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人類は暴力を克服できるか? スタンフォード大学の名物教授による人間行動の根源を探る旅、『善と悪の生物学ーー何がヒトを動かしているのか』(上下)より抜粋公開

スタンフォード大学の名物教授、ロバート・M・サポルスキー博士による『善と悪の生物学――何がヒトを動かしているのか』(上下)が10月26日に発売になりました。ある行動の瞬間から、その一秒前に脳内で起こっていること、数秒から数分前の感覚刺激、数時間から数日前のホルモンの状態……と時間を遡り、行動を決定する要因を探るというユニークかつ壮大な構成の本書は、「ワシントン・ポスト」紙が「2017年の10冊」に選び、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーにもなった話題作。ここでは、その待望の邦訳より、著者の執筆の動機と本書の目指すところを記した「序章」(上巻に収録)の冒頭を抜粋公開します(※本記事用に一部を編集しています)。


ヒトラーはどうされるべきか?

 私はよく、こんな空想をする。私たちの部隊はどうにか「彼」が隠れている掩蔽壕えんぺいごうに突入する。いや、これは空想だ。存分にやろう。私が、、独力で精鋭護衛隊を制圧し、自動小銃を構えて掩蔽壕に突入する。彼は自分のルガー〔ドイツの自動拳銃〕に飛びつくが、私はそれを彼の手からたたき落とす。すると彼は、拘束されそうになったとき自死するために持っていたのであろう青酸カリの丸薬を手に取る。私はそれも彼の手からたたき落とす。彼は怒り狂ってうなり、ものすごい力で襲いかかってくる。二人は取っ組み合い、私はなんとか優位に立ち、彼を押さえつけて手錠をかける。そして宣告する。「アドルフ・ヒトラー、人道に対する罪でおまえを逮捕する」
 ここで名誉勲章バージョンの空想は終わり、想像のシーンは暗転する。さて、ヒトラーをどうしてやろう? はらわたが煮えくりかえるので、少し距離を置くために、頭のなかを受動態に切り替える。ヒトラーはどうされるべきか? 気ままに想像するのは簡単だ。脊椎せきついを首のところで折り、体は麻痺しているが感覚のある状態にする。切れ味の悪いナイフで目をえぐり出す。鼓膜こまくに穴を開け、舌を引っこ抜く。チューブをつなぎ、人工呼吸器をつけて、彼を生かしておく。動くことも、話すことも、見ることも、聞くこともできず、ただ感じることしかできない。次に、発がん性物質を注入して、彼の体のあらゆる部分に炎症を起こさせ、ただれさせる。癌はしだいに増殖し、ありとあらゆる細胞が激しい苦痛に悲鳴を上げるようになる。そして最後には、一瞬一瞬を地獄の業火のなかで過ごす無限の時間と感じるようになるのだ。それこそがヒトラーになされるべきことだ。私が彼に行なわれてほしいことだ。私がヒトラーにやりたいことだ。

暴力と攻撃と競争と

 子どものころから、私はこの空想のさまざまなバージョンにふけってきた。いまでもときどき空想する。どっぷりはまると、心拍が速くなり、顔が赤らみ、拳をぎゅっと握る。すべてはヒトラー、史上最も邪悪な人間、最も罰するに値するソウルへの計画だ。
 しかし大きな問題がある。私は魂も本質的な悪も信じていないし、「ウィキッド(よこしまな)」はミュージカルに関連する言葉だと思っている。そして罰は刑事司法に即したものであるべきということも疑っている。しかしそれにも問題がある——私はたしかに万死に値する人間がいるように感じるが、死刑には反対なのだ。厳しい銃規制を支持しているにもかかわらず、さまざまなB級バイオレンス映画を楽しんできた。子どものころ、まだはっきりした形のない自分のなかの思想信条に反して、誰かの誕生パーティーのときにレーザー鬼ごっこで遊び、隠れ場所から知らない子を撃ったとき、楽しかったのもまちがいない(ただし楽しかったのは、ニキビだらけの子に何度も攻撃され、クスクス笑われるまでだ。そうされると不安になり、自分を臆病者に感じた)。しかし同時に、黒人霊歌「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」については、歌詞(「もはや戦うことを学ばない」)の大部分だけでなく、いつ手をたたくべきかも知っている。
 要するに、私には暴力と攻撃と競争について、いろいろ複雑な感情と考えがある。ほとんどの人間はそうだ。

