美しく、桁外れに奇妙な昆虫たち――。急速に減少するこの小さな生き物を守る行動指針を示す、『サイレント・アース――昆虫たちの「沈黙の春」』発売!
いま、昆虫が危機に瀕しています。集約農業や森林伐採による生息域の減少、急速な気候変動……。昆虫は他の生物の栄養源であり、枯葉や死骸・糞の分解、土壌の維持、人間にとって有用な作物の受粉など、あらゆる生命を支えている存在にもかかわらず、その減少に大きな関心が払われているとはいえない状況にあります。
マルハナバチの研究を専門とするデイヴ・グールソンは、昆虫の数が近年急速に減少しつつあることを明らかにし、人類と地球の未来を守るための具体的な行動指針を示すために本書『サイレント・アース――昆虫たちの「沈黙の春」』(2022年8月30日発売)を書きました。
著者は、読者にとって大切な、ほかのあらゆるものと同じように昆虫を尊重してほしい、と述べています。「美しく、意外な姿を見せ、時には桁外れに奇妙、時には不吉で心を乱す存在、でも常に驚きを与えてくれる、尊重に値する生き物」としての昆虫の魅力を描いた、本書3章「昆虫の不思議」を全文公開します(web用に一部編集しています)。
「昆虫は何のために存在するのですか?」
人間の役に立つか、将来役に立ちそうな昆虫の種を保護するという、実用面や経済面から見た声高な主張は確かにある。しかし、この人間中心の保護手法には、生物多様性を保護するうえで最も説得力のある議論が欠けているかもしれない。
講演したあとよく聞かれる質問に「Xという種は何のためにいるのですか?」というものがある(Xにはナメクジや蚊、スズメバチなど、質問者が嫌いな生き物が入る)。以前は、Xという種が果たしているさまざまな役割、理想的には人間に役立つ何かを含めながら、その生き物の存在を生態学的に正当化する理論を構築して答えようとしていた。ナメクジなら、アシナシトカゲの大好物であり、多くの鳥やハリネズミなどの哺乳類、人に好まれやすいほかの生き物にも食べられると指摘するだろう。ナメクジのなかには有機物の分解を助ける種類もあるし、ほかのナメクジに食べられるものもいるといった説明も含めるかもしれない。
これと同様に、スコットランドに住んでいたときには、ヌカカは何の役に立っているのかとよく尋ねられた。夏の終わりにハイランド地方を訪れると、肉眼ではほとんど見えないこの茶色い虫をすぐに嫌いになるはずだ。体は小さくても、群がって血を吸いにくるので、かなり不快な気持ちになることがある。
1872年には、ヴィクトリア女王がハイランドでのピクニックでヌカカに「貪られるように」血を吸われて逃げ帰ったと伝えられている。ヌカカの被害に遭ったのは女王だけではない。ヌカカは観光客に敬遠されているために、スコットランドの観光業界は毎年およそ2億6,800万ポンドを失っていると推定されている。
とはいえ、ヌカカでさえも重要な役割を果たしている。翅を広げた幅は2ミリほど、重さは2,000分の1グラムしかない小さな体だが(*1)、沼地1平方メートル当たり最大25万匹が生まれるため、1ヘクタール当たりで考えるとおよそ1.25トンとなり、それらをツバメなどの多くの鳥やコウモリの小型種が食べている。ヌカカはイギリスだけで650種も存在し、そのうち人を刺すのは二割ほどにすぎない。その幼虫がどのような役割を果たしているのかは、ほとんどわかっていない。多くの種の幼虫はまだ記載されていないのが実情だ。たとえば、熱帯地方ではカカオの木の受粉をヌカカだけが担っている。ヌカカがいなくなればチョコレートが食べられなくなるということだ。だから、少なくとも一部のヌカカは人間にとってきわめて重要である。
最近では、質問の発想を変えようと試みてきた。人間の役に立つとか、生態系の役に立つという視点で、ナメクジやヌカカの存在を正当化する必要があるのか?そもそもナメクジが「何のため」にいるかを知る必要はあるのだろうか?
