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最新研究でここまでわかった、おどろきの「香り」の力!

ストレスや不安の軽減から脳機能の向上、治りづらい疾患の緩和・予防まで―—植物の香りは私たちの心身のコンディションに良い影響を与えるとされています。
NHK出版新書『「植物の香り」のサイエンス なぜ心と体が整うのか』では、昨今のめざましい研究から解明され、医療現場でも取り入れられているその具体的な効能を、第一人者がわかりやすく解説します。
今回はその刊行を記念し、本書の一部を特別公開いたします。


はじめに

 私たちの日々の生活は、さまざまな香りによって彩られています。料理のおいしそうな香り、焼けたパンの香ばしい香り、コーヒーの落ち着く香り、気持ちがリフレッシュするフルーツの香り、うっとりした気持ちになる花の香り、石鹸せっけんの爽やかな香り……などなど、例を挙げるときりがありません。
 多くの香りがある中で、私たちと深いつながりがあるのが、植物の香りです。
 古代の人々は香りを放つ植物を見つけては、宗教儀式に用いていました。たとえば、紀元前3000年頃のエジプトでは、ミイラを作るときに乳香にゅうこう没薬もつやくと呼ばれる植物から取れる香料が使われていました。仏教では、香りのする木から作られたお香がかれます。
 また、植物の香りは、現代の香水のように、自分の魅力を高めることにも利用されていました。クレオパトラはバラの香りを愛していて、バラの花びらを大量に浮かべた風呂に入り、バラを敷き詰めたベッドで寝ていたと言われています。
 時代が進むと、植物から香りの成分だけを取り出すことができるようになり、植物そのものがなくても香りを楽しめるようになりました。植物から抽出した香り成分を「精油」と言いますが、精油は香水として使われるだけでなく、薬代わりにも利用されてきました。傷や火傷やけどの治療、感染症の予防、痛みをやわらげる、胃腸を整えるなどの効果を期待して、香りをぐだけでなく、皮膚に塗ったり、お茶に入れて飲んだりすることもされてきました。その中でも経験的に効果があるものは、現代でも民間療法として受け継がれています。
 フランスやベルギーでは、植物の香りを利用したセラピーが医療行為として認められており、医師が精油を薬として処方することができます。
 植物の香りについての研究は、こういった長年の知見がありながらも、病気や栄養の研究に比べて長らく後れを取っていました。しかし、心や体を自身で整えていくセルフケアの必要性が高まっていることから、香りの効果が注目されるようになってきたのです。また、西洋医学を補完する代替医療や伝統医学なども融合して、ヒト中心の医療を行う「統合医療」という考え方も取り入れられるようになってきました。
 こういった背景から、植物の香りの持つ医薬品にはない特長が注目されはじめ、研究が進んできています。これまで経験的に言われていたことを、科学的な手続きを踏んで検証していくことで、植物のどの香りが、人間の心や体にどのような影響を及ぼすのかが次第に分かってきました。
 本書の著者の一人である塩田は、2012年にNHK出版新書から、『〈香り〉はなぜ脳に効くのか アロマセラピーと先端医療』という本を上梓じょうしし、香りが脳に作用する医学的メカニズムを紹介しました。ありがたいことにこの本は今でも多くの方に読まれ続けています。
 今回の本は、約10年の間にさらに進んだ香りの研究を紹介するとともに、香りが人の体や脳に作用するメカニズムについても、分かりやすく解説していきます。自分のケアのために使うにしても、セラピストとして誰かをケアする場合にしても、香りの効果をうまく活用するためには、人の体の仕組みをよく知る必要があるからです。
 本書は共著ですが、塩田が解剖生理学、竹ノ谷が運動科学、セルフケアなどの分野という形で役割分担をしながら、香りの力について分かりやすく解説していきます。
 さらに、香りの説明だけでなく、どのような植物から抽出されたのかも、できるだけ紹介していきたいと思っています。日本に自生していない植物も多く、初めて名前を聞くものも多いと思いますが、いつか海外に旅行して、知っている香りがふと漂ただよってきた……なんてことがあると面白いと思いませんか? 見回すと精油として持っていた植物がそこに植えられていた―—。そんな出会いがあると旅行がいっそう楽しくなるかもしれません。
 植物のこと、香りのこと、人の体や脳のこと。それぞれを知れば知るほど、植物の香りを自分らしく活用できるようになるはずです。古代から人類の身近にあった植物の香りについて、科学が明らかにしてきたことを一緒に見ていきましょう。

