見出し画像

「キリン博士」郡司芽久さん、新刊特別インタビュー――生き物に「ざんねんな進化」はない!

「キリン博士」こと人気解剖学者の郡司芽久さんによる待望の最新作『キリンのひづめ、ヒトの指––―比べてわかる生き物の進化』が9月28日に発売となります。「生き物の成り立ちを知り、複雑な進化の過程を理解するために比較は最も重要」として、手足、首、心臓など8つの器官を通してさまざまな動物の体に刻まれた進化の歴史をひも解く、ユニークな進化の話です。本書は2021年2月から12月にかけてウェブマガジン「本がひらく」で連載された「キリンと人間、どこが違う?」を大幅に加筆修正し、再編集しています。刊行にあたって、郡司さんに本書の読みどころや裏話などを編集担当がうかがいました。


――「本がひらく」での連載終了から9か月、ついに書籍刊行となりました。あとがきにも書かれていますが、連載のテーマを決定するまでもご苦労がありましたね?

郡司:最初に連載のお話をいただいたのが2020年後半ですから、連載を経て本になるまで2年近くかかりました。『すごいぞ!進化――はじめて学ぶ生命の旅』という絵本(文・アンナ・クレイボーン、絵・ウェスリー・ロビンズ/NHK出版)の日本語版監修を担当したことがきっかけで、「この絵本の大人向けというイメージで、大人が読んで楽しめる進化の話」をというのが「本がひらく」連載にあたって出版社から提案されたテーマでした。
 連載も初めてでしたし、全10回の連載で毎回ひとつずつテーマを決めて、導入から結論まで短い字数で完結させなくてはいけない。解剖学の知識がない方が読んでも動物の器官がどのように進化してきたかを楽しみながら理解してもらわなくてはいけない。どうしたらいいのか悩みましたが、以前大学で担当していた動物解剖学の講義を参考に、各回にひとつずつ肺や首、手足、心臓といった器官を取りあげたコラムにしようと決めました。基本的にはそのときの大学の講義がベースになっています。とはいえ、「気軽な気持ちで楽しめるエッセイ」を目指して書いたので、肩肘はらずに楽しんでいただければうれしいです。

――本書は器官ごとにさまざまな動物の体の構造を比較しながら、体に刻まれた進化の物語をひも解くという内容です。ご専門の解剖学と進化はどのように結びつくのでしょうか。

郡司:講演などでも、解剖と進化には少し乖離があるようによく受けとめられます。解剖が「死」を、進化が「生」をイメージするからかもしれません。でも、動物の進化を理解するうえで、「解剖」はとても重要です。体の構造を調べることで、「どんな動作が得意な体なのか」「どんな環境に適した体なのか」といったことを考えることができるからです。
 そして、進化を考えるうえでは「比較」もとても大切です。「ヒトはどんなふうに進化してきたのか」ということを考えるとき、「そもそもヒトはどんな特徴をもつ生き物なのか」を知らなくてはなりません。それはヒトだけ見ていてもわからないことです。いま生きている動物のなかでヒトに最も近縁な種だと考えられているのはチンパンジーで、DNAに刻まれた遺伝情報の98パーセント以上は同一です。遺伝子レベルではそっくりさんでも、見た目や生態はずいぶん違います。ヒトとチンパンジーを比較することで、「どの部分が似ていて、どの部分が違っているのか」を明確にすることができます。たとえばヒトとチンパンジーの下肢の構造を比較すれば、「下肢の構造の違い」を理解し、そこから「どのように体が変化し、2足歩行が得意になっていったのか」を考えることができるというわけです。
 体の構造を調べ、生き物同士で比較することで、「長い進化の歴史のなかで、体の構造はどんなふうに変化してきたのか」「その変化にはいったいどんな意味があるのか、何に有利なのか」といったことを考えるのが、本書のテーマである「比較解剖学」という学問です。

