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黒人であり、なおかつ白人であること――#2ゼイディー・スミス『スイング・タイム』(1)

早稲田大学教授で翻訳家・アメリカ文学研究者の都甲幸治さんによる連載の第2回は、ゼイディー・スミスを取り上げます。ジャマイカ系イギリス人作家のスミスは、デビュー作『ホワイト・ティース』(小竹由美子訳、新潮社、2001年。のち中公文庫、2021年)をはじめ非常に評価の高い作品を発表しており、日本語訳で読める作品もあります。今回取り上げる『スイング・タイム(原題:Swing Time)』はどのような作品なのでしょうか? 本日より3日連続で更新します。

カギを握る映画、『有頂天時代』

 まずは題名である。「スイング・タイム」という言葉から 何が思い浮かぶだろうか。スイング、と言えばジャズかな。そして、ビッグバンドによるスイングジャズが流行した1930年代から40年代はじめの時代を描いた作品だ、と思う読者は多いのではないか。 これは半分正解で半分不正解である。実は「スイング・タイム」というのはフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演した映画『有頂天時代』 (1936年)の原題なのだ。そしてゼイディー・スミスによる本書で大きな鍵を握るのもこの映画である。なので、まずはこの映画について知らなくてはならない。

 アステア扮するジョン ・“ラッキー”・ガーネットは素晴らしいダンサーだ。だが結婚式に遅れてしまったために、婚約者であるマーガレットとの結婚が延期となる。彼女を取り戻したいなら、ニューヨークに出て2万5千ドルを稼いでこい、とマーガレットの父親の判事に言われてしまう。たった25セント硬貨1枚しか持たない ジョンは、友人とともに貨物列車に飛び乗り、ニューヨークにたどり着く。そこでロジャース演じるダンス教師のペニーと知り合う。そして幸運にも賭けに勝ってバンドを手に入れ、一躍人気ダンサーとなるのだ。しかもペニーと恋仲になる。さて、ジョンの恋の行方は。

 とまあ、至って肩の凝らない作品である。会話も洒落ているし、アステアの歌もいい。そして何より素晴らしいのが彼のダンスだ。冒頭からアステアは、まるで宙を舞うように軽やかにフロアを駆け巡る。ロジャースとのダンスも楽しく美しい。そして一番の見せ場が、彼のタップダンスの場面である。ペニーと初めてのキスを交わした彼は、口の周りが口紅で汚れる。白黒映画の特徴を生かし、そのまま口紅に重ねて顔全体を黒塗りにして、彼は黒人ダンサーを演じるのだ。

作品の魅力と「政治的問題」

 「ハーレムのボージャングル」という曲に合わせて、彼はタップダンスを繰り広げる。このシーンは、有名な黒人エンターテイナー、ビル・ボージャングル・ロビンソンへのオマージュなのだ。しかもこのシーンには特殊な処理が施されている。アステアの後ろには3つの巨大な影がいて、彼と同じ振り付けで踊り続ける。実はこの影もすべてアステアによって演じられているのだ。白人の彼がブラックフェイスにすることで黒人に扮し、なおかつ黒人由来のタップダンスを披露する。しかも彼自身が黒い影となり、3人の巨大な黒人に変換される。

 ここにきて、アメリカ史を知っている現代の観客は困惑してしまう。確かに、アステアのダンスは魅力的だ。90年ほど前に製作された作品であるにもかかわらず 、彼の身のこなしを見ていると、自分の体まで一緒に動きだす。しかも彼の表情も歌もセリフも、あまりに強い魅力に満ちている。だが同時に、白人が顔を黒塗りにして滑稽な黒人を演じるという、差別的なミンストレルショーの伝統に沿ったこうした作品は、現代の目から見れば、政治的に問題があるということもわかる。

 難しいことは言わず、ただアステアの至芸を見て楽しめばいい、と思うほど我々は素朴ではない。しかしながら、そもそも政治的に問題がある作品を楽しむべきではない、と考えてしまえば、こうした作品の持つ 魅力まで否定することになる。こうして我々は選ぶことのできない二択の前で立ちすくむ。

長篇小説“NW”(2012年刊行、邦訳なし)。
本書は2013年、イギリスの権威ある文学賞である「女性小説賞」
(※2012年までは「オレンジ賞」と呼ばれていた)にノミネートされた(撮影:都甲幸治)

白人が黒人を「演じる」こと

 ここで問題となっているのは、文化の盗用という概念だ。黒人のタップダンスを白人が盗み取り、黒人に対するステレオタイプに合わせて加工して自分のものとする。そのことに問題がある、というのは確かにわかる。けれども、ならば自分とは異なった者の文化を学ぶことそのものが悪いのだろうか。

 あるいは、見下している相手から自分勝手な理解で文化を盗むことが問題となっているのだとしよう。ならば相手への敬意が存在すれば問題はないのか。実はアステアはビル・ボージャングル・ロビンソンへの限りない敬意を抱いていた。そして彼のステップがアステアのダンスの基盤となっているのである。しかも事態はそこにとどまらない。アステアより60歳ほど若いマイケル・ジャクソンは生涯、彼を尊敬し、アステアへのオマージュに満ちたダンスをたくさん制作している。

 そしてスミスの小説『スイング・タイム』には次のような挿話が登場する。 本書の語り手であり主人公は、ダンスに魅せられたひとりの少女だ(名前は出てこない)。彼女は、郵便局員である父親が語る次のようなエピソードを聞く。マイケル・ジャクソンのムーンウォークを見て衝撃を受けた晩年のアステアは、わざわざマイケルの家まで出向き、直接ムーンウォークの手ほどきを受けた……。 こうなるともう、誰が誰の盗用をしているのかわからない。なにしろ、アステアの動きを学んだマイケルのダンスを、今度はアステア自身が学んでいるのだから。

複数の文化を担い、その中間にいる

 それだけではない。そもそも黒人文化は黒人のもの、白人文化は白人のものというように、はっきりと境界線を引くことはできるのだろうか。黒人と白人の血を両方引いている本書の主人公にとって、ダンスのレッスン中に流れるクラシック音楽はビートのない奇妙なものとして聞こえる。だが、だからといって彼女は黒人文化を所有している、とはとても言えない。何しろ作品の後半で西アフリカに行った主人公は、白人のわりに黒人のように踊れるんだね、と現地の人に褒められてしまうのだから。

『スイング・タイム(原題:SWING TIME)』(2016年刊行)書影(撮影:都甲幸治)

 実は本書の主人公と同じく、著者のゼイディー・スミスもまた、黒人と白人両方の血を引いている。母親はジャマイカ系の黒人で、父親はアイルランド系の白人なのだ。そして500ページ近いこの小説を通して、黒人でも白人でもなく、同時にその両方でもある自分は誰なのか、どの文化をどう受け継いでいけばいいのか、自分自身についてどう捉えればいいのか 、を一貫してスミスは思考し続けているように思える。

 こうした問いは他人事ではない。我々もまた、アジア人でありながら、ヨーロッパやアメリカの教養を身につけ、世界を覆う近代社会に参加している。複数の文化を担いながらそれらの中間にいる人々にとって、どう生きるのが「正しい」のか。こうしたスミスの疑問は、実は我々にもすごく身近なものだ。

明日に続きます。お楽しみに!

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

関連書籍

都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。

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