跡を辿る作品である。
 マンハッタンのダウンタウンにあるグリニッチ・ヴィレッジは、瀟洒なブラウン・ストーンの家屋が連なり、今でこそ高級住宅街として知られるが、当時は、より庶民的な界隈だったのが映画からうかがえる。そんなグリニッチ・ヴィレッジに1950年代半ば、再開発の波が押し寄せる。
 作家のヘンリー・ジェイムズが小説の舞台として取り上げ、ヴィレッジ・ストンパーズによるヒット曲〈ワシントン広場の夜はふけて〉でその名が知られ、若き日のボブ・ディランもくつろいだ、長年地元民から愛される憩いの場。そんなワシントン広場を分断する工事が市政府から発表されると、周辺住民の間に激震が走った。
 広場の象徴である凱旋門前の5番街が延伸される同計画のチラシを受け取った、ペンシルヴァニア州出身で、1930年代にこの地に移り住んだジェイコブズもそのひとりだ。住宅建築の業界誌で編集の仕事をしていた彼女は、突然の、しかも生活環境を一変させる計画をなんとしても阻止しようと、当時ニューヨーク市長だったロバート・F・ワグナー宛に苦情の手紙を送った。

「(今回の計画は)この街を住みやすいところに、というわたしたちの最善の努力を踏みにじるものであり、市政府はこの計画を考え出すことで、住みづらいところにしようとしているのがわかる」(拙訳)

 英ガーディアン紙の記事によれば、ジェイコブズは管轄する市当局、メディアなどとの交渉役を引き受けると同時に、道路建設に反対する住民たちをまとめる役割も担った。彼女が率いる中止を求めた運動の参加者には、幼い子どもたちやその親から、この頃同地区に暮らしていた故フランクリン・ローズベルト元大統領の妻エレノアといった有名人の名前もあったという。
 やがて建設反対の運動は広がりを見せはじめたが、住民たちの前に強敵が立ちはだかった。選挙で勝ち抜いたわけでもない職員の立場ながら、ニューヨーク州政府、そして市政府において絶大な権力を手にする都市開発のエキスパートで、公園事業部のコミッショナーに君臨していたロバート・モーゼスが、同計画に関わっていたのである。

立ちはだかる大きな壁に向かって

 ノンフィクションの傑作と謳われる『The Power Broker』(ロバート・A・キャロ)に詳しいが、ニューヨーク州知事だったアル・スミスに登用されて以降、公園事業を皮切りに、モーゼスは公共事業での中心的存在であり続けた。ジョーンズ・ビーチやトライボロー橋など大規模な建設事業を行い、兼任した市や州の関連事業部のトップの役職数は12にも上り、歴代のニューヨーク市長や同州知事でさえ、あまりに多くの権限を与えられた彼の扱いに手を焼いたそのモーゼスが、今回の道路拡張計画でも陣頭指揮をとっていた。
 建設工事を進めるためには、当該地域の住民たちとの話し合いは必要不可欠で、法律でもそう定められていた。しかし行政側がそんな意思を示さないため、ジェイコブズは奔走し、州裁判所の判事から許可を勝ち取り、なんとか公開協議を開く段取りとなった。
 といっても、滞りなくことが運んだわけではない。異論を唱える人間を封じ込めるために、手段を選ばないことで知られるモーゼスは、協議の日程をその直前まで明かさず、反対住民の数を極力増やさない策略をめぐらした。
 地域開発事業において百戦錬磨のモーゼスを向こうに回し、ジェイコブズは反対する住民を多く動員し、自ら率先して、協議が行われる市議会に乗り込んだ。しばらくすると、市当局の思惑には5番街の延伸だけでなく、同地域での高速道路建設の計画もあったことが発覚し、市と住民の間の溝はさらに深まっていった。
 世帯数が2200に達する住居ビル416棟に加え、800軒以上の商業施設、大規模な建物の解体を当初より目論んだ「ローワー・マンハッタン高速道路(The Lower Manhattan Expressway)」計画が明るみに出て、住民たちの市政への不信感は募った。抗議活動への参加者の規模は拡大し、人種や年齢、職業などの違いを超え、幅広い層の人たちが高速道路建設の中止を訴えた。
 抗議活動は長期化し、その間に市長選が行われ、ワグナーとジョン・V・リンゼイの両氏が立候補し争い、後者が新市長となった。選挙前は高速道路建設に反対していたリンゼイだったが、当選後一転し、推進側に回ったものの、ジェイコブズたち反対派の声を鎮めることはできなかった。
 そして1969年、次回の市長選で再選を目指すリンゼイ氏率いる市政側は、ついに同事業計画を断念する。それを受けてモーゼスという、ニューヨーク州、市行政における絶対的な権力者も、一致団結した市民を前に屈することとなった。