(*1)
ヌカカは微小ながら進化の奇跡でもある。飛行中の羽ばたきの回数は一秒間に一〇〇〇回で、これは動物界で最速の羽ばたきだ。刺すのは雌だけで、人間が吐き出して風下に流れた二酸化炭素を追って近づいてくるので、暗闇でも人間の居場所がわかる。人間の皮膚に止まると、雌は頭部を旋回させて、のこぎり状の鋭い顎で皮膚を貫いて血を吸う。電動のこぎりのような動きだ。雌は体重の二倍もの血を吸って運ぶことができる。
種の絶滅とその影響
ここで、アルド・レオポルドの言葉「一つひとつの歯車を残しておくことは、賢く修理するうえで第一の注意点だ」を思い出してほしい。しかし、彼の言葉とは裏腹に、絶滅しても生態系や経済への影響をまったく感じない昆虫やほかの生き物は確かにいる。
たとえば、セントヘレナオオハサミムシはすでに絶滅してしまったが、誰にも気づかれなかった。かつては大西洋に浮かぶ離島の海鳥のコロニーに生息していたが、この体長八センチの見事な昆虫は一九六七年以降、生きた姿を目撃されていない。島に移入された齧歯類に一掃されてしまったというのが妥当な見方だ。このオオハサミムシがかつて生態系でどのような役割を果たしていたにしろ、その喪失による明確な影響は生態系に表れていないようだ。少なくとも、これまで影響に気づいた人はいない。
茶色の鎧をまとったニュージーランドの巨大なカマドウマの仲間、ジャイアント・ウェタは重さでは世界屈指で、湿潤な天然林をのんびり歩いていたが、主にオオハサミムシと似たような理由で忘れ去られつつある。ジャイアント・ウェタの喪失が悪い影響をもたらすとはきわめて考えにくく、せいぜいニュージーランドの数人の昆虫学者が嘆き悲しむぐらいだろう。
同様に、私が住んでいる場所に近いイギリス南部の丘陵地帯ではカラフトキリギリスがわずかに残った生息地から姿を消すおそれがあり、イギリス南西部ではアリオンゴマシジミというシジミチョウのなかでも大きめの青いチョウの絶滅が危惧されたが、その結果、生態系が大打撃を受けた形跡はないと考えてよさそうだ。
もしかしてロバート・ウィンストンが正しいのか? これほどたくさんの昆虫は「たいしていらない」のかもしれない(*2)。ひょっとしたら、私たち人類は最小限の生物多様性があるだけの世界で生き延びられるのか? アメリカのカンザス州やイギリスのケンブリッジシャーの大規模な農場が広がる一帯は、すでにそんな状態にかなり近い。そのうち人間は意のままに一つの種全体を一掃できる力を手にするかもしれない。
たとえば、遺伝子ドライブ技術(*3)を用いた研究で、ハマダラカ属の一種(Anopheles gambiae)の集団を実験室で根絶することができている。この技術を応用すれば、いつか自然界からこの蚊を一掃できる日が来るかもしれない(さいわい、この技術を野外で検証する段階には至っていない)。そんな力を手に入れた場合、私たちはそれを行使すべきなのか、そして、どの段階でやめるのか? 理論上は、一回放出しただけで大陸全体にわたって対象の種を根絶できるから、こうした技術を国際レベルでどのように取り締まればよいのか? どの種を生かしてどの種を死なせるかを誰が決定するのか? 蚊がいなくなったあと、最前線に出てくるのはどの種なのか? ナメクジなのか、それともゴキブリやスズメバチなのか? どの段階に来れば、十分に駆除したと判断できるのか?
