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エターナル・アリス——少女の成長とノンセンスの相克  「言葉が・言葉で・言葉を作る『アリス』の世界」第2回

本がひらく
 誰もが知る名作『不思議の国のアリス』。子供の頃、アニメ映画などで見た方も多いでしょうが、原文を読んでみると、驚きの発見が詰まっています。そんな『アリス』の世界の深淵(アビス)を、気鋭の英文学研究者、勝田悠紀さんがご案内します。
 ※本文で引用する『不思議の国のアリス』の日本語訳は勝田悠紀さんによるものです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

アリスの成長

 「不思議の国」の「ノンセンス」は変化を忌み嫌う。それが前回の結論だった。しかし最初に “grow” という単語に注目したことを思い出してほしい。アリスは「巨大化/成長」する。けれど「成長」とはまさに変化そのものではないのか。
 夢から醒めたアリスがあまりにも呆気なく走り去ってしまう物語の末尾で、庭にひとり残された姉は、「大人の女性」(“a grown woman”)になった未来の妹が「子供時代」の記憶をほかの子らに語り聞かせるようすを思い浮かべている。少女アリスの成長。“grow” をめぐるすったもんだを中心に展開したアリスの物語がお姉さんのこの夢想で締めくくられることを考えるとき、『不思議の国のアリス』における「成長」という主題がくっきり浮かび上がってくる。
 しかしその成長はすんなりとは進まない。ヤマネにとってアリスの巨大化は「馬鹿げた速さ」で進んでいた。アリスは確かに「大きくなる」が、そのプロセスはどうも「まとも」でないのである。あるいはむしろ、プロセスがないというべきなのかもしれない。本来成長とは、それなりの時間をかけてゆっくりと積み重ねられていくものだ。しかしアリスの場合その「間」はすっ飛ばされて、一瞬のうちに大きくなったり小さくなったりするだけである。

少女は教養小説の主人公になれるか

 アリスの成長はどうしてこうもいびつなのか。これを作者ルイス・キャロルの問題として考えてみるのもおもしろいがそれは次回に譲り、ここでは小説史の観点から考えてみよう。キャロルの生きた十九世紀には「教養小説」(ドイツ語で「ビルドゥングスロマン」)とよばれる一大小説ジャンルがあった。「教養」というと教科書の類かと思われるかもしれないが、内容に即していうなら「成長小説」のことである。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を嚆矢とするこの小説群では、若い主人公が社会に乗り出し、見聞を広め、さまざまな出来事に遭遇しながら人格を形成していく。文化圏ごとに物語展開が異なり、イギリスでは結婚と遺産相続(あるいは出自の判明)をもって終わるのが典型だ。
 問題は、「成長」するこの主人公にどんな人物が選ばれるかということである。それは伝統的に男、とくに少年から青年にあたる若い男性だった。ルイス・キャロルと並んで、十九世紀イギリスを代表する小説家チャールズ・ディケンズの教養小説を見てみると、『オリバー・ツイスト』、『デイヴィッド・コパフィールド』、『大いなる遺産』のピップなど、主人公はみな男である。彼らはしばしば孤児でもあり、いわばまっさらな状態(タブラ・ラサ)で社会に出て、経験を積みながら社会的地位を築いていく。主人公の目を通して社会を描こうとするとき、男性に与えられた移動の自由や社会参加の特権は作家にとって便利だった。教養小説においては主人公の成長と国民国家の発展が重ねられているとする考え方もある。
 ではディケンズが女性を主人公とする小説を書いていないかといえば、そういうわけではない。例えば『リトル・ドリット』という作品。二十歳そこそこのエイミー・ドリットが、すったもんだの末にアーサー・クレナムという男と結婚する話、といえば、上記の教養小説のパタンと大差なさそうだ。しかしその存在はその名に違わず異様に「小さい」。小説序盤ではそれでも主人公かと突っ込みたくなるほど登場回数が少ないし、身体的な「小ささ」を極端に強調する描写は、彼女の造形が主人公というより脇役に近いのではないかという印象を読者に与える。
 こうした歪さの原因として考えられる一つの仮説は、リトル・ドリットが女性であることと教養小説の主人公であることのあいだに、作家がうまく折り合いをつけられずにいるのではないかというものだ。むろん現実には少女も少年もみな大人になっていく。しかしどういうわけか「女」が「成長」することが矛盾と感じられてしまう構造が、この時代の小説には内在しているらしいのだ。敷衍すれば、アリスの成長を阻止したい「不思議の国」のノンセンスにとって、アリスが少女であることは好都合だという話にもなってくる。

