自分と相手の境界線を引く――#4ローレン・グロフ『優美な食用の鳥たち』(3)
対照的な二人の出会い――「ブライズ」
さて、もう一つ短篇を読んでみよう。他には特に “Blythe”「ブライズ」がすごかった。主人公は弁護士の女性で、だが結婚と同時に仕事を辞めている。暇を持て余した彼女は、大学の詩の授業に参加することにした。そこで主人公はブライズと出会う。彼女もまた結婚し、モデルの仕事を辞めていた。そしてずっと興味があった詩を書いてみようと思い、この授業に参加したのだ。
シックな服を着こなし、華やかな見た目で家柄もいいブライズに対して、ラトビア移民の子孫である主人公は地味だ。だが、この対照的な二人はなぜか気が合い、常に一緒にいて、帰宅後も電話をかけ合う仲になる。
勉強が得意な主人公は最初、詩の様々なテクニックを覚え、先生に褒められるようになる。それに対して、そこまで知的なトレーニングをあまり受けたことのないブライズは、どうにも作品が書けない。だが二人の関係は徐々に逆転していく。地道に勉強を進め、ついに大学の講師となる主人公に対して、ブライズは主婦としての自分の苦境を作品で赤裸々に語り社会的な評価を得る。
狂気は伝染する
二人の差が決定的になったのは、ブライズが過激なパフォーマンスを始めてからだ。「妻たちはセックスのために生きている」と語り、顔に血のように真っ赤なゼリーを塗りつけながら、過去に自分が行った中絶手術の詩を朗読する彼女は、突出した表現と美貌によって注目を集め、見る間に有名詩人となる。
だが同時に、彼女は精神の均衡を失っていった。夜中でも主人公に電話をかけてきては、延々と苦しみを語る。私がいなければブライズはダメになる、と責任感の強い主人公は思い、彼女を精一杯支えるのだが、ブライズのはまり込んだ狂気はどんどんと深くなる。
イギリスの大学で教えないか、という話が主人公にくるものの、ブライズのそばを離れられないという理由で、彼女は一旦は断ってしまう。だがついに限界がやってくる。もうだめだ。私の力ではブライズを支え続けることはできない。しかもこのままでは、自分の人生もブライズの人生もメチャクチャになってしまう。そして主人公はブライズを手放すことを決意し、イギリスへ渡る。
誰もコントロールできない感情
まずこの短篇は、二人の女性による友情の物語である。知的で実直な主人公と、美貌を持ち、直感的で家柄の良いブライズは対照的だ。だからこそ二人は互いに、自分にとっての理想像を見て惹かれ合う。ここまではいい。だが、いつしか主人公はブライズの持つ精神の不安定さに巻き込まれていく。やがて、いわゆるfolie a deux「二人狂気」に陥るのだ。
確かに主人公の支えがなければ、ブライズの内に潜んでいた才能が開花することはなかっただろう。あるいは、ブライズからの新鮮な刺激がなければ、主人公は詩の講師にはなれなかったに違いない。
だが、そうした敬意や愛情の裏側には、ドロドロとした暗い思いが渦巻いている。悲しみや怒り、恨みといったネガティブな感情を一人の中に閉じ込めておけなくなる。あまりに二人が近づいてしまったがために境界線が消え、お互いに自分のことも相手のこともコントロールできなくなってしまうのだ。
諦めが人生の扉を開く
ブライズを失うことは主人公にとって苦痛だ。だが、このままでは共倒れになる。「彼女を手放そう。彼女は行く必要がある、暗くてひどい場所へと泳いで入って行くだろう。私にはもう、どうすることもできない。」
それは主人公にとって諦めだった。けれども、この諦めこそが二人にとって新しい人生の扉を開く鍵となる。時に好意は、相手と自分の双方を殺してしまう。むしろ、境界線をきちんと引くことがこの上なく大事になるときもある。この「ブライズ」という作品は、そのことを雄弁に語っている。
(第4回了)
題字・イラスト:佐藤ジュンコ
都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。
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