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ノーベル化学賞2020受賞の新技術「CRISPR-Cas9」――NHK科学・文化部デスクにゲノム編集の「今」を聞く

 2020年10月7日、日本時間午後7時、スウェーデン・ストックホルムの王立科学アカデミーが、ノーベル化学賞の受賞者を発表しました。受賞したのは、フランス出身でドイツのマックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長と、アメリカ出身でカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授の2人。ともにゲノム編集の新手法、「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)」を開発した研究者です。
 当社から2016年に刊行された『ゲノム編集の衝撃 「神の領域」に迫るテクノロジー』を執筆した取材班の1人、NHK報道局 科学・文化部の松永道隆デスク(執筆当時は広島放送局ニュースデスク)に、ゲノム編集の革新性、そしてこの技術のもたらす問題点について話を聞きました。

CRISPR-Cas9の画期性

――今回ノーベル化学賞を受賞したCRISPR-Cas9のどういった点が画期的だったのでしょうか。

松永 「生命の設計図」と呼ばれる遺伝子が、生物の細胞には入っています。それを編集するかのように切ったり貼ったりして操作できる技術が、ゲノム編集です。広い概念でのゲノム編集は昔からあって、遺伝子を改変する技術についての研究は続けられていました。しかし、シャルパンティエさんとダウドナさんが2012年に発表した論文で、この技術はまったく新しい段階に入りました。2人が発見・開発したCRISPR-Cas9を活用することで、以前よりはるかに「簡単に」「安価に」「正確に」、そして、原理的には「すべての生物の遺伝子を」変異させる、あるいは別の遺伝子を加えることができるようになり、生命科学の研究に強烈なインパクトを与えたのです。

 産業への応用についていえば、これまで農畜水産物の品種改良はとても長い時間を要するものでしたが、それが劇的に短縮されます。また医療についていえば、遺伝子治療という形で行われてきたさまざまな取り組みが、比較にならないくらい簡単にそして正確にできるようになる可能性を秘めています。

 興味深いのは、今回受賞した2人は、もともとゲノム編集の研究者ではなかったという点です。バクテリアの研究をしていたのですが、ウイルスに感染されたときに、ウイルスを攻撃し体を守る仕組みが、ゲノム編集に応用できるのではないかと思いつき、試行錯誤を繰り返したのです。まさに、畑違いのところで、ゲノム編集の革命が起きました。

ノーベル賞と特許争い

――ここ数年、毎年ノーベル賞候補に挙がるものの落選していたというイメージがあります。

松永 CRISPR-Cas9がいずれノーベル賞を獲ることは、2014年初めに、取材をスタートしたときから、確信していました。とはいえ毎年、今年は選ばれるかなと見守ってきました。いざ本当に選ばれた瞬間を目の当たりにすると、感慨もひとしおでしたね。今回受賞が決まったときに、取材班のメンバーでやりとりして、「僕たちのいっていたことが間違っていなくて良かったね」という話をしました(笑)。

――2012年の論文で発表された技術が、2020年にノーベル賞を受賞しました。どう考えればいいでしょうか。

松永 生命科学の分野においては、今回の受賞に至るまでのスピードはとても早かったといえると思います。山中伸弥・京都大学iPS細胞研究所所長は、2006年、2007年に発表した論文が評価されて、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。発表から5年程度と、ものすごく早かったんですが、それと同等のスピード感だといえます。CRISPR-Cas9が、「この技術は確かに使える」と広く認知されたのは2013~14年ですから、そこから考えると5~6年で、とても早いです。その意味では、この技術がどれだけインパクトがあったかということを反映していると思います。しかし確かに、もっと早く獲っても良かった。その背景には、特許争いという問題があったと推測されています。賞を出しづらい状況になっていたのかもしれません。

――ノーベル賞と特許争いについてもう少し教えてください。

松永 アメリカ・ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)の共同研究機関であるブロード研究所でゲノム編集の研究に携わるフェン・チャン教授という人物がいます。やはりCRISPR-Cas9の研究者で、ゲノム編集の哺乳類への応用の道を最初に示しました。

