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「NHK出版新書を探せ!」第4回 コロナ危機とかけてGDPととく。その心は?――瀧澤弘和さん(経済学者)の場合

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
瀧澤弘和(たきざわ・ひろかず)

1960年東京都生まれ。中央大学経済学部教授。東京大学大学院経済学研究科単位取得修了。東洋大学助教授、経済産業研究所フェロー、中央大学准教授などを経て現職。専門は実験ゲーム理論、経済政策論、社会科学の哲学。著書に『現代経済学――ゲーム理論・行動経済学・制度論』(中公新書)、共著に『経済政策論』(慶應義塾大学出版会)、訳書にフランチェスコ・グァラ『制度とは何か――社会科学のための制度論』(監訳、慶應義塾大学出版会)、青木昌彦『比較制度分析に向けて』(共訳、NTT出版)などがある。

コロナ危機を制度論から考える

――瀧澤先生は経済学のなかでも、とくに「制度」を研究テーマに据えていらっしゃいます。近年の仕事を見ても、フランチェスコ・グァラ『制度とは何か――社会科学のための制度論』(慶應義塾大学出版会)を訳されているし、著書の『現代経済学――ゲーム理論・行動経済学・制度論』(中公新書)のあとがきでは、人間理解のアプローチとして「制度をつくるヒト(homo instituens)という言葉を提案しています。
 今回、インタビューの依頼するやりとりの中でも、現下のコロナ危機が「制度的現象」であることを書かれていました。まず、そこからお話を伺いたいと思うのですが、コロナ危機のどういう点を制度的現象と捉えていらっしゃるんでしょうか。

瀧澤 それを考えるうえで、そもそも経済学の考える「制度」とは何かについて、少し丁寧にお話ししましょう。

 制度というのは簡単に言うと、集団における「行動の規則性」のことです。しかし人間の場合には少し複雑で、その行動の規則性が周囲に「記号システム」を生み出して、その記号がお互いの行動に関する予想をサポートし、それがさらに集団の行動へと戻ってくるというようなプロセスそのものなのです。わかりやすく言えば、人々の行動の規則性に基づいてAという指標ができたとき、個々人はそのAという指標に影響され、行動を促されたり、他者の行動を予想したりする。すると結果的に、それがまた集団の行動の規則性を形作っていく、というわけです。
 そこには、人びとが互いの行動を予想して行動するというゲーム理論的・社会的な側面と、行動によって物的世界に生み出される記号の意味の解釈を通して、予想が変更を受けるという物的な側面との両面が含まれています。これと類似のことが、現在のコロナ危機で観察されると考えているのです。

 この間、考えていたことから話すと、新型コロナウイルスの感染がメディアで報道されるようになってから、さまざまな科学者がコロナについて論争的な議論を繰り広げていますね。たとえば、感染拡大のメカニズムについても、PCR検査の体制についても、科学者どうしで意見が違っている。ただ、論争的なんだけれど、新型コロナウイルスの感染を自然科学的な問題として捉えている点では共通しているんですね。人間の社会的行動が事態の進行に複雑な影響を与えるにもかかわらず、あまりその点に触れられないまま、科学的な予測が固い事実として受け取られています。

 フランスの人類学者ブルーノ・ラトゥールは、社会的なものと自然的なものは切り離すことができないにもかかわらず、両者を完全に切り分けるような思考が近代を形作ってきたことを論じています。今回のコロナも、まさにラトゥールの議論がそのまま当てはまるような現象のように思えます。つまりコロナ問題は、自然科学的な問題とも、社会の問題とも割り切れないところがあるのに、自然科学的な見方ばかりが流通しているように感じるんです

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――コロナ問題の社会的な側面というのは、具体的にどういうところでしょうか。

瀧澤 わかりやすい例でいうと「感染者」の定義ですね。何をもって感染者と見なすのかという時点で、すでに社会的な考慮が入ってこざるを得ません。医学的には、細胞の受容体にウイルスが付着するのが感染かもしれませんが、現実には、ウイルスが1個入ったからといって感染とは言えないし、そもそもウイルスがゼロか1個以上あるかなんて検出できないわけですよね。
 いまテレビや新聞などの一般的な報道では「感染者○○名」と言われているけれど、あれは正確には「陽性者」だし、細かく言えばそのなかに偽陽性者がいるし、陰性のなかに偽陰性者がいます。そうなると「感染者」の定義とはいったい何なのか、ますますわからなくなりませんか。

