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傷つけたが、傷つけられもした――「マイナーノートで」#32〔とりかえしのつかないものたち〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


とりかえしのつかないものたち

 若手の写真家(もう若くないかもしれないが)、藤岡亜弥さんから、東京で写真展をするからギャラリートークに出てほしいと頼まれたとき、彼女の作品を見ながらとっさに思いついたタイトルが「とりかえしのつかないものたち」だった。そのタイトルを提案したら、藤岡さんはちょっとびっくりして、それから深く頷いた。そして、どうしてそれがわかったの、という顔をした。

 藤岡さんは広島在住の写真家。出身地広島をテーマにした『川はゆく』で林忠彦賞と木村伊兵衛写真賞を受賞した。被爆地というシンボルを背負った広島という生まれた土地に帰るまでには、さまざまな葛藤があったに違いない。若い頃、自分の居場所を得られず、東欧を中心にヨーロッパを放浪した。『アヤ子、形而上学的研究』と題された写真展で発表したのは、その旅先で出会った誰彼の極私的な記憶だった。彼らは東洋から来た無名の若い女を私生活に招き入れ、無防備な姿をさらし、家族のようにもてなし、あるいは頓着せずにただそこにいることを許し、時間と空間を共にした。どの社会にいても彼らもまた傷つけたり、傷つけられたりの不如意な人間関係のなかにあって、何者でもない、とおりすがりのヨソモノの女がそのなかに入り込んで、ヒリヒリする剝き出しの自我をさらしているような写真だった。

 海外を旅する時。思いがけない饗応や期待していなかったやさしさに出会うとき、「日本に来ることがあったら必ず連絡してね、このお返しはきっとするから」……と言いながらそんな時が決して来ないことを互いに承知している別れもある。たとえ再会したとしても、かつての時間は取り戻せない。それがよくよくわかっていても、わたしたちは気休めに口にする、「また、会おうね」と。さよならを意味する Au revoir も Auf Wiedersehen もツァイチェンも、再会を約することばだ。

 出会いを写真という記憶装置に残そうと思った時、彼女はその時間が二度と来ないことを痛切に感じていたに違いない。そう思えば写真とは残酷な記憶装置だ。そこに印画されたのは過去の時間、その時間は止まったままで、もはやふたたびめぐらず、それから隔てられている実感を、いやでも見る者に強いるからだ。そういえば写真集『川はゆく』も78 年前の広島と現在の広島とのとりかえしのつかない時間の経過を、否応なしに感じさせる作品だった。

 とりわけ死者の写真はむごい。死者の時間は止まったままだ。彼らはそれ以上、歳をとらない。それが死んだ子どもの写真なら、年老いてゆく親の時間はしだいに遠ざかっていくし、それが年長の死者の写真なら、やがて自分の年齢が死者に追い付き追い越して、死者の知らない時間へと踏み込んでいく。

 時間は止まらない。過ぎたものは取り戻せない。失ったものは失った後になって痛切にその価値がわかる。断捨離といい、身軽に生きるというが、年齢を重ねるとは、記憶の層が積み重なって厚くなることだ。そしてそのなかにあることは、喜ばしいことやうれしいことばかりではない。

 高齢者向けの雑誌や書籍が増えて、70代、80代の男女が「今がいちばんいい」と言う。「今の自分がいちばん好き」とも言う。噓つけ、と思ってしまう。自分をねじふせる自己肯定の言葉だ。記憶のなかには、失ったもの、悔いや恥をよみがえらせるもの、そしてとりかえしのつかないものたちが溢れている。

 あの時にはああするしかなかった、といっても、人生は必然の連鎖でできているわけではない。自分の愚かさや未熟さにほぞを嚙んでも、やりなおしはできない。偶然に流され、短慮に任せ、衝動に溺れて、言ってはならないことを言ったり、やってはならないことをやったりしてきた。傷つけたが、傷つけられもした。授業料はたくさん支払った。

 今年で後期高齢者になった。同世代の訃報を聞くようになった。知己を失うと、その人と共有した記憶ごと、ごっそり自分の一部があの世へ持って行かれるような気がする。そうやって自分が削り取られていく。わたしがその時、その場にいたという証言者を失って、自分の記憶の輪郭があいまいになっていく。

 こんなわたしにも、自伝を書けというオファーが来るようになった。それも1社や2社ではない。そういう年齢になったのだろうか。ひとが自分史を書く「適齢期」とはいつだろう。だが、まだ人生を振り返る年齢だとは思わない。それに自分史のほとんどが自己正当化の弁明のように聞こえる。だがあのひとこのひとの自伝を読むと、わたしにも釈明したいことや、言い残しておきたいことはあるという気がする。もちろん言いたくないことも、墓場まで持って行くしかない記憶もある。

 今はまだその準備がない、そう思って、すべてお断りしているが、ではいつになったらその準備はできるのか? その準備も何もないうちに、ある日中断されてしまうのが人生なのか。

 わけあってサルトルとボーヴォワールの晩年について調べているが、四方田犬彦さんがサルトルについて辛辣な発言をしていた。

「自分は死後に忘れ去られるであろうという強迫観念から、彼は自由になることができなかった。一九八〇年、ほとんど無名のイデオローグの青年に押しまくられた形で、みずからの思想を過度に単純化した談話を雑誌に連載。焦燥感に駆られた感のあるその内容には、盟友ボーヴォアールをはじめ、生涯の論敵であったレイモン・アロンまでが心配になって疑義を発した。知力も気力もひどく衰退したところを「弟子」を自称する青年に付け込まれ、いいなりに操作されている老哲学者の言辞に、耐えがたいものを見てとったためである。サルトルは談話を発表してひと月後、肺水腫のために七十四歳で死を迎えた。彼は最後まで、自分の死後の名声を気にしてばかりいた。」

[四方田2023:135−6]

 サルトルの死後、ボーヴォワールは6年間生きて、死んだ。
 死後についてボーヴォワールは『老い』のなかでこう言う。

「忘れられるか、理解されないか、けなされるか、賛嘆されるか、そのいずれにせよ、自分の死後の運命が決定されるときは何人もそこに居合わせないのだ。この、知らないということだけが確かなのであり、私の考えでは、それゆえ、どんな仮定を立てることも所詮つまらぬことであると思われる。」

[Beauvoir1970=1972下162 ]

 潔いひとである。

【引用文献】
Beauvoir, de Simone, 1970, La Vieillesse, Éditions Gallimard.=1972朝吹三吉訳『老い』上下、人文書院
四方田犬彦2023「零落の賦」連載1回「天上人間」『文學界』2023.10

(了)

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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