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【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」――お母さんの話に出てくる「友達の子供」って、どうして完璧な人ばかりなの?

流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら

(毎月10日、25日公開予定)

#2 엄친아(オムチナ)

「隣の○○ちゃんは芸能人みたいにかわいいよね」

「隣の○○君は学年1位だって」

 こんな言葉を親から聞かされたことはないだろうか。他人と比較されると子供心に傷ついて、「私はどうしてこんなにダメなんだろう」と自己嫌悪に陥ったりもする。

 日本と同様、子供たちにプレッシャーを感じさせる言葉が韓国にもある。それが「オム친아チナ」だ。「オム チン ドゥル(お母さんの友達の息子)」を略した言葉で、女性の場合は「オムチンタル(お母さんの友達の娘)」と呼ばれる。

 この言葉が登場したのは2000年代初頭。インターネット上で若者たちが生み出したスラングだ。当初は「お母さんの友達の息子は、勉強も運動もできてイケメンで……」と、子供を比較する文脈で使われていた。しかし、次第にその意味は拡大し、いまでは「勉強も仕事もでき、スポーツや音楽の才能もあって、容姿端麗で性格もいい」という、文字どおりの「完璧」な人を指す代名詞となった。

 単に理想像を表すだけでなく、聞く者にとって大きなプレッシャーを感じる言葉だ。若者やネット民の間では、皮肉や自嘲、親への反発としても使われている。誰かをうらやむように「あの人って本当にオムチナだよね」と冷笑混じりに話すこともあるし、「自分はオムチナにはなれない」と開き直ることもある。ネット上では「オムチナになりたい」のようなコメントも見られる。

他人と比較する文化

 「オムチナ」という言葉が使われるたびに、自分の不完全さを突きつけられるように感じる人も少なくない。韓国社会における「比較する文化」や「完璧であることを求める圧力」をよく表していると言える。

 韓国の競争社会の激しさは、教育現場を見れば一目瞭然だ。朝早くから夜遅くまで学習に励む高校生の姿は、もはや日常風景と化している。「学歴が人生を決める」という考えが社会に深く根づいているからだ。

 それは、出世コースを歩みたい人にとっては無視できない現実でもある。ソウル大学、リョ大学、ヨン大学の「SKY(スカイ)」と呼ばれる名門校や、大学医学部への進学は、「人生の勝者」への切符と見なされている。

 こうした過酷な競争環境が、必然的に「比較する文化」を生み出してきた。母親たちの会話は、いつも子供の成績や進路で持ちきりだ。

「○○さんの息子は司法試験に受かったんだって」

「△△くんはサムスンに就職したそうよ」

 絶え間ない比較が「オムチナ」という言葉を育み、子供たちに「完璧であれ」という重圧をかけつづけているのだ。

ドラマに描かれる「オムチナ」

 2024年に韓国で放送されたドラマ『となりのMr.パーフェクト』は、日本でもNetflixで配信され、注目を集めた。

 このドラマの原題が『オム チン ドゥル(お母さんの友達の息子)』だった。「オムチナ=完璧な人」という皮肉が込められていて、韓国社会の「比較する文化」や「完璧を求める圧力」を象徴している。

 それに対して邦題は、親しみやすくポジティブな印象だ。外国語のニュアンスを完全に邦題に反映するのは難しいが、作品の本質をくみ取るうえでは原題のほうが的確に感じられる。字幕翻訳に携わった私のもとにも「なぜこんな邦題に?」という疑問の声がいくつも寄せられた。タイトルを決める権限は翻訳者にはないのだが。

 ドラマの主人公スンヒョ(チョン・ヘイン)は、フランス生まれの「完璧なオムチナ」。学業優秀で容姿端麗、いわば「理想の息子」。両親の不和を横目に見ながら「いい息子」を演じてきた。幼少期から「お母さんの友達の娘」であるソンニュ(チョン・ソミン)と一緒に育った。

 ソンニュもまた「オムチンタル」という理想像を背負わされていた。アメリカの大学を卒業し、現地の大企業でキャリアを積み、国際弁護士の婚約者もいた。そんな彼女がすべてを捨てて帰国して、自分の生き方を見つめ直すことになる。

 この作品は一見、単なるロマンティックコメディだが、実は韓国社会における「比較する文化」や「競争心の弊害」が描かれている。作品の冒頭から、主人公の親同士が自分の息子(スンヒョ)や娘(ソンニュ)の自慢をし合うシーンが出てくるが、これがこの作品の根底に流れる社会的なテーマだと感じた。親が誇れる息子であり娘でなくてはならない。それがスンヒョとソンニュに与えられた重圧だった。

