「私は性格で損をしている」と思い込んでいませんか? アドラー心理学を軸に性格の常識を根底から覆す驚きの提言!
“性格は生まれつきではない。社会的概念である。”
世の中には、「性格で損をしている」「嫌な性格を何とかしたい」など、自分の性格を恨めしく思いながら、「生まれつきのもの」としてあきらめてしまう人が少なくありません。しかし、それは大きな間違いです! 性格は、自らが変わろうと決心すれば、必ず変えることができるのです。ベストセラー『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんが、アドラー心理学を軸に世の中の疑問に答えながら、性格の常識を根底から覆したNHK出版新書『アドラー 性格を変える心理学』(2021年3月10日発売)。
当記事では、性格についてとらえ直す第一のステップとして、そもそも「性格」とは何か、性格について考えるときに注意すべきことなどについて述べた本書「はじめに」をお届けします。
本当は変わりたくない?
これまで、長くカウンセリングをしてきましたが、その中でも「性格」について悩む人は非常に多かったという印象があります。
カウンセリングにくる人に「自分のことが好きですか?」とたずねると、「あまり好きではない」とか「大嫌いだ」という答えが返ってくることがほとんどです。「私は明るくて、そのため、友だちが多すぎることが悩みだ」というような人はいません。性格が暗く、そのために人と積極的に関わることができない、友だちがいないという人ばかりだったといっていいくらいです。
一人の女子中学生がやってきたとしましょう。彼女には双子の姉がいます。彼女はなかなか私と目を合わそうとしません。か細い声の控え目なその子に私はこうたずねます。
「お姉さんは明るくて、友だちも多いでしょう?」
「はい、たしかに姉は私とは真逆です。でも、どうして会ったこともないのに姉のことがわかるのですか?」
「難しいことではありません。今、あなたは『真逆』といったでしょう。あなた自身がお姉さんとは真逆の性格で生きようと決めたのです」
「私が決めた? 性格って生まれつきのものではないのですか?」
「違います。あなたは自分の性格を変えたいですか?」
「もちろんです」
「もしも性格が生まれつきのものだとしたら、あなたの性格は変えられないことになりませんか?」
「たしかに。では、性格を変えることはできるのですか?」
「できます。でも、簡単ではありません」
「どうして簡単ではないのですか?」
「あなた自身が性格を変えたくないと思っているからです」
「え、待って! どういうことですか? ちゃんと説明してください!」
後日、二人の姉妹の母親がやってきて次のようにいいました。
「二人の性格がずいぶんと違うのです」
「それで何かお困りですか?」
「困るというわけではないのですが……」
「ですが?」
「妹が覇気に欠けるというか……、活発な姉と違って、一人で過ごしていることが多く、時々ため息をついたりしていまして……」
「心配なのですね」
「そうです」
「妹のほうの娘さんは、そんなふうに振る舞うことで、あなたの注目を得ようとされているようですね」
「注目?」
「はい、いつも気になっているでしょう?」
「ええ、でもなぜそんなことをしないといけないのですか?」
「それは――」
と、前置きはこのあたりにして、本書では、多くの方が気になっている「性格」について、この中学生や母親も納得できるように話していきましょう。
『性格の心理学』について
オーストリアの精神科医で心理学者であるアルフレッド・アドラー(一八七〇~一九三七)が一九二七年に出版した『人間知の心理学』(Menschenkenntnis )という本があります。アドラーは、フロイトやユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」の一人といわれます。フロイトと学説上の相違から決別し、その後「個人心理学」という独自の理論を構築しました。その彼がウィーンのフォルクスハイム(国民集会所)で行った講義をもとに編まれたのが『人間知の心理学』です。フォルクスハイムはオーストリアで初めての成人教育センターで、聴講者の多くは専門家ではなかったので、アドラーは極力専門用語を使っていません。
この『人間知の心理学』の第二部で、アドラーは「性格」について論じています。私はこの第二部を『性格の心理学』というタイトルで翻訳出版(アルテ、二〇〇九年)しました。これは性格を分析してその改善の方向性を探るもので、アドラー唯一の性格論です。
本書はこの『性格の心理学』に依拠しながら論じていきますが(以下、引用で出典を明記しないものは『性格の心理学』からのものです)、それはアドラーの考えを紹介するためではありません。時には批判もしていきます。
