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与野党の協力は“呉越同舟”か、ただの“水と油”か――『総理になった男』中山七里/第10回

「もしあなたが、突然総理になったら……」
 そんなシミュレーションをもとにわかりやすく、面白く、そして熱く政治を描いた中山七里さんの人気小説『総理にされた男』待望の続編!
 ある日、現職の総理大臣の替え玉にさせられた、政治に無頓着な売れない舞台役者・加納慎策は、政界の常識にとらわれず純粋な思いと言動で国内外の難局を切り抜けてきた。集中豪雨によって被害が拡大している大規模な河川の氾濫。慎策は、その問題の根本にあるダムの縦割り管轄に伴う伝達系統の煩雑さを是正すべく、関係閣僚を招集した本会議を開こうとするが――
 *第1回から読む方はこちらです。


 被災地の救助活動が続く一方、総理官邸大会議室には非常災害対策本部の面々が再招集されていた。そのメンバーは以下の通りだ。

防災特命担当大臣 相米浩太郎こうたろう
内閣官房長官   大隈泰治
警察庁長官    香山健吉
総務大臣     加賀見亮介かがみりょうすけ
消防庁長官    楯岡林司たておかばやしつかさ
厚労大臣     槙田幸作まきたこうさく
農水大臣     葛野博人くずのひろと
文科大臣     海道文香かいどうふみか
国交大臣     山添いたる
財務大臣     村雲要一よういち
防衛大臣     本多真樹夫
経産大臣     工藤久光くどうひさみつ 
法務大臣     平田緑郎
環境大臣     遠野礼香とうのれいか
 その他、国土地理院と気象庁とエネ庁から一人ずつ。そして総理大臣、ならびに風間歴彦参与がこれに加わる。
 司会進行を務める相米がまず口火を切る。
「今回の広島豪雨災害で亡くなられた方に対して黙禱もくとうをお願いします」
 普段は強面や偏屈で通っている面々も死者にはあらがえない。その場の全員が立ち上がり、一分間黙禱する。皆神妙な表情だが、中でも広島を選挙区とする葛野と海道は悲愴な面持ちで唇を固く締めている。
「ありがとうございました。それでは本部会議に入らせていただきます」
 相米は一同を見渡した後、ちらとこちらに視線を投げる。本部会議の中心に行政の刷新を据えることは事前に相米と大隈にも伝えてある。彼らの役割は慎策と風間が練り上げた政策を、対策本部の面々に周知徹底させることだった。
 段取りに従って、大隈が声を上げる。
「今回、豪雨災害は広島県内各地に及んだ。失われた人命と流失した家屋や財産を思うと胸が潰れそうになる。総理も同じ気持ちであるのは、被災地の視察に赴いた際のニュースで皆も承知しているだろう」
 早速、ニュースダネになった慎策の言動を利用しようとするのが大隈の老獪なところだ。真垣総理をはじめとして政府が災害対策に傾注している姿勢をアピールするよう、暗にプレッシャーをかけている。先刻の黙禱といい、被災地復興をにしき御旗みはたに掲げれば誰も反対しづらいのを見越しているのだ。
「被災者への手厚い補償と被災地の復興は待ったなしの優先課題ではある。しかし真垣内閣が行うべき政策は、第二第三の豪雨災害を最小限に食い止めることにある。お手元のモニターを見ていただきたい」
 各人の目の前にはタブレット端末が用意されており、今モニターに映し出されたのは安佐地区を含んだ山間部の航空写真だった。
「写真を拡大すれば安佐北区だけではなく、河川という河川が氾濫したのが分かる。要は川岸に集落があるかないかの違いで被害の差が出た。留意しなければならないのは、こうした地形、こうした集落は日本中どこにでも存在するという事実だ」
 大隈の声は濁っているが不思議に通る。生来の演説上手も手伝って、つい聞き入ってしまう。
「今回の場合、各河川の上流に設けられたダムの放流が遅れたのも、被害を拡大させた一因との声がある。事実、いくつかのダムは遅れるどころか決壊までしている。二つの台風が広島に接近していたのは気象庁の予測で事前に知れていたことだ」
 我が意を得たりとばかり、気象庁の担当者が深く頷いてみせる。
「それなのに、ダムはどれ一つとして即時に反応できなかった。特に農業用ダムは一番対応が遅れた」
「大隈官房長官、それはいかにも語弊のある言い方じゃありませんか」
 農水大臣の葛野が反論の狼煙のろしを上げた。
「そもそも農業用ダムは農業用水の確保と調整のために建設されたものです。治水目的のダムならいざ知らず、農協の承諾を得ないまま台風が接近する度に放流する訳にもいきませんでしょう」
