感染症と人類の格闘の歴史から私たちは何を学べるか?――認識論的盲点をつくらないために(『パンデミックの世紀』抜粋掲載)
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感染症と人類の格闘の歴史から私たちは何を学べるか?――認識論的盲点をつくらないために(『パンデミックの世紀』抜粋掲載)

 いまだ収束の兆しが見えない新型コロナウイルス感染症。変異株の登場によって新たな局面を迎え、事態の推移に対する予断を許さない状況が続いています。
 私たちの社会生活に大きな影響を与える感染症の世界的流行、パンデミック。医学史家のマーク・ホニグスバウムは『パンデミックの世紀――感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』で、1918年の「スペイン風邪(インフルエンザ)」以降の約100年間に起こった代表的な感染症の流行を取り上げ、未知の病原体が発見されて急速に感染が拡大していく様子や、その拡大を食い止めようとする人々の奮闘を描き出しました。新たな感染症が登場したとき、社会はどのように反応してきたのか。また、私たちはその歴史から何を学ぶべきなのか。『パンデミックの世紀』のプロローグから、本書を貫く問題意識が記された部分を抜粋掲載します。

人間社会はパンデミックにどう反応してきたか?

 私たちは、感染症の予期せぬアウトブレイク〔急激な集団発生〕に直面したとき、はじめのうちその性質を見誤るということを何度も繰り返している。本書は、こうした事象やそれに対する社会の反応について知る試みである。また、それらを予測して準備しようという最大限の努力にもかかわらず、私たちがエピデミック〔ある集団内で感染症が短期間のうちに急速に拡大すること〕やパンデミックが起きるたびにはじめてそれに遭遇したかのように驚く理由を探る試みでもある。
 2014年から16年のエボラ出血熱のパニックや、1980年代のエイズのヒステリーなど、まだ比較的記憶に新しいエピデミックもあるだろう。あるいは、1924年にロサンゼルスのメキシカン・クオーターで起きた肺ペストのアウトブレイク、1929年のウォール街大暴落の数か月後にアメリカを驚愕に陥れた「オウム病」など、あまり聞き慣れないエピデミックも登場する。だが記憶にあるかどうかにかかわらず、これらのエピデミックは、新たな病原体がそれまで通用していた医学的常識をもろくも崩すことを示してくれる。また、実験室で得られた知識や効果的なワクチンや治療薬がなければ、パニック、ヒステリー、恐怖を引き起こす強大な力を持つことを教えてくれるだろう。
しかし一方で、優れた医学的知識を持ち、感染症に対して目を光らせておくことは、パニックを予防するどころか新たな不安の種をまき、人びとがこれまで気づくこともなかったエピデミックの脅威に過剰に反応する事態を招くこともある。ビーチのライフガードはサメのヒレが見えないか海面につねに目を光らせ、海水浴客に適切な警告を発する。同じように、世界保健機関(WHO)は定期的にネット情報を調べ、異常な疾患のアウトブレイクや次のパンデミックを起こしかねないウイルスの出現を示す遺伝子変異の試験報告を調査する。
 この用心深さは有意義ではある。しかし、それはまた、たえず次のパンデミックを恐れるあまり不安を抱えるという代償をも意味する。それはハルマゲドンが起きるか否かではなく、いつ起きるかの問題なのだ。この熱に浮かされたような状況では、公衆衛生当局がときには対応を誤り、ついパニックボタンを押してしまうのも無理からぬことなのだろう。実際にはパニックが起きるとは限らないし、西アフリカで起きたエボラ出血熱のエピデミックの場合のように事態を読み違えることもあるのだ。
 こうした社会の反応には、メディアも一役買っている。何と言っても、恐怖ほど人の心に訴えるものはないのだ。とはいえ、24時間/365日のケーブルニュースチャンネルやソーシャルメディアは、感染症のアウトブレイクに関連するパニック、ヒステリー、偏見を煽(あお)りがちであり、ジャーナリストやブロガーの大部分も所詮メッセンジャーでしかないのだ。私に言わせれば、感染症の新たな発生源について警告し、特定の行動を「リスクをともなう行為」と決めつける医学、とりわけ疫学こそ、不合理でしばしば偏見に満ちた判断の源となりうるのだ。疫学や感染症の原因にかんする知識によってエピデミックに対処する準備が整い、医学の技術的発達によって人びとの健康や安全が大きく改善したことを否定する人はいないだろう。しかし、この知識がたえず新たな恐怖と不安を生み出していることにも目を向けるべきだ。
 本書で語られるエピデミックは、それぞれにこの社会の反応の異なる側面を描いている。したがって、その詳細を見ていけば、アウトブレイクによって主流の医学的および科学的パラダイムに対する信頼が損なわれる過程が理解できるだろう。そのなかでも病気の原因の追究にあたって幅広い生態学的知見を犠牲にしてまで特定のテクノロジーに寄りかかることの危険性については強調しておきたい。
 科学的知識の形成にかかわる社会学的および哲学的洞察を参照することで、エピデミックが出現する前に「知られていた事実」がじつは誤っていることが明白になるはずだ。そのように、真実と信じられている事柄は多い。たとえば、冷却塔や空調システムはホテルの宿泊者や病院の入院患者にとってリスクではないとか。エボラ出血熱は西アフリカを巡っているわけでもなければ、主要都市に到達できるわけでもないとか。ジカ熱は蚊によって媒介される比較的無害な病気であるとか。しかし、これらの考えはいずれも正しくない。
 それぞれのエピデミックについて改めて学ぶことで、私たちは「既知の既知(知っていると知っていること)」と「未知の未知(知らないと知らないこと)」をどのように再認識すべきか、今後はこのような認識論的な盲点をつくらないために科学者や公衆衛生当局に何ができるかについても探っていこう。