テクノロジーはまた、かなり違った方法でも利用されている。世界のいくつかの研究室では、ロボット工学者が作物の受粉のために「ロボットミツバチ」を開発中だ。そこには、本物のミツバチが減って、代わりの送粉者がまもなく必要になるかもしれないとの前提がある。これは私たちが子どもたちに残したい未来の姿だろうか? 子どもたちは頭上を舞うチョウを見ることもなく、野花は一輪も咲いておらず、鳥の歌や昆虫の飛ぶ音の代わりに聞こえるのは花粉媒介ロボットのブーンという単調な低音だけ、という未来を。
(*2)
ロバート・ウィンストンはイギリスの著名な医師でテレビ司会者。著者は2章で、野生動物の世界的な減少について尋ねられたウィンストンが「地球上に、たいしていらない昆虫は山ほどいる」と答えたエピソードを紹介している。
(*3)
これは独創的だが恐ろしい技術で、雌の蚊の繁殖に必要な遺伝子の失敗作を挿入して、蚊のゲノムを改変する。雌は欠陥遺伝子を一つだけもつ場合には生殖できるのだが、二つもつと生殖できなくなる。科学者たちは欠陥遺伝子に加え、その遺伝子をすべての子が受け継ぐようにする機構「遺伝子ドライブ」も挿入して、蚊の集団内で欠陥遺伝子をもつ個体を急速に増やすようにする。そうした個体が増えるにつれて、欠陥遺伝子を二つ受け継いだ個体も集団内でだんだん増え、生殖能力を失ってゆく。実験室の集団では、八世代経るとすべての雌の生殖能力が失われて、集団は全滅した。理論上は、遺伝子を改変した蚊(あるいはネズミやゴキブリといった「好ましくない」生き物)を一匹放つだけで、野生の集団全体、ことによると種全体を一掃することができる。とはいえ、実際の自然環境でそれほどうまくいくのかどうかは不透明だ。大規模な野生の集団では、殺虫剤の場合と同様、一部の個体がその遺伝子に耐性をもつ性質を進化させる可能性が非常に高いからである。
不思議に満ちた小さな生き物たち
私にとって、昆虫の経済的価値は政治家に一発食らわせるための道具でしかない。政治家はお金でしか価値を判断しないようだから、私は昆虫が経済に果たしている貢献を指摘するのだ。だが正直に言うと、私が昆虫の立場を守るために闘っている理由に経済はまったく関係がない。私が闘っているのは、昆虫のことをすばらしいと思うからだ。
ヤマキチョウを一年で最初に目にした日、晩冬の最初の暖かい日に庭で鮮やかな黄色の翅を見たときには、心の底から喜びが湧き上がってくる。これと同様、夏の直前にキリギリスの鳴き声や、不器用なマルハナバチが花々のあいだを飛び交う音を耳にしたとき、あるいは、地中海からの長い渡りを終えたヒメアカタテハが春の日だまりで日なたぼっこしている姿を見ると、私の心はなごむ。昆虫がいない世界がどれほど荒涼としているか想像がつかない。
不思議に満ちた小さな生き物を見ていると、私たちは本当にすばらしい世界を受け継いだのだと思う。こんな喜びが得られない世界を、私たちは本気で孫たちに押しつけようとしているのだろうか?
昆虫は美しいだけではない。魅惑的でもあるし、奇妙でもあるし、さまざまな点で私たちとまったく異なっている。いくつか例を挙げてみよう。アブラムシの風変わりな仲間であるツノゼミ〔どちらもカメムシ目〕のなかには、鋭いとげにそっくりなものがいる。おそらくカモフラージュのためとみられるが、それだけでなく、捕食者がのみ込みにくい形状になっている。植物の茎に群がって何かを食べている姿は、厄介ないばらのようにも見える。
エクアドルのヨツコブツノゼミは、頭部の後ろから角のようなものが生え、その先が枝分かれして、五つの毛玉のほか、後ろ向きの長いとげが一本付いている。これはノムシタケというキノコに寄生されたふりをしているのだと考えられている(このキノコは寄生して、宿主となった昆虫の頭部から子実体を生やす)。捕食者は菌類に感染した獲物を食べたくないだろうとの推測にもとづいた説だが、まだ何も調査されていない。
タイの大きなカメムシがエルヴィス・プレスリーに不気味に似ている理由も調べられていない〔日本では人面カメムシと名付けられている〕。