――たしかに……。

瀧澤 自然科学的な側面と社会科学的な側面が入り混じった「感染者」という概念を一面的に捉えることで、私たちが混乱している。言葉の混乱、概念の混乱が、社会の混乱にはねかえってきているわけです。
 こういう現象がまさしく「制度的現象」なんです。僕が訳したグァラの『制度とは何か』に、こういう一節があります。

<ある存在物をブドウ球菌と呼ぶことは、その未来の生存(existence)に対して実在的(リアル)な帰結をもたらすかもしれない(たとえば、それがどのように繁殖したり、死滅したりするのか、あるいは、私たちがブドウ球菌を根絶やしにしようとする試みの結果として、それが別の何かに変異したりするのか、どうか)。ブドウ球菌の性質は、その名付けのされ方次第で劇的に変わるかもしれない。>

 つまり、私たちがある存在を「ブドウ球菌」とネーミングすることが、その後のブドウ球菌じたいのあり方に影響を与えるし、それがまた社会の側にも作用を及ぼしていく。自然科学にも、こういう相互作用を通じたループ構造がある以上、それは制度的な現象なんですね。
 このグァラの挙げているブドウ球菌の例は、コロナウイルスと人間行動の関係を考えるうえでも示唆的です。ウイルスや感染症を自然科学的な事態として見ると、ウイルスと人間の相互作用が見えなくなってしまうわけです。

「感染者数」だけでは均衡状態に入れない

――ウイルスと人間行動はどのようなかたちで相互に作用しあっているんでしょうか。

瀧澤 図のように見るとわかりやすいんじゃないでしょうか。この図は、青木昌彦さんの制度論のモデルや、アメリカの哲学者デイヴィッド・ルイスの『コンヴェンション』から得た示唆をもとに、ウイルスと人間行動の関係を簡単なモデルに表したものです。

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 ここにある「観察される記号システム」とは、刻々と変化していくウイルスの状態を理解するために、人間が作り出す定義や指標のことだとお考えください。そういう定義や指標にもとづいて、私たちはウイルスに対する信念、つまり態度や考えを持ち、その信念から何らかの行動をとる。そしてその行動がまた、ウイルスの状態を変化させていくわけです。

 感染症の進化の研究者であるポール・イーワルドによると、感染症はうつりやすい条件では重症化し、うつりにくい条件では軽症化するといいます。わかりやすく言えば、人が密集した状況のように、ウイルスが次の宿主を簡単に探せる環境の場合、わざわざ弱毒化するインセンティブはウイルスにないんですね。しかし人々が離れていて、ウイルスが次の宿主を見つけにくい状況では、人が動ける程度にウイルスは弱毒化するわけです。
 このことと先の図を重ねて考えると、重要なのは、ウイルスが弱毒化していくような、記号システムを設計していくことだと思います。

――なるほど、私たちが観察する記号システムの設計がまずいと、人々のウイルスに対する態度や考え、そしてそれにもとづく行動も混乱してしまいますね。

瀧澤 コロナでいえば、「感染者数」だけが独り歩きしてしまい、それによっていまどういう状態にあるのかとか、我々はどういうふうに振る舞わなきゃいけないのかといった解釈が混乱してしまっている。その結果、人々の行動もちぐはぐなものになって、ゲーム理論でいう均衡状態に入っていかないんですね。

――たとえば、感染者数の急激な増加を見て、強い危機感を覚える人もいるし、いや重症者数はそれほどではないから、そこまで怖がる必要はないと捉える人もいる。そうやって解釈が割れると、なかなか足並みが揃わない。

瀧澤 記号をめぐって解釈の闘争が起きているんですよね。それがマスクを着ける、着けないという行動の違いとして現れているわけです。

 じゃあ、どうすればいいのか。多くの人が気づいているように、感染者数という単一の指標だけが突出して観察される状況が解釈の混乱を起こしているわけだから、少なくともそこは改善すべきでしょう。つまり複数の指標を用いながら、解釈の足並みが揃うようにするというアプローチが考えられます。もちろん複数の指標を羅列したからといって、うまくいくとは限りません。そこはリスクコミュニケーションを考えながら、観察する指標を適切に設計する必要があります。

