見出し画像

終わりを意識しても生きる意味は見出せる――「不安を味方にして生きる」清水研 #08 [「死」に対する不安をどう考えるか④]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#08 「死」に対する不安をどう考えるか④

生きる意味を見失ったとき

 死を考え、いずれ自分が消滅するということを意識すると、別の悩みが生じる場合があります。それは、一時的に生きる意味を見失ってしまうことです。
 たとえば私の患者さんで、描いていた将来の夢を実現するために日々努力していた27歳の青年は、がんと宣告されて余命が1年と知ったことで、一時的に絶望しました。とくに若いころは、自分がどんどん成長して末広がりに人生が発展していくという感覚しかないことも多いので、人生の終わりを意識したときに、それをどう自分の将来に織り込んだらいいのかとまどうのです。
 こういった末広がりの将来のイメージもまた、現代人に多い感覚かもしれません。平均寿命が短く、疫病や災害、戦争といった脅威が今の日本よりもはるかに大きい世界では、死との距離感も異なるような気がします。 

 私も若いころは、自分自身の死を考えていない人間のひとりでした。私は31歳のときにがん専門病院で働きはじめました。自分と同世代の人が何人もがんで亡くなっていく現実を目の当たりにすると、「自分もいつ病気になるかわからないし、死がじつは近くに潜んでいるかもしれない」と感じたのです。
 それまでは自分が死ぬことをあまり現実的には考えていませんでしたので、この変化は非常に大きなものでした。

 最初は、死を意識することに苦しみました。当時、私は生きづらさをかかえており、日々をむなしく感じていました。管理教育のなかで育ち、いじめなども経験し、当時の私はあるがままの自分に自信が持てなかったのです。周囲の目を気にしながら、緊張して生きていました。
 絶望しなかったのは、「努力するなかで、いつか自分はこの苦しみから解放される」という漠然とした希望に支えられていたからです。
 ただ、がん専門病院で「死が自分にもいつ訪れるかわからないし、それが近い将来であるかもしれない」ことを強く意識したとき、もしこのまま自分の悩みが晴れずに死んだら、「自分の人生は何もいいことがなかった」で終わってしまうのではと感じて、強く焦りました。
 また、いずれ死を迎えるとしたら、自分が得るもの、成し遂げることの価値が見えなくなったような気になりました。

 たとえば、当時自分はがんとこころの研究をしていましたが、研究成果が権威ある医学雑誌に掲載されることを夢見ていました。しかし、死という人生のゴールを迎えたら、その時点では努力しようとしまいと結果は同じ。それまでがんばって得た称号のようなものはすべてリセットされるように感じたのです。
 今考えると恥ずかしいことですが、当時の私の研究に対する動機は、人類の役に立つことよりも自分が認められることでした。私のように、自分が認められることばかり考えていると、死への恐怖が強くなることはさまざまな研究で示されています。
 一方で、自分だけではなく他者への温かさを持っている人は、当時の私のようなむなしさを持たないでしょう。研究を自分の名誉のためにするのではなく、誰かの役に立つためにしているのであれば、自分が死んでもその価値は色あせないはずですから。

人生には限りがある

 このように、当時の私は一時的に生きる意味を見失い、落ち込みました。そして「すべてが終わる死が訪れるまでの生をどう考えたら、自分は人生に意味を見出せるのだろう」との疑問に答える必要が差し迫ったのです。悩みに対してすぐに明確な答えは出ず、悶々とした日々を過ごしました。今にして思えば、この悶々とした期間も重要な意味を持っていたのでしょう。
 自分の人生はずっと続いていくという感覚を手放し、「人生には限りがある」という現実を受け止めるためには、十分に落ち込む時間が私には必要でした。このときの私のように、人生におけるさまざまな喪失を受け止めるには、悲しみなどの負の感情が大切な役割を果たすことについては、次回以降で説明していきます。 

 私の場合は、時間がたつなかで、うつうつとした感覚は薄らぎました。次にやってきたのは虚無的(ニヒル)な感覚でした。「どうせ人生には終わりがあるし、毎日に意味なんてないんだ」といった感じで、苦しくはないが、何かあきらめたような、投げやりな気持ちで過ごしていたように記憶しています。
 そんな虚無感を感じていたある日、なんとなくテレビを見ていたときのことです。何の番組かも忘れてしまいましたが、年配の男性が人生観について語っており、その言葉のなかに、「人生は一回限りの旅である」というフレーズがありました。この言葉が、ぐっと当時の私のなかに入ってきました。
 何気ない言葉のようですが、思いつめていた私には、目から鱗が落ちるような感覚でした。はっとしながら考えたことは、「なるほど、一回限りの旅か。この世に生まれ、せっかく一回だけの旅をする機会を与えられたのだから、いろいろな人と出会い、さまざまな体験をして、豊かな旅にしないともったいないな」ということでした。
 人の一生ははかないものかもしれませんが、その人生を十分味わうことはできるじゃないかと思ったのです。

 このときから、私は「一日一日を大切に生きる」心がけを持ち、感謝の気持ちが湧くようになりました。
 死生観という概念がありますが、それは「死を自分のなかに位置づけ」「死を見据えたうえで生きることを考える」ことです。私にも、死は人生の終着点であり、生きることは旅をすること、という死生観が芽生えたのです。
 その後、地に足がついたような感覚があり、時間に対する考え方が良い方向に変わったと感じられました。

 これで一度答えが出た感覚に私はなったわけですが、まだ続きがあります。高校生などの若い方に、「人生は一回限りの旅」という話をすると、とても共感したといった感想をいただくことがあります。
 今の自分からすると、この言葉には若さがあふれている感があり、だんだん心境のずれを感じるようになりました。老年期の方などからすると、私もまだまだ若いのかもしれませんが、以前に比べて老いを意識し、人生の旅の終着点である死に近づいてきている感覚が私にもあるのです。

  最近、ある初老の方が語った次の言葉が今の私には心地よく、現在の私の死生観に合致している気がしました。最後に、みなさんにもご紹介いたします。

幼いころ、世界は広大で、自分の知らないことがたくさんあるのだろうと思っていた。
そんな私を、母は愛してくれて、勇気を与えてくれた。
父は進むべき方向を力強く示してくれた。
二人の背中は大きく、言うことを素直に聞いていれば
世の中を渡っていけると思っていた。

思春期に入ると、親の言うことが煩わしくなり、恐る恐るだが、自分の足で世の中に踏み出すようになった。

成人になり、世の中の道理がわかるようになり、自分ひとりの力で歩いていける気がした。両親と対等に語れる自分が誇らしかった。
そして、もうこれ以上両親から教わることはないのかなとそのときは思った。

中年になり、背中が丸くなった両親を見て、感謝の気持ちとともに、さびしい気持ちが湧いてきた。
「あの大きかった背中はどこに行ったのだろう?」

そして両親との別れがやってきた。
両親は、人間のはかなさを、最後に身をもって教えてくれたのだ。 

自分も年老いていき、やがて死を迎えることを意識する。
幼いころ、とてつもなく大きく見えていた大人も、世界も、
そして自分も、今はとても小さく見える。

若いころの万能感はないが、絶望しているわけではない。
いずれ失われる今を慈しみながら、生きている。

 次回は、喪失などつらい体験をしたときに、悲しみや怒りといった負の感情がどのように役立つかについて考えます。


第7回を読む 第9回に続く 

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!