市民リーダーを育んだ大都市のコミュニティ

 高速道路建設プロジェクト中止に導いた要因のなかでも、特筆すべきは、住民たちを結集させたジェイコブズのリーダーとしての手腕だ。
 住民との協議に消極的な市政側に対し、州裁判所の判事からその許可を取り付けたと書いたが、市庁舎内部の人間と接触し、先方が公表しない事情に絡む情報入手にも彼女は勤しんだ。こうした情報をメディアに流し、自分たちの運動の認知度を高めるために使った戦略を、ジェイコブズは打ち出した。
 これ以外のメディア展開として、リベラル系の地元紙ヴィレッジ・ヴォイスへの投稿や、プラカードを掲げて市議会に押し寄せることや、集会や演説で参加者がシュプレヒコールをする活動の様子を新聞に取り上げてもらうなど、露出度を高める戦略も彼女が主導した。高速道路が完成すれば、空気汚染の悪化が想定されることから、参加者たちがガスマスクを装着するといった映画で紹介されるパフォーマンスを披露するのも、メディア戦略の一環と捉えられる。
 しかしこの草の根運動を成功に導いた最大の理由は、ジェイコブズ自身のスタンスの取り方にあった、と筆者は考える。ガーディアン紙の記事でモーゼスは、自らが主導する再開発事業への市民からの強い拒絶反応に、次のような不満を表明している。

「反対する人間など誰もいない。誰も、誰も、誰も……あの連中、あの母親たちを除いては」(拙訳)

 ニューヨークでの公共事業を取りしきってきたモーゼスの忸怩たる思いがにじむ発言だが、“母親たち”の代表者がふたりの息子をもつジェイコブズであるのは間違いないだろう。ひとりの母親、ひとりの住民の目線で状況に対峙した彼女は、日常を脅かす行政の圧力に泣き寝入りも諦めもせず、運動のリーダーとなって立ち向かい、計画中止にまでこぎつけた。
 その功績に、地元でヒーロー扱いされることもあったジェイコブズだが、だからといって、政治の世界へ転身することはなかった。その後住み慣れたニューヨークを離れ、家族とともにカナダのトロントへと移り住む一方で、ジャーナリストとして執筆活動は続けた。彼女の著作のなかで、最も知られる『アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)』(1961)もまた、“ひとりの住民”の視座を反映する一冊だ。
 地域の治安を確保するため、周辺住民が監視の目を光らせることができる歩道の重要性を説くなど、大都市におけるコミュニティの機能を、当事者の立場から綴った文章は説得力をもつが、瞠目に値すると思われるのは次の部分だ。

「こうした関係は、何年、何十年と耐え抜いていける、耐え抜いていくものである」(拙訳)

 近所のよしみで、いつも利用する店の主人に自宅の鍵を預ける習慣について言及する文章だが、それは信頼関係に基づくものとジェイコブズは記す。この信頼は昨日今日作られたものではなく、日々顔を合わせ、言葉を交わしながら生まれて育まれるものであり、だからこそ “何年、何十年”と持続性を帯びる。
 一方、高速道路建設を目論んだ市政、近年なら第二本社の新設を進めようとしたアマゾンは、住民にとっては馴染みがなく、相互に信頼をとりかわすプロセスを経ていない。にもかかわらず、協議という手続きを軽視し、事業を強行しようとすれば、住民たちからの反発は目に見えている。
 だがノーという主張に正当性があっても、ジェイコブズが政治家や官僚のような立場であったなら、ここまでの数の追随者が出て、運動の規模が大きくなったとは想像しにくい。住民たちは、長年この地区で暮らす人間からの呼びかけだったからこそ、自分たちのコミュニティを守ろうという意思が強化され、抗議への参加を決めた、とは考えられないだろうか。
 それは当事者同士の相互理解による結束と定義でき、この関係が抗議運動のバックボーンであったと見て取れる。
 モーゼスたちが推進する土地再開発事業は、住宅からの退去や建物の解体だけにとどまらず、隣人とのふれあいや信頼関係、自分のアイデンティティを形成する営みや文化といった無形のものの一掃をも意味した。一度消されては取り返しのつかない、かけがえのないものを失う危機感の共有が、住民たちの横のつながりを生んだと言える。
 “外部の力”は圧倒的で、ときには目標達成に手段を選ばないから、個人では到底太刀打ちできない。けれども、個人が連帯すれば巨大な声となり、そんな強者の外部の力でさえ敵わぬ存在となり得る。そう示したジェイコブズのレガシーは、現代の市民運動の精神に脈々と引き継がれている。

(了)

写真=The Granger Collection/amanaimages

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プロフィール
新元良一(にいもとりょういち)

1959年神戸生まれ。作家。元京都造形芸術大学教授。1984年から22年間ニューヨークに在住した後、2006年京都へ移転。2014年、NHKラジオ「英語で読む村上春樹」の番組ホストを1年間担当。2016年に活動拠点を再びニューヨークへ移す。著作に『あの空を探して』(文藝春秋)、『One author, One book』(本の雑誌社)など。現在、「ワイアード日本版」「TOKION」にて連載コラムを執筆中。

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