アゲハチョウの幼虫のなかには鳥の糞にしか見えない外見を獲得したものがいるし、クモや花、ヘビ、小枝、植物の荚に似ているものもいる。アメリカ大陸に生息するセミの仲間のビワハゴロモは頭にピーナッツの殻をかぶっているような見かけだが、その理由は謎だ。
ゾウムシ類はほとんどが地味で茶色い小さな甲虫だが、マダガスカルのキリンクビナガオトシブミの雄は鮮やかな赤と黒をしていて、桁外れに長い首の先にちっぽけな頭がぶら下がっている。これを使って、雌をめぐるぎこちない戦いを繰り広げ、ライバルたちを樹冠から追い払おうとする。
ガの雄のなかには、尾部から「ヘアペンシル」と呼ばれるもじゃもじゃの付属肢を出して大きく膨らませるものがいる。この器官からフェロモンを出し、夜のそよ風に乗せて雌を誘うのだ。
昆虫たちの奇妙な行動と生態
奇妙で驚きいっぱいの外見はほぼ無数にありそうだが、そのほかにも、昆虫は信じられないほど多様な独特の行動と生態を発達させてきた。たとえば、大半のガは蜜を吸うが、エグリバ類のガの雄は血が大好きで、チャンスがあればのこぎり状の舌を人間に刺して吸血する。一方、マダガスカルにすむガ(Hemiceratoides hieroglyphica)は、眠っている鳥のまぶたの下から出るしょっぱい涙を吸う。南アメリカで発見されたナマケモノガは、幼虫のときにはナマケモノの糞だけを食べ、成虫になるとナマケモノの毛皮の中にすんで、糞が排出されるとすぐそこに卵を産みつける。
ショウジョウバエの仲間には、体長の20倍もある長さ5.8センチほどの精子をつくるものがいる(Drosophila bifurca)。精子は雄の体内にあるときには、絶対にほどけそうにないほど複雑に絡まっているが、雌の体内に入るとなぜか自然にほどけるようになっている。この種では、雌の卵子を受精させるうえで、精子は大きければ大きいほど小さいライバルを追い払いやすいようだ。
ブラジルの洞窟にすむチャタテムシは、交尾のとき雌が雄の上に乗り、とげのある膨張式のペニスのような大きな器官を雄に挿入して、精子を吸い上げる。「ペニス」にとげがあることで、雌は交尾を終えるまで雄をしっかりつかまえることができる。交尾は50時間以上も続くことがあるという。しかし、ある種のナナフシに比べれば、まだ短いほうだ。昆虫界のセックスの達人ともいうべきそのナナフシは何週間も交尾したままでいられ、最長で79日という記録が残っている。
昆虫の基準で見ても異色なのが、ネジレバネだ。昆虫界でもよく知られていないネジレバネ目に分類され、実際に見たことがある人はほとんどいないだろうが、イギリスも含めて世界中に生息している。ネジレバネの雌は寄生虫で、ハチやバッタなど、種によって異なる昆虫を宿主としている。十分に成長すると不運な宿主の体内の9割を占有することもあるが、それでも宿主はどうにか生きて活動している。
ネジレバネの雌は成虫になっても、ウジのように目も脚も翅もなく、一見自分では何もできなさそうな見かけだが、それでも宿主の腹部の体節と体節のあいだから目のない頭部を押し出し、フェロモンを放出して交尾相手を誘う。雄は小型で繊細な昆虫で、黒っぽい三角の翅を一対もっていて自由に飛べる。宿主の体内にいる雌と交尾するとすぐ、力尽きて死んでしまう。雌が産んだ無数の子は、母親の体を食べ尽くすと宿主の体から這い出して、そのなかの雌がまた生きのいい宿主を探す。ハナバチを宿主とするネジレバネの場合、幼虫は花の中に潜んで格好の宿主になりそうなハナバチの到来を待ち、その背中にヒッチハイクして巣まで移動すると、そのハナバチの子の体内に潜り込む。これがネジレバネの風変わりな一生だ。
こうしたすばらしい生き物をどれか一種研究するだけでも、一生かかるかもしれない。少なくとも博士論文を書くための楽しい研究対象になるだろう。これまで命名された100万種の昆虫のほとんどがまだ何も研究されていないので、昆虫の生態についてこの先どんなすごい発見があるのか誰にもわからない。私たちが命名さえしていない昆虫がまだ400万種ぐらいあると考えられているから、昆虫が研究の対象である限り、科学者たちがあと1,000年は楽しく研究に専念できることは間違いない。これほど独特な生き物が存在しなかったとしても、世界は豊かさを失わず、驚きも少なくならず、魅力も薄れないだろうか?
