「推し」の代わりに差し入れや寄付も! 韓国の最新「推し活」事情――短期連載#1「ドラマで読む韓国」金光英実
「太陽を抱く月」「雲が描いた月明かり」「ミセン」……数々の韓国ドラマ作品で字幕翻訳を手掛けてきた金光英実さん。そのキャリアとソウル在住30年の経験をもとに執筆した新刊『ドラマで読む韓国』は、現代韓国の文化や社会を知るのにうってつけの一冊です。9月10日予定の刊行に先立ち、内容の一部を抜粋してお届けします。
ファン文化をつくる「マスター」の存在
自分の好きなアイドルやアーティスト、俳優などを「推し」と言う。私の周りには、韓国人アーティストや俳優を応援する「推し活」に熱心な友人が大勢いる。
「推し活でちょっとソウルへ行くよ」
「2日連続で公演チケットを取っちゃったんだ」
そんな会話がグループチャットでよく流れてくる。みんな仕事で忙しいのに、その熱量にはいつも圧倒される。「推し活」が仕事のエネルギー源になっているのだろう。
韓国の「推し活」には、日本と大きく異なる点がある。韓国スターのファンの中には「マスター」という、ファン中のファンがいるのだ。スターに付いてまわって写真や動画を撮り、SNSを通じてファンに共有し、ファン同士の交流の場を提供する重要な役割を果たしている。
そんな人たちのことを「ホムマ/ホームマスター」などと呼ぶこともある。SNSが発達していなかった時代は、自分が作ったホームページに写真をアップして活動していたので、「ホームページ」と「マスター」を組み合わせてそう呼ばれていた。その名残でいまもそのまま呼ばれている。
昔は趣味のひとつとして、好きな時間に撮影し、写真をアップしていたのだろう。だが、いまやSNSで次から次へといろんな写真が上がってくるから、マスターもおちおちしていられない。どんどん新しい写真を撮って、自分の地位と名誉を守らなくてはならない。
アイドルが所属する事務所が中小のプロダクションの場合は、マスターの影響が特に大きくなる。プロダクションがイベントに招待したり、ファンクラブで特別待遇にしたりと、マスターの活動支援まで行っているのが実態だ。女性アイドルグループのCRAYON POPやEXIDなどが人気を得たのは、マスターの影響が大きいと言われている。
アイドルたちも、自分のマスターの存在を知っている。ステージで踊りながらマスターのカメラに視線をやることもあるし、自分のマスターが他のメンバーを撮ったらムッとしてみせる。アイドルにも一目置かれる存在、それがマスターだ。
そのために、ファンの中で序列が付けられて内部分裂につながることもあるから、諸刃の剣ではある。ファンクラブの中には、マスターを応援するファンもいるのだ。
撮影現場に差し入れするファンたち
「美女と純情男」(2024年)というドラマがある。ストーリーは次のとおりだ。
幼いドラは、大家の息子で高校生のデチュンが好きになる。しかし、事情があってドラはデチュンに挨拶もできないまま引っ越すことに。月日が経ち、大人になった二人は、トップ女優と新人プロデューサーという立場で再会する。
物語はそこから二転三転するのだが、この作品にはドラマの収録現場のシーンが何度も出てきて興味深い。例えば、ドラに思いを寄せる金持ちの息子ジンダンが、ドラの気を引くためにあれこれプレゼント攻勢を仕掛けるのだが、現場にケータリングサービスを送るシーンなどは、これぞ韓国のファン文化だと思い、見入ってしまった。
そう、韓国では、ファンが「推し」のために、撮影現場にキッチンカーやコーヒーカーを送ることが珍しくないのだ。ほとんどの場合は、マスターがファンからお金を集めて差し入れする。個人でもできないことはないが、「推し」のスケジュールを確認し、関係者一同の許可を取り、業者に連絡し、現場に設置するタペストリーやのぼり旗、看板などの写真を用意しなくてはならないので、やはりマスターでないとハードルは高い。
こうしてみると、韓国のファンは日本のファンよりもずっと力を持っていると言えそうだ。男性アイドルグループBTSは「ARMY」、Stray Kidsは「STAY」、ASTROは「AROHA」など、ファンクラブにそれぞれ名前が付いていて、その絆の深さが感じられるのもいい。最近は日本のアイドルグループにも似たような文化が定着しつつあるが、韓国アイドルの影響があるのではないだろうか。韓国のアイドルファンたちは、ライブで自分たちの作ったサプライズ動画を流したり、誕生日に大きな広告を出したり(センイル広告)、「推し」の誕生日を祝うファン同士の交流会を開いたり(センイルカフェ)と、「推し」のために最大限の努力をする。もちろん、これらを取りしきるのもマスターだ。
「推し」の名前で寄付
ただ応援するだけでなく、「推し」の評判を上げようと努力する点が特徴だ。
例えば、撮影現場にキッチンカーやコーヒーカーを用意すれば、共演者やスタッフが「推し」に感謝してくれる。世間的にも、自分の「推し」にはこれだけのすばらしいファンがいるとアピールできる。典型的な例が「米花輪」だ。ファンたちはコンサートや制作発表会など、「推し」のイベントに花輪とともに大量のお米を贈る。このお米はイベント終了後、児童福祉施設などに寄付されて恵まれない人の役に立ち、「推し」本人の顔も立つ。マスターたるもの、そこまで考えなくては務まらない。
ファンたちが、「推し」の誕生日に「推し」の名前で寄付する様子もよく見られる。
BTSジミンのファンは、ジミンの母校の高校に奨学金1000万ウォン(約110万円)を寄付し、GOT7ジニョンのファンは白血病の児童財団に寄付をした。バースデイプロジェクトと称して、みんなで街のゴミ拾いをしたり、病院に車椅子を寄付したりする話もよく聞く。いずれも「推し」本人を喜ばせるだけでなく、本人のすばらしさを世間にアピールする行為だ。ファンの行動で、「推し」が人徳を備えていることを暗に示している。
そういえば、タイのドラマコンテンツに関わっている友人が、最近はタイのロケ現場でもキッチンカーの差し入れが入ると言っていた。タイにはもともとなかった文化だ。いまや韓国式のファン文化は全世界に広がりつつある。
(了)
第2回を読む
※金光英実『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)は9月10日発売予定です。
第1章 エンタメに宿る国民性――ドラマと韓国
第2章 金は天下に回らない――財閥と韓国
第3章 かわいい子には勉強させよ――学歴と韓国
第4章 食事から生まれる仲間意識――食と韓国
第5章 親しき仲には遠慮なし――韓国の人間関係
第6章 復讐は蜜の味――犯罪と韓国
第7章 可視化されるジェンダー対立――女性と韓国
四方田犬彦さん推薦!
ソウルに住んでもうすぐ30年。ヨンシル(英実)はこの都を自在に泳いでいる魚だ。居酒屋の主人から韓国ドラマの字幕翻訳まで、職業を転々。遠いものは美しい。でも近づいて目を凝らすと大変だ。何もかもが日本の十倍も過激な韓国の、リアルな観察日記。
金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、訳書に『ソウルの中心で真実を叫ぶ』『殺人の品格』(ともに扶桑社)など。