適切な暴力と不適切な暴力

 大上段から仰々しく述べるなら、私たち人類は、暴力の問題を抱えている。私たちには何千ものキノコ雲をつくり出す手段がある。シャワーヘッドや地下鉄の換気システムが有毒ガスを運んだことがあり、手紙に炭疽菌たんそきんを封入するバイオテロがあり、旅客機が武器として使われたことがある。集団レイプが軍事戦略の一部になるおそれもある。爆弾が市場で爆発し、学校の生徒が銃でほかの生徒を虐殺する。ピザの配達員から消防士まで誰もが、自分の安全に不安を感じる地域がある。さらに、明確な形では表に現れない暴力もある。たとえば児童虐待がそうであり、多数派の暗黙のメッセージが支配と脅迫を露骨に示すとき少数派におよぶ影響もそうだ。私たちはつねに、自分に危害を加える他人の脅威につきまとわれている。
 暴力がもっぱら私たちを脅かすだけのものであるなら、その問題に知性によって対処することは難しくないだろう。エイズは一義的に忌むべき問題であり、撲滅すべきだ。アルツハイマー病しかり。統合失調症、癌、栄養不良、人食いバクテリア、地球温暖化、彗星すいせいの地球衝突も同じだ。
 ところが問題は、暴力がそのリストに入らないことである。私たちは暴力をまったく問題ないと思うことがあるのだ。
 これが本書の中心テーマである。私たちは暴力そのもの、、、、を憎んでいるわけではない。私たちが憎み恐れるのは不適切な、、、、種類の暴力、ふさわしくない場面での暴力である。適切な状況コンテクストでの暴力はむしろ好まれる。私たちは、競技場で暴力を観るためにけっこうな金額を支払う。子どもには「やられたらやり返せ」と教える。身体にガタが来た中年になって、週末のバスケの試合で審判に見えないようにヒップチェック〔よいポジションを確保するために臀部や下腹部で強く相手を押し返すこと〕を決めたら、してやったりという気持ちになる。私たちの会話には戦争のたとえがよく出てくる——アイデアが「撃ち落とされた(却下された)」あとに、「軍隊を招集する(メンバーを呼び集める)」。スポーツチームの名前は暴力を褒めたたえる——ウォリアーズ(戦士)、バイキングス(ノルマン人の武装集団)、ライオンズ(獅子)、タイガース(虎)、ベアーズ(熊)。チェスのような知性に訴えるものについてさえ、そういう考え方をする——「カスパロフ〔チェスの元世界王者〕は殺人的ともいえる攻撃で迫り続けた。終盤、カスパロフは強敵の同様に殺人的な攻撃に向き合わされることになった」。私たちは、暴力に対して信仰に近い気持ちを抱いている——指導者に選ばれるのは暴力に秀でた人間だし、多くの女性は闘いの勝者と結婚することを選ぶ。「適切な」タイプの攻撃であれば、私たちはそれが大好きなのだ。
 憎むべき攻撃的行為の引き金にも、献身的な愛の行為の引き金にもなりうる、という暴力の両義性にはたいへん興味をそそられる。その結果として、暴力は人間に特有の経験のなかでも非常に理解しにくい要素であり続けるだろう。

人間は互いに傷つけ合う世界を回避できるか?

