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祝・新生活――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は新生活の助けになっている食べ物についてのお話です。
※当記事は連載の第37回です。最初から読む方はこちらです。


#37 午後三時のエネルギー補給

 子どもが小学校に上がり、いよいよ新生活が始まった。私もある程度ちゃんとした服装を求められる場面も増えたが、相変わらずの寒暖差ゆえ、毎朝、何を着ていいかわからない。天気予報を見て、これだ、と思っても大抵判断をあやまる。あと、これは喜ぶべきことなのだが、最近、仕事でこれまでなかったようなオーダーが増え、使ったことのない筋肉を動かしているような感覚が続いている。こちらも万全の準備で挑んでもスベッたりするし、面倒になっていつも通りやったら褒められたりするから、勘どころが未だ掴めていない。この連載で忙しいとか疲れているとか散々愚痴ってきたが、やることのバリエーションの多さで言えば、四十二歳のこの春がマックスである。
 そんな私のドキドキの毎日を支えているのが、焼きいもなのである。インスタで、さつまいも、ブロッコリー、ささみ、ゆで卵という、若い人に流行っているらしきダイエット弁当が流れてきて、へえ、さつまいもって最近美容にいいとされているのかあ、と思ったのが始まりだ。繊維が豊富ということ以外、何を聞いてもすぐ忘れてしまうのだが、さつまいもは好きだし、これからおやつにしてみよう、と思った。
 あと、読み終わったばかりの、湯澤規子さんの『焼き芋とドーナツ〜日米シスターフッド交流秘史〜』という本の影響もある。これまであまり語られることがなかった、近代の産業革命期を生きた女性労働者の日常に光を当てたノンフィクションだ。日米それぞれの女性労働者たちが稼いだお金で自分を満たすために買った軽食、主に「焼き芋」と「ドーナツ」から、それぞれの歴史や文化を読み解いていくものだ。読んだ後、今自分が手にしている教育の権利や参政権などのインフラは先人が勝ち取ってくれたものであるという感慨が増すと同時に、なぜか焼き芋とドーナツの甘みも増し増しになるような気がする、おすすめの一冊だ。
 炊飯器に少なめの水と一緒に放り込んで加熱したさつまいもをジップロックに入れて持ち歩くのはまだ余裕がある方で、大体、スーパーの入り口付近で熱い石の上に置かれている焼きいもを買う。巨大なものなら二日に分けて食べる。干しいもで代用する時もある。私は大抵外で執筆しているので、公園や商業施設のイートインスペースなどで、十五時前後に齧ることが多い。ちなみに十五時は私にとっての魔の時間で、だんだん頭が働かなくなり始める頃あいだ。これを書いている今がまさに十五時半だが、もう横になりたくて仕方がない。ちなみに、ここから、子どもが帰ってきて、食事の準備をする夕方になると、そんなに働いていない日でも、もう寝転んで天井を見つめていたいほど疲れ切っている。大体YouTubeを見せながら出来た先から子に食べさせ、あとは何も考えず、夫が好きだとかいう魚を焼いて、白米と味噌汁と一緒に投げ出し、自分の分は作った横からお酒と一緒に流し込み、それが終わると事切れたようにひっくり返ってしまう。雑誌や本で推奨されているような子のための有意義なことは一切できない。といいつつちゃんとやっているのが常だが、私は本当にやっていない(一応、夫がその辺を担当している風だが、雑誌や本で見る光景と随分違っている気がする。もう深く考えまい)。
 このだんだんだるくなり始める時間にさつまいもを摂取すると、「なんかもうどうでもいいや」という気持ちが「あと、一時間ちょっと、頑張るか」に変わるのが本当に不思議だ。ワシワシ食べていると、身体が温まって、腹が決まってくる。とりわけ、最近の流行りの、お砂糖が入っているようなネットリしているものを啜るように食べていると、頭の中がギュイーンと回転するのがわかる。焼きいもにハマっている、と公言すると、若い友人は「だったら、あの専門店がおすすめですよ」と有益な情報をくれる。こうやって蒸すと美味しい、という情報をくれる七十代女性もいる。みんなおいもに関することとなると、一家言あるようだ。
 しかしながら、私の親友のA子ちゃんはこんなことを言う。「私、最近のネットリ甘いおいもより、小さい頃食べた、ホクホクポソポソしている蒸した普通のおいもが好き」。さすがは私のインフルエンサーである。彼女の語り口にかかると、なんだか、そっちの方が食べたくなってくる。言われてみると売っている焼きいもはみんな濃厚で、小さい頃の味は糖度の低いものを探して自分で蒸すしかなさそうである。
 しかし、糖度が低い普通のいもというものも、スーパーの売り場から消えていて今、ちょっと驚いている。私の中のさつまいもブームは当分続きそうなので、気長に探してみたいと思っている。

次回の更新予定は5月20日(月)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

ゆずき・あさこ 1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』『オール・ノット』、初の児童書『マリはすてきじゃない魔女』(エトセトラブックス)など著書多数。3月21日に最新刊『あいにくあんたのためじゃない』(新潮社)が発売。

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