少女漫画は永遠をもとめる

 物語における「成長」のこうしたジェンダー差は、現代でも形を変えつつ存在している。一例として、少年漫画と少女漫画の違いを考えてみよう。少年漫画の王道をいく作品には、しばしば「友情・努力」を通じて成長し「勝利」にいたるというストーリーが見られる。これに対して、アメリカ文学者の大串尚代によれば、少女漫画の特徴のひとつは「永遠性」だという。
 しかしその理路はいささか複雑だ。少女漫画において、主人公たちがまず目指すのは「自分を肯定してくれる相手」と結ばれた先にある「幸福の永遠性」である。けれどこれは冷静にその後のことを考えてしまうと、存外脆い「永遠」でもある(というかほとんど妄想に近い)。そこで導きだされる第二の手段が、その一歩手前で伴侶との永遠の幸福を夢見る状態——これを大串は「オトメチック性」と呼んでいる——を、永遠にもちつづけるというものだ。
 時が流れ、万物が刻々と変化していくのを止めることはできない以上、「永遠」を確保しようという試みはこのように手の込んだものにならざるをえないのだろう。いずれにせよ、物語的想像力における少年と少女の「(非)成長」の差は、こうして現代にまで残っている。

*注 大串尚代『立ちどまらない少女たち——〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』松柏社、2021年、第5章

アリスもいつかはチョウになる?

 永遠への志向と、それを破綻させんとする変化との緊張関係——これはそのままノンセンス的不変と成長の気配との狭間で揺れる少女アリスにも当てはまる。巨大化/成長の主題がきわめて魅力的に展開されている場面、キノコの笠に座って水タバコをふかす「イモムシ」とのやりとり(第五章)を見てみよう。

「きみはだれかね(Who are you?)」とイモムシが言いました。
「わたし——わたし、今はよくわかりません——朝起きたとき誰だったかはわかるけど、それから何回か変わってしまったみたいで」
「どういうことだ。自分の言ったことを説明してみろ」とイモムシ。
「その自分が説明できないんです。だっていまの私は自分じゃないのだもの」とアリス。
「でもあなたがサナギになって——いつかはなると思うんです——そしてチョウになったら、ちょっと変な感じだって思うんじゃないですか」
「まったくそんなことはない」とイモムシ。
「じゃあ、あなたの感じ方が違うのかもしれません。わたしには変な感じがすると思います」とアリス。
「君には!」とイモムシはばかにしたように言いました。「そのきみってのはだれなんだ?(Who are you?)」

 ここでは成長の主題とアイデンティティの問題(「きみはだれかね」)が交錯している。身体の大きさが「変わってしまった」ことで、アリスは自分が何者なのかよくわからなくなっている。一方では、なるほど成長とはそういうものかもしれないという気もする。心や身体の変化に認識が追いつかず、一次的に前も後ろもわからなくなってしまうことが成長にはつきものかもしれない。
 しかし、「イモムシ」、「サナギ」、「チョウ」といういかにも成長らしい成長について問われたイモムシは、アリスの「変な感じ」に共感を示さない。イモムシに生まれたからにはサナギからチョウになるのは当然のこと。特に何とも思わない方が自然なのかもしれない。しかしそうだとすると、アリスの違和感の正体は何なのか。
 すでに述べたように、アリスの巨大化はあくまで一瞬の変化である。ゆったりとした推移ではなくカクカクとした変化、その非連続性は、通常の成熟と比べるときわめてノンセンス的なものである。だとしたら、アリスがここで普通の成長を(しかも男のイモムシの成長を!)「変」だと感じることは、もはやアリスがノンセンスのルールに馴染みつつあることを示すのではないか。見かけに反して、イモムシがセンスの人、アリスがノンセンスの人という対比が、ここには読まれるべきなのかもしれない。
 そして、このようにセンスとノンセンス、成長と非成長の間で揺れるアリスを、最終的にさらなる不変=永遠が包みこむ。「きみはだれかね」から始まったこのやりとりは、再び「きみはだれかね」に戻ってくることで、何一つ前に進まないまま幕を閉じるのだ。時計の針が一周したら時間が進んでいないのと見分けがつかなくなるように、不安定なアイデンティティへの問いは結局一歩も進展しないのである。
 非成長(巨大化・矮小化)が成長(イモムシからチョウへ)に重なってしまいそうになる瞬間、それをさらなる不変で食い止めようとするこの構造は、「永遠の幸福」の危機に「永遠のオトメチック」を呼び出す少女漫画の戦略とも重なるところがある。一見荒唐無稽なアリスのノンセンスな身体は、こうして意外にも「少女」の物語の核心へとまっすぐ通じているのだ。

 それにしても、少女アリスの(非)成長という厄介な主題に、キャロルはどうしてこれほどこだわったのだろうか。次回はこの問いを念頭に置きつつ、『不思議の国のアリス』における「感情」について考えてみよう。

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プロフィール
文・勝田悠紀(かつた・ゆうき)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程。専門はイギリス文学。最近は魚料理と将棋にハマっている。「フィクションの手触りを求めて」(『文学+WEB版』)をnoteにて連載中。

イラスト・はしゃ
マンガ家・イラストレーター。『さめない街の喫茶店』など。健康で活発なおばあちゃんになるのが夢。

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