GDPという一元的指標の限界

――具体的に、どういう指標を設計すればいいんでしょうか。

瀧澤 具体的なアイデアがあるわけじゃありませんが、一つの指標だけを用いることに反省を迫る別の例を参照してみましょう。それがGDPです。

 GDPという一元的な指標を改善すべきという議論は、すでにたくさんあるわけですけど、その代表的な議論として、ジョセフ・E・スティグリッツとアマルティア・セン、ジャンポール・フィトゥシの3人が中心となって2008年に設置された「経済業績と社会進歩の計測に関する委員会」の報告書があります。これは当時のサルコジ仏大統領の諮問に応じて作られた委員会で、報告書は、GDPに代わる新しい指標のあり方を提案する内容になっている。日本でも『暮らしの質を測る』という邦題で出版され、注目を集めました。
 この三著者序文の冒頭が、制度論的に興味深いので引用してみます。

<ますます業績志向になっていく社会において、計量単位は重要である。計量するものによってわれわれの行動は影響を受ける。もし計測する基準が間違っていたら、われわれは間違ったものに向けて努力してしまう。GDPをふやそうと努めるなかで、市民の状態が以前より悪化してしまうような社会をつくってしまうかもしれない。>(『暮らしの質を測る』一般社団法人 金融財政事情研究会)

 ウイルスの話と同じように、我々がどういう記号システムを採用するかによって、もう我々のものの見方はすごく制約を受け、行動が影響を受けてしまう。実際には経済の指標はたくさんあるし、GDPは国民経済計算のなかの一つの概念に過ぎません。でも、GDPの存在感は突出しているわけですよね。だから多くの人が、GDPの増減ばかりを見て、自分たちの行動を変えていくわけです。

――GDPだけを見ることの弊害はどういう点にあるんですか。

瀧澤 この報告書にも書いてありますが、たとえば不平等が拡大した場合、GDPは一人あたりの平均所得しかわからないため、中位所得とズレが出てきてしまいます。平均所得が、国民のちょうど真ん中ぐらいにいる人の所得からズレるということは、GDPが人々の実感とかけ離れてしまうことを意味します。

 あるいは政府サービスの計測問題というものがあります。政府サービスは、現状、費用で測っているため、サービスの質的な向上が計測できないんです。これは政府だけじゃなくて、サービス産業全体に言えることです。つまりGDPという概念では、サービスの質的な成長が捕捉できないわけです。報告書では、他にも資源の持続可能性や地球環境についてもGDPでは計測が難しいことを指摘しています。

 GDPだけを特別視すると、いまいったような様々な問題に対して、たとえば政策策定など、我々のふるまい方を誤った方向に導いてしまうんですね。先程の引用にもあるように、自分たちの生活を悪化させているのに、GDPは伸びているから経済状況は良好だと思ってしまいかねないわけです。

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望ましい均衡へ向かうために

――コロナ危機も私たちの経済状況も、一元的な指標ばかりを見ている点では共通しているわけですね。そうすると、やっぱり経済に関しても指標を多元化するというアプローチに転換する必要があるんでしょうか。

瀧澤 報告書でも複数指標の必要性を提案しています。計器盤(ダッシュボード)型の指標ということですね。ただ、現代は考慮すべき問題も複雑化していると同時に、人間の側の多様性も拡張しています。そうすると、これもコロナと同じように、指標を複数にしたからといって、さまざまな問題に対して人々を適切な行動に導けるかどうかはわからないんですね。

 だからここでも、制度論的に指標を理解する必要がある。どういうことかというと、GDPもそうですが、さまざまな指標を見ると、人はそれを客観的な状況を測るような指標だとつい考えがちです。でも、そうではなくて、どんな指標も人為的につくっているし、その指標が人間行動に影響を及ぼすという相互作用があるわけです。言うは易しになってしまいますが、そういう相互作用を理解したうえで、指標を設計するという視点が重要です

――一つの指標だけでは具合が悪いとしても、そこから先にどういう指標を設計するかを考えるのは難しそうですね。

瀧澤 試みはいろいろあるんですけどね。たとえば上述の委員会報告と同様のスピリットで、OECDでつくられた「ベター・ライフ・インデックス(より良い暮らし指標)」というものがあります。これは、住宅、収入、雇用、教育、環境、医療など11の分野別に客観的な指標をつくっています。理想論でいえば、こういった複数の指標のなかでどういう指標を重視して、どういう政策を推進していくべきかを、政党の間で論争するようなプロセスがあればいい。単一の指標に依存したコーディネーションはもう難しくなっているわけだから、少なくともそういった方向にチャレンジしないといけない局面を迎えていると思っています。