 今回受賞した、いわゆる「バークレーチーム」も、チャンさんをはじめとする「ブロード研究所チーム」も、CRISPR-Cas9についてそれぞれ特許を出願しましたが、アメリカの特許商標庁は、2013年10月にブロード研究所チームの側に特許を認めました。しかし、バークレーチームはこの決定を不服として訴えを起こしました。2017年2月、特許商標庁はブロード研究所チームに再び特許権を認め、バークレーチームも上訴。翌18年9月に、アメリカ連邦高裁は「十分な証拠に基づいて決定を出した」と、特許商標庁の判断を支持する見解を示しました。これを受けて、バークレーチームは、2019年にブロード研究所チームの特許の取り消しを求める裁判を新たに起こしています。

 アメリカは、2013年3月以降、先発明主義(先に発明した人に特許を認める)から先願主義(初めに特許を申請した人に特許を認める)へと制度が変わりました。時同じくして起きた、ゲノム編集をめぐる特許の係争は、莫大な利益を生むことが確実視されていることもあり、両者とも一歩も引かない構えのようです。

 ノーベル賞に話を戻すと、今回受賞したのが2人だったことに、とても大きな意味があると考えています。ノーベル賞は通常3人まで同時に受賞できます。3人の枠があるのに、賞が贈られたのは、シャルパンティエさんとダウドナさんだけでした。特許の争いもあったことから、CRISPR-Cas9の応用の可能性を提示したチャンさんも受賞するか注目されていました。しかし、結果は2人でした。これは、王立科学アカデミーの意思表示なのだろうと思います。アカデミーも特許争いについては相当気にしていたはずです。今回の受賞は、裁判の最終的な決着にも大きく影響するかもしれません。

ゲノム編集食品が食卓に並ぶ日

――『ゲノム編集の衝撃』では、農水産物への応用について、日本の事例を中心に取り上げました。その後、大きな動きはみられるのでしょうか。

松永 2019年9月、クローズアップ現代+で、ゲノム編集食品を取り上げました(「解禁!“ゲノム編集食品” ~食卓への影響は?~」)。そこでは、すでにゲノム編集食品が販売されているアメリカの現状をレポートしました。たとえば、健康に良い油ですね。アメリカでは、ゲノム編集によってオレイン酸(悪玉コレステロールを抑制し、動脈硬化を予防するといわれる)が多く含まれる油が取れる大豆が開発され、普通に作付されています。普通の油より、少し高いくらいの値段で売られています。取材班も、その油で焼いたお肉を食べてきました。

――アメリカではどのような状態で、販売されているのでしょうか。

松永 その油についていえば、「Non-GMO」と明記され、売られています。「GMO(Genetically Modified Organisms)=遺伝子組み換え」ではなく、「オレイン酸を多く含むので健康に良い」と強調されているだけで、大豆がゲノム編集によって品種改良されたものだとは記載されていません。

 アメリカはもともと制度的に、遺伝子組み換えに寛容な国なので、産業的なハードルが低く設定されています。ゲノム編集についても、国への届け出や表示の義務はありません。「遺伝子組み換え食品」「遺伝子組み換えではない食品」「ゲノム編集された食品」と明確に区別されていれば、消費者が選択できますが、現状そうはなっていません。しかし、遺伝子組み換えやゲノム編集を応用した食品を拒否する消費者もいますし、反対活動を行っている団体もあります。その結果、一部ではありますが、消費者の中には、ゲノム編集に対する警戒感が日本よりも強まっている印象でした。

――ゲノム編集食品の流通について、日本の現状を伺えますか。

松永 まだ販売されていないと思います。安全性への懸念が払しょくされるまで、慎重に進めていきたいというのが、生産者や厚労省の共通の考えなのではないでしょうか。しかし、制度的にはクリアされています。2019年10月以降、ゲノム編集で遺伝子を切断・欠落させて特定の機能をなくした食品は、届け出のみで販売できるようになっていて、安全性審査は不要となっています(厚労省「ゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領」令和元年9月19日)。食品表示のルールも整いました。

『ゲノム編集の衝撃』では、ミオスタチン(筋肉の成長を抑える遺伝子)を切断してその機能を止めることで、筋肉の量を増やしたマダイを紹介しましたが、このマダイは安全性審査が不要に当たります。一方、別の遺伝子を加えたものは、遺伝子組み換え食品と同様、審査が必要です。つまり、新しい遺伝子を加えたか加えていないかで区別されています。