もちろん、アドラーの心理学が正しい見方を提示しているかは検証しなければなりませんが、性格を対人関係の中で考え、性格の選択、非選択には目的があると考える点で、他の心理学とはまったく違った切り口の性格論になっていることを、まずは知っておいてもらえれば幸いです。
性格をどう見るか
さて、アドラーが性格をどのようなものと考えているかは、これから本書の中で詳しく見ていきますが、要点は次の通りです。
アドラーは、「性格は生得的なものではない」と考えています。持って生まれたものであれば性格を変えられませんが、そうすると、教育も治療も意味がないことになります。どちらも人が変わりうることが前提だからです。
性格は生得的なものではなく、自分が選んだと考える。そして、その選択は決して偶然ではなく目的があります。自分にとって何らかの意味でメリットがなければ、どんな性格も選択しないということです。先に見た中学生についていえば、暗い性格を選ぶことは彼女にとってメリットがあったということです。ただし、この選択は意識的にされるわけではありませんから、選択の目的を指摘しても抵抗されることが多いのです。
性格を自分で選んだのであれば、変えることが可能です。もっとも、性格を変えることは容易ではありません。なぜなら、性格を変えてしまうと、次の瞬間、何が起こるかわからなくなるからです。
明るい性格を選ぶと何が起こるか。積極的に人と関われるようになるでしょう。人と積極的に関わるために明るい性格を選ぶともいえますが、そうすると、困ったことが起こります。アドラーが「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」といっているように、人と関わると何らかの摩擦が生じないわけにはいかず、人からひどいことをいわれて、傷つけられるということが起こります。そんなことなら、もう誰とも関わらないでおこうと思った人が、人と関わらないでおくために暗い性格を選択するのです。そうすれば、「自分でも自分のことを好きになれないのに、どうして他の人が自分を好きになってくれるだろう」と考えることができ、人と関わらないでいられます。
このように、性格は対人関係の中で選ばれるものです。家族の前、友人の前、上司の前などで人は微妙に、あるいはかなり変わるということは誰でも心当たりがあるでしょう。性格を対人関係から切り離しては考えることができないのです。
性格について考える時に注意すべきこと
アドラーは、『性格の心理学』の中で、非常に細かく「性格」を分類しています。以下、本書では第1章から5章まで、タイプ別に「性格」について解説しますが、注意してほしいことがあります。
まず、アドラーが『性格の心理学』で性格をタイプ分けするのは、「個人の類似性について、よりよく理解するための知的な手段」(『個人心理学講義』)だということです。私は、高校生に心理学を教えていたことがありますが、心理学というと性格診断とか心理テストと思っている人が多かったです。
性格について話すとほとんどの生徒は興味深く聞いてくれたのですが、まるで血液型や星座占いの話を聞いているかのようでした。ある性格のタイプについての話をすると、たちまち自分のまわりにいる他人の姿が頭に浮かぶのでしょう、「ああ、あの人はこのタイプだ」というふうに思ってしまう人が多いです。もちろん、自分がどのタイプかと考える人もいますが、タイプに当てはめようとするのは同じです。
でも、人は一人一人違います。一本の木に同じ葉を見つけることができないように、二人の人がまったく同じということはありえません。アドラーが関心を持ったのは、いわば生身の血の通った、目の前にいる「この人」であって、人間一般ではないのです。
ところが、個人をタイプに振り分けることは人を一般化することなので、個人の独自性が見失われることになり、人を一度何らかのタイプ別に、「一定の整理棚」に置いてしまうと、「別の棚」(分類)に入れようとはしなくなります。
アドラーも『性格の心理学』において性格を分類してはいますが、個人の独自性を前提にしているので、血液型や星座占いとはまったく違うことを理解しておかなければなりません。タイプ分けをする目的を見失うと個人をタイプに当てはめることになり、そのタイプからはみ出た、その人の独自性、個性を見逃してしまうことになります。
しかし、それにもかかわらず、人はその時々でまったく無原則に場当たり的に行動しているわけではありません。そこには各人に固有のパターンがあって、それは同じものとして繰り返されるのです。その都度無原則に自由意志によって決断し行動するという面を強調しすぎてしまうと、個性とか人格すら問題にならなくなります。ある課題を前にして行われる決断や対処の仕方には個人に固有のパターンがあり、それが性格です。