パンデミックの起源をたどることは可能か?

 本書に登場するエピデミックは、病気の流行と出現のパターンの変化に環境的、社会的、文化的因子が果たす重要な役割を明らかにしてくれる。病原体の生態にかんするルネ・デュボス〔1901-1982 アメリカの細菌学者、病理学者〕の洞察にもとづけば、病気の出現は、たいてい生態学的な平衡の攪乱(かくらん)や病原体が通常存在する環境の人為的変化にたどることができる。
 この点はとりわけエボラ出血熱のような人獣共通感染症の病原体のウイルスに顕著だが、市中感染型肺炎の主要な原因菌の連鎖球菌などの共生細菌にも当てはまる。エボラウイルスの自然宿主はオオコウモリと考えられている。しかし、エボラウイルスに対する抗体がアフリカのコウモリの在来種で発見されてはいるものの、どの種でもウイルスが活性を持った状態で発見された例は報告されていない。その理由は、長期にわたる宿主との関係に適応する他のウイルスと同じく、エボラウイルスはコウモリの免疫系によって血流からすみやかに排除されるが、それが別個体への感染前に起きることはないためと思われる。つまり、ウイルスはコウモリ集団の中を一個体から別個体へと次々と渡り歩き、ウイルスもコウモリも健康を害することがないのだ。
 麻疹(はしか)やポリオのように、ヒトのみが感染するように進化した病原体でも同様のことが起きる。この種の病原体では、乳幼児がはじめて感染したときはたいてい軽症ですみ、回復後は生涯を通じて有効な免疫を獲得する。ところが、ときおりこの免疫バランスに乱れが生じることがある。相当数の乳幼児が感染を免れて集団免疫が弱くなったとき、あるいはインフルエンザウイルスによく見られるようにウイルスに変異が起きたときなどだ。このような場合には、新型ウイルス株が免疫を持つ人のいない集団や少ない集団内で循環する。
 同じことが、私たちがたまたまウイルスとその自然宿主のあいだに割って入ったときにも起きる。たとえば、2014年のエボラ出血熱のウイルスは、ギニアのメリアンドゥ村の子どもたちが村の中心部にあった木の株に潜んでいたアンゴラオヒキコウモリをいじめたときに出現したと思われる。さらに1950年代のコンゴで、エイズを発症させるヒト免疫不全ウイルス(HIV)の始祖ウイルスが、チンパンジーからヒトに種間伝播したときにも、きわめて似たことが起きたと考えられる。
 現在、これらのエピデミックの正確な起源を探ろうとする研究が各所で行われている最中だ。エイズにかんしては、20世紀はじめにコンゴ川に蒸気船が就航したこと、植民地時代に新しい道路や鉄道の建設が進められたことが関係しているのは間違いない。もちろん、森林を伐採した人びとや材木業者の強欲も一役買っているだろう。しかし、社会的および文化的要因もかかわっている。野生動物の肉を食する習慣や鉄道や森林伐採にかかわった労働者の野営地近くでの盛んな売春がなければ、HIVはおそらくさほど広範かつ急速に拡散することはなかったはずだ。同様に、西アフリカの住人の固定化した文化的信条や習慣がなければ、エボラ出血熱は重大な地域的流行、ましてや世界規模の医療危機に発展することはなかったと考えられる。とりわけ、伝統的な埋葬儀礼に対する強いこだわりや、西洋医学に対する不信感が背景にあった。