――遺伝子を切断して特定の機能をなくした生産物に対して、安全性審査が必要ないとされるのはなぜですか。

松永 一言でいえば、一部の遺伝子を欠損させたりする変異は、自然界でも起きているという考えです。ごくまれではあるものの、自然にいるかもしれないものを規制できないと専門家や厚労省が判断したのです。

 ゲノム編集はピンポイントで遺伝子の変異を起こすことができる技術なので、自然界で起きる突然変異と基本的には見分けがつきません。後から検証しても自然に起きた変異なのか、ゲノム編集によって人為的に起こしたものなのか、わからないだろうといわれていることも、規制が難しいとされる理由の1つです。たとえば、ゲノム編集によって改良された収量の多い小麦と、自然界で起きた同様の突然変異による、よく実のつく小麦があったとして、現時点では誰も見分けることができません。

 もちろん、そのことと、消費者の知る権利や選択する権利は別ものです。食品表示では、国民の求めることを知らせる制度にすることが大切です。さらにゲノム編集食品の安全性については、将来的にはわからないと懸念を示す専門家もいます。そういう意味ではいろいろな議論があってしかるべきだと思います。

――日本に他の国のゲノム編集食品が入ってくる可能性は?

松永 当然あります。アメリカは先ほど述べたように、すでに油が市販されていますし、中国でも活発に品種改良に応用されているといわれています。輸入も含めて国内で流通する場合には、そのゲノム編集食品は、誰が開発したのかや対象となった遺伝子などの情報が、厚労省のホームページで公表され、一般にもわかるようになるとされています。

 しかし、実態のわからない中国などから誰も気づかないうちに入ってくるケースも想定され、その際は、大きな社会的なインパクトがあるでしょうね。当該国で、ゲノム編集食品だと区別されて流通しているものについては、関連情報を国内の輸入業者に伝えるよう義務付ければいいのですが、その国の中でも区別されないで流通している場合は、事実上ゲノム編集食品なのかそうでないのか、わからない。多くの関係者が気を配っていますが、いずれ起きてしまうと考えられます。繰り返しになりますが、自然物との区別がつけづらいので、いつのまにか私たちの食卓に並んでいても気づかないということが起こりえるのです。

――法整備含め、現状の日本のシステムは十分なのでしょうか。

松永 大きな論点は、安全なのかそうではないのかという食品安全と、消費者が選択するために、食品表示をどうするのかという、2つです。現在は遺伝子を加えるのではなく、機能を失わせるだけであれば、表示義務はないとされています。消費者の目線から、今後も制度のありかたを課題として考えていく必要はあると思います。

 ゲノム編集食品なのか、そうではないのか、もしくはわからないのか。情報を商品のパッケージに掲載することは難しいとしても、商品のホームページ上などでは公表していくことができるかもしれません。義務化されていないから、情報を公開しないのではなく、企業努力の範囲内で、その情報を出していくことが大切です。そして消費者は企業努力をしている会社をきちんと評価し商品を購入する。それによって、生産者や輸入・販売する側も、消費者側もハッピーになるといいなと思っています。

がん研究、そして新型コロナウイルス感染症対策への応用

――医療についての応用にはどんな動きがあるでしょうか。

松永 ゲノム編集は、生命科学における基礎的な技術の1つになっているので、今後はいろいろな研究に使われるはずです。いちばんわかりやすいのは、がんの研究ですね。免疫細胞にゲノム編集を行い、免疫を抑制する、つまり免疫に対してブレーキとして働く遺伝子を壊してしまうというゲノム編集です。それによって免疫力を上げる。アメリカではすでに治験の段階に入っています。

――新型コロナウイルス感染症の対策などについてはどうでしょうか。

松永 マサチューセッツ工科大学などの研究グループは、CRISPR-Cas9を応用して、新型コロナウイルスの遺伝子を簡単に検出する検査キットを開発しました。2020年5月、FDA(アメリカ食品医薬品局)の許可を得て、すでに研究用として使われています。簡単にいうと、CRISPR-Cas9の原理は、特定の遺伝子の配列を検出しそこを切るということです。この「検出する」という機能を利用し、新型コロナウイルスの特異的な配列が検出されたら、シグナルが出るようにするのです。

