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「コロナ禍では独裁がメリット?」「SNSが民主主義の限界を暴く?」2500年規模の世界史を大胆に整理し、「独裁」を切り口に語りなおす!――新刊『独裁の世界史』より

 世界から独裁者が消えないのはなぜか? テクノロジーの進化が可能にする「デジタル独裁」にどう向き合うべきか?
 我々日本人にとって絶対的な「正」に思われる民主政も、歴史をひもとくとあながちそうとは言いきれません。冒頭に挙げた、現代社会における素朴な疑問や喫緊に迫る懸念に答えるには、意外にも古代史にまで遡って先人たちの経験をたどることが近道です。
 当記事では、11月10日に発売された古代ローマ史の泰斗・本村凌二氏の新著『独裁の世界史』より、序「いま、なぜ独裁を考えるのか」を一部抜粋してお届けします。

「独裁」を理想としたプラトン

  現在、日本人の多くは「民主主義の政治が正しい」と考えていることでしょう。たしかに、人類の歴史を振り返って考えると、イギリスの首相を務めたチャーチルの「民主主義は最悪の政治形態といえる。ただし、これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」という皮肉めいた名言(1947年11月のイギリス下院での演説)は、まことに妥当なものと思われます。
 しかし同時に、人類の歴史をひもとくと、その民主政なるものは、極めて不確実で危ういものであることも見えてきます。
 たとえば、よく指摘されるように、ヒトラーやムッソリーニの独裁政治は、当時の民主政の選挙を通して成立したものでした。フランス革命のジャコバン派の独裁も、見方によっては革命の民主政的熱狂から生まれたともいえます。
 また、古代ギリシアのアテネで民主政治が行われていたことは有名ですが、実はそのアテネの民主政治は、民衆受けを狙う扇動者が幅をきかせるポピュリズム(大衆迎合主義)から「衆愚政治」に堕してしまい、せいぜい50年から100年くらいで挫折してしまっていたことを、どれだけの方がご存じでしょうか。なお、ここでいう「衆愚政治」という言葉は価値判断を含む表現なので、学問の世界では好ましくないと考えられていまが、ポピュリズムの成れの果ての姿としてイメージしやすいので、あえて使わせてもらいます。
 実は、アテネの民主政の失敗を目の当たりにしたプラトンは、むしろ教養と見識を兼ね備えた哲人による独裁政が理想の政体だと考えていました。プラトンの弟子筋にあたるアリストテレスも、特定少数の貴族が政治的権力を握る「貴族政」や、貴族以外でも少数の適任者による「寡頭政」が理想であると主張しているのです。
 そのような歴史を見ていくと、現代の民主政も決して盤石なものではなく、むしろ危険な要素を多分にはらんでいることが分かってきます。

コロナ禍と独裁政

 2020年、中国・武漢市に端を発する新型コロナウイルス感染症が、大方の想像をはるかに超えるスピードで世界中に拡大し、未曾有の事態となりました。
 パンデミックは、各国リーダーの資質と手腕をこれ以上なく浮き彫りにしました。有無をいわさず厳重な都市封鎖に踏み切った国、大きな痛みを伴う施策の必要性を丁寧に説いて感染拡大を抑えた国、国民の顔色をうかがって対策が後手にまわった国、ウイルスの脅威を軽視して感染が拡大してしまった国──じつに様々です。
 新型コロナウイルスの発生源となった中国は、当初、「独裁政」の国らしく情報を隠蔽したために、世界的なパンデミックを引き起こしました。しかしその一方、自国の感染状況が深刻になると、武漢市を厳重に都市封鎖したり、監視カメラとAIを駆使して感染者を隔離したりと、強力な全体主義的統制手法によって感染を封じ込めたとされます。
 たしかに一般論として、このような非常事態において、独裁には「メリット」があります。意思決定は議会制民主主義のそれと比べれば格段に早く、超法規的な措置をとれば「自粛要請」など必要ありません。個人の自由を制限してでも感染の拡大を防ぐ。その点において、独裁者をいただく国家が、スピードと徹底の度合いにおいて有利であることは否定できません。

先人たちの失敗に学ぶ

 また現在、われわれが直面している危機はウイルス禍ばかりではありません。民主主義が「ポピュリズム」に陥り、やがて「衆愚政治」に堕していく危険性も、強烈に浮かび上がりつつあります。
 世界的な格差の拡大や価値観の多様化があまりに進み、社会の分断傾向は深刻なものになっています。「お互いの議論によって、よりよい結論を導き出していく」というより、「分断や対立を煽って、自分の支持者を固めていく」政治手法が幅を利かせる場面を、欧米でもよく見かけるようになりました。さらに、インターネットやSNSなどの発展は、とかくポピュリズム的な政治手法を蔓延させています。デマ情報によって政治が左右される姿も散見されます。
 このような姿は、間違いなく「政治の失敗」です。このままでは、古代ギリシアのアテネの民主政のように衆愚政治に陥って、重大な危機を迎えてしまうのではないでしょうか。
 そのような「政治の失敗」や「政治の危機」に的確に手を打つためには、世界の歴史に学ぶのがいちばんです。人類はこれまでの歴史のなかで、幾度も失敗を繰り返してきているからです。
 この度出版した『独裁の世界史』では、巨視的に歴史を眺めることで、「政治の失敗」をいかに克服するかについて一から考え直しています。独裁者はどんな時に現れるのか。独裁者と強いリーダーの線引きは可能か。独裁政が当たり前だった世界で、なぜギリシアは直接民主政を、ローマは共和政というシステムを作りえたのか。そうした知恵を得たにもかかわらず、なぜ独裁者は繰り返し現れるのか──歴史に学ぶべきこと、とりわけ古代にまで遡って学ぶべきことは、たくさんあるように思います。

『独裁の世界史』目次

序 いま、なぜ独裁を考えるのか
第一部 独裁は悪なのか?――古代ギリシアに学ぶ
第1章 古代ギリシアの独裁/第2章 民主政はこうして生まれた/第3章 リーダーの見識/第4章 プラトンが求めた「独裁」
第二部 独裁は防げるのか?――古代ローマに学ぶ
第5章 独裁を許さないローマの知恵/第6章 共和政ローマの独裁官/第7章 共和政から帝政へ/第8章 帝政の急所は後継者問題にあり/第9章 ローマはなぜ滅びたか
第三部 独裁は繰り返すのか?――グローバル・ヒストリーに学ぶ
第10章 革命と「恐怖政治」/第11章 「良い独裁」の光と影/第12章 なぜロシアでは独裁が続くのか/第13章 ムッソリーニとヒトラー
第四部 世界史の教訓
第14章 独裁を防ぐヴェネツィアの知恵/第15章 「デジタル独裁」という未来

※続きはぜひNHK出版新書『独裁の世界史』でお楽しみください。

プロフィール
本村凌二(もとむら・りょうじ)

1947年、熊本県生まれ。東京大学名誉教授。専門は古代ローマ史。一橋大学社会学部卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授、早稲田大学国際教養学部特任教授などを歴任。著書に『薄闇のローマ世界』(サントリー学芸賞、東京大学出版会)、『地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫)、『世界史の叡智』(中公新書)、『馬の世界史』(中公文庫)、『教養としての「世界史」の読み方』(PHP研究所)など。

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