 いずれにしても、医学史が与えてくれるもっとも重要な教訓は、エピデミックと戦争のあいだに長きにわたる関連性があったことかもしれない。紀元前430年にスパルタが古代アテナイの港湾都市を制圧したとき、アテナイの政治家ペリクレスがアテナイ人に籠城(ろうじょう)を命じてからというもの、戦争は致死性感染症のアウトブレイクの発生源と見なされてきた。2014年の西アフリカがまさにその一例だ。数十年にわたる内戦と軍事衝突のおかげで、リベリアとシエラレオネの医療制度は脆弱(ぜいじゃく)で人材も物資も不足していた。アテナイで起きた疫病の病原体の正体はわかっていないし、わかることもないのだろう(炭疽菌、天然痘ウイルス、発疹チフスリケッチア、マラリア原原虫などが候補に挙がっている)。
 しかし決定的な要因は、ギリシャの都市を囲む長い壁の中に、30万人を軽く超えるアテナイ人とアッティカからの難民がひしめきあっていたことにある。もし、そのときの病原体がウイルスだったと仮定すると、籠城がウイルスの増殖にとって理想的な状況をつくり出し、アテナイを納骨堂に変えてしまったのだ。ギリシャの歴史家トゥキディデスによれば、地方からの難民を収容する家屋がなかったため、「彼らは一年のうちの暑い季節を窮屈な小屋で過ごさねばならず、死亡数の増加に歯止めがきかなかった」という。この結果、紀元前426年に感染症の第三波が襲うころには、アテナイの人口は元の四分の一から三分の一に減少していた。
 アテナイの感染症は、スパルタ人に感染しなかったし、アッティカとの国境を越えることもなかったが、その理由はわかっていない。しかし2000年以上前には、都市はもっと孤立していて、国家間や大陸間での人や病原体の往来ははるかに少なかった。残念ながら、現代はその限りでない。世界規模の交易や旅行のおかげで、新型ウイルスやその媒介動物はたえず国境や時間帯を超えるし、それぞれの場所で異なる生態学的および免疫学的条件に遭遇する。次章で述べるように、第一次世界大戦中に、アメリカ東海岸の訓練地に集結し、その後ヨーロッパと行き来した何万人もの新兵が、史上もっとも致死性の高いパンデミックの発生に理想的な条件を提供したことほど、これを如実に示す例はない。

※続きはぜひ『パンデミックの世紀――感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』でご覧ください。

(8/20に続編記事を公開予定です)

プロフィール
マーク・ホニグスバウム

医学史家、ジャーナリスト。ロンドン大学シティ校上級講師。感染症の歴史を専門としており、医学・環境人文学と科学社会学の知見を組み合わせて、ワクチンをめぐる科学的知識についての研究に取り組む。一般紙「オブザーバー」や医学誌「ランセット」に定期的に寄稿するほか、本書『パンデミックの世紀』をはじめとして感染症に関する5冊の著書がある。

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