 具体的には、唾液や鼻の奥から採取した体液を温めたあと、特殊な試験紙を浸すと、ウイルスがいるかどうかを20分程度で判定できるとされています。PCR検査に比べて時間的にも経済的にもコストを抑えられることから、大量に検査を行うことができるようです。

行われてしまった「人類の改変」

――『ゲノム編集の衝撃』では、2016年4月に公表された、中国・広東医科大の研究チームによるヒト受精卵へ行われたゲノム編集の事例を取り上げ、生命倫理の問題について論じました。しかし、本が出版された後となる2018年11月28日、香港で開かれた第2回ヒトゲノム編集国際サミットにおいて中国・南方科技大学の賀建奎(が・けんけい)准教授(当時)が、遺伝情報を書き換えた双子の女児の赤ちゃんを誕生させたと発表し、世界に衝撃を与えました。

松永 「デザイナー・ベイビー」といった倫理的な問題については、かねて多くの研究者が懸念を示していましたが実際には、そんなことをする人はいないと考えられていました。しかし、赤ちゃんを誕生させることまでする研究者が出てきてしまった。われわれにとっても、きわめてショッキングな出来事でした。もちろん、こんな行為は許されるべきではないと世界中から非難されました。そういう意味では、ゲノム編集/CRISPR-Cas9がはらんでいる生命倫理的な側面におけるリスクについて、懸念が共有されたとはいえます。中国国内でも批判の声は高まり、この研究者には実刑3年という判決も下されたといわれています。

――ゲノム編集によって誕生した子どもたちについて、私たちはどう考えればいいのでしょうか。

松永 生まれた子どもたちは、現在2~3歳だと思います。現在、そして今後成長していく過程で健康上の問題は出ないのか。自分にゲノム編集がされていることを知っているのか知らないのか。いつ、どのように知らせるべきなのか。どのように説明し、どのようなケアが必要なのか。ぱっと思いつく限りでも、次々と問題が浮かび上がります。

 またその子が成長して、結婚や出産の適齢期も迎えます。そのとき、この子は何に悩み、どのような選択をするのか。これらの難しい問いのすべてが、この技術を応用して人を誕生させたことの倫理的な問題です。

 やり直しがきかないことが起きてしまいました。研究者が単に名声を求めて、ないしは科学的好奇心から、このような行為に及んだのだとすれば、“科学者の暴走”と断言できますし、許されるものではありません。そこで生じたひずみを背負って、子どもたちは生きていくことになるのです。この事例については、科学者は自らに対し問い直す必要がありますし、われわれジャーナリストや市民の方々も科学者に問うべきです。より多くの人によって、さまざまな場で議論を行うべきだと考えています。

――国内と海外で、ヒト受精卵へのゲノム編集について、規制の基準は異なるのでしょうか。

松永 2019年4月、日本政府の生命倫理専門調査会は、ゲノム編集を活用した遺伝病の治療法の開発などについて容認する見解を示しています。一方で、改変した受精卵を子宮に戻すことは認められていません。

 日本の研究者の中ではいきなりそうした倫理的に問題のある応用を行う研究者は出てこないように思えます。しかし、世界のすべての国の研究者が、今後もそうした応用を行わないとは断言できません。現在は、科学者の良心に委ねられている部分が大きい。強制力をともなう世界的なルールを一刻も早く打ち出すことが必要なのだと思います。

――ゲノム編集という技術の、ポジティブな面だけではなく、リスクにも目を向ける必要がありますね。

松永 ゲノム編集は日進月歩の技術で、今も進化を続けています。CRISPER-Cas9が、ゲノム編集の新しい世界の扉を開けました。しかし扉の向こうの世界はどこまでも広がっていて、どこに到達するのかは、まだ私たちには見えていません。

 さらに使いやすく、さらに精度を高く――。こんなときにも使える、あんなものにも使える――。今後も進化は止まらないでしょう。わくわくもしますし、悪用されたらと思うと怖くもあります。しかし開かれた扉を閉じることはできません。この技術を世界にとって役立つ、有効なものとするために、私たちは、悪いことが起きないように注視していないといけないのだと思います。

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