先の引用で、アドラーは「類似性」という言葉を使っています。ちょうど身体がだるいとか熱があるというような症状について対処するのではなく、それが何の症状かを見極める。それを「癌」であると見れば有効な対処ができるように、人の行動を個別に見るのではなく、例えば「虚栄心」という「類似性」で括く くって見ることが人を理解することにつながり、必要があれば性格を変えることを容易にするのです。
次に、「分類することが最終目標ではない」ということを知らないといけません。必要があれば、性格を変えることが性格を分類することの目標です。性格をタイプ分けすることを通して自分自身の性格について理解できれば、性格を変えることができます。
第三に、性格を変えるとしても「どう変えるか」という目標あるいは規範がなければ変えることはできません。それは、端的にいえば「共同体感覚」に根ざした性格です。それがどういう意味かは終章で詳しく考察しますが、人は誰も一人で生きることはできないのですから、他者に関心を持ち、他者に貢献しようと思っているかどうかを、アドラーは性格について考える時の重要な指標にしています。
「人間知」とは何か
『性格の心理学』が『人間知の心理学』の第二部であることを先に見ましたが、この本の原題である「メンシェンケントニス(Menschenkenntnis)」は「自分や他者についての知」という意味です。ただし、自分や他者については対人関係から離れて知ることはできません。対人関係の中での自分や他者が何を目的にどう行動するかを知れば、その知は対人関係上の問題を解決し、必要があれば自分の性格を変えるために有用です。
他者についてもですが、とりわけ、自分について知ることは難しいです。アドラーは次のようにいっています。
人間の本性について知るためには、不遜であったり傲慢であってはならない。そのためには謙虚さが必要である。 (『人間知の心理学』)
自分についてもそうですし、他の人についても同様です。わかっていると思っても、たぶん、わかっていない。特に、自分については、何を目的に行動しているかということなど、ほとんど本人は無意識で、むしろまわりの人のほうがよくわかっていることもあります。ですから、自分や他の人について知るためには謙虚でなければいけないとアドラーはいうのです。
別の本からの引用も見てみましょう。
人間の本性について大いなる理解をしたソクラテスの「自分自身を知ることは何と困難なことであろう」という言葉が、数千年の間、我々の耳に鳴り響いている。 (『子どもの教育』)
古代ギリシアのデルポイの社には「汝自身を知れ」というアポロンの神託が掲げられていました。自分のことは自分が一番よく知っているといいたい人はいるでしょうが、もしも自分を知ることがたやすいことであったら、わざわざ「汝自身を知れ」という神託が社に掲げられたりしなかったでしょう。
『性格の心理学』を読むと、アドラーの人間についての洞察が非常に深いことがわかります。自分のことが語られているように思って耳を覆いたくなるかもしれません。
しかし、人は自分の顔は鏡を見なければ見ることができません。アドラーの言葉の中に自分を見出せば、自分についての理解が深まり、自分を見直し、もしも必要だとわかれば自分の性格を変える「勇気」を得ることができるでしょう。
それでは最後に、『人間知の心理学』の原書 Menschenkenntnis が、アメリカで英訳出版されてミリオンセラーになった時、出版界の老舗情報誌『パブリッシャーズ・ウィークリー』に掲載された全面広告を紹介して、第1章へと進みたいと思います。
「あなたは劣等コンプレックスを持っていますか? 不安ですか? 臆病ですか? 横柄ですか? 従順ですか? 運命があるのを信じますか? 隣人を理解していますか? 自分自身を理解していますか? 一夜を自分自身と共に過ごしなさい。自分自身を見つめる冒険をしなさい。時代のもっとも偉大な心理学者の一人が、あなたが正しい場所で正しいことをする手助けをしましょう」
※続きはNHK出版新書『アドラー 性格を変える心理学』でお楽しみください。
プロフィール
岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、アドラー心理学を研究。著書に『アドラー心理学入門』『NHK「100分de名著」ブックス アドラー 人生の意味の心理学』『今ここを生きる勇気』、共著に『嫌われる勇気』など。
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