――書名にある「キリンのひづめ、ヒトの指」は本書の内容を象徴的に表していますが、実際それぞれどのような進化をとげたのでしょうか。

郡司:ひづめは指先にある硬い部分で、キリンやウマ、ウシ、シカなど「有蹄類」と呼ばれるグループに共通する特徴です。ひづめは、もともとはヒトでいうところの爪が変化してできたものだということがわかっています。どちらもケラチンというタンパク質が集まってできており、ひとつのひづめが1枚の爪に相当します。キリンの場合、足先には指先を包んで保護するふたつのひづめがあります。つまり、ふたつのひづめをもつキリンは、2本指の動物というわけです。それぞれの指には3つの骨が入っていて、ヒトの指の骨格構造とよく似ています。
 ひづめをもつ生き物は、速く走ることに特化した生活スタイルをもつ動物がとても多いです。指先が硬く変化して指全体が爪のような組織で覆われることによって、力強く地面を蹴ることができるようになったと考えられています。キリンは指の数が減っているので、物をつかむ能力は失われていますが、そのかわり指先が安定して軽くなり、足を速く振ったり地面を強く蹴ったりするのに適した構造になっています。一方で、ヒトの指は物をつかんだり動かしたりといった、道具の操作に有利な構造が獲得されています。もともとは同じようなところから変化してきていますが、まったく違う方向に進化してきたのがキリンのひづめとヒトの指なのです。
 本書では、こんなふうに体内にあるさまざまな器官を動物同士で比較し、それぞれの動物における進化について解説しています。

――「キリンは高い場所にある草を食べるために首が長く進化した」など、進化に対する誤解が多いのはなぜなのでしょうか。またキリンの首の進化でいえば、どのような仮説があるのでしょうか。

郡司:「〇〇のために進化した」という部分ですね。実際の進化には、そのような目的意識はないのですが、こういった表現をされることはとても多いですね。生物学の分野でいうところの進化は、「たまたま生存や繁殖に有利な特徴をもつ個体が現れ、その個体がたくさんの子孫を残した結果、長い時間を経て、その特徴もつ個体ばかりになっていった」というものです。このような、世代を超えて引き継がれる変化のことを「進化」と呼びます。「進化」という概念は、みんなが知っているわりには多くの方がイメージするより少しだけ難しいので、わかりやすく説明しようとして誤解が生じてしまうのかもしれません。
 キリンの進化についてですが、首が長くなった理由についてはいくつかの仮説があります。最も有名な仮説は、「長い首をもつキリンは、ほかの動物には食べることのできない高いところにある葉っぱを食べられるため生きるのに有利で、たくさんの仔どもを残すことができたのだろう」というものです。ほかにも、「長い首をもつキリンは、メスをめぐる同種内の闘いに勝ちやすく、たくさんの仔どもを残すことができたから」という仮説もあります。「足が長くなる進化が起きたことが原因だ」という研究者もいます。足が長いと一歩が大きくなるので速く歩くことができ、敵に見つかったときにすばやく逃げることができます。また、首や心臓といった急所が地面から遠くなるので、外敵に襲われても致命傷をうけにくく、生存に有利です。一方で、足が長くなると地面が遠くなるので、水を飲むのが大変になってしまいます。そこで、足と首の両方が長いキリンが生きるのに有利だったのだ、という仮説です。
 キリンの首が長くなる進化を目の当たりにした人はいないので、どれもあくまで「仮説」です。これまで、たくさんの研究者たちが、さまざまな視点から「仮説」を提唱してきています。

――動物の進化が「ざんねん」と呼ばれることがありますが、それについてどう思われるでしょうか。

郡司:生き物には「ジェネラリスト」と呼ばれる、なんでもできる動物が多く存在します。いろいろな種類の食べ物を食べられたり、暑さ寒さにかかわらずさまざまな場所にすめたり、あるいはそこそこ速く走れて高い木にも登れるといった、いろいろなことができるように進化してきた動物です。その一方で、「スペシャリスト」と呼ばれる、ひとつのものしか食べられないとか、樹上でしか生活できないとか、とにかく速く走れるけれど物をつかんだりはできないとか、何かに特化した進化を遂げた動物もいます。
 多くのスペシャリストは、ある方向に特化した結果、べつの方向の能力が低くなってしまいます。たとえば、キリンのひづめは「速く走る」のには有利ですが、「指先で物をつかむ」ことはできません。一方、ジェネラリストは、いろいろなことをできるかわりに、個別の能力で見るとスペシャリストにはかなわない、という面があります。
 たぶん人間の世界でも同じでしょうが、進化においてもジェネラリストとスペシャリストでは重きをおく点が違います。「何が生存に有利な特徴なのか」というのは、どういうふうに生活しているかによって当然異なってくるわけです。
 いろいろな種類のものを食べることが大事なのか、ひとつのものをより効率よく食べることができるのが大事なのかは、生き物によって違うものです。こういった違いは、「ざんねん」なものではないですし、比較して優劣をつけるものでもないかなと思います。