 農水族でもある葛野が、農協や農家の利益を護ろうとするのは至極自然なことだ。だが、この場では発言も浮き気味になる。それを知ってか、葛野は大隈の矛先を別の方向に向けようと試みた。
「航空写真を見る限り、当該地区で最も規模が大きいのは発電用ダムです。対応の遅れを云々仰るのであれば、まず影響が多大な発電用ダムの対応を協議するべきじゃありませんか」
 ちょっと待ったと途中で遮ったのは、経産大臣の工藤だ。発電用ダムは民間の電力会社が管理、運営しているので、経産省の管轄となる。当然、各電力会社は経産省の天下り先であり、経産族の工藤も黙ってはいられないはずだった。
「葛野大臣、まさかウチに豪雨被害の責任をなすりつけるつもりですか。確かに発電用ダムは規模が大きいが下流の集落は数えるほどで、実際に被害は家屋流失四棟、死傷者二名と軽微に済んでいる」
 死傷者が二人も出ていながら何が軽微だと慎策は憤る。だが慎策が窘める前に、大隈が二人の間に割って入った。
「この際、省益や面子は頭から取っ払ってもらいたい。先に述べたように、この会議の目的は第二第三の豪雨災害を最小限に食い止めることにある。いちいち省庁や族議員の顔色を窺っているようなヒマはない」
 大隈はぎろりと二人を睨みつける。元々が悪相であるため、葛野と工藤は蛇に睨まれたかえるよろしく黙り込む。
 これが風間の言う恫喝だった。閣僚を目力だけで黙らせるなど誰にもできる芸当ではない。省益や族議員の面子を弾き飛ばすには大隈並みの威圧が効果的なのだ。
「図らずも今のやり取りで露呈してしまったが、ダムの放流が遅れたのは縦割り行政が一因となっているからに相違ない。治水用ダムは国交省、農業用ダムは農水省、発電用ダムは経産省と、見事に管轄がバラバラだ。これでは緊急時に即時対応できる訳がない。そこで提案したいのは災害時または事前にそれが予測できる場合、全てのダムの管轄を一つにまとめてしまうという策だ。決定機関が単独なら勧告や命令は迅速に届くし、事態の推移に従って柔軟な対応も取れる」
 大隈の弁は自信に満ちており、実現の可能性を期待させる。さすがに一つの派閥を束ねるだけあると慎策は舌を巻く。聞き手に回った閣僚の中にも納得顔をした者が何人かいる。
 大隈の威を借りて、閣僚たちに有無を言わせず慎策たちが立案した政策を押し進める。予算が絡まない限り、政策は閣議決定で事足りる――と、ここまでは計算通りだった。
 ところが慎策にも風間にも想定外だったのは、閣僚の中で大隈に反旗を翻す者が存在したことだ。
「省庁や族議員の顔色を窺う必要はないという意見、そして緊急時には縦割り行政を一時停止させるという案、総論ではわたしも賛成だ」
 声を上げたのは国交大臣の山添だった。
「しかし省庁の利益や族議員の面子以前の問題がある。よろしいか、大隈官房長官」
「好きに発言すればいい。そのための会議だ」
「今回の豪雨災害、避難勧告の発令遅れやダムの対応遅れが指摘されていますが、最も被害の大きかった地区にはまた別の問題が放置されていました。本来であればとっくに治水機能を発揮していたはずの第一安佐ダムが未完成だったことです」
 しまった、と風間が聞き取れるか聞き取れないかの声で呻く。
「山添さんは生粋の国交族だった」
「とっくに完成していなければならない第一安佐ダムが何故今に至っても未完成だったのか。ここにいる者なら誰でも知っている。民生党政権の三年間、『コンクリートから人へ』の合言葉に踊り、事業仕分けと称して計画中だったり工事中だったりしたダムをことごとく中止に追い込んだ。ならば今回の豪雨災害は民生党による人災と言えないか」
 大隈の顔が不敵に歪む。
 風間は小声で慎策に説明してくれた。
「民生党政権時代、数々の公共工事を白紙に戻された国交族議員は相当苦い思いをしている。権益を得られなかったけしからん官僚はともかく、既に工事に着手していた関係者は多大な損害を被り、こぞって族議員を非難した。当然のごとく政治献金も激減し泣く泣く秘書をクビにした議員も少なくなかったらしい。国交族にとって、民生党の脱ダム政策は恨み骨髄なんだ」
 それで山添の好戦的な態度も腑に落ちた。
「大隈官房長官、あなたはその当時、民生党の政調会長を務めておられた。当然、ダム建設の是非について政策立案に大きな影響力を発揮できる立場にいた訳ですが、次々にダム建設を中止に追い込んだ民生党の意向は、政調会長だったあなたが脱ダムを容認していたからに他ならない。そのあなたが今になってダムの運用について弁ずるのはお門違いではないのか。それともたった数年で政治信条を百八十度転換させるような不見識だったのか」
 まずい、と慎策は思った。