ここまでの話をまとめると、昆虫は実用面でも経済面でも重要であるし、喜びやインスピレーション、驚きも与えてくれると主張することはできるが、いずれも昆虫が人間のために何をしてくれるかに着目しているから、結局は自己中心的な主張でしかない。
地球上の昆虫やその他の大小さまざまな生き物を気にかけるべきだとの議論を締めくくるに当たり、人間の幸福に着目していない主張も紹介したい。地球上のあらゆる生物は人間と同じようにこの惑星に存在する権利がある、というものだ。
信心深い読者にうかがいたいのだが、神はこうした目を見張る生き物たちを、人間が無鉄砲に滅ぼすためだけにつくったとお考えだろうか? 神はサンゴ礁を、プラスチックごみにまみれ、白化して死んでいくようにするためにつくったと思えるだろうか? 神が500万種もの生き物を、私たちがその多くを知ることもなく絶滅に追い込むためにわざわざつくったとの考えは、妥当だと感じられるのだろうか?
逆にもしあなたが、あらゆる生物を創造したのは甲虫の魅力に取りつかれた超自然的存在(*4)などではなく、生物が数十億年かけて進化してきたのだという科学的な証拠を受け入れているなら、人間はただ、知能がとりわけ高く破壊的なサルの一種でしかなく、地球上に1,000万種いるともいわれている動植物の一つにすぎないということをしっかりと認識しなければならない。人間は動物を支配する権利を誰からも与えられていない。私たちは略奪や破壊、駆逐をする道徳的権利を神から与えられたわけではない。
信心深いかどうかはともかく、権力のある金持ちが力のない貧者を抑圧したり追放したりできるようにすべきでないという見方には、ほとんどの人が賛同するだろう(とはいえ、私たちはそうしたことが年中起きる状況を許してしまってはいるのだが)。
同様に、1953年の「宇宙戦争」やそれ以降の何十ものSF映画では、人類よりも知能が高い宇宙人が到来し、人間は余分な存在だと判断して地球を奪おうと、あるいは星間旅行のバイパスを地球に建造しようと、人類一掃に乗り出す。もちろん、こうした映画では宇宙人は悪者として描かれ、観客は劣っている側の人類を応援する。人類は不利な状況に置かれるにもかかわらず、たいていはどうにか勝利する結末になっている。
私たちは自分たちの偽善にいつ気づくだろうか? みずからの惑星で、悪者なのは人間だ。あらゆる生命を自分たちの都合で軽率に滅ぼそうとしている。私たちは映画「インデペンデンス・デイ」に登場する宇宙人に自分たちの惑星を奪う権利などないと、直感的に考える。だが、故郷の森がブルドーザーで更地になっていくのを目にしたオランウータンは、どんな気持ちだろうか? ナメクジが「何のため」にいるかを知ろうとする必要などない。それを知らなくても、彼らの存在を許すべきだ。ペンギンだろうと、パンダだろうと、シミだろうと、美しいかどうかに関係なく、そして生態系に欠かせない役割を果たしているかどうかに関係なく、惑星「地球号」に同乗している仲間たちすべての面倒を見る道徳的義務が、私たちにあるのではないのだろうか?
(*4)
イギリスの進化生物学者J・B・S・ホールデンはかつて、何十年にもわたる進化の研究から、神の性質について何がわかったかと尋ねられた。すると彼は、冗談半分かもしれないが、「神は無類の甲虫好きに違いない」と答えた。神はカリバチとハエにも夢中に違いないとも、付け加えたかもしれないが。
(了)
※他の章は『サイレント・アース――昆虫たちの「沈黙の春」』でお楽しみください。
著者プロフィール
デイヴ・グールソン(Dave Goulson)
生物学者。1965年生まれ。英サセックス大学生物学教授。王立昆虫学会フェロー。とくにマルハナバチをはじめとする昆虫の生態研究と保護を専門とし、論文を300本以上発表している。激減するマルハナバチを保護するための基金を設立。一般向けの著書を複数出版している。
訳者プロフィール
藤原多伽夫(ふじわら・たかお)
翻訳家。1971年生まれ。静岡大学理学部卒業。おもな訳書にブライアン・ヘア,ヴァネッサ・ウッズ『ヒトは〈家畜化〉して進化した』、パトリック・E・マクガヴァン『酒の起源』(ともに白揚社)、スコット・リチャード・ショー『昆虫は最強の生物である』、チャールズ・コケル『生命進化の物理法則』(ともに河出書房新社)、ジェイムズ・D・スタイン『探偵フレディの数学事件ファイル』(化学同人)ほか。