 本書は暴力、攻撃、そして競争の生物学――その背後にある行動様式と衝動、そして個人、集団、国家の行為、どういうときにそうした行為が悪行になり、どういうときに善行になるのか――を探る。人間どうしがどうして傷つけ合うかについての本である。しかし、人びとがどうして逆のこともするかについての本でもある。協力、提携、和解、共感、利他行動について、生物学から何がわかるのか?
 本書にはいくつも個人的な執筆の理由がある。ひとつに、私は生まれてこのかた、さいわいにも個人的に暴力にさらされたことがほとんどないので、暴力という現象の全体が、漏らしてしまいそうなくらい恐ろしい。私は大学に所属する頭でっかちなので、暴力についてしかるべき量の文章を書き、必要な講義をすれば、それがあきらめて静かに立ち去るだろうと信じている。そしてみんなが暴力の生物学について十分な授業を受け、一生懸命勉強すれば、私たちは居眠りするライオンと子ヒツジのあいだで昼寝できるだろう。これが大学教授の妄想的な有能感である。
 ほかにも個人的な理由がある。私は生まれつき非常に悲観的だ。何か話題を出してくれたら、状況が破綻する道筋を見つけられる。あるいは、すばらしい結果になるが、そのせいでどういうわけか、ひどく苦しく悲しくなる道筋を。こんな悲観的な人間は悩みの種だろう——とくに身近な家族には。そして子どもができたとき、私はこの傾向を抑える必要があることに気づいた。そこで、物事はそれほど悪くないという証拠を探した。簡単なことから始め、それを練習した。「泣くな、ティラノサウルス・レックスがやって来て、おまえを食べることは決してない」「もちろん、ニモのお父さんはニモを見つけるさ」。そして本書のテーマについて学んでいくうちに、思いがけない気づきがあった。人間が互いに傷つけ合う世界は、普遍的でも不可避でもない。そしてそれを避ける方法が科学的に明らかになりつつある。悲観的な自分はなかなかこれを認められないが、楽観する余地はある。


続きは『善と悪の生物学――何がヒトを動かしているのか』(上下)でお楽しみください。

『善と悪の生物学――何がヒトを動かしているのか(上)』
序 章
第1章 行動
第2章 一秒前
第3章 数秒から数分前
第4章 数時間から数日前
第5章 数日から数か月前
第6章 青年期──「おれの前頭葉はどこだ?」
第7章 ゆりかごへ、そして子宮へもどる
第8章 受精卵までもどる
第9章 数百年から数千年前
第 10 章 行動の進化

『善と悪の生物学――何がヒトを動かしているのか(下)』
第 11 章 〈我々〉対〈彼ら〉
第 12 章 階層構造、服従、抵抗
第 13 章 道徳性と、正しい行動を理解し実行すること
第 14 章 人の痛みを感じ、理解し、和らげる
第 15 章 象徴のための殺人
第 16 章 生物学、刑事司法制度、そして(もちろん)自由意志
第 17 章 戦争と平和
終章 謝辞
付録1 神経科学初級講座
付録2 内分泌学の基本
付録3 タンパク質の基礎

著者プロフィール
ロバート・M・サポルスキー(Robert M. Sapolsky)

1957 年生まれ。アメリカの神経内分泌学者、行動生物学者。スタンフォード大学教授(生物学/神経科学/神経外科)。ストレスと神経変性の関連を研究し、そ の一環としてヒヒの集団の長期にわたる観察とコルチゾール・レベルの調査を続 けている。1987 年のマッカーサー基金、NSF のPresidential Young Investigator Award などを受けている。2007 年にはアメリカ科学振興協会(AAAS)のJohn P. McGovern Award を受賞。『なぜシマウマは胃潰瘍にならないか——ストレスと上 手につきあう方法』(森平慶司訳、シュプリンガー・フェアラーク東京)、『ヒトは なぜのぞきたがるのか——行動生物学者が見た人間世界』(中村桂子訳、白揚社)、 『サルなりに思い出す事など——神経科学者がヒヒと暮らした奇天烈な日々』(大沢章子訳、みすず書房)ほか多数の著書があり、作家としても定評がある。本書 『善と悪の生物学』は、ワシントン・ポスト紙によって「2017 年の10 冊」に選出された。

訳者プロフィール
大田直子(おおた・なおこ)

翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にジェフ・ホーキンス『脳は世界をどう見ているのか』、リチャード・ドーキンス『神のいない世界の歩き方』『魂に息づく科学』、オリヴァー・サックス『道程――オリヴァー・サックス自伝』『音楽嗜好症』(以上、早川書房)、マット・リドレー『人類とイノベーション』(NewsPicksパブリッシング)、カール・ダイセロス『「こころ」はどうやって壊れるのか』(光文社)、スティーブン・ジョンソン『世界が動いた決断の物語:新・人類進化史』(朝日新聞出版)、A・S・バーウィッチ『においが心を動かす』(河出書房新社)など多数。

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