植物の香りでなぜ心身が整うのか

そもそも香りとは何か

 好きな香りを嗅げば気分が良くなるし、おいしそうな香りを嗅げばお腹が空きます。香りは私たちの気持ちに影響を与えますが、いったいそれはなぜなのか。改めて考えてみると、ちょっと不思議な感じがしませんか?
 香りは目に見えませんし、聞こえません。
 香りは鼻で嗅ぎます。鼻を塞ふさぐと匂わなくなります。香りを発するものに鼻を近づけると強く匂います。しかし、遠くにあっても香りによっては匂います。
 強い香りのついたものを手でごしごし触ると、手に香りが移ります。これは光や音にはない性質です。光や音にいくら手をかざしても、手につけて別の場所に持っていくことはできません。
 香りとはいったい何でしょうか。
 その答えは、小さな粒子です。どのくらい小さいかというと、ウイルスよりも小さく、数十ナノメートル(100万分の1ミリメートル)くらいです。
 私たちが香りを感じるとき、その粒子は気体になって空気中を漂っています。ただ漂っているだけでは香りを感じることはできませんが、その粒子が鼻の中に入って、鼻の中の「嗅覚受容体」と呼ばれる場所にくっつくと、脳に信号が送られます。そうして初めて私たちは、香りを感じることができるのです。ですから、鼻を塞いだり、鼻水で鼻が詰まっていたりすると、香りの粒子が受容体にくっつくことができずに、香りを感じなくなります。
 香りの粒子はいつでも空気中を漂っているわけではありません。もともとは固体や液体の状態で存在していて、そこから一部が気体になって出ていきます。たとえば花の香りの場合は、花びらや葉や茎くきの中に、香りの粒子が混じっていて、そこから一部が気体になります。気体になった香りの粒子は、空気中に拡散されて薄まっていきます。ですから、花に近づけば強く香りますし、遠くであれば香りの粒子がたどり着く量が少なくなるので、香りも薄まります。
 水は100度まで温度を上げると沸騰ふっとうして水蒸気になりますが、香りの粒子は普通の気温でも気体になります。このように常温でも気体になりやすい性質を「揮発性きはつせい」といいます。お酒や消毒に使うエタノールも揮発性です。お酒の瓶びんの蓋を開けっ放しにしていると、徐々にアルコールが抜けていきますよね。手をエタノールで消毒した後にハンカチで拭かなくても乾くのも、エタノールが気体になっていくからです。
 香りは小さな粒子だと書きましたが、もう少し科学的な言い方をすると「分子」です。水分子や酸素分子、二酸化炭素分子など、物質の性質を示す最小単位のことです。中学生のときに化学で習ったと思いますが、忘れてしまった人もいるかもしれません。とはいえ、物質はたくさんの分子が集まってできていることだけ知っていれば十分です。
 香りの分子にはさまざまな種類があって、その種類ごとに香りが異なります。
 そして、鼻の中にある匂いを認識する受容体にもたくさんの種類があります。受容体はそれぞれ自分が結合できる分子が決まっています。鍵と鍵穴のような関係で、うまくはまったときだけしか匂いを感じることができません。
 いかがでしょうか。香りとは何か、イメージすることができたでしょうか。良い香りに限らず、世の中の匂いすべてに、この説明が当てはまります。良い香りの分子が鼻の中に入って受容体にくっつく様子は楽しく想像できても、嫌なものの臭いの分子が鼻の中に入ってくるのは、あまり嬉しいものではありません。
 しかし、嗅覚は動物が自分の身を守るために発達させた能力です。嫌な臭いは危険を知らせるシグナルです。不快な臭いがすれば、食べるのをやめたり、近づくのを止めて警戒したりできます。現代人は動物に比べて嗅覚が衰えていますが、それでも腐りかけの食べ物を見分けたり、ガス漏れや物が燃えている臭いに気づいたりすることができます。
 嫌な臭いを嗅ぎたくないときは、鼻の入口を塞いで、物理的に匂いの分子をブロックすると良いでしょう。


続きは『「植物の香り」のサイエンス なぜ心と体が整うのか』でお読みください。

塩田清二(しおだ・せいじ)
湘南医療大学教授、星薬科大学名誉教授。日本アロマセラピー学会理事長、日本統合医療学会副理事長。専門は神経ペプチドを中心とした神経科学。著書に『〈香り〉はなぜ脳に効くのか――アロマセラピーと先端医療』(NHK出版新書)がある。

竹ノ谷文子(たけのや・ふみこ)
星薬科大学薬学部准教授。日本アロマセラピー学会副理事長。専門は運動生理学、スポーツアロマセラピー。塩田氏との共著に『スポーツアナトミー 人体解剖生理学』(丸善出版)などがある。

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