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日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話――新井見枝香「日比谷で本を売っている。〔おでん屋台と綿入れはんてん〕」

※当記事はエッセイ連載の第13回です。第1回から読む方はこちらです。

 近所の小学校の校庭を囲むフェンスに、生徒が夏休みの宿題で作った俳句が掲示されている。どうも冬休みには作らなかったようで、枯れ葉が散って3学期が始まっても、そのままだ。特に冷え込む今日この頃、前を通る度に、夏が恋しくなって仕方がない。
 私が小学生の頃は、優秀な作品だけが貼られたものだが、生徒数の違いか、平等に拘(こだわ)る時代のせいか、おそらく全校生徒の作品をランダムに並べていると思われた。

《暑き日は水をたくさん飲むといい 五年生》
 誰に言っているんだ。
《むしむしでアイスクリームむしゃぐいす 六年生》
 アイスクリームは、もっと味わって食べなさい。
《夏休みコロナじしゅくにつまんない 五年生》
 そうだろうな……、としか言えない。

 どれもイマイチではあるのだが、添削できないところに、私の才能のなさが表れている。
 以前テレビ番組で、作った俳句を俳人の夏井いつき先生が添削する企画があり、「POP名人のカリスマ書店員」という謳い文句で招かれたことがあった。今思えば命知らずな出演だったが、当時は夏井先生があれほど歯に衣着せぬ方とは知らず、こてんぱんにやられて泣いた。句集をそこそこ読んでいるだけに、かなり自信はあったのだが、どうやら私が作ったのは俳句ではなく、ただの標語であるらしい。それこそ小学生の宿題と五十歩百歩である。

 川上弘美さんの『わたしの好きな季語』は、季語をお題にエッセーを綴り、一句引用して締めくくるという、俳句エッセー集だ。なんと96篇もあるのだが、季語はそもそも特定の季節を表す言葉だから、四季のある日本に暮らす我々なら、何かしらイメージが湧くわけで、確かにどれを選んでも、ひとつかふたつ、頭に思い浮かぶ記憶がある。
 たとえば冬の季語である「おでん」。
 塾の帰り、いつか大人になったら……と指を咥(くわ)えて通り過ぎていたおでんの屋台を、いざ大人になったら、全く見かけなくなった。都の条例が厳しくなったと聞くが、出張や旅先で探し回っても、悉(ことごと)く見つからない。コロナ対策としては、換気の面で安全のように思える。だが、見知らぬ者同士が肩を寄せ合い、和気藹々とおでんをつつくのが味なのであり、アクリルのパーティションで区切られたり、ソーシャルディスタンスで脇がスースーしては興醒めだ。
 ところで川上さんが引いた句も、家のおでんではなく、ガード下のおでん屋だった。しかしこれからの世代が詠むのは、コンビニのレジ脇か、レトルトパックのおでんかもしれない。それとも、おしゃれなおでん屋で、シャンパン片手にトマトやアボカドをつまむのか。同じ季語を使っても、時代背景が見えてくるのが、俳句の奥深さである。
 余談だが、川上さんが選んだ「冬羽織り」という季語で、すっかり忘れていた記憶が甦った。私の父は、遅く出来た娘の欲しがる物をなんでも買い与えたが、布団屋で売っている綿入れはんてんだけは、勘弁してくれと泣いた。なんでも、私がそれを羽織って、どこか遠くへ連れ去られる悪夢を見たと言う。どんだけ娘が好きなんだ!
 図らずも、父親に愛されていた記憶を思い出し、心が温まったところで一句作ろうかと思ったが、「はんてん」は季語ではないらしい。絶対そうだろうと思ったら違う、ということがあるので、俳句作りに歳時記は欠かせない。そして、川上さんのように言葉が好きな人にとっては、掘っても掘っても枯れない「宝箱」でもあるのだ。

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら

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