 そもそも野党第一党の重鎮が官房長官になっているだけでも腹立たしいのに、前政権下で煮え湯を飲まされた関係となれば二重の意味で天敵ではないか。
「民生党はずっと公共工事を悪者扱いにしてきた。確かに過大な需要予測や巨額の事業費は批判されて然るべきものだが、国土の保全には必要不可欠な事業だ。それを国民党の私利私欲の象徴として碌な代替案もないのに中止させた民生党は国賊も同然だ。事実、あなたたちの軽挙妄動のために今回のような被害が発生した。この責任をどう取るつもりだ」
 溜めていた鬱憤うっぷんを一気に吐き出すつもりなのか、山添の責めはますます先鋭化していく。
 一方的に指弾されて黙っているような大隈ではない。これから大舌戦、もしくは摑み合いの喧嘩でも始まろうかという時、大隈は片方の口角を上げてみせた。悪相はたちまち凶悪なものへと変貌する。
「なあ、山添国交大臣。あんたはさっきから民生党が全国のダム建設を中止に追い込んだようなものの言い方をしているが、それはあまり正確ではない」
「何ですと」
「民生党が脱ダム方針の下で検証対象としたダム建設は八十三事業に及ぶ。しかしだ、事業主体が検証を行い、有識者会議が事業主体の検証結果を追認すると、実際に中止に追い込まれたのはたった十五事業、検証対象となったダムの総事業費約五兆円に対し、中止分は約四千五百億円にしかならなかった。つまり事業主体が継続方針としたダムは、ほとんど全てが工事継続となったのさ。脱ダムを政策の柱に据えた民生党には赤っ恥以外の何物でもなかった。およそ実務に携わったことのない者が起こした机上の空論の見本さね。それは遺憾ながら認めよう」
 思わぬ敵方の賛同に山添は当惑気味の顔でいる。反駁すると身構えていた相手が全肯定したのだ。毒気を抜かれるのも無理もない。
「正論であるのは認めるが、この場は正論を振りかざす場所ではない。これから一体でも死体を減らしていこうという話し合いの場で死体蹴りをして楽しいか」
 いや、死体蹴りをしているのはむしろ大隈の方ではないのか。
「あんたはわしにも責任を取らせたいようだが、正直あんな腰砕け連中と一緒にされるのは迷惑千万だな」
「当時、あなたは政調会長という要職にあって」
「要職か。あんたもくちばしが黄色いだけの理想主義者たちの醜態を目の前で見せられてみろ。そんな連中は知らんと言いたくなるぞ」
 本当にまずい。慎策が目配せすると、風間も失敗を顔で白状していた。大隈は確かに老獪な政治家だが、一方では頑固で偏屈者でもある。そういう人間に過去の失策を問うたところでへそを曲げられるのがオチだ。
 そして慎策の不安は的中した。
「いつまでも過去の確執を根に持った者と将来の話はしづらい。わしは退席させてもらうとしよう」
 そう言い捨てるなり大隈はきびすを返し、さっさと大会議室から出ようとする。すかさず慎策は彼の前に立ちはだかる。
「官房長官、短気を起こさないでください」
「短気ではない。こういうのは即断即決と言う」
「判断が早すぎはしませんか」
「政治信条の違いは別にして、一番手に負えんのは議論もできない馬鹿だ。相手の責任ばかり言い立てて、建設的な意見は鉄筋一本さえ建てようとせん。総理もそういう馬鹿どもの醜態を見せられたら他人の顔をしたくなるぞ」
 怒っているのではなく呆れ顔でいるのが気懸きがかりだった。
「ここは官房長官がいてくれなければ困ります」
「議事が紛糾したら余計に困るだろう。話の筋道は通しておいた。後は総理と参与が馬鹿たちを説得すればいい」
「しかし」
「リーダーシップはこういう時に発揮するもんだ」
 慎策の慰留も空しく、大隈は部屋から出ていってしまった。後には梯子はしごを外されたかたちの慎策と風間が残された。
「さて、緊急時の管轄ということなら激甚災害の対応で矢面に立つ国交省が相応しいと思うのですが」
「いや、十の電力会社を説得できるのはウチだけですよ。規模が大きい発電用ダムを管轄できるのは経産省だけでしょう」
「経産大臣、それを言い出したら全国百七十五万人もの農業従事者を納得させられるのはウチだけですよ」
 大隈がいてもいなくても議事は紛糾した。
 会議は踊る、されど進まず。
 閣僚たちが口角泡を飛ばす中、慎策は頭を抱えた。

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プロフィール
中山七里
(なかやま・しちり)
1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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