できの悪いコピーに徹する――#3シャオルー・グオ『恋人たちの言葉』(3)
映画監督として、小説家として
さて、本書を書いたシャオルー・グオとはどういう人物なのか。1973年に彼女は中国で生まれた。その後、難関校である北京電影学院で修士号を取得し、2002年にイギリスに渡って、国立映画テレビ大学の監督コースで学んでいる。映画監督としての評価は高く、『中国娘』で2009年にロカルノ映画祭で金豹賞を獲得した。
農村の娘が都市に出て工場で働くがクビになり、裏稼業の男の愛人となるも彼は殺され、男の金でロンドンに観光旅行に出かける。そのまま滞在し続けるが、出会ったインド人の子を妊娠し、だが彼のほうはインドに戻ると言い出す、という話である。この映画は日本でDVDも出ているので、わりと簡単に見られる。
一方で彼女は、小説家としても著名である。『九つの大陸』(2017)という自伝的エッセイで全米批評家協会賞を受賞し、2019年にはブッカー賞の選考委員も務めた。大学での教育にも熱心で、最近ではコロンビアの訪問教授にもなっている。正直言って、日本でほとんど紹介されていないのが不思議なぐらいの存在だ。
ピカソの模写は簡単すぎる
それでは本作の起源は何か。グオ自身が行った中国の村での調査だという。「私はここの職人たちがどれだけ素晴らしいかに気づきました。彼らは農民で、描き方は独学です。けれどもモナリザなら、1日の午後だけで描き上げることができますし、カラヴァッジオなら2日で描けます。彼らはピカソは描きません。模写するのが簡単すぎるからです」(“Translating Love in the Time of Brexit”, Electric Lit)。
彼女はこの調査で撮った映像を元に『5人の男とカラヴァッジオ』(2019)というドキュメンタリー映画を製作した。そして『恋人たちの言葉』でもレオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』を描く職人の夫婦が出てくる。基本的には夫が描き、彼が遊んでいるあいだは妻が描く。妻の手法が変わっている。なんと西洋の油絵の具でなく、中国の墨を使うのだ。妻は言う。「油絵の具は硬すぎるし、のっぺりしてる。だから墨の方が良いんですよ」。
夫婦はiPhoneで、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあるオリジナルの画像を表示し、細かいところは指で拡大してせっせと写していく。けれども重大な違いがある。オリジナルは暗いが、コピーは全体が赤っぽい。しかも描かれた人物の表情はどことなく中国っぽい。大きな違いは円光の有無だ。オリジナルの登場人物の頭上には円光が描かれているのに、コピーには全くない。主人公がなぜかと問うと、職人は答える。だってそんなの描いたら、素人っぽすぎるでしょう。
独創性の正体とは
現代の中国の職人の手で、より「完全な」ものとされたダ・ヴィンチとは一体何か。主人公の博士論文を審査する教授たちは、こうした作品を、価値の低いコピー、あるいはただの冗談としか見ない。けれども、そうした作者の独創性を当然視する思考は、それを体得している西洋人と結局は理解できない東洋人、という上下関係のもとに成り立っているのではないか、と主人公は思う。
そもそもダ・ヴィンチの作品も、聖母マリアやキリスト教といった、西洋の歴史の中で価値があるとされた概念のコピーでしかないのではないか。そこに作者の独創性を見出すという思考法自体、神が芸術家の魂に働きかけて真正なものを表現する、という隠蔽されたキリスト教だろう。
だからグオはあえて、「できの悪いコピー」という立場を引き受ける。そもそも『恋人たちの言葉 A Lover’s Discourse』という題名自体、ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章 fragments d’un discours amoureux』英語版のタイトルと全く同じである。主人公は言う。バルザックも、ディケンズも、ヘミングウェイも、あまりに偉そうで男っぽすぎて、その作品に浸れない。けれどもロラン・バルトだけは別だ。「バルトは喋るのをやめられない女性のようだ。言葉に満ちた善良な女性」。
中国の職人のように
「無視され、軽んじられ」(『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳、みすず書房、2020)ている恋愛の言葉を集めて、一冊の本を編んでしまうバルト。主人公はバルトの『喪の日記』に出てくる挿話を語る。亡くなった母親の寝室に花を絶やしたくないがために、バルトは旅行するのをやめる。こうした、異性愛的な愛とは全く別の、優しさと繊細さに満ちた愛の形にこそ主人公は惹かれる。
そして、そもそも自分は現代のバルトではないか、とまで思うのだ。『表徴の帝国』でバルトは日本を訪れ、漢字とひらがなカタカナという、全く読めない文字に囲まれながら、すれ違いと沈黙を感じた。そして今、主人公は中国からイギリスに来て、理解できなさの中を漂う。彼女の言葉の中で、東西も男女も見事に入れ替わる。
かつてバルトは批評の中で、今や西洋の歴史において長らく力を振るってきた「作者」という概念は死に、すべては快楽に満ちた記号の網の目になった、と述べた。その言葉はいまだ、一般的な認識にはなっていない。けれどもグオは、そうしたバルトの思考を用いながら、男性優位なヨーロッパの文化を、作品を通して転倒する。
イギリス人になんかなろうとしなくていい。そんな努力をしても、せいぜい二級の市民になれるだけだ。むしろヨーロッパのさまざまなものを盗みながら、自分を表現するために勝手に使ってしまう。まるで中国の職人のように。そうして、今まで誰も見たことのないような作品を生み出そう。そのようなグオの態度は、現代において非常に重要なものだと思える。そして彼女の試みは、かつて一瞬でもアメリカ人になろうとして挫折した過去の僕の心を慰め、また元気づけてくれる。
(第3回了)
題字・イラスト:佐藤ジュンコ
都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。
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