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愛のエビエピ、好きの滝……「好きになるために生まれてきた」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第3回は篠原さんの「運命の好きなもの」のお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#3 好きになるために生まれてきた

 生き物を好きになったのは、いつのことであるか、よく聞かれる。インタビューのたぐいでは間違いなく聞かれる鉄板質問である。
 残念ながら、私は答えを知らないので、いつも「物心ついた時にはすでに好きでした」と答えている。恐らく1歳半くらいの、やっと二足で地を踏みしめ、両手で物を持てるようになったばかりの私がうれしそうにひよこを持っている写真が残されているので、確かに物心が付いた時にはすでに好きだったのだと思う。
 私は、感情が表出ひょうしゅつしにくい子どもだったらしい。両親はいろいろな所に遊びに連れて行ってくれたが、楽しんでいないのかなと思うことが多かったという。例えば、遊園地で乗り物に乗せても、終始真顔で乗っているので、「響かなかったかあ」と思うと、繰り返し乗りたがり驚かされるといったように、きっと本人はうれしかったり、楽しかったりするのに外からはそう見えないのである。残っている写真も真顔のものが圧倒的に多い。そんな中、生き物と一緒に写っている写真の私は満足げで楽しそうに見える。
 私が自分の最初の記憶だと認識しているのは2歳2か月ごろ、預け先のおばあちゃんの家で弟が生まれたと聞いた時のことなので、先述の写真の時にはまだ物心は付いていない。2歳の時ですら、「弟が生まれたと聞いた時」「生まれた弟に会いに病院に行った時」「赤ちゃんの弟を触ろうとする従兄弟いとこに敵意を燃やして、ムキになって腕を引っ張った結果、弟が脱臼した時」の3つの記憶しか残っておらず、まともに記憶があるのは3歳以降になる。
 なので、生き物を好きになったのが、「いつのことか」を聞かれるのはなんとかなるけれど、「きっかけ」を聞かれると困る。
 例えば、大好物を好きになったきっかけを何人の人が答えられるだろうか。
 私は、離乳食を卒業してから、28歳も終わりにさしかかった今日まで、一貫して一番好きな食べ物が「エビ」である。一点の曇りなき心でエビがこの世で一番おいしいと思っている。私の実家はドリアンをはじめ熱帯果実を育てる果樹園をやっているが、それでもエビが一番である。ドリアンもそれなりには好きである。
 エビが好きと日々触れ回って生きているので、エビを通して周りの人の優しさを実感した思い出(エビエピ)がたくさんある。昔から両親は、外食でエビが出れば、自分の分を減らしても私にエビをくれる。友人は旅行に行ったお土産によくエビのお菓子をくれるし、マネージャーさんはロケ弁にエビのラインナップがあると何より先に伝えてくれる。長期間の海外ロケで心が折れそうになってくる後半戦の夕食に出された山盛りのエビは今でも忘れない。夫は、シェフの気まぐれで料理が供されるタイプのレストランで本来アレルギーや嫌いな食材を申告するためであろう質問に対して「この人はエビが好きなので、エビがあったら出してあげてください」と申告してくれる。かなり恥ずかしいが、その気持ちがうれしい。いろんな人から受け取ってきたエビには愛が乗っている。
 将来、もし、我が子が私と同じくらいエビ好きになったら、私はきっとこんなにも好きなエビを初めて誰かに譲るのだと思う。想像するにそれはきっとものすごい愛だ。
 このように好きを深めたきっかけは数あれど、理由あって好きになったのではなく、エビを好きになりやすく生まれたのだと思う。
 同じように私は生き物を好きになりやすい人間として生まれたのだと思う。自我を持ってから好きになった、宝塚歌劇団やアイシールド21は、どこが好きかを事細かに語り紡ぐことができるけれど、生き物のどこが好きかを語る時、うそではないけれど完全に後付けの理由になってしまうので、なんとなく居心地の悪さを感じる。体の中に一本、好きという大きな滝が流れている感じがずっとある。ただ、口頭でそのように説明するのは、恥ずかしいので言ったことがない。
 家庭の教育方針にきっかけを求めるのもやっぱり据わりが悪い。この年まで興味を維持し続けられたのは、もちろん環境のおかげでもあると思う。
 時折、「昆虫が好きなせいで浮いていた子ども時代」と「変わったものでも全て肯定してくれたおおらかな両親」というところまで分かりやすいストーリーを用意してくれている人に出会うが、それは見当違いである。
 特に私が女性として生まれていることや小学校から女子校育ちであることで、女性なのに虫が好きな変わり者はきっと女の子たちの中で苦労したに違いないと思うのは、偏見の中に生き過ぎていると思う。
 この偏見こそが肩身の狭い人をつくり出すのではないかといつもヤキモキするので、私の心の中の清少納言はこういった偏見を「にくきもの」に書き連ねている。
 性別がなんだろうと昆虫が好きなことは変わっていることではないし、それで浮くほど周りの子どもも愚かじゃないし、それとは全く別のところで確かに私はめちゃくちゃ浮いてる子どもだった。
 両親の育て方はかなり、好みだった。私がまだ何に興味を持つのか、この世界の誰も知らないころから、いろいろな所に連れて行ってくれ、好きになるために生まれてきたと言えるような運命のものと出会う機会を早めに与えてくれたのは両親だ。そして、生き物が好きだと分かってからは、たくさん動物園や水族館や海や山、生き物が多い島や国にも連れて行ってくれた。だから、子ども時代は本当に楽しかった。そして、さらに良かったと思うのが、両親は「何かを好きである」ということを否定だけでなく、過剰な肯定もしなかったことである。「将来は研究者だね」とか「獣医だね」とか、私の好きな気持ちを分かりやすい実利に繋げたりせず、好きなものがあるのは良いことだという圧もなく、ただ、私が楽しそうだから、好きそうな所に連れて行くというシンプルな関わり方をしてくれた。好きなものでも、褒め言葉でも、義務になった途端、全てを手放したくなる私にはぴったりであった。
 そんな訳で聞かれる質問に対するまともな答えはほとんど持っていないわけだが、生き物のことを「知りたい」と思ったきっかけは覚えている。
 子どものころ、おばあちゃんの家の庭石でアリの行列にフライドポテトを振る舞った時のことだ。このころはまだ、私の中で他の生き物の世界と自分の世界の境界線がおとぎ話のように曖昧に混じり合っていた。ままごとのようにドクダミの葉っぱをちぎって皿にして、フライドポテトを盛り付けアリに提供すると、アリは見事に皿に盛り付けられたフライドポテトだけを避けた。後に知ったのはこの葉っぱには虫除けの効果があったということである。この時、私とアリの内面にはどこか決定的に違う部分があると雷に打たれるような衝撃を受けた。私は、アリと、あるいは犬と、もしくはオランウータンと、その他多くのさまざまな動物と、私自身がいかに等しく、いかに異なるのか知りたい、これが生き物のことを知りたいと思ったきっかけである。
 ちなみに、ジャンクフードだとか食品添加物だとか特定の食品をけなすために「ゴキブリも食べない」といううわさを流す人がいるが、実際に飼っていたゴキブリにあげてみると実にもりもりなんでも食べた。なんでもよく食べるというゴキブリの美点を、何かをおとしめようとする自分の主張を通すために使わないでほしい。

1歳半、野毛山動物園で(篠原さん提供)

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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

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