――「生き物にざんねんな進化はない」というのは本書にこめられたメッセージでもあります。そこにはどういう思いがあるのでしょうか。

郡司:ヒトもふくめて動物たちは同じ地球上に生きていますが、それぞれの生活している環境で大事なこと、生きていくうえでの世界観は違っています。先ほど述べたように、それぞれの生き物が生きている世界のなかで何が大事なのかを考えることが、進化を理解するうえですごく大切なことだと思うのです。人間の世界観でほかの動物を見て「こんなこともできないんだ」といっても、べつの世界で生きている動物にとっては必要がないことだったり、なんとかうまくやっていければそれでよかったりします。自分のなかでは、動物のそういう「すべてが完璧なわけではない」という面に救われてきたところもあります。
「これは良いことで、これはざんねん」と決められるほど自然界は単純ではないですし、ひとつの基準だけで優劣を判断できるようなものでもない、ということを楽しみながら知っていただけたらうれしいなと思っています。

――「キリン博士」と呼ばれることも多い郡司さんにとって、キリンのいちばんの魅力はどこにあるでしょうか。

郡司:いろいろありますが、その形態や模様などキリンのアイデンティティの強さがいちばんの魅力ですね。だれもが名前を聞いたことがあり、首が長くて大きな動物とイメージできるのに、それでいて知らない部分もたくさんあるというのもとても魅力的です。あと、本書でも取り上げましたが、首が長いと高いところの葉っぱを食べられて生存に有利と思えますが、一方では高血圧だったり、呼吸や消化の仕組みだったり大変なこともけっこうあります。ある側面では有利な進化を遂げたけれど、ほかの側面ではさまざまな問題を抱え、それでも折り合いをつけながらなんとかやっている、というところにもひかれます。

――本書はデビュー作『キリン解剖記』以来3年ぶり、2作目にあたる書籍です。前作は自伝的な内容が中心でしたが、2作目に対する思いの違いはあるでしょうか。執筆はいかがでしたか。

郡司:本を書くのは大変ですね。執筆が本業ではないというのもありますし、まちがった情報を書いてはいけないとか、自分がもっている知識のなかで読者が理解できて楽しめるような内容にしないといけないなどとか考えると、書籍に対して踏みきれない部分は多くあります。そのなかで、前著の『キリン解剖記』(2019年、ナツメ社)は、「キリンをもっと好きになってほしい」という思いをこめて、私が大好きなキリンについてと、キリンについて自分がしてきた研究にまつわる話をテーマにして書きました。
 今回の『キリンのひづめ、ヒトの指』に関しては、私の専門である比較形態学や比較解剖学について、もっと多くの方にこういう学問があることを知っていただき、さらに楽しんでいただけたらいいな、という思いをこめています。
 前作のあと、たくさんの方から「好きな生き物を解剖するのはつらくないですか?」と尋ねられたのですが、私にとっては「解剖することで、その生き物をさらに好きになっていった」という感覚があります。本書のコラムに登場するヤマアラシは、「解剖し、彼らの進化にふれて、大好きになった動物」の代表格ですね。本書を通じて、「体の構造を知り、その動物の進化にふれることで、これまでよりももっとその生き物のことが好きになる」という気持ちを共有できればいいなと思っています。解剖学の面白さを少しでも多くの方に感じてもらえたらうれしいです。

――最後に読者に向けて、本書についてのメッセージをお願いします。

郡司:この本は私の専門である「比較解剖学」がテーマとなっていて、体の中のいくつかの器官をとりあげて、さまざまな動物同士で比較することで、各器官のはたらきや進化について解説しています。解剖学というのは、医師や獣医師などの医療従事者が勉強する専門的な学問と思われがちです。もちろん、解剖学の知識がなくても日々の生活に支障はないのですが、私たちは自分の体と離れて生きていくことはできないので、「解剖学の知識は1ミリも関係ない!」という人も存在しないと思っています。
 この本には、ヒトも登場しますが、どちらかというとヒト以外の動物たちが主役になっています。さまざまな動物たちの姿を通じて、あらためて自分自身の体に目を向け、自分の体に敬意と愛情をもってもらえたらうれしいな、と思います。自分の体は、生まれてから死ぬときまでひとときも離れることのない唯一のものです。動物たちの進化を楽しみながら、自分の体の中で起きている〝すごいけれど、当たり前のこと〞に思いを馳せ、そのことでほんの少しでも元気になっていただけたら言うことはありません。「すごいなあ」と感嘆してしまうような進化から、「こんなことでいいの?」と思ってしまうような非合理的に見えてしまうような進化まで、動物たちの体に刻まれた進化の歴史を心ゆくまで楽しんでください。

プロフィール
郡司芽久(ぐんじ・めぐ)

東洋大学生命科学部生命科学科助教。1989年生まれ。2017年3月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了し、博士(農学)を取得。同年4月より日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務後、筑波大学システム情報系研究員を経て2021年4月より現職。専門は解剖学・形態学。第7回日本学術振興会育志賞を受賞。著書に『キリン解剖記』(ナツメ社)。

関連コンテンツ

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!