 コロナに関しても同じようなことが言えて、ゲーム理論のコーディネーション・ゲームという考え方からすると、均衡状態はつねに複数考えられるわけです。たとえば、右側通行と左側通行はそれぞれ一つの均衡状態ですよね。

 とにかく感染リスクをゼロにするために、徹底してみんなが引きこもる行動を取れば、それはそれで一つの均衡です。だけど、それと引き換えに失うものや犠牲にするものもあります。経済もそうだし、大学生のキャンパスでのさまざまな経験もそうです。
 だとすると、単純な感染症ゼロよりも望ましい均衡を考えることはできるし、そのためにどういう記号システムや指標を用いるのが適切なのかという議論はあっていいはずです。

『現代哲学の最前線』は制度論的な関心とも重なる

――刺激的なお話をありがとうございます。最後に、瀧澤先生がお読みになったことのあるNHK出版新書を何か紹介してもらいたいのですが。

瀧澤 最近出た仲正昌樹さんの『現代哲学の最前線』がすごく面白かったです。というのも、ここで書かれている分析哲学の流れや脈絡は、私が制度について考えてきたことと響き合っているからです。

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 じつは私は、制度論への関心から分析哲学に入っていったんですね。仲正さんの本には、後期ウィトゲンシュタイン、クワイン、セラーズ、ローティ、ブランダムといった分析哲学の巨人たちの一連の脈絡が書かれていますが、彼らの哲学は、制度のなかで意味をつくっていくという議論になっていますよね。たとえば後期ウィトゲンシュタインのように、言葉の意味はその使用であると考え、社会の中で共有される実践に焦点を当てていく。これはもう制度的な現象ですから、私の問題意識とぴったり重なってくるんです。

 あるいは承認論の章がありますが、これも制度論と密接に関わっている。そういった制度に関する哲学的議論が、この本では本当にわかりやすく解説されていて、大変な刺激を受けました。

――私も読みましたが、仲正さんの要約力はすさまじいですね。密度は濃いのに、理解しやすい。

瀧澤 本当に天才的ですね。未読の方のために言っておくと、いま私が挙げたのはごく一部の議論で、実際は、正義論、承認論、自然主義、心の哲学、新しい実在論という五章構成で、それぞれの章について最前線の哲学的議論を紹介しています。だからこの本を一つの地図にして、いろいろな方面に思考を広げていけるのもいいですよね。

 時々、学生から「哲学を勉強したいんですけど、何読めばいいですか」と尋ねられるんですよ。でもこれがなかなか答えるのが難しい。いきなりプラトンやアリストテレスを読めといっても、学生は彼らの問題意識を共有しづらいんですね。だから、現代の問題から入っていったほうがいいと学生には伝えています。現代に書かれた哲学書のなかで、プラトンやアリストテレスがどう使われているのかを知ったほうが、プラトンやアリストテレスにも興味を持ちやすいからです。
 その意味でも、本書は現代を扱っているし、哲学入門書としていいですよね。なによりも問題を共有することが重要で、そのためのテキストとして使えますから。

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――いまのお話に関連して伺いたいんですが、経済学的な制度論と、先生が研究されている哲学と接ぎ木するような制度論の違いはどういう点にあるのですか。

瀧澤 すべてではありませんが、経済学的な制度論は多くの場合、ゲーム理論で扱える範囲の制度ということになります。典型的には、既存のゲーム理論を使って、ある状況の均衡を計算し、それが制度的現象にとって重要だという論文になるんですね。
 だけど私は、たまたま比較制度分析をテーマにしていた青木昌彦さんと近いところにいて影響を受けたこともあって、「制度とは何か」というところまで掘り下げて考える道を歩くことになりました。

 これは泥沼の道ですよ(笑)。だって、社会科学はみんな社会制度について考えてきたわけだし、先程いったように哲学にも制度に関する膨大な知の蓄積がある。それを咀嚼しながら、制度の基礎理論のようなことを考えようとしていますが、まだまだ道半ばです。
 でも、どうして我々が制度を変化させていけるのかとか、ある制度は安定し、ある制度は失敗することの理由を明晰に説明するには、制度の基礎理論のようなものは必要になってくると思うんです。だから青木さんもそうでしたが、既存のゲーム理論にも影響を与えるような制度論をなんとか構想してみたいんです。

――先生のまとまった制度論の著作を読める日を楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

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瀧澤研究室の新書用本棚

*取材・構成:斎藤哲也/2020年7月29日、中央大学にて取材

〔第5回へ続く〕

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プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
*NHK出版新書編集部のTwitterはこちら

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