比較にさらされる苦しみ

 他人との比較に疲れているのは、子供たちだけではない。夫たちも同じだ。「オムチナ」に続いて生まれたのが、「チンナム」という言葉。「イン チン ナムピョン(妻の友達の夫)」を略したもので、高収入で妻に優しく、ルックスも申し分ない男性を指す。まさに韓国女性が夢みる理想の夫像だが、同時に夫たちにとって大きなプレッシャーとなっている。

 その反対に、「夫の友達の妻」に当たる言葉はあまり聞かれない。夫同士が集まって妻について話す場面が少ないからだろうか。とはいえ、家事能力や美しさ、社交性を妻に期待する夫も多いため、妻たちへの重圧となっていることは否めない。「チンナム」のような直接的な表現がなくても、韓国社会に根付いた「比較する文化」は、妻たちの心にも影響を与えている。

 常に他人と比較される環境にいると、劣等感や過剰な競争心が生まれ、自己肯定感を低下させる。心が疲れてしまうのも無理はない。

 私自身も韓国に住みはじめてから、この「比較する文化」には戸惑いを感じてきた。留学時代からいまに至るまで、なにかにつけて他人と比較されることが多かったのだ。

 日本でも「隣の○○ちゃんは~」と比較することはあるが、友人や知り合いが本人に向かって「あなたはあの人より○○ね」と優劣をつける言葉を言うことはあまりない気がする。多くの場合、自分自身で他人と比べて、心の中で劣等感を抱くという比較の仕方ではないだろうか。韓国では人前で堂々と比較されることが日常的であり、緊張感がつきまとう。

 比較されて褒められても素直に喜べない。たとえ「あの人よりあなたのほうが韓国語が上手よ」と言われても、「次は自分が批判される番では?」という不安が心をよぎる。

 語学堂(韓国の「語学学校」のこと)で出会った日本人の友人も、「他の人に比べてあなたは下手ね」と何度も言われて傷つき、最終的にはそのストレスに耐えられなくなり帰国してしまった。韓国社会で自己肯定感を保ちながら生きることの難しさを、彼女の姿から改めて感じた。

「他人と比べる」から「自分らしく」へ

 近年、こうした「比較する文化」に対する見直しの動きが、若者世代の間で広がりつつある。「他人と比べるのではなく、自分らしく生きること」を重視する価値観が、徐々に受け入れられはじめたのだ。「完璧な理想を追うよりも、自分の価値観に合った道を選びたい」という声がSNSを中心に共感を呼んでいる。

 もちろん、韓国社会に根づく競争文化はいまなお強く、多くの若者が社会的・経済的地位の向上を目指して努力している。それでも、「成功」を自分なりの形で定義し、自分の価値観を基準に選択する若者が増えていることは希望を感じさせる。

 2024年に公開されたバラエティー番組『白と黒のスプーン~料理階級戦争』は、こうした時代の変化を象徴する作品のひとつだ。

 番組では、抜群の味覚センスを持ちながらも無名の「黒のスプーン」料理人80人が、すでに名声を得ている「白のスプーン」料理人20人に挑む。「地位や背景ではなく、実力で勝負する」姿が描かれ、多くの共感を呼んだ。

 この番組を見ていて、韓国も変わったな、と感じた。かつては料理人や職人といった「手作業を伴う職業」は社会的な評価が低く、若者が目指すには否定的な目が向けられることが多かった。私の友人の弟も25年ほど前、製パンを学びソウルでパン店を開いた際、親や親戚から「なぜそんな仕事を」と冷ややかに見られたと聞く。しかしこの番組の人気を見ると、料理や製菓の分野が注目を集め、若者たちに新たな挑戦の場として認識されていることが分かる。

 「オム친아チナ」という言葉は、韓国社会の光と影を映し出している。高い教育水準や経済発展を支える原動力となったのは確かだ。他人と比べられながら「追いつけ追い越せ」と競いあう文化の中で、国全体として学力や経済力を向上させてきた面もあるだろう。それと同時に、多くの若者たちに過剰なプレッシャーを与え、時として彼らの可能性を狭める要因にもなった。

 これからの韓国社会に求められるのは、他人と比較して優劣を競うのではなく、それぞれの個性や才能を尊重して、互いを認め合うことではないだろうか。ジェンダー問題や政治的な意見の違いなどで分断されがちな韓国社会においても、こうした姿勢が共感を生むきっかけとなり、社会全体をひとつにまとめ上げる鍵になるのかもしれない。

〈第1回を読む〉 〈第3回を読む〉


★動画で楽しむ「オム친아チナ

人気ドラマ『となりのMr.パーフェクト』の公式映像。何でもできる完璧なヒロインは、親の期待に応える子でありたいと思うあまりに、本当の自分を見失ってしまう(日本国外では視聴できない場合があります)。


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金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。


タイトルデザイン:ウラシマ・リー

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